鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

出丸を突貫工事!伊豆山中城・其之参

2012-12-09 | 城郭【日本100名城】

2 0 1 2 年 1 月 9 日 ( 月 )

午 後 1 2 時 2 7 分

静 岡 県 三 島 市

山 中 城 址 駐 車 場





山中城の北西部・本丸部分を約1時間半かけて回った。

山城は広い。
まだ南東部・岱崎出丸(案内図の左側)が残っている。


山中城の岱崎出丸は、豊臣秀吉の小田原攻めの際に真っ先に攻撃を受けたところである。

北条と豊臣の外交が破綻すると、北条軍は山中城の改修にとりかかる。
岱崎出丸は、その突貫工事により造成された。
しかし普請が中途のまま、秀吉の小田原攻めが始まってしまう。

北条軍の大将・北条氏勝、山中城城主・松田康長は、部将の間宮康俊を岱崎出丸に配置した。

しかし豊臣軍は総勢7万
多勢に無勢、奮戦むなしく岱崎出丸は陥落し、山中城は半日で落城する。



まずはじめにあらわれるのが、出丸御馬場跡



土塁で東と北を守り、南は急峻な谷をのぞみ・・・、



西は深い空堀(出丸御馬場堀)に囲まれた岱崎出丸最大の曲輪。
曲輪の中は、本丸と同じく二段構築となっている。
ここには馬場があり、軍馬を調練していたという。


出丸御馬場堀の次には、突貫工事で構築途中の曲輪の跡が残っている。



出丸御馬場堀を掘り返した際の土により、小高い丘のような曲輪を構築しようとしたのだろう。






岱崎出丸からの眺望もなかなか。


岱崎出丸の最先端は、すり鉢曲輪と呼ばれる。



ここの曲輪は、中央に向かってくぼんでいく、まさにすり鉢のような形をしている。
中央部は平らに近いが、曲輪の端に行くにしたがい傾斜が急になる。

私も曲輪に入ってみたが、重荷を持って曲輪を登れるだろうか・・・と考えるくらい急だった。

すり鉢曲輪のかたわらには城兵が控える武者だまりが備わっていた。


最後に、岱崎出丸の南側。



美しい畝堀がここにもあった。
小径をたどって堀のそばへ。



近くで見るとひとつひとつの格子が2メートルほどの深さがあり、落ちたときにはい出ることが困難なのがよくわかる。



植栽に目を向けると、「山中城跡」とあった。





山中城を出た。

旧東海道を100メートルほど歩いて、バス停へ。




眠る士・・・伊豆山中城・其之弐

2012-12-07 | 城郭【日本100名城】

2 0 1 2 年 1 月 9 日 ( 月 )

午 前 1 1 時 2 4 分

静 岡 県 三 島 市

山 中 城 西 の 丸











山中城の西の丸を取り囲む障子堀畝堀

堀の格子ひとつひとつには雨水や湧水が溜まっていたという。
山城である山中城では、傾斜を考慮しなければならないので、平城のような水濠を造成するのはおよそ不可能。
畝をひとつひとつ形成することで、溜まる水量に偏りがないようにした工夫であろう。

また往時の堀は、現在のように芝生に覆われていなかった。
関東ローム層の赤土がむき出しであり、もろく崩れやすいものであった。
畝の上を歩く足軽にとっては大きな障害となったに違いない。

