西園寺公望別邸「坐漁荘」(重要文化財)
旧所在地 静岡県清水市興津町
建設年代 大正9年(1920)
国の重要文化財に指定されている建物で、
建物ガイドに参加しなければ、
内部の見学はできません。
「坐漁荘」は西園寺公望が政治の第一線から退いた後、
清水港近くの興津の海岸に建てた別邸。
建物自体は簡素な作りのようですが、
上質な木材などが使用されており、
外壁には檜の皮が使用されています。
戊辰戦争において官軍の方面軍総督を務め、
フランス留学後には中江兆民等と
東洋自由新聞を発刊。
ブルジョア自由主義の普及に努め、
政府に入ると伊藤博文の腹心となり、
総理大臣になり、元勲と呼ばれた西園寺公望。
西園寺公望が70歳の時、建てた座魚荘で
90歳までの20年間を過ごされましたが、
亡くなるまで、政治から教育の分野まで
活動を続けていたそうです。
現在、二階の座敷の障子を開け放つと、
遠い山並みを背景に入鹿池が見渡せます。
興津に建てた当時は、右手に清水港から久能山が、
左手に伊豆半島が遠望されたのだそうですが、
それに近い形で移築されています。
"なにもせず、のんびり坐って魚をとって過ごす"という
意味がこめられていた「坐漁荘」ですが、
事あるごとに政治家の訪問を
受けざるを得なかったとか。
竹材を好んだ西園寺公望、いたるところに
竹が使われているのがわかります。
窓にはめられた竹格子、竹の欄間、天井、
風呂場の天井にも竹が使われています。
これは何のブザーだと思われますか?
このブザーを押すと女中部屋に鳴り響き、
女中さんがお伺いに行く必要があったとか。
度々訪れる大勢の政治家などの
お客様にお料理なども振る舞われたのでしょう。
洗い場も広々としたお風呂になっています。
昭和4年(1929)、海に面した座敷の横に洋間が、
その奥には脱衣室を兼ねた化粧室や
洋風便器の置かれたトイレ等が増築されています。
フランスに留学された公望さん、
高齢になると和式より洋式の居住性を
評価されたたのでしょう。
会津戦争においては、自から最前線に立って指揮、
大村益次郎に目をかけられていたほどの人物で、
総理大臣経験者、命を狙われる危険性を考え、
複雑な間取りにしたり、防犯を考えられていました。
旧東海道に沿って建てられた低い塀の奥に、
木造桟瓦葺で軒先に軽い銅板を廻らした純和風建物、
強い海風に耐えられるよう工夫もみられます。
外観を見、庭園を眺めるだけでも良いですが、
学芸スタッフの建物ガイドがオススメです。
愛知県犬山市内山1番地
2019.3.22