このお盆の時期になると必ず思い出していたのが、
あの悲惨な御巣鷹山の日航機墜落事故。
今年はどうしたことか当日になっても気付かず
翌日の新聞記事で初めてハッとさせられた。
同じ航空業界で従事していた一人として、
この墜落事故を風化させてはいけないと改めて感じた。
早いものであの事故から37年が経過し、
最近では事故を知る日航社員も少なくなったという。
思い起こせば私も事故発生当時、
就職してまだ10年にもならない30歳の頃。
そのころは福岡空港で勤務していた時で、
あのジャンボ機が・・
大きな衝撃を受けたことだった。
(画像はイメージです)
現在、日航の約98%の社員が事故を直接知らず、
事故当時を知る残りの2%の現役社員も
あと数年で定年退職になるという。
いま事故の教訓をいかに次世代に引き継いでいくかが課題で、
事故直後、着の身着のまま現場に駆け付けたり
遺体安置所で遺族の対応した社員やOBの声を映像記録に残し、
社員の安全意識の啓発に活用しているらしい。
過去記事より
20200812
「長崎の変」とは?長崎の新たな変化やチャレンジを応援し、
その魅力を発信するプロジェクトです。
あの悲惨な御巣鷹山の日航機墜落事故。
今年はどうしたことか当日になっても気付かず
翌日の新聞記事で初めてハッとさせられた。
同じ航空業界で従事していた一人として、
この墜落事故を風化させてはいけないと改めて感じた。
早いものであの事故から37年が経過し、
最近では事故を知る日航社員も少なくなったという。
思い起こせば私も事故発生当時、
就職してまだ10年にもならない30歳の頃。
そのころは福岡空港で勤務していた時で、
あのジャンボ機が・・
大きな衝撃を受けたことだった。
(画像はイメージです)
現在、日航の約98%の社員が事故を直接知らず、
事故当時を知る残りの2%の現役社員も
あと数年で定年退職になるという。
いま事故の教訓をいかに次世代に引き継いでいくかが課題で、
事故直後、着の身着のまま現場に駆け付けたり
遺体安置所で遺族の対応した社員やOBの声を映像記録に残し、
社員の安全意識の啓発に活用しているらしい。
過去記事より
20200812
「長崎の変」とは?長崎の新たな変化やチャレンジを応援し、
その魅力を発信するプロジェクトです。
福岡空港にお勤めだったのですね♪
日航機墜落事故の時忘れもしませんお盆休みだったので
家族でつくば万博に行っていて会場で知りました!
あれから37年ですか何年経っても忘れる事はできません!
ご縁があり、群馬県の上野村の方と交流があります。
数年前にお亡くなりになられましたが、当時消防団に入られており事故の日も
入山して救助活動に当たられていたそうです。
それはもう、凄惨な光景だったと、教えてもらいました。
御巣鷹の尾根に初めて登ったときに見た、遺族の方々が作られた故人を偲ぶ様々な想いの数々に
涙がでました。
また機会があれば、登ってみたいものです。
私もです。。。
あの頃は事故や機材トラブル、ハイジャックも身近に見たり聞いたりしましたが、
お盆の時期で家族連れも多く、子供たちもたくさん犠牲になったあの事故だけは忘れられません。
今でも表に出ないだけでトラブルは多少なりともあるでしょうが、
最近は大きな事故には繋がっていないと思います。
航空整備士にも知り合いが多くいますが彼らを見ているとまず安心します。
航空機事故だけは二度と起こさないことを願います。
航空機事故だけはひょっとすると現地の人たちにも迷惑が掛かるかもしれないし、
捜索、救助には地域の人たちの協力を必要とします。
飛行ルートに該当する地域の病院、警察、消防の所在地、連絡先等はマニュアル化されています。
ひいてはお寺さんまでも。
お世話にならないことを祈るだけです。
身近な方が犠牲になられると他人事ではないですよね。
乗客の中には予定が早く終わって一つ前の便を利用された方、
出発直前に123便を取り消し後の便に変更された方、
また乗り遅れて搭乗出来なかったことで難を逃れた方も多かったと聞きます。
また、その逆の方も・・・
航空機事故、二度と起きないことを願うだけです。