井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

覚えていないけれど覚えている話

2010-03-19 21:54:50 | アート・文化
昨年から再放送中の「刑事コロンボ」を,ほとんど欠かさず観ている。中学生の頃,夢中になって観ていた。今でも大変面白い。なぜなら,私がきれいさっぱりストーリーを忘れているから。

今度こそストーリーを覚えよう,とタイトルとキーワードを毎回観た後にメモしてみた。それを読んだら思い出すだろう・・・と自分に期待していた。

ところがどっこい,思い出さないなどという生易しいものではなく,たった今観たばかりのストーリーを思い出せない自分がいた。今度から,メモを取りながらコロンボを観るか?

一方,音楽と結びつく記憶は,昔からかなり残っている。コロンボの鼻歌なら覚えている。ハリウッド・ボウルのような野外ステージで「マンハッタン」(トトトの歌)を弾くコロンボも。

こんな私なので,オリンピックの話でも音楽に関わることの話題に片寄ってしまうことをお許しいただきたい。

逆に,音楽に関係なく様々なことを覚えていられる方々を尊敬してしまう。例えばカタリーナ・ヴィットである。今や幻の東ドイツの銀盤の女王,ホーネッカー(当時の書記長)のアイドルとも言われた彼女の話を,十人くらいのピアノの先生達と話しているうちに名前を出したのだが,ほとんどの皆さんが御存知だった。バンクーバーを見なかった方までもが,である。

「だって,きれいだったもの・・・」

そう言われると,困るのは私。背が高かったのは覚えているけれど,顔はいつの間にか頭の中でヴァイオリニストのヒラリー・ハーンとすり変わってしまい,認識不能。伊藤みどりさんがかなわなかった相手だった,というのも,バンクーバー関連の報道で思い出した次第。

以前にも書いたが,ヴィットを始め,東独の選手は「イメージ・トレーニング」という訓練法を,世界に先駆けて実施した人達である。ジャンプならジャンプした瞬間の自分の状態を,可能な限り克明にイメージするということだ。それで実際べらぼうに良い成績を出したのだから,これは注目された。

ヴィットの場合は「カルメン」,プライベートでもカルメンになりきって生活する。カルメンのレコードを聴いているヴィットの姿が放映されたものだ。

そこで使われたカルメンが,シチェドリンのカルメンだったのだ!もうこれだけで,私は嬉しくなってしまった。滑った内容は,すべからく覚えていないけれど,音楽だけは克明に記憶されている。

そのような私が,フィギュア・スケートを云々してはいけないと思うが,上述の経緯もあって,みどりさんよりヴィットさんの方が好印象として残ってしまったのが現実である。

ただ,20年経って,この話を蒸し返す日が来ようとは,想像だにしなかったのも事実だ。