その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

素晴らしいコンビ! 東フィル×チョン・ミュンフン: ストラヴィンスキー〈春の祭典〉ほか

2024-02-28 07:30:58 | 演奏会・オペラ・バレエ(2012.8~)

ときたま〈春の祭典〉が無性に聴きたくなる。そして、ハルサイは生で聴かなくてはいけないという偏狭な考えを持っている。そしたら、チョン・ミュンフンさんと東フィルがベートーヴェンの〈田園〉とのカップリングのプログラムでの公演があることを知り、衝動的にチケット(それもS席!)を購入。

全くのタイプの異なる2曲だが、2曲とも素晴らしい演奏だった。前半のベートーヴェンの交響曲第6番。第1楽章からとっても瑞々しく、美しい管弦楽のアンサンブルがホールに響き渡る。チョンさんの〈田園〉は、自然体で力みが無い。

第3楽章からは休みなく第5楽章まで演奏されるが、嵐のティンパニーの一撃はハッとさせられた。最終楽章の盛り上がりも決して押し付けがましくないが、胸にジ~ンと来る静かで温かみがある〈田園〉であった。

後半の〈春の祭典〉を聴くのは5年ぶり。冒頭のファゴットが長~く延ばされ、この一大祭典が始まった。チョンさんのハルサイは土臭い、血なまぐさいといった風味とは一線を画す音楽。狂気なのだが、それが綺麗に統制されていて、変な癖を感じずに音楽が自然に体に染み込んでくる。調味料は使わないから、音楽そのものを味わえ、と言われているようである。

東フィルメンバーの集中力が凄く、音とともに気がステージから飛んでくる。ハルサイにしては、音が細いかなと感じるぐらい、針孔に糸を通すような繊細なアンサンブルとの印象だった。これは、チョンさんによるのか、東フィルの特徴なのかは私には分かりかねたが、演奏としてパーフェクトだったのではないだろうか。

終演とともに聴衆からは狂喜の拍手とブラボー。チョンさん大きな拍手に応えて、終わったばかりのハルサイから「大地の踊り」をアンコール演奏。聴く方は再び大興奮。

このコンビやっぱり特別な関係なのだなあと思わせる出来事も。オーケストラ解散後も鳴りやまない拍手に応えて、チョンさんのソロカーテンコールと思ったら、チョンさんは楽屋に退いたオーケストラ一同を引き連れてステージに再登場。チョンさんと楽員さんたちの嬉しそうな笑顔が、このコンビの信頼関係や、演奏の達成感を素直に現わしていて、拍手を送る者としてもこんな嬉しいことはない。

とっても良い時間を貰って、幸せ一杯。一期一会の記憶に残る演奏会だった。


<一旦退場した楽員さんたちを引きつれて再登場のチョンさんと東フィル>

2024年2月27日(火)19:00
東京オペラシティコンサートホール
第160回東京オペラシティ定期シリーズ 

指揮:チョン・ミョンフン(名誉音楽監督)

ベートーヴェン/交響曲第6番『田園』
ストラヴィンスキー/バレエ音楽『春の祭典』

February 27, 2024, Tue 19:00
Tokyo Opera City (Concert Hall)

Conductor: Myung-Whun Chung (Honorary Music Director)

Beethoven: Symphony No. 6 "Pastoral"
Stravinsky: Ballet "The Rite of Spring"

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鈴本演芸場、初訪問!

2024-02-26 07:43:32 | 落語

初めて上野の鈴本演芸場に足を運びました。

浅草演芸ホールよりもこぢんまりとしてアットホームな雰囲気があります。3連休の初日ということで、冷たい雨が降る中でしたが、8割近くの座席は埋まっていて熱気一杯です。

昼の部、途中からの入場でしたが、落語5席に奇術・漫才・浮世節を楽しみました。落語だけでないのは寄席の良さですね。

昨年の浅草以来の林家正蔵さんが久しぶりに聞けたのは嬉しかった。トリは林家勧之助「中村仲蔵」。人情噺をしっかり聞かせてもらいました。トリを除いては一人当たりの時間は短いですが、いろんな落語家、芸人さんの芸に触れ、久しぶりの寄席を満喫しました。

2024年2月23日 

落語       柳家こゑん           ?

奇術       如月琉   

落語       春風亭一朝           たいこ腹

漫才       ホンキートンク   

落語       春風亭一蔵           権助魚

落語       林家正蔵 ?             

