その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

映画 PERFECT DAYS (パーフェクト デイズ) (監督:ヴィム・ヴェンダース)

2025-02-06 07:30:31 | 映画

主演の役所広司がカンヌ国際映画祭男優賞を受賞し話題になった作品。劇場で観たかったが、時機を逸し今回DVDで視聴。

東京渋谷区の公衆トイレ清掃員として真摯に働き、清貧で充足した日々を過ごす中年男性を淡々と追うドキュメンタリー風の映画。

主人公の平山を演じる役所広司の存在感が終始スクリーンを圧している。性格的に極めて無口な設定なこともあり、台詞が非常に少ない(というか、殆ど無い)。そのため、言葉でなく、表情、仕草で人物の感情、思考を表現するのだが、その制約を超えて役所の演技は平山の人物造形をクリアに浮き上がらせていた。さすが。他の役者が演じたら、どういう映画になるのだろう。

リアリティ高い映像で、都会ならでは孤独や静謐さが表現されていたのも印象的。映画の中にあった台詞(正確ではない)だが、一つの世界の中で人は別々の違う世界を生きている。

60年代から70年代前半の洋楽を中心にした音楽は、主人公の人物理解のためにも、作品を支えるのにも重要な役割を果たす。時代は令和だが、平山が生きる「いま」とは時間的にズレがある。平山の「完璧な日々」には欠かせないアイテムだ。

計算された感動ではなく、観るもの夫々の人生経験や想いが反映される映画であると感じた。なので、人により感想は巾があると思う。私自身は平山的生き様には共感はできないし、真似たいとも思わなかった。ただ、様々な人生を追体験するのは、自分の世界が広がるし、作品としての質は高いので、観て良かったと思った映画であった。

 

PERFECT DAYS(パーフェクト デイズ)
2023年(日本/ドイツ)
監督:ヴィム・ヴェンダース
脚本:ヴィム・ヴェンダース、高崎卓馬
音楽:ルー・リード、ヴァン・モリソン、ニール・ヤング他
キャスト:役所広司、柄本時生、中野有紗、アオイヤマダ、麻生祐未、石川さゆり、三浦友和、田中泯、他

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近内悠太『世界は贈与でできている 資本主義のすきまを埋める倫理学』(ニュースピックス、2020)

2025-02-04 07:30:10 | 

参加している読書コミュニティでの「利他」をテーマとした課題図書の1冊。自分の認知の枠組みに新たな軸を与えてくれた1冊となりました。

筆者の贈与とは、「僕らが必要としているにもかかわらずお金で買うことのできないものおよびその移動」と定義します。身近なところでは、家族や友人、恋人との関係性などであるし、社会的には(補償金支払いの前提が無い)核廃棄物の処理場受け入れなどです。本書はその「贈与」の原理について、解きほぐすための「言葉」と「概念・思考」と併せて解明します。タイトルは「贈与」ですが、検討・記述範囲は広いです。平易に分かりやすく書かれてはいますが、内容は哲学そのもので意味深く、おそらく今時点では半分ぐらいしか理解できてないと感じる所です。

ただ、これまで深く考えることの無かった「贈与」というテーマについて考えることで、普段の自分の行動や取り巻く環境が違った角度で見えてくる新鮮さと驚きを味わえました。資本主義の真っただ中で生きることで、数値化、経済的価値、交換の発想が意識しないうちに染みついている多くの現代人に、お金で買えないものの存在、そしてその重要性(資本主義と矛盾するわけでもない)について気が付かせてくれます。(ただタイトルの「贈与でできている」は書きすぎで、サブタイトルの「『すきま』を埋める」ものとして贈与が正確)

「贈与」ということにここまで難しく考え抜かなくてはいけないのか?言葉遊びになってないか?と感じてしまう私も多分に感じながら、これからも本書を時折、読みかえすことになるでしょう。

2025年1月3日 読了

 

<印象に残った記述の抜粋>

・贈与を上げる人が嬉しいのは、贈与を受け取ってくれたということは、その相手がこちらと何らかの関係性、つまり「つながり」を持つことを受け入れたことを意味するから。

・親は自分の子供がその子供(孫)を愛するのを見て、自分の子供への愛の正当性を確認している。(pp..30-31)

・贈与はすでに受け取ったものに対する返礼(過去の負い目にもとづく)であり、受け取ることなく開始されることは無い。贈与は返礼として始まる。(pp..42-45)

