「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

ギリシャ危機と新円切り替えの頃の日本

2015-07-01 05:34:00 | Weblog
ギリシャの財政危機はどうなるのか。IMF(国際通貨基金)への債務は期限がきても支払らず、このままではEU{欧州連合)からの金融支援も凍結されそうだ。5日に行われるEU再建策をめぐる国民投票の結果によってはデフォルト(債務不履行)に陥り世界経済は混乱の度を深め、わが国への影響も避けられない。

現地からのテレビ画面を見ていたら、お年寄りが銀行のATMの前で60ユーロ(8000円)しか年金を引き出せず困惑している姿があった。日本ではこういう事態になることはないが、69年前の昭和21年2月16日、弊原内閣のとった金融緊急措置令(新円切り替え)で、ギリシャと同じような事態が起きている。敗戦後の超インフレで財政は破綻し、政府は突如、すべての預貯金を封鎖し、給与も月額世帯主500円、扶養家族一人に月100円までしか新円で支払わないと発表した。

わが家では、すでに父は定年で給与生活を終えていたが預貯金の凍結は響いた。さらに3月Ⅰ日には物価統制令が改正された。わが家では父の定年後を考えて、戦時中、借金をして家作を作り、その家賃をあてにしていたが、その家賃が統制令で、ものすごいインフレにも拘らず値上げを禁止されてしまった。わが家だけではなく、この金融緊急措置令によって、給与生活者はもろに影響を受け、生活するために、タンスの中の衣類を売ったりする”タケノコ生活”を強いられた。

ギリシャの財政危機は歴代の内閣の放漫政策の結果によるもののようだが、EUへの加盟による影響もあるかもしれない。デフォルトを避けるため、多分国民投票ではEUへの残存が決まるとは思うが、結果の如何にかかわらず、国民は当分の間、厳しい生活を続けざるをえないだろう。対岸の火と思わず。わが国もしっかりとした舵とりをお願したい。

”オレオレ”詐欺 わが家にきてもムダですよ

2015-06-30 05:33:01 | Weblog
昨日また”オレオレ”詐欺の電話がかかってきた。わが家では普段から電話があったら”捕まえてやろう”と意気込んでいるのだが、また取り逃がしてしまった。昼過ぎ、新しく取り替えた受話器が鳴ったので、老妻がとると、”孫”の声で、会社の重要書類とケータイの入ったカバンを喫茶店で置き引きされたという。老妻はすぐ”オレオレ”と判り、会話を長引かせる作戦に出た。その間に、僕は階下の娘の家から警察に電話したが通ぜずとり逃がしてしまった。

”オレオレ”詐欺の電話はこれで3回目である。最初は”ご主人が交通事故で妊婦にケガをさせたが、相手が示談に応じるから”といった”弁護士”からの電話。電話の脇には僕はいるし、第一僕は運転免許を持っていない。老妻が目で”オレオレ”だと合図したので、この時も階下から電話しようとしたら、相手にきずかれダメだった。二回目はは、孫が会社のカネを使いこんでしまったという筋書き。しかし、この時孫はまだ学生で、外国旅行中なので、すぐ”オレオレ”と判明したが、老妻の対応が下手だったtため取り逃がしてしまった。

”オレオレ”詐欺も最近では”振り込め”詐欺と名前が変わり、手口も巧妙になってきたが、幸か不幸か、わが家では息子や孫が犯罪に巻き込まれても肝心の”おカネ”がないから詐欺には巻き込まれない。二人ともまだボケてないようなので、”オレオレ”犯罪の解決には警察に協力したいと思っており、電話の横には警察の電話が書いたポスターも貼ってある。しかし、電話おかけても警察が出ないのでは、どうにもならない。ひょっとすると、固定電話は警察では使用されなくなったのであろうかー。

”ダサイ”すぎる自民党の「文化芸術懇話会」

2015-06-29 05:43:30 | Weblog
安全保障関連法案に反対のマスコミに対して広告の出稿をやめ、不買運動を起こしたらどうか、と自民党の若手議員の勉強会「文化芸術懇話会」で話があったという。自民党の谷垣禎二幹事長は早速、懇談会の代表、木原実青年局長を1年間の役職停止したほか大西英男議員ら3人を厳重処分にした。しかし、自民党がこの騒ぎから受けたダメージからすれば、この程度の処分では軽すぎるように僕には思えるのだが。

「文化芸術懇談会」という名前を聞いて随分“ダサイ”名前をつけたものだと思ったのは、老人の僕だけではあるまい。wikepedeiaによれば、”ダサイ”とは”恰好悪い””野暮な””アカ抜けしない”という意味だが、まさに文化芸術の名前が泣きそうな”イモ”のような名称だ。