現在芝生で覆われているのは、展示のために補強したものである。
それでも夏場の障子堀は緑に覆われて美しい。




西の丸の周囲を回ってから、さらに城の外側を歩き、北の丸へと進んでいく。




西の丸のかたわらにある溜池
西の丸からの水、本丸・二の丸からの水がここに溜まる仕組みであった。

発掘調査を行い、溜池を掘っていったが、4メートルほど掘ってもついに池底には到達しなかった。
それほどまでに池は深く、また水の確保に腐心していたのだろう。




北の丸の北側に深く刻まれる北の丸堀

現在の鬱蒼とした林は廃城後の植樹によるもの。
往時はさらに2メートルほど深かった。




北の丸は、深い堀に加え高い土塁で防御されていた。
本丸よりもさらに奥に位置するところであった。




北の丸と本丸を結ぶ本丸北橋。(向こうは北の丸)
戦時には架け橋を破壊して、往来を困難にして防御する。。

また北の丸と本丸の間にある本丸北堀も、当時は植樹されていなかった。
樹木の陰で見えづらいが、ここも畝堀になっている。




本丸は、盛土によって段丘状に造成されている。

城域を見わたせる天守櫓、物資を保管する兵糧庫や弾薬庫といった重要な機能が備わる。
また「矢立の杉」という老木は、山中城の精神的象徴ともいえる。



「矢立の杉」は樹齢500年ともいわれる。
この杉に矢を射て、戦の吉凶を占ったという記録がある。



「矢立の杉」のそばに建っていた天守櫓跡
盛土により天守台が造成され、この土地が城の最高所となっている。



兵糧庫跡
現在はそれっぽい建物が復元され、中は休憩所となっている。


本丸から二の丸へ。





本丸(画像左側)と二の丸を隔てる本丸西堀
こちら側は植林がなく、畝堀もはっきり見える。

二の丸から本丸へは、現在でこそ架け橋があるが、当時は盛土で造成された土橋だけだった。

二の丸側にある高台は二の丸櫓台跡であり、本丸西堀の画像はここから撮影した。



二の丸は、山中城最大の曲輪であり、本丸の中枢機能の一部を分担していたという。
南北に傾斜があり、攻める側にとっては常に上り坂となる。



二の丸の入口にあたる虎口は、規模の大きい土塁で囲まれている。
三の丸側(画像左側)から来た敵兵は、ここで右に曲がる必要があり、傾斜も相まって見通しがきかない。
虎口のそばには櫓台が残っており、攻める足軽の大きな障害となったことは、想像に難くない。




田尻の池に隣接する池は、箱井戸と呼ばれる。

隣りの田尻の池よりも高所にあり、排水が田尻の池に流れる仕組みであったという。
そのため水はよどみなく流れ、水の変色や腐敗を防いだ。
城兵の飲み水として用いられたという。




三の丸は、現在民家が建ったり、公民館の敷地、そして宗閑寺の境内となっている。
宗閑寺には、北条軍と豊臣軍の部将の墓が並んで立っている。


永禄年間(1558~1570)に、相模の戦国大名・北条氏康により築城される。
北条家の本拠地である小田原城の西側を防衛する最重要拠点であり、城は東海道を取り込む形で造られた。

氏康の嫡男・氏政の代になると、天下を統一しつつあった豊臣秀吉との関係が悪化。

1590年の小田原攻めの前に、山中城の改修が行われるが間に合わず、未完成のまま豊臣軍を迎える。

豊臣秀次(秀吉の養子)率いる7万の軍勢が山中城を攻撃。
守将である北条氏勝・松田康長・松田康郷・蔭山氏広・間宮康俊4千は奮戦。
豊臣方は部将の一柳直末(ひとつやなぎなおすえ)などの戦死者を出したが、猛烈な力攻めの結果わずか半日で落城。
北条方の松田・間宮などの部将や城兵の多くが討死した。

戦後、城は廃止された。



現在は、一柳直末(画像左側)、松田康長、間宮康俊が同じ境内で眠る。




端整な堀・・・伊豆山中城

2012-12-06 | 城郭【日本100名城】

2 0 1 2 年 1 月 9 日 ( 月 )

午 前 1 0 時 5 2 分

静 岡 県 三 島 市

山 中 城 址 駐 車 場



バスで山中城にやって来た私は、小腹がすいていたので、駐車場脇にあった売店に寄った。



この売店は山中城の案内所の役割も果たしている。
ここで山中城のパンフレットを入手し、



40番、山中城!
スタンプも店内にあるので、どうあっても売店には寄る必要があるのだ。

そして、小腹もみたす。



寒すり団子(300円)をいただいた。
(画像左上にあるのは山中城のパンフ)