・贈与の対抗は交換。交換するものが無い時、つながりや援助が必要

・贈与は、それが贈与と知られてはいけない。明示的に知らされる贈与は、見返りを求めない贈与から「交換」へ変わる。それは「呪い」(返礼義務の負い目)にもなる。

・(贈与における「受取人」の重要性)贈与は「受け取る」から始まる。受取人においては贈与は過去にある。贈与は差出人に倫理を要求し、受取人に知性を要求する。過去の中に埋もれた贈与を受け取ることのできた主体だけが、つまり贈与に気づくことができたしゅたいだけが再び未来に向かって贈与を差し出すことが出来る(pp..111-114)

・アンサングヒーロー:評価されることも褒められることもなく、人知れず社会の最悪を取り除く人。アンサングヒーローは、想像力を持つ人にしか見えない。アンサングヒーローの仕事にはインセンティブ(報酬)とサンクションが機能しない。アンサングヒーローは自分が差し出す贈与が気づかれなくても構わないと思うことができる。それどころか気がつかないままであってほしいとさえ思っている。なぜなら、受け取り人がそれが贈与だと気づかないと言う事は、社会が平和であることの何よりの証拠だから。自身の贈与によって最悪を未然に防げたからこそ、受け取り人がそれに気づかない。(pp..209‐213)

・贈与は僕らの前に、不合理なもの、つまりアノマリーと言う形で現れる。現代社会が採用しているゲームが等価交換を前提とし、市場経済と言うシステムを採用しているから。だからその中に存在している(商品じゃないもの)に、僕らは気づくことができる。だから贈与は市場経済の「隙間」に存在すると言える。市場、経済のシステムの中に存在する無数の「隙間」そのものが贈与。資本主義と言うシステム、市場経済と言うシステムが贈与をアノマリーたらしめる(pp..223‐224)

・ギブアンドテイク、winーwinの中から「仕事のやりがい」は生まれないのは、交換に目指したものだから。不当に受け取ってしまった。だから、このパスを次に繋げなければならない。誤配を受け取ってしまった。だから、これを正しい持ち主に手渡さなければならない。この自覚から始まる贈与の結果として、宛先から逆向きに「仕事のやりがい」や「生きる意味」が偶然帰ってくる。仕事のやりがいと生きる意味の獲得は、目的ではなく結果。目的はあくまでもパスをつなぐ使命を果たすこと。このような贈与によって、僕らはこの世界の「隙間」を埋めていく。この地道な作業を通して、僕らは健全な資本主義、手触りの暖かい資本主義を生きることができる。(pp..242-244)

 

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ソヒエフ祭り最終日:トゥガン・ソヒエフ、N響 1月Bプロ

2025-02-02 07:38:14 | 演奏会・オペラ・バレエ(2012.8~)

ソヒエフ祭り定演最終回はBプログラムで東欧・ロシアの作曲家の作品です。

冒頭のムソルグスキー(リャードフ編)/歌劇「ソロチンツィの市」からの2曲は、軽快で明るい音楽でしたが、こちらの準備が整わず、直ぐに睡魔に襲われ、朦朧状態。ごめんなさいでした。

続く、バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番は全く初めて聴く曲で、ソリストはN響のコンサートマスターの郷古さん。マイシートがP席なので、後ろ姿ではありますが積極的な攻めの姿勢が感じられ、切れ良く、しかも美しいヴィオリンの音が響いてきました。一方で、楽曲がちょっと私には難易度高く、何をどう聴いていいのか分からないままで終わってしまいました。せっかくの郷古さんがソロなのだし、しっかり予習すべきだったと、後悔しきり。

アンコールでは、マロさんに代わってコンサートマスターに就任される長原さんとコンマスコンビでバルトークの「44のヴァイオリン二重奏曲」から第28番「悲しみ」。新しいN響の幕開けを予感させるフレッシュさが良かったです。

白眉は後半のドヴォルザーク交響曲第8番。私にもなじみのあるこの楽曲をソヒエフさんがN響から素晴らしい音を引き出していました。まずの全体の印象は、本当にN響が良く鳴っている。各パーツのリーダーの方の演奏はもちろんなのですが、各楽器からの音が隅々から明瞭に聴こえてきます。音の情報量が半端ないです。

そしてソヒエフさんが紡ぐ音は、とっても表情豊か。決して何かの情景を描いた音楽では無いとは思うのですが、印象派の画家が広い野原を描いたような、何か色のついた情景が目に浮かぶような気にさせられます。この曲はN響ではマリナーさん、広上さん、ブロム翁など、名だたる名指揮者の棒で聴いていますが、ソヒエフさんならでは重層的で味わい深く、暖かい感じのする演奏でした。

もちろん終演後は大拍手。N響メンバーの表情を観ていても、ソヒエフさんへの信頼感、一緒に音楽を創造する喜びに満ちているのが伝わってきます。これからも継続的な登壇をお願いします。





(P席にもご挨拶いただき嬉しい!)

