履 歴 稿 紫 影子
北海道似湾編
木菟と雑魚釣り 3の1
保君が罠で年寄カケスを捕ってからは、どうしたものか、桂の木へはもうカケスが飛んで来なくなった。
そうした或日、「カケスはもう此処へは来ないかも知れんぞ、あの年寄カケスが罠にかかったのを見て吃度吃驚したんだよ、だけどなぁ心配するな、俺何処かで吃度捕ってやるよ。」と言って、私の家から百米程行った裏の密林へギヤギヤと鳴いて、飛んで来るカケスの群を目あてに、連日、此処彼処と彼が得意の罠を仕掛けるのだが、その罠は必ず成功をして居たのだが、私達が学校から帰ってその罠へ行くと、確実にその罠にかかったと思われるカケスが、それが鳶であったが、それとも鷹であったのかも知れなかったが、弓状に縛った柴木が直立して居て、その麻紐には、胴体のないカケスの足が残って居たと言う状態であった。
私はその日を明確には記憶をして居ないのだが、カケスが死んでから二週間位は経過して居たと思って居る或日のことであったが、朝礼を終って教室へ這入った私の所へ、机の下を潜らせた手送りで一枚の紙片が届いた。
その差出人は保君であったのだが、その紙片には鉛筆の走り書きで”カケス捕りは失敗ばかりして居るから諦らめよう、ところがニセップの布施が木菟を捕ったんだとよ。それをお前にやりたいと、俺に言って来て居るんだが、どうだお前その木菟を貰ってカケスの代りに飼わないか、餌は雑魚で良いんだ、その点は俺が良く釣れる沼を教えてやるから心配するな。」と書いてあった。
「もうカケスは居ないんだから、その巣箱を裏の物置へ持って行ったほうが良いのじゃないか。」と、母は幾度となく私を促したものであったが、私は矢張りその巣箱を、玄関の土間の正面へその儘にして置いておいた。そして毎朝、その箱の前に立っては嘗って餌をやって居た時と同じように、萩の木で作った格子の中を覗いては、「お早う」と声をかけては、ありし日のカケスを幻想して居た私であったから、そうした保君の配慮に小躍したものであった。
一時間目の授業を終って校庭に出た私は、「オイ、保君、さっきは有難う、是非貰ってくれ、頼む。」と言って、彼の手を力一ぱい握りしめたものであった。