井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

音楽教室 自分が弾けるとは思わなかった大勢の人が今は弾いている

2012-03-05 22:53:06 | 音楽

このような言葉で検索をかけた方がいらっしゃる。これはおもしろいと思ったので、こちらも真似してググってみたら、筆頭にあらわれたのが本ブログ。

なーんだ、とは思ったものの、ひょっとしたらという淡い期待で、続く記事ものぞいてみたが・・・。

結局、腑に落ちるような文章はなかった。そうでしょうね。

その逆も真なりで、「これはすごい」と思わせた人が、案外あっさり止めてしまうケースも多々。これは女性に多い。

一方「弾けるとは思われなかった」人は男性に多い。

どうしてか?

様々な要因は考えられるものの、やはり男性は職業にしなくては、という強い動機があるので、下手だろうが何だろうが、とにかく続けるしかない、と思っている人がほとんどだ。

「続けること」男女を問わず、これが一番のカギ、という極めて平凡な結論にたどりつく。

話としては平凡だけれど、継続し続けるのは並のエネルギーではできない。

それを続けられると、「弾けるとは思わなかった」下手な人でも、音大の教授になったりするのである。

日本では、これを続けたからと言って、ちっとも良い生活が待っているようには見えない国だ。だから大抵の人は途中で止めるのである。

続ける方の立場からみると、長く続けるほどライバルが減るということで、結局は止めていく人達に感謝することになる。

ということで、どちらを選ぶかはその人次第、感謝する側かされる側か。




最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ああ、それは最近すごく感じますね。 ((´(ェ)`)くま)
2012-03-07 00:56:05
ああ、それは最近すごく感じますね。

>長く続けるほどライバルが減るということで、結局は止めていく人達に感謝する
>ことになる。

うんうん。(゜д゜)(。_。)(゜д゜)(。_。)

僕の先輩で僕より弾けるひとは沢山いましたし、表現力もずば抜けていて
このひとは凄いと思ったひともいましたけど、段々演奏するのが少なくなったり
そのうち先生でおさまって演奏することが無くなったら、気づいたらいなくなって
ました。(笑)

歳を追うごとに、数年前にはやりたくてもできなかったことが少しずつ少しずつ
できるようになりました。ライバルや先輩の多くが消えてしまうというのも
ありますが、この業界の波のなかで底辺(笑)を経験しながらやってるうちに学ぶ
ことが多くあって、そんなこんなで継続してやってると一昨年よりも昨年、昨年より
も今年というふうに、自分が成長していっているということが感じられます。

継続するということは学び成長することなのかなとも思います。
やめることはすなわち学ぶことをやめ成長することをやめることなのかなと。
だから継続しているひとは強いのだと思います。

また年々少しでも、一歩でも成長する自分に密かな喜びを感じる今日この頃です。
それも成長の証かな。(笑)

とにかく継続が大切なことですね。



返信する
まさにその通りでしょう。 (井財野)
2012-03-07 22:06:14
まさにその通りでしょう。
返信する

コメントを投稿