指揮者の物語という事なので、当然音楽たっぷりの映画と思ったら、さにあらず。
無音の時間がものすごく長い映画で、まず驚いた。
そしてケイト・ブランシェットの快演、怪演に圧倒された。ピアノはグールドの真似までできる腕前、ドイツ語は流暢、そして指揮がどこから見ても本物だった。
最初に数十分にわたるロングインタビューがあるのだが、淀みなく話す内容がかなり専門的で、俳優の演技ではなく音楽家の語りそのもの。この長いセリフがすらすら話せるだけでも凄い。
指揮の振りは監修のマウチェリーの振り方のような気がする。マウチェリーの指揮は見たことがないが、写真を見たことがあり、何となくその雰囲気を感じた(少しくらい勉強の跡がないと、こちらも落ち着かないよ)。
正直言って、振りだけなら、まあ真似できる人もいるだろう。それより感心したのは、リハーサルを進行させる指揮者の言葉使いだ。早口のドイツ語、そして適宜ジョークを混ぜる、そのやり方は、一流指揮者そのものだ。こちらは、脚本も優れているという証になるだろう。
(小節番号の伝え方一つで、我々演奏家はプロとアマを感じてしまう生き物なので)
翌日、レビューを5~6本読んだ。
こちらの方が、いろいろ考えさせられた。
①二回観ないとわからない事が多い。2回目だと、冒頭のロングインタビューの意味合いがより深くなるようだ。
②指揮者のキャリアが転落して、転落先がアジアのオケというのが納得いかない。
そう言えばそうだ。最後モンスターハンターのオケで新たなキャリアを踏み出すのだが、モンハンオケの方がベルリンフィルより支持層は厚いはずだ。
これは、転落ではなく、アセンションとして演出してほしいところだ。
③権力を行使する人の行く末は、みたいな書き方があったが、私には全くそうは見えなかった。
例えば、権力を行使して若くて優秀なソリストを起用する、とかいうくだり。
ターはちゃんと首席奏者に丁寧なお伺いをたてた。カラヤンだったら、全くしなかったであろう行為だ。
ターは聴衆の立場に立ったのである。事前にビデオを見たら「これは凄い」と思ったから、順序だててオーディションまで行い、みんなが納得するように行動している。
ちなみに、カラヤンは「電車の音がうるさい。あの電車を止めろ」と命令したそうだ。もちろん本気ではなく、一種のジョークだが。
もちろん、ある程度の権力は行使しているけど、音楽の前には実に誠実である。
これが何よりも大事。
重要な音楽を表現するための手段を考え実行するのはリーダーの務めだ。
権力を使うべきところで使ったまでだ、と言いたい。
かつて「日本国内にはこれだけしか居られないから、この間に全てをスケジューリングしてくれ」と言った指揮者がいた。
仕方ないから、オーケストラも大学も無理なスケジュールを組んで、それに応えたのである。
それと比べれば、理不尽な事は何もしていないに等しい。
世知辛い世の中になった、という事なのか。
さあ、もう一度観る時間、あるかな。
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