まるみのあっちこっち巡り

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ぶらり松阪路⑥ 松阪市立歴史民俗資料館

2016-09-21 08:39:37 | お出かけ 近畿


この資料館は明治41年(1911年)に着工、
翌年飯南図書館として開館し、
昭和53年に歴史民俗資料館になった
登録有形文化財の建物です。







館内には、松阪商人の名を天下にたからしめた
「松阪木綿」の関係資料を常設し、
松阪の文化を紹介しています。







江戸時代の店を復元しています。
古くから街道の要塞地として発展した松阪は、
江戸時代に入ると、お伊勢参りの旅人の往来が増加し、
宿場町や商業の町としても大いに賑わったそうです。







当時京都の書画の大家であった池ノ大雅が書いた
豪華な看板が目に留まります。

薬種商桜井家の看板で、旅人の困っている様子を見て
足の膏薬「萬能千里膏」と腹痛薬「黒丸子」を
造って売り出し、成功したそうです。







「伊勢の水銀」は、鎌倉時代に「伊勢白粉」と呼ばれる
薬剤を生産する軽粉業がおこり、室町時代には最盛期。

伊勢神宮の御師たちによって全国に流通し、
軽粉で富を得た商人が江戸に進出して
伊勢商人の先駆として活躍したのだそうです。

こちらの軽粉コーナーは、
全国でもここしかない貴重な資料です。







この地方の織物の歴史は、5世紀後半までさかのぼり、
室町時代に綿が渡来し、その栽培に適した土地で、
古来の技術と相まって木綿織物の一大産地になりました。

江戸店持ちの松阪商人に松阪木綿が送られ、
品質が優れているのはもちろん、
シマ柄が粋好みの江戸庶民に大いに受け、
「松阪縞」の名でもてはやされたとか。

もともと<シマ>というのは「島渡り」
海外から伝わってきたものの意味で、
松阪には安南国(今のベトナム)に渡った
貿易業者・角屋七郎兵衛がいたことから「柳条布」が送られ、
国産化したものだろうと言われているそうです。







人の移動が文化や芸術をもたらし、暮らし、産業、
経済を発展させていくということがよくわかりました。

「松阪商人 長谷川家の蔵書」の企画展も行われ、
旧街道の風景を描いた名所図会や書画、
巻物などが展示されていました。

三重県松阪市殿町1539
(松阪公園内)

2016.2.7
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