1992.10.7(Wed) Vladivostok
極東海洋船舶局 Google Map
更に行くと極東海洋船舶局の建物がある。屋上には組織のマークと、旗をデザインしたような看板があり、数本のアンテナが立っている。港湾内の船舶との通信に用いるのだろうか。実際にどのように使われているかどうかはわからないが、いかにもそれらしい風情だ。
17番の住居(東南側から) 建設年:1938年
"The 2nd Gray Horse" apartments building
右端空中にあるのは街路照明灯
17番の住居(北東側から) Google Map
更に少し北へ行くと、通りの西側の一段高くなった場所に、8階建てぐらいの共同住宅(17番と19番の住居)が2棟並んでいる。この2つの建物、シンメトリーで様式的なデザインをまとって、立派な佇まいを見せている。こういう建物を見ると、なんだか単純に格好いいなぁと思ってしまう。現在、現地の人がどう思っているかは知らないが、豆腐型のモダニズムオフィスや似たようなマンションだらけになった日本にいると、昔の様式的な建物を魅力的に感じることが時々ある。
しかし共同住宅というにはやや不自然な立派さで、妙に気合いの入った装飾がなされているので少々驚いてしまう。屋上に人物像がついていたり、様式的なベランダやバルコニーがついているが、これはソビエト時代にプロパガンダ的に芸術的な姿の共同住宅が建設されたのだそうだ。また後に、これらはいわゆるレーニン様式で建てられたものだったということを知った。
19番の住居 (2枚の写真を接合) Google Map
"The 1st Gray Horse" apartments building
建設年:1935〜1938年
屋上に掲げられた文字の意味は不明。
19番の住居の方は、1Fが店舗になっているようだ。日本で言うところの、いわゆる下駄履きマンション。一方、住人がアパートメントに入るには、両者とも薄暗い裏側の入口からエレベーターで上がるようになっている。外観は立派な建物だが、住民用の入口がやけに地味な感じだったのは少々意外だった。
ところで、当時、まだウラジオストクへの旅行者はほとんどおらず、いわゆる観光ガイドブック的なものはほとんどなかった。建築ガイドブックなどというものも当然無い。ただ、現地の人々が読む、旅行記風ガイドブックはあった。ロシア語で書かれたこの「こんにちはウラジオストク」という本を、案内通訳の方が和訳したものを見て、めぼしい建物をチェックしたりしていたわけだが、それに「次は17番の住居を見てみよう。」とか書いてあったのだった。でも17番の住居とか、19番の住居ってのは、建物名としてはどうも変な名前だ。後から良く考えてみると、どうやらこれはアレウツスカヤ通り17番地に建っている集合住宅という意味だったらしい。
日本だと集合住宅には「中野ブロードウェイマンション」とか、「ヌーヴェル赤羽台」などという、固有名称が付けられていることが多い。場合によってはちょっと恥ずかしくなってしまうような名前だったりすることもあるが、「17番の住居」という呼び名しかないのだとしたら、逆にこれはちょっと素っ気なさ過ぎるんじゃないかと思う。ウラジオの中では装飾に力を入れて建てた建物なのに、番地だけかよ・・・。ただ、資料が旧ソ連時代の限られたものなので、或いは名前があったのに、私たちがよくわかっていなかっただけなのかもしれない。
一方、地図の方はというと、旧ソビエト及び、その後しばらくの間のロシア渡航関係を一手に引き受けていた、インツーリスト社によるガイドマップは手に入れることができた。しかしウラジオは軍事都市であり、1990年頃までは外国人の立入ができなかった街だ。様々な施設の位置を示す地図は当然軍事機密で、結局、距離や街区規模が正確な地図は簡単には手に入らず、かなりアバウトなガイドマップを使うしかないのだった。
後日、ネットで検索していたら、この二つの建物は、The 1st Gray Horseと、The 2nd Gray Horse という二つのアパートらしいことが判った。第一・第二灰色の馬(もしくは葦毛の馬)アパートっていう呼び名らしい。詳細な由来は知らず。
1992年10月 ロシア日記・記事一覧
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8月24日、姥ヶ橋地蔵尊のお祭りがあります。お富士さんより少ないですが露店もでるようです。この日は地蔵盆ですので他所でもお祭りがあるでしょうから回れないかもしれませんが。