井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

ラジオドラマ《夕鶴》

2018-05-31 07:33:00 | アート・文化
昭和24年に大阪から放送されたラジオドラマ「夕鶴」というのを、先日のFM放送で聴く機会を得た。
あの演劇の【夕鶴】が初演される少し前にラジオでまず放送された訳だ。

つう役は、もちろん山本安英だが、与ひょうが宇野重吉、運づが加藤嘉と、かなりの豪華キャスト。
加藤嘉がかなり若々しいのに対して、宇野重吉は若い時から爺さん声だったんだ、と思った。

後のオペラ《夕鶴》と同じ音楽が既にここで使われていたことを知る、貴重な録音であることは興味深い。

が、それ以上に、演劇とオペラの違いを思い知らされた。
オペラは、良くも悪くも大袈裟である。

オペラが約2時間なのに対して、このラジオドラマは45分くらいだった。

オペラを知る身としては、ラジオドラマはあまりにあっけない。

原作者の木下順二は、オペラ化に際して、テクストの変更を全くしないという条件をつけたという。

これだけ聞けば、至極ごもっともな提案に感じる。

しかし、オペラになった《夕鶴》を観た時、木下順二はどう思ったのだろうか。

「私が思っていたことを、よくぞここまで強調してくれた」と感動してくれただろうか。

内心「しまった」と思ったのではなかろうか。

演劇【夕鶴】を観ていないので、これで意見するのは片手落ちの感はあるのだが、オペラ《夕鶴》は、最後これでもかこれでもかという具合に悲劇性が強調される。

これは日本人の本来の感情表現とは結構違うと思う。

木下順二の目指したものは、その本来の日本人的感性に沿ったものだったのではないだろうか、と推測するのである。

結果的に「変えるな」は「変わるぞ」を意味していたというパラドックスを生じている。

私はオペラ《夕鶴》が好きなので、日本人的でなかろうと、大いに結構なのだが。