井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

なぜゲーム音楽か(3)ドラゴンクエスト

2010-09-08 01:13:09 | アニメ・コミック・ゲーム

譜面台に「ドラゴンクエスト」書かれた譜面が置かれていた。

「何ですか、これ?」

「なんかテレビゲームの音楽だって。ドラがゴーンと鳴って質問するとか・・・」

「はぁ・・・」

1987年、全国の土地が異常に値上がりしだす、いわゆる「バブル期」の始まりの頃の話。最初はテーマ音楽だけだったのが、ある時から組曲になっていた。「ドラゴンクエストIII」略して「ドラクエIII」、この音楽が交響組曲として作り直され、N響が録音したディスクが発売されたのだ。

「ドラクエIII」も売れたが交響組曲のディスクも売れた。確かゴールドディスクをコンサートマスターの徳永さんが受け取っていたような覚えがある。(「ドラクエIV」だったかもしれないが。)

とにかく、この音楽は小学生を中心に有名だった。例えば「ロトのテーマ」と呼ばれる曲がある。これはゲームをする度に自動的に流れ出すものだ。いやがおうでもこのメロディは覚えてしまう。ゲームだと三声の電子音なのだが、これがオーケストラに編曲されると、一転ゴージャスなサウンドに変化する。これはやはり感動的なことだ。

翌1988年頃、小学校で「ドラクエ」の音楽を演奏しようものなら、会場騒然となり、ロック・コンサート状態になったこともあったのだ。この興奮状態、残念ながらベートーヴェンの「運命」やルロイ・アンダーソンの小曲では起きたことがない。文字通り「前代未聞」の珍事(慶事?)と言えようか。

その後、「ドラクエIV」が売り出される時には、発売前に長蛇の列ができ、テレビ局、新聞社、こぞってそれを報道する「社会現象」となっていた。そして、これまた「交響組曲」が作られ、私も幾度となく弾く機会があった。

その後も「VII」あたりまで作られていたようだ。それらの音楽が全て広く受け入れられた訳ではないと思うし、多分「III」と「IV」あたりがピークだっただろう。でもそれで充分だと言いたい。

重要なのは、この音楽が基本的に「歌謡曲」だったことだ。作曲者のすぎやまこういち氏はご存知歌謡曲の大家、「恋のフーガ」「モナリザの微笑」「学生街の喫茶店」に連なる系譜の音楽なのだ。前述の「ロトのテーマ」などは、ちょっとひねるとそのまま山口百恵や岩崎宏美の世界に連れていかれるよう音楽である。

この事実に私は一種の感銘を受けた。日本人って2、30年たって、つまり一世代分時間がたっても、同じ音楽に心ひかれるのだなぁ、と。

そう思ったのが約20年前。そして現在もそうか、と見渡すと、そうでもないように見える。20年前には永遠不変に思えた「歌謡曲」の世界の絶対的な立場が、随分影が薄くなっているような気がする。これは、あまりいい感じがしない。この点に関しては、また別の形で考察をしたいところだ。