定期公演 2024-2025シーズンBプログラム
第2030回 定期公演 Bプログラム
2025年1月31日(金) 開演 7:00pm [ 開場 6:20pm ]

サントリーホール

指揮 : トゥガン・ソヒエフ
ヴァイオリン : 郷古 廉(N響第1コンサートマスター)

ムソルグスキー(リャードフ編)/歌劇「ソロチンツィの市」─「序曲」「ゴパック」
バルトーク/ヴァイオリン協奏曲 第2番
ドヴォルザーク/交響曲 第8番 ト長調 作品88

Subscription Concerts 2024-2025Program B
No. 2030 Subscription (Program B)
Friday, January 31, 2025 7:00pm [ Doors Open 6:20pm ]

Suntory Hall

Mussorgsky / Liadov / The Fair at Sorochyntsi, opera―Introduction, Gopak
Bartók / Violin Concerto No. 2
Dvořák / Symphony No. 8 G Major Op. 88

Conductor
Tugan Sokhiev
Violin
Sunao Goko (First Concertmaster, NHKSO)

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姫路・神戸の旅(4):恒例の旅ランで神戸観光(後半)

2025-01-31 17:39:22 | 旅行 日本

生田神社を出て、坂を登って北野の異人館が立ち並ぶエリアへ。1キロぐらいの距離で、雰囲気が三宮の繁華街から異国風住宅街にガラッと変わります。


(英国館)

一帯は、見物に来るには良いけど、坂道や階段ばかりで生活はしずらさそう。

異人館街の中心部北側には北野天満神社があります。階段上って本殿のある境内に立つと神戸の町が一望のもと。視線の先には神戸港があります。坂道を上ったり下りたりした疲れも吹き飛ぶ眺望です。


(素晴らしい眺め)


(風見鶏の館)

丘を下りて、再び元町エリアへ。中華街を見物します。まだ朝の10時前なのでお店は開店準備を始めたばかりで、人通りはまばら。横浜の中華街をぎゅっと圧縮した、こじんまりとした印象ですが、密度は濃さそう。肉まんでも食べたいところですが、まだ早すぎなのが残念です。

中華街を通って、旧居留地エリアを通過して神戸駅前に到着。約2時間かけて、走ったり見物したりの観光ランでした。ランニングの軌跡は下のガーミンの記録どおり。これで10キロ強。様々な表情を持つ神戸をクイックに楽しめて、満足感も一杯でした。

お昼から本来の用事に入り、夕刻に新大阪駅から東京へ帰ります。新大阪駅で、最後の関西の食は駅構内の「浪花そば」できつねうどん。麺は普通ですが、お出しのきいた汁が美味しかった。

用事にひっかけた駆け足の姫路・神戸でしたが、姫路城にも行けたし、旧友たちにも会えて、とっても満足度高い旅行となりました。

(2025.1.18‐19)

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姫路・神戸の旅(3):恒例の旅ランで神戸観光(前半)

2025-01-29 07:30:01 | 旅行 日本

姫路から神戸に到着し、その夜は神戸・大阪在住の学生時代の友人たちと一杯。ハーバーエリアのビアホールで楽しいひと時でした。

(神戸っぽい夜景)

翌日の日曜日。自由時間は11時までなので、恒例の旅ランで神戸の主要エリアを巡ることにしました。

7時45分に神戸駅チカに取ったホテルをスタートし、まずはハーバーランド・エリアへ。まだ朝なので人もまばら。神戸らしい港の様子を楽しみながら、走ります。


(穏やかな水面が朝日を受ける)


(神戸港旧信号所)


(モザイク大観覧車)


(神戸港の遊覧船もまだサービス前)

 