処分を受けた先生たちは、どんな人物なのか、好奇心から調べてみたら、大西英男先生は、国会で質問の女性議員に対して”自分の子供を産まなければ解からない”と野次を飛ばして問題になった人物である。大西議員は前職の都議時代から”野次将軍”で通っていた。つまり、政治家としての資質や品性に疑問が持たれていたみたいだ。

第二次安倍内閣は発足以来、30パーセント以上の支持率で”順風に帆をあげる勢いに見え、僕も支持しているが、一皮むけば、このテイタラクである。驕りとしか思えない。「文化芸術懇話会」で発言した作家の百田尚樹氏の”沖縄二紙をぶっつぶせ”発言も個人的には僕もその通りだと思うが、あまりにもTPOを配慮していない。政治は一瞬先は判らないという、組閣当時65パーセントもあった第一安倍内閣の支持率は、あっという間に30パーセントを割り込み退陣に追い込まれた。ここは「緊褌一番」である。そのためには、おかしな議員は除名すべきである。

老人にタブレットの普及を!

2015-06-28 06:38:17 | Weblog
先日、パソコンが故障した際、原因の一つが室内の配線環境が悪いようなので、修理会社と相談して新しいシステムに切り替えたら、タブレット器機が3年間無料で使用出来るサービスがあるという。PCでさえ、メールの受発信とネット程度で、もてあまし気味なのに、さらにタブレットと思ったが、無料なので挑戦してみることにした。キーボードが苦手の老妻も興味をみせている。

タブレットは確かに老人には便利だ。画面がIーPADより大きくて文字も大きいから見やすい。それに画面に指先で触れるだけで、たいていの事が出来る。80歳-84歳の老人のIT人口は16パーセントだそうだが、タブレットが普及すれば、一挙に利用人口は増えるのではないだろうか。PC嫌いの老人は、20年ほど前ワープロの波に乗り遅れた人が多い。キーボードが面倒なのでPCにも挑戦しなかった。

タブレットは医療介護現場でも利用されてきているという。介護度の低い老人にとって、ゲーム感覚で教えれば興味を持つこと間違いない。ネット情報によれば独り暮らしの老人に対しても特定のアプリを使えば安否の確認にもなるし、買い物に行けない老人でも、タブレットを使用すれば居ながらにして買いが楽しめる。

新聞に「認知症」予備軍ともいえるMCI(Mild Cognitive Impairment)が増加、厚労省の推計では、その数862万人、65歳以上の老人4人に1人はMCIだという。そろそろ僕の周囲にも明らかにMCIと思われる友人、知人が出てきた。その大半はITに無縁の人たちである。今や、無料でタブレットが入手できる時代である。行政はもっとタブレットの普及に力を入れてもよいのではないか。

「平和安全法制」審議国会と自民党の驕り(おごり)

2015-06-27 05:28:48 | Weblog
「衆議院平和安全法制特別委員会」の質疑の模様をテレビの中継で”つまみ食い”して時々見た。申し訳ないが、相も変らぬ質疑で、とても老人の僕には長時間テレビとお付き合いするほどのエネルギーはない。民主党の岡田克也代表は国民の8割は”平和安全法制”について理解していない、と述べていたが、その責任は野党側にあるが、与党側の短絡的な驕りにもある。

昨日国会中継があるのを知らずに、偶然テレビをつけたら民主党の寺田学議員が、自民党の若手研究会「文化芸術懇話会」での講師、百田尚樹氏の発言を巡って安倍総理を追及していた。百田氏が、研究会の席上、沖縄の二つの新聞(沖縄タイムス、琉球新報)は、左よりだから、ぶつっつべせ、といったかどうかについて総理が知っているかどうかの追及である。「平和安全法制」に直接どのような関係があるのだろうか。これでは国会を延長して”丁寧に”説明しても時間は足りない。

自民党の若手研究会では、講師の百田氏だけではなく、若手議員からマスコミ批判が続出したという。「平和安全法制」が国民の間で理解できないのはマスコミにあるとして、新聞、テレビの収入源である広告を絶つため、経済団体に圧力をかけろ、とか不買運動を起こせと言った発言が続出したという。あまりにも短絡的な発言に驚いたが、彼らは、百田氏が、世間では安倍総理に近い作家と評価され、彼が徴兵制度の推進者とみられているのを、ご存知ないのだろうか。

「平和安全法制」の国会審議は、堂々巡りで、同じことの繰り返しのように見える。僕個人は戦争体験者であるが、じゅうぶん国の安全の見地から憲法の改正は必要だと感じている。しかし、百田氏のような意見が改正の背後にあるとすれば考えなければいけない。

