旧赤線の建物
所在地:足立区千住柳町15
構造・階数:木造・2F
備考 :2010〜14年に解体
Photo 2006.10.8
日本橋から出発して日光街道と奥州道の最初の宿場が千住宿。江戸期は千住のまちなかを南北に通る街道沿いに旅籠がたくさん並び、飯盛女(食売女)が大勢いて、遊興地として繁盛していたそうだ。
明治以降は宿駅制度が廃止され、鉄道も開通したため、宿場としての機能は失われ、宿場は遊廓となった。そして1919(大正8)に遊廓は街道沿いから千住柳町に移転し、1958(昭和33)の売春防止法施行まで、いわゆる赤線となっていた。
写真の建物は、その後50年近く普通の家屋として残されていた旧赤線時代の建物。カーブしたコーナー、バルコニーなど、それらしいデザインがところどころに見られる木造モルタル家屋だった。
Photo 2006.10.8
アーチ型の玄関や窓、曲線が多用された出窓など、古い建物にしてはハイカラなデザインが特徴的。ただ、初めて見たら、見過ごしてしまいそうなくらいで、町に埋もれているのだった。
Photo 2006.10.8
西南側コーナーは面が取られ、庇と2階壁面も曲面になっていた。
旧赤線時代の建物は既にほとんどない。あったとしても改装され、特色のある意匠は分からなくなっている。ただ、地図で見ると、この一角だけは道幅がやや広くグリッド状になっており、周辺の他の町とは異なる道路パターンになっている。
その後はこの界隈を訪れていないが、Google S.V.で確認すると、既に解体されマンションに建て替えられている。2009年12月ではまだ存在しているが、2015年5月の写真では既にマンションができている。従って2010〜14年に解体され、なくなったようだ。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 足立区 #遊興施設