メリケンパーク。有名な神戸ルミナリエは1週間後なので、設営中でした。

メリケンパークに隣接して、神戸港震災メモリアルパークがあり、当時の様子や復興についてパネル展示があります。丁度、30年前の2日前が震災の日。黙祷を捧げます。

海洋博物館を通過し、三宮駅方面に。途中、東遊園地に立ち寄り。園内には阪神淡路大震災の慰霊と復興のモニュメントが設置されていました。長田高校野球部のメンバーが黙とうをささげていました。この後、甲子園まで20キロ弱をランニングするとのこと。


(海洋博物館はまだ開館前)


(神戸税関。神戸っぽい)


(東遊園地 希望の灯)


(上皇后の復興を願う歌碑)


(長田高校野球部員も希望の灯を囲んで黙祷)


(日本マラソン発祥の地だそうだが、本当なのかしら?)

三宮駅付近まで来ると、港エリアと雰囲気がガラッと変わり、いわゆる商業地。駅の北側は歓楽街的なエリアになっていて、まだこの時間は前夜の喧騒が偲ばれるゴミの山とけだるい雰囲気が残っています。


(面白いボードマップだったので、一枚ぱちっ)

折角なので、有名な生田神社に立ち寄りました。神戸の名の由来となった神社とのことです。(「大同元年(西暦806年)朝廷より当社の為にお供えする家、世話をする家、守る家である神戸(かんべ)44戸を頂いたとあり、この「かんべ」が「こんべ」となり現在の「こうべ」となったと伝わっています。」(ホームページより)。観光客や地元の人で朝から人が絶えることがありません。庶民的な、生活に根付いた神社との印象です。


(生田神社 オープンで地元の雰囲気たっぷり)


(本殿)

敷地奥には源平合戦の舞台として、平知盛が陣を引き、この辺り一帯が戦場となったという生田の森がありました。


(平知盛が陣をはり、一帯が戦場となったという生田の森)

 

2025年1月25ー26日

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マロさん最後のコンマスの定演:ソヒエフ、N響、ブラームス交響曲第1番ほか

2025-01-27 08:31:42 | 演奏会・オペラ・バレエ(2012.8~)

今月はソヒエフ祭り月間なのだが、先週のAプロは行けなかったので、Cプロから参加。当日券売切の盛況ぶりである。

ホールでプログラム読んで、この日がマロさんこそ篠崎史紀氏のN響定期でのコンサーマスターとしての最後の出番であることを知った。なんてこった !

個人的に面識があるわけではないが、その風格、オーラは威厳たっぷりでまさにミスターN響。その剛毅でダンディな外見と共にとっても知的で自由な雰囲気も纏っている。そして、繊細で緊張感あふれるヴァイオリンの音色にいつも魅了されてきた。そのマロさんのコンマス姿もこの定演が最後かと思うと何とも感慨深い。
 
そんな心の動揺が収まらないまま、楽員さん達が入場を始める。マロさんへはソヒエフにも劣らないほどの大きな拍手が満員の聴衆から寄せられた。
 
前半のストラヴィンスキーの組曲「プルチネッラ」は初めて聴く楽曲で、その古典的な旋律や雰囲気の音楽にびっくり。各楽器のソロが引き立つ曲でN響ソロ奏者達が創り出す音色が美しい。マロさんのヴァイオリンもいつも通り、切れ味鋭く3階席まで飛んできた。
 
後半のブラームス交響曲第1番は、ソヒエフの熱い指揮にN響が目一杯に応えた爆演。全体的にゆったりとしたペース(X上では「速め」、「標準的」というポストが殆どだったので、少数派の感想のよう)で、丁寧に音を引き出すソヒエフの指揮のもと、情報量多く、解像度が高い。様々な表情を見せつつ、温かさを感じる演奏だった。
 
重層的な弦の合奏や吉村さんのオーボエを初めとした管楽器の美しい音が耳に響く。第2楽章のマロさんの研ぎ澄まされたヴィオリンソロもさすが。第4楽章は、N響メンバーのマロさんへの惜別の想いがこもってるか如くの入魂の演奏。聴いている方も自然と前のめりになる。フィナーレの畳み込む迫力は通常の「良い」演奏とは別次元のものだった。
 
終演後は会場から割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。何度も呼び戻されるソヒエフだが、途中、ソヒエフ自身がマロさんに記念の花束を持参しプレゼント。指揮者、楽員、聴衆らみんなの感謝の気持ちが表れていたホールだった。
 
マロさん去るのは寂しいが、また新しい人も含めて、伝統が革新とともに綿々と引き継がれて行くのだろう。貴重なN響の歴史的1ページの瞬間に立ち会うことができたことも含めて、大感謝の演奏会となった。マロさん、お疲れさまでした。ありがとうございました!
 

