「10人の吹奏楽指導者達が語る強さの秘密」というサブタイトルを持つ本が数年前に出版され、最近やっと読むにいたった。
私としては「なぜ彼らはクラシック音楽の盛り上げ役になれないのか」に興味があるのだが、そう思わざるを得ない異常なほどの人気が吹奏楽界にはある。かくいう私も中高時代は吹奏楽をちょっとやったし・・・。
10人の意見が、それぞれ違ったり、同じだったりするところが面白い。中には正反対の方法をとっているところもある。
例えば、基礎練習を全くやらないところも意外と多かった。
一方で、基礎練習が打開策になったところもあった。
ただ、基礎練習をやらないところも、一人ひとりの奏法チェックはやる、というところが共通していたし、目指すところは同じで、いずれの方法でも成功していたのである。
注目すべきは、ほとんどの先生が、生徒の自主性を引き出すことの重要性を話していた。
教師や上級生は何も決めん。決めたら、生徒は教師や上級生に気に入られるために行動するようになる。ここでは自分で歩く子がええ子やからね。
自分で考えて自分で楽しんでやる。
計画を立てるのは自分自身。
こうくると、生徒が全て何でもするように見えるかもしれないが・・
生徒が全部決めて、生徒が主体の部活動です。教師はそのサポートをしているだけです。
この「サポート」が、実は尋常ではない、ということが読むとわかる。
「どんな音を出したいのか」「どんな音楽をしたいのか」というのをいじらないのが一番いいと思うんです。ただ、勝手な演奏、セオリーに基づいていない演奏に対しては注意します。
この先生のセオリー=和声のことで、これの説明はかなり入念にやっている。(同様の内容は,他の先生にもあった。)
その結果が、
生き生きして演奏している。
その音楽は生き生きとしてくる。
イキイキとした伸びやかな演奏ができている。
3人の先生が、全く同じ表現「生き生き」を使っていたことに注目したい。
これは、前記事の「舞台上の活気」に直結するのではないだろうか。
つまり、欧米人と比べると、日本人はおとなしいから等々という理由が並ぶのだが、日本人も子供になればなるほど「生き生きとした演奏」をするのだ。それが魅力的で感動的なのは言うまでもない。
さあ、どう考えるべきか。少なくとも、舞台上の活気がないのは、人種的な問題だとは言い切れないようである。
私達は、大事なものを捨て去って成長していったのか?
職業指揮者は部活動の先生と同じことをやらなければならない、ということか?
興味はつきない。