グリコ森永事件で「キツネ目の男」として容疑者に仕立てられたことで有名な宮崎勤氏の破天荒な半生記。「突破者」とは「思い込んだら一途で、がむしゃら」ということなのだが、「一途のあまり周囲が見えていないという負の評価と、一途ゆえに筋を曲げないで頑張るという正の評価を併せ持って」いて、結局「がむしゃらに走り続けるのだが、何処へ向かって走っているのやら当人自身もわかってない、といった人間を評する言葉」とのこと。その意味通りの筆者の突破者ぶりを描いた本書は、読み始めたら引きこまれ、ページをめくる手が止まらない。
戦後間もないころに、京都のやくざの家に生まれ、学生時代は学生運動の用心棒に身を投じる。週刊誌記者を経て、家業の解体屋の経営に入るものの会社を倒産させ借金取りに追われたり、バブル時代は地上げの口利きを行ったもつれでヤクザから自身も銃撃されて重傷を負う。ありきたりのフィクッションよりもずっとダイナミックで、当たり前だがリアリティ抜群だ。
いわゆる社会の裏側で生きている人たちの息ぶき、うごめき、逞しさがダイレクトに伝わってくる。筆者自身の半生でもあるが、アウトローの世界で生きる人たちへの応援讃歌でもある。アンダーグランドの世界で生きてきた人だけに、その言葉には、ならではなの骨太な強さ、迫力がある。
「ヤクザの世界は三つの言葉を知っていれば渡れる。「イモを引くな」「クンロクを入れる」「往生する」、この三つである。「イモを引くな」とは、切所に立ったらびびるな、ということ。「クンロクを入れる」とは、相手の動揺する心にとどめを指すこと。(中略)そして、「往生する」とは、苦境に立ったとき、自らにふんぎりをつけること、負けを潔く受け入れることである。」 (下巻、pp84-85)
また、学生運動、エセ団体、グリコ森永事件、バブル経済、暴力団廃止法など、昭和史の歩みであり、戦後から今(といっても書かれたのは1996年だが)に至る現代日本社会の生成史の一面が記述されている。
最終章には、筆者の強い思いである、はぐれ者たちと社会の共生が主張される。そんなことが本当に可能なのかは、はなはだ疑問だが、思いは伝わるし、この世から「悪」が消えてなくなることは無いというのは事実だと思った。
普段ではあまりお付き合いがない人たち(近い人たちとは、若き社会人生活の時は幾分の接点はあってたものの)だが、その逞しさ、生きる知恵は学ぶべき面もあるし、こうした裏世界を知ることで人や社会を大きく、深い座標軸で見ることができる。
1 マイ・ファミリー
2 少年鉄砲玉
3 喧嘩と資本論
4 都の西北とインター
5 秘密ゲバルト部隊
6 突撃記者の群れ
7 掟破りの日々
8 金地獄に踊る
9 ゼネコン恐喝
10 悪党の情と非情
11 キツネ目の男
12 銃弾の味
13 野郎どもとバブル
14 葬られてたまるか
最後に