定期公演 2024-2025シーズンCプログラム
第2029回 定期公演 Cプログラム
2025年1月25日(土) 開演 2:00pm [ 開場 1:00pm ]

NHKホール

曲目
ストラヴィンスキー/組曲「プルチネッラ」
ブラームス/交響曲 第1番 ハ短調 作品68
指揮トゥガン・ソヒエフ

Subscription Concerts 2024-2025Program C
No. 2029 Subscription (Program C)
Saturday, January 25, 2025 2:00pm [ Doors Open 1:00pm ]
NHK Hall

Program
Stravinsky / Pulcinella, suite
Brahms / Symphony No. 1 C Minor Op. 68

Conductor Tugan Sokhiev

 
 
 
 
 
 
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堅実でとっても満足感高い演奏会:小泉和裕/都響 ドビュッシー 交響詩〈海〉ほか

2025-01-25 07:59:26 | 演奏会・オペラ・バレエ(2012.8~)

今年の演奏会初めです。昨年最後の演奏会から1月以上空いて、随分お久し振りな感覚です。この日のプログラムはフォーレとドビュッシーというフランス人作曲家の組曲と交響詩の間に、モーツァルトのピアノ協奏曲が挟まれるという、バランス良く魅力的な構成です。

冒頭のフォーレの「ペレアスとメリザンド」組曲。昨年、同じコンビでシューンベルグによる同名の組曲を聴いています。私はフォーレの全曲を生で聴くのは初めてでしたが、繊細で柔らかな第一曲からその美しさに魅了されました。都響の弦陣のアンサンブルや管陣が創り出す世界に浸りました。

2曲目のモーツァルトピアノ協奏曲第21番も音楽の明るさ、伸びやかさが抜群で素晴らしい演奏でした。ピアノ独奏のミシェル・ダルベルトさんは初めて聴くピアニストです。ピアノの音が明瞭で弾けるようで、躍動感が引き立ちます。聴いていて自然と体が動き出しそうになるので抑えるのに一苦労。やっぱりモーツァルトの音楽は人の本能の訴える力があるわ。

アンコールのドビュッシーの〈月の光〉を演奏してくれました。私には夜露の雫が葉っぱから滴り落ちるような繊細で柔らかな演奏で、このおかわりの満足感は凄い。

休憩後はドビュッシーの組曲〈海〉。久し振りに生で聴く気がしますが、小泉さんの〈海〉は楷書体の実に正々堂々とした作りです。第二楽章の波のうねりそのものに感じる音楽の抑揚が印象的。第三楽章のダイナミックな演奏にも圧倒されました。東京文化会館ならではの乾いた響きが、個々の楽器の美音をクリアに届けてくれました。

ホールの入りは8割弱という感じでしたが、終演後は熱い拍手と歓声が舞いました。派手なところは無いですが、シュアにハイレベルな演奏を聴かせてくれるこのコンビさすがです。久し振りのコンサート体験。やっぱり音楽は素晴らしいと再認識してホールを後にしました。

2025年1月24日

 

第1015回定期演奏会Aシリーズ
日時:2025年1月24日(金) 19:00開演(18:00開場)
場所:東京文化会館 

出 演
指揮/小泉和裕
ピアノ/ミシェル・ダルベルト


曲 目
フォーレ:組曲《ペレアスとメリザンド》op.80 
モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番 ハ長調 K.467 
ドビュッシー:交響詩《海》-3つの交響的スケッチ 
【ソリスト・アンコール】(1/24up)
ドビュッシー:月の光
 (ピアノ/ミシェル・ダルベルト)


Subscription Concert No.1015 A Series
This concert is over. Date: Fri. 24. January 2025 19:00 (18:00)
Venue: Tokyo Bunka Kaikan 

Artists
KOIZUMI Kazuhiro 
Kazuhiro KOIZUMI, Conductor
Michel DALBERTO, Piano


Program
Fauré: Pelléas et Mélisande, Suite, op.80 
Mozart: Piano Concerto No.21 in C major, K.467 
Debussy: La mer – Trois esquisses symphoniques 
【Soloist Encore】(1/24up)
Debussy:Clair de lune
 (Michel DALBERTO, Piano)

