井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

伝統芸能であるヴァイオリン

2008-09-27 17:30:56 | ヴァイオリン

 今年の「音楽の友」で,「ヴァイオリンはヨーロッパの伝統芸能なのだから…」とはっきり記述された。それ以来,その表現があちらこちらで使われているような気がする。だとすれば,まだまだ「音楽の友」の影響力は強い。

 私の知り合いAさんが,先日あるオーディションのようなものを受けに行った時の話。Aさんは音楽大学を出てまだ間もない若手奏者である。

 オーディションするのは,日本を代表すると言ってよいヴァイオリニストB氏。このオーディションは講習を受けるためのものでオーケストラ入団のためのものではないが,B氏はAさんに尋ねた。
「どうしてオーケストラを受けたいの?その答によってはレッスンしないかもしれないけど・・・」

 一瞬パニックのAさん,でもここで取り繕っても後が続かない,と覚悟を決めて,正直に「生活のために云々」と話した。

「まぁ,そんなところだと思う。(正直に話してくれたから)レッスンしないなんてことはしない。だけどそういう人は僕達の仲間には入れたくないなぁ。僕達はヨーロッパ発祥の伝統の継承者なんだよ。だから食事なんてできなくてもいいからヴァイオリンを弾かせてほしい,って人に仲間になってもらいたいんだよね,本当はね。」

「うわぁー,かっこいい!」
と,その話を聞いた時,私はそう叫んでしまった。Aさんはその「伝統の継承者」のところに,いたく感銘を受け,心にズシーンと来た,と言っていた。

「何もそこまでかっこつけなくても・・・」
と言ったのは,先輩のベテラン奏者。

 B氏とは面識が無い訳ではない。B氏がまだ20代の頃,B氏の父上が就職運動を展開していたのも知っている。恐らくB氏は「伝統の継承者」だと思っていたとしても,食えなくてもいいから,とまでは思っていなかったはず,と推察している。

 その後,数十年して,ここまで言い切れるようになったこと,やはり私とは全然違う土俵に立っていらっしゃるのだなぁ,と改めて感じ入った次第である。

 私だったら「伝統の継承の一端を担っていることに結果的になる」と大変回りくどい言い方が限界だ。ただ注目すべきは,B氏の言い回しと演奏とは共通点があって,一瞬にして相手をノックアウトする強烈さがあるのである。それがプラスに働いた時は,音程なんて何のその,はずれまくっても全く気にならない(のだと思う)。

 その強烈さは,やはり「魅力」になるだろう。私には「かっこつけすぎ」とは言えない。いろいろと学ぶべき点がある。