これからは「ゲームを芸術に」、という主張にいたるまで、前記事はプロセスをかなり省略して書いた。ここで、実際は様々なことを思い出していたのである。このプロセス、結構重要な気がしてきた。何があったか・・・。
たまたま最近、手塚治虫の「ジャングル大帝」を手にすることがあった。私はストーリーに対する記憶力が弱いのは自慢したいくらいで、同じ本や漫画を何回でも楽しめるのである。「ジャングル大帝」も何度も読んだ。また読んでみるか、と手にとって数十ページ読んだところで、もう先に進めなかった。パンジャがつかまる、殺される、レオとお母さんが船で連れ去られるが、レオは海へ脱出・・・もうダメ、涙が出そう・・・。
ストーリーだけでも泣けるのだが、漫画を読みながら頭の中では、ある音楽が流れる。もちろん「ジャングル大帝」の音楽、冨田勲の名作である。これはTHE CLASSIC、アニメ音楽でこれ以上のものは全くないと私は言い切りたい。これに比べりゃ、ディズニーなんて問題外、ジブリは論外、それ以外は蚊帳の外、と言いたいくらい。
テーマ音楽は平野忠彦先生が学生時代の、いわゆるアルバイトで歌っている。同級生の間では、平野先生は即、「ジャングル大帝」の先生であった。もうこれは絶対的な存在。同期の声楽科の友人は「長9度の音程をとる時は、いつもジャングル大帝を思い浮かべるんだ」と言っていた。
曲の冒頭から「長9度」!、1オクターヴと2度の跳躍がある旋律、こんなこと誰が考えつきますか、と万人に問いたい。「風と共に去りぬ」(タラのテーマ)、「オズの魔法使い」(虹をこえて)、「ピノキオ」(星に願いを)いずれも1オクターヴの跳躍、これが通常の限界だろう。「ジャングル大帝」は長9度の次に1オクターヴの跳躍、また長9度と続くメロディ。
これだけでも独創的だが、サビの転調がまたたまらない。いきなり同主調の平行調だよ!それを皮切りに遠隔調をいくつも経めぐる。でもメロディはフラットが数個つく程度で、歌いにくさは生じない。つまり一般には、これほど高度な和声処理がされていることは気づかない。
伴奏音型もボレロ調になったり、ミニマル風になったりと芸が細かい。大変な手間暇をかけた結果、大衆を喜ばせ、専門家をうならせる、至高の作品が生まれたことになる。
と、ここまで書いて気づいた。私は手塚治虫のファンだと思っていたが、どうやら「ジャングル大帝」のファンというのが正確なようだ。その証拠に「鉄腕アトム」「火の鳥」「ブラックジャック」、そこまでの思い入れはない。
それは何故か?
やはり音楽の力なのである。冨田勲の音楽の中でも、ベスト3に入る傑作と私は位置づけている。(あとはNHK大河ドラマ「勝海舟」と合唱曲「ともしびを高くかかげて」)
それに比べて今のアニメ映画の音楽の貧しさよ、と言わざるを得ない(おじさんです。)
もちろん、30年経ったら、おじさん達がポケモンを論じる日が来るだろう。その時、音楽が話題になるだろうか。大した話はできないに違いない、と私はみる。それに引き換え「ジャングル大帝」は音楽だけでも、これだけ語れる。これを豊かな文化と言わずして何と言う。
だからと言って、現在「ジャングル大帝」の音楽で騒いでいるのは私だけかもしれない。これは、冨田さんがその後シンセサイザーに入り込んでしまったので、この音楽にあまり執着しなかったし、商売熱心でもなかったからだと思う。(それでも交響詩みたいな音楽物語のアルバムが出て、日本フィルが演奏している。)
その後、商売熱心な方が出てくるのだが、それはまた次回。