「下流老人」をどうすべきか

2015-06-26 05:50:55 | Weblog
最近出版された本の題名をとって「下流老人」という造語が流行っていると聞く。普通に生活できない貧困層の老人を指すらしい。今年3月厚労省から発表された全国の生活保護世帯調査によると、全世帯の48パーセント、78万8000世帯が65歳以上の高齢者世代というから、たしかに「下流老人」層が増えていることは事実だ。

しかし、「下流老人」は今に始まった事ではない。僕の記憶では、今のような社会福祉制度が曲がりなりにも出来るまでは「下流老人」の数はもっと多く「下流」の程度も低かったのではないだろうか。「養老院」という蔑視的な老人施設があり、本当に生活が困る極貧老人はここに収容されていた。昭和30年前後だったと思うが、板橋(東京)の養老院を取材したことがあったが、施設の畳敷きの大広間で、お年寄りたちが手内職をしていた。その”みじめさ”に同情した記憶がある。神奈川県戸塚の修道院経営の老朽の老人施設で火事があり、99人の犠牲者がでたのもこのころであった。

5月に川崎市で起きた簡易住宅の火災で多くの犠牲者が出たのは、まだ記憶に新しいが、川崎市のその後の調査によると、焼け出されたニ棟の住宅に居住していた74人のうち70人までが生活保護の受給者であったという。調べたわけではないが、多分この中には本来ならば、公共の老人施設に入居を希望している老人もいるかもしれない。

「下流老人」の著者は、このままで行くと日本の高齢者の9割が貧困に落ちてしまうと警告しているらしい。由々しいことだが、政府は高齢者問題を単に福祉の面だけで検討すのではなく、もっと総合的な面から考えるべきである。例えば、戦前は老人は同居の家族が面倒を見るのが当然であった。今は百歳のお年寄りに銀杯を贈るのでさえ、税金のムダという時代である。”核家族”の解消をどうすべきかという面も総合的に考えるべきである。



”銀杯”よりは敬老の心

2015-06-25 05:34:16 | Weblog
百歳のお年寄りに銀杯を贈るのは税金の無駄遣いだと「行政事業レヴュー」を検討していた有識者会議が厚生労働省に答申したという、最初、僕はこれをネットで読んだとき、有識者はなんと非常で、不見識な連中だろうと思った。が、よく読んでみると、そうではなく、有識者たちは、こんな問題で自分たちを呼んで、審議させるのは無駄だというものらしいが、よく真相は不明だ。

日本では超高齢化進み、1963年には僅か153人だった百歳のお年寄りが2014年には3万人を超えた。僕の先輩も今年百一歳だが、元気で南房総の息子さん夫婦と一緒に生活されている。「行政事業レヴュ―」で、銀杯問題が取り上げられたのは、おそらく百歳老人の急増で費用がかさみ、社会から批判されるのではないかという、厚労省の役人根性から出たものだろう。事実、厚労省では数年前から、銀杯の大きさを小さくしてきているとのことだ。

昨日、70年前、勤労動員で苦労した仲間たちの会があり参加したが、みな百歳まで十数年あるのに、歳相応に”くたびれ”ており、銀杯を貰えるかどうか判らない。百歳まで生きるというのは大変なことだ。予算の上で銀杯を廃止するかどうか、有識者に諮るよりも、問題は敬老の気持ちである。多分、数年先には、百歳老人は5万人、10万人になるかもしれない。銀杯の予算がなければ、長寿を讃える表彰状でもよい。

ネットの書き込みを見たら、案の定、銀杯は税金は無駄、老人は早く死ねと言ったものがあった。税金の無駄遣いならば、百歳の老人は銀杯など欲しくはないと思う。こういった考え方が、日本の社会の一部にあること自体が問題だ。

本土上陸に備え「築城班」に配属されていた頃

2015-06-24 05:08:02 | Weblog
70年前の昭和20年6月23日、沖縄での組織的な戦闘が終わった。しかし、その日の事が僕の記憶にはない。亡父の日記帳にも記載されていない。4月Ⅰ日、18万人もの大部隊で沖縄本島に上陸した米軍は、激しい戦闘の末、3か月余りで全島を制圧した。その苦戦の模様は、本土の僕らにも伝わってきたが、すでに数重なる敵の空襲や艦砲射撃にあい、僕らは正直言って沖縄どころではない。次は本土上陸だとその備えに入っていた。

4月15日の京浜大空襲で動員先の軍需工場を焼失した当時中学3年生であった僕らは新しく千葉県東葛飾郡梅郷村の「利根川運河」の江戸川河口の浚渫現場に家を離れ動員された。配属先は、広島に本部があった、陸軍船舶部隊「暁2942部隊」築城班で、敵の九十九里海岸上陸後の、地上戦の際、運河を自由に航行出来るようにする「築城」作業であった。

