1992.10.8(Thu) Vladivostok
8:30 起床。喉が相変わらず痛い。少し咳がでる。一方、体調を崩していたF氏は復活して妙に元気になっている。
9:15 朝食はクレープのようなもの。おなかが一杯になる。
ドミトリーわきの工事現場
サイドカーに乗ったおじさんが現場作業員に感謝のガッツポーズ
10:00 ドミトリ-前に集合。とある設計事務所へ向かおうとしていつものバスを待つが、なかなか来ない。バスの手配に手違いがあったらしく、待っていても来ないことが判り、徒歩で丘の裏の方の交差点まで行き、バスと合流することになる。そのへん、なぜそういうことになるのわからない。旅行先の街なかで山道のような道を歩くことになる。着いた先でも、先方のアポイントメントの関係かなにかでまた待たされてしまう。なんだか朝からついてない一日になる予感。
裏山を抜けてバスとの合流地点へ
オケアンスキー大通り交差点(ГОРОДパンフレットから転載)
10:35 バスと合流しようとした場所は、オケアンスキー大通り交差点の近く居住地区で、マーケットがあった。荷台から物売りをする人などもおり、結構人も多い。退屈しのぎに交差点のいい加減なスケッチを描く。交差点に向かって坂道を下りてきたバイクが、ロータリーを周回して一時停止したらエンジンが止まってしまい、乗っていたおじさんは一生懸命押し掛けをしていた。
バスの日除けカーテンに付けられたバッジ
右側通行なので、乗降ドアも右側
10:40頃 ようやくバスが到着する。ところで僕らが乗っていたバスの運転主氏は、バスのフロントガラスの上方に赤いカーテンのような物を掛け、それに沢山のバッジをつけていた。カーテンは日除け代わりだろうが、日本では仕事に使うバスにこんな飾りつけをしたりはしない。でもこういう意外に自由なところは悪くない。
11:00 ГОРОД(ゴロド)という都市計画設計事務所に到着。海沿いのアスレチックジムのような大きな建物の3階に、その事務所は間借りをしていた。S氏他の先輩や先生は昨年も訪れたという事務所で、挨拶のあと、いろいろな模型・図面を拝見する。
何よりも驚いたのは、ウラジオストクの地図が無造作に壁に貼ってあったことだった。軍港都市で外国人の立入が許されていなかったウラジオでは、一般の人はまともな地図を手に入れることができない。外国人が観光で行けるようになったとはいえ、細かな地図を目にするのは初めてだった。一同、皆、この地図が欲しかったのだが、さすがにこの地図は貰うことができなかった。また、たとえ貰ったとしても空港で引っかかって没収される可能性がある。
所員に模型の説明をしてもらい、それをI氏が撮影するビデオに向かってS氏と、A氏が解説するという形で次々に記録していく。F氏、K氏は壁に貼ってあった地図に描いてある凡例・その他の文字を、「写楽」というハンディコピー機で一生懸命転写。英語の先生で、通訳をかって出てくれたタマーラおばあちゃんは、このハンディコピー機をエラク気に入っていた。私は様々な模型・図面の写真を次々に撮影した。スパイが事務所内の一切合財の資料をフィルムに収めて嵐のごとく立ち去って行くようで、なんだか申し訳ないような気分になるのと同時に、収穫を得た後のような妙な満足感に一同浸るのだった。
1992年10月 ロシア日記・記事一覧
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