 

 

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姫路・神戸の旅(2):驚きと感動の姫路食べ歩き

2025-01-23 07:28:03 | 旅行 日本

姫路での滞在時間はわずか4時間半で、そのうち2時間以上は姫路城で使ったので、極めて限られた時間であったのだけど、城だけでなく食の方も堪能しました。

お昼に到着したので、城見学の前にランチ。姫路に4年間単身赴任していた高校時代の同級生のお勧めで、駅とお城の間に位置する福亭に入りました。一人で入るには敷居の高そうな感じがする外観で、店内は個室とテーブル席が余裕もって配置されていて、BGMにクラシック音楽が流れるエレガントな雰囲気です。(友人のアドバイスで一人でも事前予約しておいた方がよさそうです。ネット予約だと2人からの予約ですが、電話したところおひとり様でも予約入れてくれました)

 


(お店の正面)

次いつ訪れることが出来るかわからないので、ランチのお膳のメニューの中から上等な品を選び、地酒と一緒に頂きました。どの品も美味しいですが、アナゴ丼が口の中でアナゴの肉と脂が馴染み特筆もの。日本酒は田中酒造所の「白鷺の城」。切れがありながら、ふっくらとした甘みもあり、薄味の料理にしっかりとあいました。


(豪華な御膳です)

お城見学のあとに、「お土産はまずここから」と友人に勧められた伊勢屋本店を訪問し、「玉椿」を購入。写真撮り忘れましたが、巨峰の実を一回り大きくしたサイズのお饅頭は、柔らかい皮に包まれた白餡はとってもお上品な味で、万人に好まれそう。


(伊勢屋本店)

伊勢屋本店から駅に向かう途中に匂いに吸い寄せられたのが、<鯛焼本舗 遊示堂>で鯛焼きを焼く匂いでした。薄い皮にアツアツのあんこがたっぷり。これがなんと(たしか)160円。新橋の鯛焼きやは260円ぐらいする店がありますが、決して引けを取りません。甘いものはホントに気分を幸せにしてくれます。お城巡りの疲れも吹っ飛びました。

そして、とどめを刺されたのが、神戸に向かう在来線のプラットフォーム。なんとホームの上に列車仕様の店舗が。いわゆる駅の売店かと思ったら、駅構内のスタンドそば屋さん。しかも、名前もえきそば。昼の御膳と鯛焼きでお腹一杯でしたが、ここは入らないわけには行かないと、意を決して入店し、きつねそばを頼みました。

そして、出てきたソバにびっくり。関西風のうす塩醤油だしのうどん汁に中に入っているソバがなんと中華麺。まるっきりの初体験ソバでした。中華麺ながら、和風出汁との相性はとっても良く、これはこれで美味。汁もすべて飲み干して「ごちそうさまでした」。

驚きと感動の姫路の食を堪能し、在来線でこの日の宿泊地神戸へ向かいました。


(源氏物語にも出てくる須磨の浜近辺)


(海が近い)

 

2025年1月18日

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姫路・神戸の旅(1):ため息出るほどの圧倒的な姫路城!

2025-01-21 07:24:00 | 旅行 日本

日曜日に神戸で用事があったので、前日に関西入りして姫路城を訪れました。2、3歳の頃、若き両親と一緒に行った写真は残っているのですが、記憶には全く無いので、一度行ってみたかったところでした。世界遺産、国宝に相応しい、その文化遺産に圧倒されました。


(姫路駅からお城を一本道で結ぶ)


(正面から)

まず、その姿の美しさには息をのみます。冬の青空を背景に、広大な城敷地のなかにそびえ立つ城はまるで富士山のよう。どの角度から見ても美しい。見とれてしまうだけでなく、気持ちが高揚していくこの建物の力って美しさの裏側に怖さを感じるほどです。本丸の大天守だけでなく、外周をめぐる砦群も残されているのも、その要塞としての美しさがあります。天守から見下ろす、市内の景観も素晴らしいのですが、この連なる砦群の美しさも格別でした。


(天守から西の丸方面を見下ろす)


(西の丸からの天守)

