1992.10.7(Wed) Vladivostok
21:15 帰寮。時間外になってしまったので、バスの運転主氏に若干の追加料金を渡す。私たちも「スパシーバ(ありがとう)」を連発する。
部屋に戻ろうとしてドミトリーの脇を歩いていると、上の方から「ハーイ」という声がかかった。女子学生5人が声を掛けてきたのだった。寮に住んでいる学生達で、よくわからん日本人がやってきてるという噂を聞きつけて声を掛けてきたらしい。S氏を中心にして、彼女たちとコミュニケーションを図りに行く。みんな19才くらいだという。
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大学寮の女子学生たち
ロビーでいろいろ話をする。S氏は早速ウラジオの地図を広げて街の見どころの話をする。
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なかなかいろいろな学生がいて、パラシュートをやっていたり、カヌーをしていたり、モスクワに留学していた女子学生もいた。出身地もさまざまで、ウスリースク、アルセーニエフ(共にウラジオから約100km、約250kmの町)、ヤクーツクなどロシア国内のあちこちだった。だから顔立ちもヨーロッパ系(白系ロシア)からシベリア系?、中国系、朝鮮系とさまざまだ。更にかなり混血もしている模様。夏にはダーチャという別荘に行ったりするのだという。ロビーはやや寒かったのだが、なんだか話が盛り上がってしまい、22:30頃まで話が続き、明日また交流することになった。
24:30 日記をつけて就寝。
1992年10月 ロシア日記・記事一覧
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