感想と評論はどう違うか?
実は、筆者も20代の頃は、全く両者の区別がわからないでいた。そもそも、あまり関心がなかったのである。
その後、長じるに及んで、「書く」という行為が、演奏活動を支える重要な手段であることに気づくようになった。
書かれなければ,時間が経つと,演奏されなかったのと同じ扱いになってしまうからである。
そんなものだと思っていたけれど,音楽雑誌が売れなくなり,廃刊に追い込まれ,ということが徐々に続いている。
インターネットの普及の影響だ。このネット上での文章は、ほとんどが感想である。新聞に載っている演奏会評も、時に感想文がある。
「評論は、結局演奏と同じ時間かけて勉強しないと書けないんですよ。」と、ある先輩が語ってくれたことがある。なるほど。
感想文も「印象批評」と言って、広い意味では評論に入る。感想文も、無いよりはあった方が良い。では狭い意味での評論とは・・・
表面に現れていることと、奥に潜む考え方や文化等との因果関係を解き明かすこと、とでも言えば良いだろうか。これは確かにかなりの勉強が必要だ。
そうして書かれた評論は、かなり力のある文章だ。批判が含まれると、対象者はかなり傷つくこともあるだろう。書き方によっては、演奏家と評論家が敵対してしまうかもしれない。
しかし、最初に書いた通り、書かれない演奏は、将来的には「無」になってしまう。敵対は好ましくない。どのように評論されるのが良いのか・・・。
思い出すのは、その昔の田中千香士先生の言葉。「向こう(フランスのこと)の批評は面白いんだよ。普通に読んでもわからないんだけど、演奏した人間にだけグサッとくる書き方がされててね。」
これが極意ではないだろうか。
筆者も試みて・・・書き始めたのだが、そろそろ一カ月経つのに、まだ書けない。途轍もなく難しい作業である。でも、そのうち書いてみせるぞ・・・。