そして、その歴史的遺産としての価値も計り知れません。城壁の石組み、堅牢な門、城内の図太い梁や支柱、武者隠しなどの作りなどなど、まさに17世紀からの要塞としての残像が感じられます。日本の城でここまでのホンモノぶりが感じられるのは、国宝クラスに限られるのですが、姫路城はまさにその中のキングですね。間違いなく日本一。


(石垣にものまれる)




(壁の刀、鉄砲掛け)


(いろんな角度から写真を撮りたくなってしまう、どこから見ても美しい城)


(「番町皿屋敷」ならぬ「播州皿屋敷」のお菊さんが身を投げたという井戸)

天守閣だけでなく、是非、西の丸の長局(百間廊下)も立ち寄ることをお勧めします。延々と続く櫓と櫓を結ぶ部屋部屋や廊下は城勤めの召使や物置など当時の生活が想像できます。本多忠刻と再婚した千姫に仕える女中たちも此処に居住したとか。


(倉庫として使われていたという部屋が延々と続く百間廊下の一部)

また、城内の展示・解説も必要最小限に抑えられていて歴史遺産そのものを感じることの方を重視されているようで好感が持てます。チケットと同時に渡されるガイド冊子で十分。私はオーディオガイドは借りませんでしたが、チェックポイントの見逃し防止やガイドに目を落とすのが面倒だと感じられるかたはオーディオガイド借りるのもいいかもしれません。

城を出た後はぶらぶらと敷地を一周。特に城の裏側には千姫の小径というお濠と小川に挟まれた、とっても落ち着いた小径が合って散策には最適。多くの観光客で賑わう城内とは全く違った風情を感じることが出来ます。時間あれば、是非。また、滞在時間は2時間半ほどで私は行けなかったのですが、好古園という庭園も敷地に隣接していますが、神戸在住の友人によるとここも素晴らしいとのこと。また、再訪の機会に是非、訪れてみたいと思います。


(千姫の小径)

 

2025年1月18日

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小川幸司『世界史とは何か 「歴史実践」のために  シリーズ歴史総合を学ぶ3』(岩波新書、2023)

2025-01-17 07:40:38 | 

シリーズ歴史総合を学ぶの最終巻(のはず)。歴史実践(歴史を日常生活の中で考える対象にしてその考えをもとに行動すること)の指南書である。筆者の歴史実践に対する熱意や使命感が痛いほど現れた力作。読みごたえたっぷりの新書だ。

歴史実践の考え方や方法論について紹介した後、新しく導入された「歴史総合」の具体的授業プランの一例として、「近代化」について人種主義の歴史、「国際秩序の変化や大衆化」については不戦条約の歴史、「グローバル化」については強制追放の歴史を取り上げる。歴史的出来事に対しての、比較や問いを通じて、テーマに関連させて、歴史的事実の意味合いや現代とのつながりを思索し、今を生きる読者に思考や行動のヒントを与える。

例えば「近代化」については、アメリカ合衆国での黒人奴隷、第2次大戦時のドイツのユダヤ人へのスタンス、近代日本のアイヌ人への人種主義等を比較し、それと国民国家の形成とクロスさせて歴史を考えると言った具合だ(第3講)。「歴史総合」の授業を受けるはずの一般の高校生にはレベルが高すぎるのではと思うが、私自身、筆者の歴史授業を受けてみたい。

本書の執筆にあたっては、言いたいこと、書きたいことが山のようにあるなかで、紙面の都合で相当の取捨選択があったのではと思わせる。私も読者として、一度の通読では筆者の思いは受け止められるものの、とても内容の十分な理解までは追いついていない。再読要の一冊となった。

 

(目次)

 はじめに

第1講 私たちの誰もが世界史を実践している
 1 どうしても世界史を学びたかった経験
 2 私たちの歴史実践と二つの世界史

第2講 世界史の主体的な学び方
 1 歴史実践の六層構造
 2 世界史という歴史実践の再検討
 3 歴史対話の五つの方法

第3講 近代化と私たち
 1 奴隷や女性を主語にした歴史叙述の試み
 2 人種主義に着目して国民国家を再考する

第4講 国際秩序の変容や大衆化と私たち
 1 不戦条約を世界史に位置付ける
 2 戦争違法化の歴史から「問う私」を振り返る

第5講 グローバル化と私たち
 1 二〇世紀後半の民族浄化と強制追放を見つめる
 2 ガザ回廊から二一世紀の日本へ

まとめ 世界史の学び方一〇のテーゼ

 おわりに

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