国学者の本居宣長が12歳から72歳まで暮らした
本居宣長旧宅を移築したもので
国の特別史跡に指定されているこの建物は、
1691年に建てられたもので実に築325年です。
本業は医者、当時は往診が主ですが、
直接やって来た人の診察もしていたようです。
診察をしたのが「店の間」
客人の待合室に使われたのが「中の間」です。
旧宅の中で最も広いのが「奥の間」で、
お弟子さんたちに授業をする部屋として使われました。
奥様と5人のお子様がいらしたそうですが、
どのようにして暮らしていたのでしょう?
箱階段の段数は7つありますが、実は1段少ないとか。
急傾斜で不安定な階段を72歳で亡くなるまで
毎日上り下りしていたのですから驚きです。
2階「鈴屋(すずのや)」
宣長が53歳の時に屋根裏部屋を改築した四畳半の部屋。
『古事記伝』が完成したのもこの部屋でした。
旧宅正面にある階段を上って、覗いて見るしかできません。
何しろ築325年ですから。
床の間には、掛け軸と柱掛鈴が掛けられていたそうです。
勉強に疲れたらこの鈴の音を聞きリフレッシュしていたとか。
「鈴屋」の名の由来でもあります。
共通券で本居宣長記念館にも入館できます。
本居家より松阪市への寄贈資料など
16000点を収蔵しています。
1730年生まれの本居宣長の家は、
江戸に店を持つ木綿商でした。
23歳で京都へ行き、儒学と医術を学び、
26歳で医者となり、28歳で松阪に戻り開業し、
35歳で『古事記』研究に着手します。
もの学びの軌跡、宣長72年の生涯を知ることができます。
ガラス越しに物を見せるということが始まったのは、
1867年のパリ万博からだそうですが、
宣長は学問は公開が原則と考えられていたそうで、
こうして公開されていることを喜ばしく思われているでしょう。
古本屋で宣長の著作がどうか見極めるには、
布目模様の水色か紺の表紙、紫の綴じ糸、
これが宣長の好きな装丁だったとか。
今なお市民に尊敬され、親しみを込めて
<のりながさん>と呼ばれているようです。
現在はリニューアル工事のため臨時休館しています。
三重県松阪市殿町1536-7
2016.2.7