この資料館は明治41年(1911年)に着工、
翌年飯南図書館として開館し、
昭和53年に歴史民俗資料館になった
登録有形文化財の建物です。
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館内には、松阪商人の名を天下にたからしめた
「松阪木綿」の関係資料を常設し、
松阪の文化を紹介しています。
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江戸時代の店を復元しています。
古くから街道の要塞地として発展した松阪は、
江戸時代に入ると、お伊勢参りの旅人の往来が増加し、
宿場町や商業の町としても大いに賑わったそうです。
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当時京都の書画の大家であった池ノ大雅が書いた
豪華な看板が目に留まります。
薬種商桜井家の看板で、旅人の困っている様子を見て
足の膏薬「萬能千里膏」と腹痛薬「黒丸子」を
造って売り出し、成功したそうです。
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「伊勢の水銀」は、鎌倉時代に「伊勢白粉」と呼ばれる
薬剤を生産する軽粉業がおこり、室町時代には最盛期。
伊勢神宮の御師たちによって全国に流通し、
軽粉で富を得た商人が江戸に進出して
伊勢商人の先駆として活躍したのだそうです。
こちらの軽粉コーナーは、
全国でもここしかない貴重な資料です。
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この地方の織物の歴史は、5世紀後半までさかのぼり、
室町時代に綿が渡来し、その栽培に適した土地で、
古来の技術と相まって木綿織物の一大産地になりました。
江戸店持ちの松阪商人に松阪木綿が送られ、
品質が優れているのはもちろん、
シマ柄が粋好みの江戸庶民に大いに受け、
「松阪縞」の名でもてはやされたとか。
もともと<シマ>というのは「島渡り」
海外から伝わってきたものの意味で、
松阪には安南国(今のベトナム)に渡った
貿易業者・角屋七郎兵衛がいたことから「柳条布」が送られ、
国産化したものだろうと言われているそうです。
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人の移動が文化や芸術をもたらし、暮らし、産業、
経済を発展させていくということがよくわかりました。
「松阪商人 長谷川家の蔵書」の企画展も行われ、
旧街道の風景を描いた名所図会や書画、
巻物などが展示されていました。
三重県松阪市殿町1539
(松阪公園内)
2016.2.7