新年になって最初のクライン孝子氏の「言いたい放談」、私は「クラインさま、よく言って下さった」と賛同した。
【言いたい放談】偽善と国民の安全、女性と社会への影響力[桜H30/1/4]
今回は、日本が他山の石とすべき悲惨な「偽装難民事件」についてご報告いただくと共に、女性の社会進出についても話し合っていきます。(動画の解説)
ここから私の意見です。
クライン孝子氏は北朝鮮の不審船を「実験」と判断、今年はどうなるのだろうか。
またドイツの難民問題を通じてメルケル政権の不人気、難民の少年を世話したドイツ人家庭の子女が殺害されたことなど、・・・いろいろ話していらっしゃる中で「私がドイツに住んでいるから違うのかしら」と戸惑われるのだけれど、そうじゃない、正しいですよ、と私は思います。
特にひどかったのが「小池百合子」氏への攻撃だ。国内有名評論家が批評本を出し動画その他で勝ち誇って連続攻撃。
「重版ができました」「文庫本になりました」とすすめる、そして男女とも一斉攻撃を「普通だったら立ち上がれなくなるほど」叩きに叩く。以前にも紹介したが下記のような絵が堂々とまかり通る。
クライン女史は「女性が女性を叩く、決して『こうすればどうかしら』とは言わない」と仰るが、私も同感だ。
また衆議院選挙の時、夫の中山成彬氏を「希望の党」で擁立する中山恭子氏に対し「旦那ファーストか!」「そんな年齢になっても亭主が好きか」などと下劣なことを勝ち誇ったようにツイートする。それもたしなめる人もほとんどいない。(私のようにあきれてものが言えない人も多いとは思うが)
もうひとつは伊藤詩織さんがレイプされたことを実名で訴えたことについて、「相手の女は在日か」「左派か」と大勢のホシュが勝手に言っていること。私はこうしたのは「野次馬」であって本来の「保守」ではないと思う。
どこの国の出身であってもどのような思想信条であっても、レイプなどは許されるものではない。また保守系月刊誌などでその男の言い分を書かせるなど、私はその月刊誌を読んだがその男は妻がいるではないか。
家庭の中では女性が財布を握り圧倒的な権力を持っている日本ということだが、案外社会は「野次馬」社会ではないのか。私は女性の権力とか権利を声高くいうつもりはない。男女関係なくおかしいことはおかしいとする社会であってほしいと願うだけである。
「サザエさん」や「ちびまる子」の世界はごくありふれた日本のつつましく朗らかな家庭である。日本っていいなあ、日本が大好き、という気持ちは強いし日本に感謝しているが、世界の状況は大変厳しい。
クライン女史のお話だがドイツでは難民の少年を家庭に迎えて世話したところ、そこの娘さんと恋愛になりやがてその娘さんを殺害したという事件があり、なかなか甘い状況ではないそうだ。宗教や考え、またそこまでの荒れた精神状態もあるかも知れないが、安易に考えてはならないと思う。メルケルを「はやく辞めてほしい」という声も高まっているという。
日本も他人事ではない。
ブログのティールーム
イタリアのシチリアの小さな村の物語だが、男性に騙され捨てられたのに「穢れた」とされ、女性が復活祭には教会にも入れないという古い因習の中でその苦しさを歌うオペラがある。この名場面が教会の外で歌われてる演出はそういうことである。
マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」から、歌うのはイタリアのフィオレンツァ・コッソット。1970年代、天下無敵の名歌手だった。
Fiorenza Cossotto - Cavalleria Rusticana - Inneggiamo