上の地図の「現在地」付近に売店がある。

城を貫くように通る道路は国道1号。
山中城は東海道(現在の国道1号)を取り込むように建てられたため、国道をはさんで大きくふたつに分けられる。

地図の左側(南東部)は岱崎出丸という出城部分である。
地図の右側(北西部)が本丸などの本体部分があったところ。

まずは本丸側を歩いていった。



はじめに、オーソドックス?な空堀・三の丸堀



現在は通路となっているところは、当時は畝となっていて、自然の谷に畝を造成したものだという。
堀の長さは約180メートル、最大幅約30メートル、最深約8メートル。
畝の東側は、水路として池からの排水を処理していた。
畝の西側の堀は空堀であった。
(画像は、西側の空堀)



城内のため池・田尻の池

城の生命線である水を貯える重要な施設といえる。
この付近には馬舎があったとされ、この池の水は主に馬の飲料水に用いられたようだ。

田尻の池から、正規のルートを外れ、二の丸下の通路をたどる。



さっそく登場! 山中城の見どころ・畝堀

現在は空堀で、堀は芝生に覆われているが、当時は水濠だったという。
濠を仕切る畝には芝生はなく、足場はかなり不安定であったと想像できる。

敵兵は畝の部分をたどって攻めることとなるが、城兵は畝に集中する兵を狙い撃って防衛した。



西方の防衛拠点であった西の丸
尾根の稜線を削って平らにして形成されている。



見張台が盛土を積んで造成され、曲輪の三方は土塁で守られている。

西の丸は全体的に東に傾いており、雨水が集まってため池に流れるという仕組みであった。


西の丸見張台から下を見下ろすと、







格子状の端正な障子堀が西の丸を取り囲んでいる。



障子堀の向こうは、青空に映える愛鷹山。



富士山はなんとも意地悪な隠れっぷりであった。




三島駅前

2012-12-04 | 旅立ち

2 0 1 2 年 1 月 9 日 ( 月 )

午 前 8 時 1 5 分

横 浜 市 戸 塚 区

J R 戸 塚 駅



鬼ヅモ同好会の麻雀大会が終幕。
この日、私物をよね邸へ置き去りにし、私は旅立った。



  謎の名城!

  大御所様のお膝元!

  リベンジの庭園!

  ご当地グルメ!

  ご当地グルメ!!

  ご当地グルメ!!!

  ご当地グルメ!!!!

  ご当地グルメ?????




月曜日の呪いを断ち切るべく・・・

再度、静岡の名城に挑む!!




東海道線に乗車して西へ。
関東を脱出するのは久しぶり・・・でもなく2週間ぶりか。


JR戸塚駅 3番線 8時18分発
  東海道線 普通 熱海行き
  熱海駅 4番線 9時32分着


ここから、Suicaの使えなくなるJR東海領だ。
もとより、余った18きっぷを消化する日帰り旅なので、なんら関係ないことだが。


JR熱海駅 3番線 9時37分発
  東海道線 普通 島田行き
  三島駅 2番線 9時49分着


熱海駅から、普通列車でわずか2駅で三島駅へ到着。
ちなみに新幹線(こだま)なら1駅。


今回の目的地は、伊豆山中城
三島市内から箱根に向かう東海道(現在は国道1号)を阻むかのごとく存在していた城址。
名が表すとおり、山の中にあった山城だ。


三島駅からは電車からバスに乗り換えて向かうことになる。

バスの出発時刻までにはいささか時間が余っていたので、なにか小腹を満たすものを探す。

三島市は富士山のふもとにあるので、富士山からの雪解け水が清水となって湧き出ている。
その豊富な清水に育まれたウナギが名物であり、三島産の野菜も名物なのだとか。



じゃがいもがほどよく甘くてうまいねぇ~。
「三島コロッケ」は、地元三島産のじゃがいもを使っている。
はやくもご当地グルメを賞味することとなった。

バスの出発時刻になったので、お行儀が悪いが車内でコロッケをいただいた。


市内を抜けると、
「この先カーブが多くなりますのでご注意ください」
と、バスの女声が注意喚起する。

日本の大動脈・国道1号にはめずらしいきついカーブが連続する。
さすが「天下の嶮」箱根といったところか。


沼津東海登山バス 三島駅南口 10時15分発
  65系統 元箱根港行き
  山中城跡 10時46分着  590円


バスに乗って約30分、最寄りのバス停・山中城跡バス停に到着。



本格的な朝食を摂らなかった私が、コロッケ2枚で満たされるはずもなく、バス停そばにある茶屋で一服することとなった。