松阪の城下は江戸時代になると商人の街として大いに栄え、
三井、小津、長谷川、長井、殿村等の豪商は、
江戸時代前期には江戸や京、大阪に店を構えました。
中に入るといきなりの万両箱の展示です。
千両箱は見かけますが、万両箱とはビックリ
江戸時代前期なら1両はおよそ10万円、
中期~後期でもおよそ5万円前後のはずですから
どれだけ大店の経済力があったか計り知れないものです。
この大店の主の名は、小津清左衛門。
雛人形などにその家の格や経済力が現れるものですが、
なかなか立派なもののようです。
奥へと入って行きましょう。
表座敷から見えるものと奥座敷から見えるもの、
向座敷から見えるのが2つと4つの庭があります。
主屋敷は木造二階建で延545.53㎡
20余りのの部屋があります。
こちらは湯殿のようですね。
近江の五個荘商人の家より広くて立派ですよ。
中心部分は17世紀末から18世紀初頭の建築ですが、
湯殿はそれより後の建築かもしれません。
(質問しておくべきでした)
湯殿の先に内蔵がありました。
現在は展示室になっており、小津清左衛門並びに
松阪商人の資料が公開されています。
松阪において江戸店持ちの中でも筆頭格の小津家は、
三井家、長谷川家等とともに紀州藩の
御為替御用を命じられていました。
明治以降も紡績会社や郵便船会社等を経営、
小津銀行なども経営していました。
現在も紙業と不動産業を中心に創業以来の場所で
脈々と営業を続ける小津グループとして発展。
(小津産業 東証1部)
その原点がここにあるのですね。
「近江泥棒、伊勢乞食」と言う言葉が残されているそうです。
近江商人はがめつく、伊勢商人は、貧乏な乞食のように、
出納にうるさいと言う意味なのだそうですが、
彼らの商売はかなり手堅かったことから
このように言われてしまったようです。
幕末から明治維新の動乱期、金融恐慌、
関東大震災などの災害、大戦もありながら発展しています。
こうした商人の知恵や経験も活かしていただき、
税金や年金も手堅く有効的に利用、
運用をしてもらいたいものです。
三重県松阪市本町2195
2016.2.7