僕らは浚渫によって出た土を川底からモッコに載せて土手の上に運ぶ仕事であった。14-5歳の少年には過酷であったが、僕らは朝早くから夕方遅くまで黙々と働いた。少しでも仕事の手を休めると,鞭を持った監督の兵隊から”沖縄の事を思え”と激しい罵声が飛んできた。時には、作業中に敵のグラマン艦載機の機銃掃射に会い、作業小屋へ逃げ込むこともあった。

約1か月、僕らは空腹を抱えながら「築城」に従事したが、少年には過酷だという学校側の判断があったのであろう。7月初め、僕らは帰京でき、新しい軍需工場や鉄道工事に配転されて終戦を迎えた。もし、戦争が続行され。敵の本土上陸があったら、僕らはどうなっていたであろうか。毎年、この時期になると当時の事が思い出される。


友好を損なうインドネシアの”性暴力被害者”を担ぐ日本人

2015-06-23 05:02:44 | Weblog
「日本軍政下の性暴力~インドネシアの被害者たちが語る」座談会が日本のNGO団体主催で開催される旨知人から連絡を受けた。その案内からみると、講演会にでる”被害者”たちは平成25年(2013年)11月28日付け朝日新聞国際面が大々的に報じた、軍政下、”日本軍のテント”で暴行を受けたという女性や”大きな建物沢山の部屋”の中で性交渉をもたされた(朝日新聞見出し)南スラウェシの女性たちのようである。日本とインドネシアとの間の、いわゆる”従軍慰安婦”問題は、すでに2007年すべて解決済みである。それなのに、なぜこういった問題を蒸し返すのか、せっかくASEAN諸国一といわれる両国間の友好を損なうだけだ。

インドネシアで”従軍慰安婦”問題が表面化したのは、1990年代、日本の一部の弁護士や学者がインドネシアの人権団体や兵補(日本軍の補助的組織)を煽動して、補償請求運動を起こしてからだ。日本政府はこれに対して、当時、設立された「アジアのための女性基金」を通じて1996年、村山富市理事長名で、インドネシア政府に補償を申し出た。これに対してインドネシア政府は、軍政期の補償請求権をいっさいを放棄した1957年の日イ平和条約に従って、こちらから申し出たのではないと断り書きし、しかも慰安婦は特定できないとして、申し出の日本からの基金は高齢者の社会福祉資金に使用した。2007年にこの事業は終了し女性基金も解散している。

朝日新聞が報じた記事に対しては、日本のスラウェシ情報マガジン(検索)が反論を書いているが、スラウェシの国立ハサヌデイン大学には、日本の軍政期について詳細の記録が残っており、また朝日新聞が報じたような犯罪行為があれば、戦後の和蘭軍事裁判で裁かれ処刑されている。講演会で話をする日本人の研究者は僅か3回の現地聴き取りしただけである。それよりも、何故解決済みの問題をまた蒸し返すのか。意図が解からない。


祝う気になれない日韓国交回復50周年式典

2015-06-22 06:07:54 | Weblog
今日22日、日韓国交回復正常化50周年が東京とソウルで開催された。安倍晋三総理も朴菫恵大統領も形式的に式典には参加したが、隣国同士、互いにこの半世紀を振り返り、互いにその発展を祝いあう空気ではない。何か今一つその気にはなれない。日本の外務省のHPには”共に開こう新しい未来”というロゴが紹介されているが、何か逆にそれが白々しい。

日韓基本条約が結ばれた昭和40年6月22日、僕は新聞社の外信部に勤務していたが、基本条約と同時締結された「日韓請求権並びに経済協力」を読んで、無償供与3億ドルを含めて 総額11億ドルの巨額の援助額に目を見張った。確か当時の日本の外貨準備高は18億ドル(1ドル360円)だったと思う。しかし、これによって、過去が清算され、韓国がこれ以上請求しないというならば仕方がないのかと思ったりした。

朴菫恵大統領が、執拗にこだわっている「従軍慰安婦」問題は当時存在しなかった。かりに存在したとしても、条文によれば韓国側は総て併合時代の問題は解決済みなのである。にもかかわらず、朴菫恵大統領はヒステリックと思えるほど「従軍慰安婦」にこだわり、謝罪を繰り返している。さらに、全く韓国には無関係の「明治日本の産業遺産」のユネスコへの登録にもイチャモンをつけてきた。

東京の50周年式典に先立ち開かれた日韓外相会談で、韓国側は「産業遺産」についてのクレームは手を引くようだが騙されてはいけない。この半世紀、日本の経済協力があって”漢江の奇跡”といわれる目覚ましい経済発展をとげたにも拘らず、感謝の気持ちはない。内閣府の調査によれば、日本人の反韓感情は過去最低だという。これは一朝一夕には改善されない。