井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

下手だけれど本物っぽい人々

2012-04-14 23:51:40 | アート・文化

下手、と決めつけてしまうと語弊があるのだが、説明をわかりやすくするために、敢えて使わせてもらう。演奏家の話である。

対極には「上手いけれど本物っぽくない人々」というのがいる。昔の邦人演奏家によく使われた表現だ。

私が学生時代(30年前)、先生方から「ヨーロッパのオーケストラって、近くで一人ひとり聴くとちっともうまくない。でも遠くでまとまった音を聴くと日本のオーケストラよりずっといい、なぜか。」とよく聞かされていた。

それから十年(20年前)、日本人はさらに上手くなったが、全体のサウンドは相変わらずだった。その頃の評論家の書いた文章によると、それはオーケストラ・メンバー各人の「イメージの欠如」からくるのではないか、とのことだった。

さらに十年たち(10年前)、日本人は見違えるほどうまくなった。あまり本物っぽくないな、などと思わなくなってきた。

先月のN響アワーで、昔のサヴァリッシュを見た。棒をふりながらしばしば左手で抑止のサインが出ていた。つまり音がちょっとだけ大きいのを本番で何とかしようとしていたのだが、ちっとも小さくなっていない演奏だった。当時の技術ではこれ以上小さな音を出すのは不可だったということだ。現在では考えられない。

そして現在、もう話題にさえならないと思っていたのだがさにあらず、どっこい今でもまだそれが問題にされる状況があったのだ。

数年前だが、「明日本番なんですが・・・」と頼まれた仕事があった。オーケストラならまだしも、弦楽四重奏の第一ヴァイオリンである。内容はピアノ協奏曲をクァルテットで伴奏するものとピアノ五重奏が一曲、弦楽四重奏曲が一曲。このために来日していたポーランドのクァルテット、第一ヴァイオリン奏者が車のドアに指をはさんで弾けなくなったため、急遽代役を頼まれたのだった。

これは大変、と戦々恐々の体でゲネプロに臨んだのだが・・・。

ピアノ協奏曲は全部初めて弾く曲で、これは必死になって弾いた。ピアノ五重奏はドヴォルジャークの1,2楽章で、弦楽四重奏はスメタナ「わが生涯」の第2楽章だった。

スメタナはかなり難しい曲だ。何故に、と尋ねたら「バレエがつく」とのこと。は?

おまけにポーランド人3人は、この曲を生まれて初めて弾くという、楽譜にかじりつき態勢だった。私は弾いたことがあったので、私が一番余裕があるという、皮肉な結果になってしまった。

そして彼らが本当に下手であるという現実をつきつけられた。これだったら、日本人の弦楽四重奏を使った方が、はるかにマシなのにと思わずにはいられなかった。

にもかかわらず、なぜかこのポーランド人達は自信にあふれており、文句も言いまくり、日本人が結果的には頭を下げまくるという状況にいつの間にかなっていった。

こんなバカな企画を立てないでほしい、と思う一方で、そうは言っても、という看過できないものがあった。

もし、彼らの技術と同レベルの日本人を集めて弦楽四重奏をやったとする。多分、良い結果は得られない。このポーランド人にはかなわないだろう。なぜか、彼らが行動すると本物らしい雰囲気が醸し出されるのである。

この原因は、それこそ「イメージの有無」かもしれない。自信の有無かもしれない。正直言って何が原因かはっきりとはわからないが、その「本物らしさ」を求めて彼らを招いているとすれば、この下手さであっても納得するしかないのだ。

とは言え、日本人はもっと上手いし、本物の気配を持つ演奏家もたくさんいるはずだ。その出会いが早く訪れますように。