井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

「楽隊のうさぎ」世代も成人式

2012-01-07 12:01:04 | 音楽

ちょうど2年前の大学入試センター試験の国語の問題に「楽隊のうさぎ」の一節が使われていた。音楽を描いた文章としては、なかなか魅力的なものだったので、その頃、本ブログでもとりあげた。

この記事が、今にいたるまで月に一回程度のペースで読まれ続けている。「楽隊のうさぎ」で検索されるだけでなく「和声理論の権化」等、この小説独特の言い回しで検索されて、という場合もある。

最近「具象化した感覚」というキーワードの検索で、この記事がひっかかってきた。こんなこと書いたっけ、とちょっとびっくり。2年前の記事の一部を再掲する。

 例えば「音が音楽になろうとしていた」という文がある。
 私もよく使う表現,「それじゃただの音で,音楽になっていないよ」のように。

 「スゲェナ」「和声理論の権化だ」
 いかにも生意気な中学生が言いそうなセリフ。

 さて,ここで問題です。この二つはどういう意味でしょう?五択です。

 1. 指揮者の指示のもとで各パートの音が融け合い,具象化した感覚を克久(主人公の名)に感じさせ始めたこと。

 2. 指揮者に導かれて克久たちの演奏が洗練され,楽曲が本来もっている以上の魅力を克久に感じさせ始めたこと。

 3. 練習によって克久たちの演奏が上達し,楽曲を譜面通りに奏でられるようになったと克久に感じさせ始めたこと。

 4. 各パートの発する複雑な音が練習の積み重ねにより調和し,圧倒するような迫力を克久に感じさせ始めたこと。

 5. 各パートで磨いてきた音が個性を保ちつつ精妙に組み合わさり,うねるような躍動感を克久に感じさせ始めたこと。

なるほど、問題文に「具象化した感覚」という言葉があったんだ・・・。

ここで、また一つ気になることが出てきた。時間に余裕のある方は「具象化した感覚」で検索してみると興味深い事実が発見できる。なんと、この言葉をズバリ使っているのはネット上では本ブログしか無いのだ。

これは引用であるから、この言い回しを考えた方は「国語」の問題作成者になる。つまり、かなり独創的な問題文と言えそうだ。

問題文が独創的というのはいいことなのかなぁ、と思わないでもない。ただ、この場合、それで意味がわからない、あるいは含蓄があって複数の解釈が成り立つ、という類の言葉ではないから、問題はないということなのだろう。

「具象化した感覚」と同義語は「権化」だろう。逆に述べれば「権化」を説明すると「具象化した感覚」という「独創的」な言い回しになるということだ。問題作成者の苦労がしのばれる。

というように、実は問題を解くカギがここに潜んでいる。実は、その後、答え合わせもしなかったので、正解が何になっているのか知らない。

せっかくだから、この際、この問題を考えてみた。と言っても、筆者としては、正解は1.しか考えられない。

消去法だが、

2.は「本来持っている以上の魅力」ということはあり得ない。

3.は逆に極めて一般的で平凡な「譜面通りに奏でられるようになった」だが、「譜面通りに」とはどういう意味か。譜面も行間を読むことがあり、そこまで含めて譜面に書いてある、と考えると少々「具象化した感覚」に近付くが、一般的に「譜面通り」は「機械的に音符を音にする」作業を指すので、これも違う。

4.の「圧倒する迫力」、5.の「うねるような躍動感」、いずれも和声を具象化すると起きる実体ではない。

という次第で1.になる。

面倒なのは、この問題文の前に「音が音楽になろうとしていた」という記述があり、それだと3.4.5.も正解に近づく。問題文の「この二つ」が、ここを指しているのではないということと、「和声理論」が何か、把握していないと解けない問題とも考えられる。これは結構無理があるのではないか。

では「和声理論の権化」について考えてみよう。

これも「生意気な中学生の言いそうなこと」と書きはしたものの、本当にこんなことを言う中学生は、日本中に百人はいないだろう。

そもそも「和声理論」は、作曲のための理論として教育されることが大半で、演奏と結びつけて教えられることは極めて稀なのである。故斎藤秀雄先生は、それを結びつけていた教育をされていたが、その薫陶を受けた方々から和声の話が出てくることは少ない。本来、結びつけるために音楽大学はいずこも「和声」をカリキュラムに組み込んでいるのだが、作曲の先生が担当するケースがほとんどなので、当然作曲寄りの授業になる。

だから演奏の先生が和声に結びつけたレッスンをすべきなのかもしれない。ところが「ここは何の和音?」と訊いても答えられない学生の多いこと! 挙句の果てに泣きだした人もいた。

そうなると演奏側の先生としては「もっと和声の勉強をしてからいらっしゃい」と言いたくもなる。

演奏と和声を分業でやっている限り、この事態はいつまでも変わらないと思う。

これが実態なので、中学生の段階で「和声理論」が具現化したことに気づく、などということは通常は考えられない。

敢えて中学生らしいところを指摘するならば、こういう「知ったかぶり」をする子はいる、ということかな。それでも相当な「背伸び」発言と言える。

高校3年生で、この問題を解いた人達が、今回成人式を迎える。その間、2年、ずっと話題を提供し続けていた「楽隊のうさぎ」は大した存在だ。想像するに、大学に入っても「和声理論の権化」って何、と思い続けていた人が少なからずいて、内心「中学生でも知っているのに」と焦っていたのではなかろうか。

ご安心あれ。教育システムの問題で、そんなことはわからなくて当然なのが現在の日本だから。

でも、そのうち何とかしたい、と個人的には思っている。




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