浮世節    立花橋之助          

落語       林家勧之助           中村仲蔵

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W.シェイクスピア<マクベス> (演出:ノゾエ征爾)@東京芸術劇場シアターイースト

2024-02-23 08:59:31 | ミュージカル、演劇

久しぶりにシェイクスピア劇。個人的に最も好きな「マクベス」。芸劇では、ちょうど都民芸術フェスティバル開催中でN響公演日だったようだが、今日はエスカレーターを上らず、地下のイーストシアターへ。

演劇界に通じていない私は初めて聞く方なのだが、劇団はえぎわを主宰されていているノゾエ征爾さんの台本・演出である。

「彩の国さいたま芸術劇場では、2022年春、ノゾエを招いてシェイクスピアの『マクベス』を題材としたワークショップを実施。ワークショップでは「演劇を見慣れていない若者に演劇の魅力を知ってもらう」という目標を掲げ、ノゾエは親しみやすく、飽きさせない構成と演出で約100分の『マクベス』をつくりあげた。」(彩の国さいたま芸術劇場ホームページより)

翻訳は松岡和子さん版を使いつつも、ノゾエ氏により100分にまとめるため大胆にカットされたり、アレンジが施されている。ただ、観ていて、劇のスピーディな展開とテンポ良さは感じたものの、「ここを抜くか!」という違和感は無かった。確かに「飽きさせない」構成だった。

少し物足りなさという観点では、マクベス夫妻の関係性の変化(どの本か忘れたが、松岡さんの著述にあった、運命共同体であった夫妻関係からそれぞれが離れていく関係に変化)のプロセスという点での描写は弱かったかな。

舞台は木製椅子を多数(ぱっと見、20脚以上はあった)を組み合わせ様々な場に活用される。シンプルだか、観る人の想像力を掻き立てうまく作ってあるなあと思った。

役者では、マクベス夫人を演じた川上友里さんの血気迫った力ある演技が好印象。マクベスの内田健司さんはイケメンで格好良すぎて、野心と野性に満ちたマクベスのイメージと違った。最後のトゥマロースピーチは劇のハイライトとして十分盛り上げた。

冒頭や劇中に、スマフォやVR機器が使われたり、現代国際政治事情が挿まれた現代アレンジが施されている。ワークショップの目的のとおり、若者に親しみやすさを増すためだろう。個人的に楽しみにしている、4幕1場のマクベスが魔女に八人の王の幻影を見させられるシーンが、観客には見えないVR機器内で展開されるのは残念だった。ただ現代アレンジは、劇全体に対する影響度は大きくなく、原作の世界観を覆すようなものではなく、アクセント的に上手く使われていると感じた。

18時半に始まって、終演は20時15分。手軽に、久しぶりに〈マクベス〉が楽しめ満足。

 

日程

2024年02月17日 (土) 〜02月25日 (日)

会場:シアターイースト
原作:W.シェイクスピア
翻訳:松岡和子
上演台本・演出:ノゾエ征爾

出演
内田健司、川上友里、山本圭祐、村木 仁、町田水城、広田亮平、上村 聡、
茂手木桜子、菊池明明、踊り子あり

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2024東京マラソン コース試走(その2:30k地点~ゴール)

2024-02-19 07:20:33 | 日記 (2012.8~)

いよいよ東京マラソンまで残り2週間となりました。昨年暮れに、スタート地点の都庁前から30k地点の明治座までの試走は実施済みなので、この週末は残り30kからゴール地点までの試走を実施。

週末ということもあってか、間違いなく東京マラソン試走というグループ、ペア、個人があちらこちらに見かけます。見ず知らずの人たちですが、途中、信号待ちで目が合ったりすると、お互いにっこり。仲間意識ができるから不思議です。


<午前11時スタート。既にマチネ観劇の方が集まり始めてました>

明治座→水天宮→兜町→日本橋→銀座と走ります。途中、明治屋さんの前を通過。



32k~35kまでの苦しいところが、日本橋、銀座の中央通りですから、ここはかなり背中を押してもらうことを期待。


<銀座4丁目の交差点。和光前。右端に東京マラソンの旗が揺られてました>

34k過ぎで日比谷通りに入って、日比谷公園横を通って真っ直ぐ三田に向かいます。35k以降、一番苦しい所ですが、ほぼ完全に平坦の道なので、なんとか頑張れそうな予感。


<増上寺前(大門横)。東京タワーがすぐそこ>

田町駅前で折り返し、日比谷通りを北上。この日は相当暖かったのですが、それでも芝公園で途中トイレ。トイレマネジメントはどうしようか。


<残り2キロ切って、日比谷通りを右折して、すぐ左折。最後の長い直線>


<東京駅前でゴール!>

とりあえず、スタート~ゴールまで走ってみて、この東京マラソンのコースの華やかさ、楽しさが容易に伺え知れます。東京の歴史的ランドマークをばかりを走り回るコースです。これは期待が高まらないわけがありません。

あと2週間。とにかく体調管理第一、あとは当日の好天気を祈るのみ。精一杯楽しんで走りたいです。

(2024年2月17日)

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N響、快進撃続く!:N響2月B定期 指揮 パブロ・エラス・カサド/スペインプログラム

2024-02-17 08:46:34 | 演奏会・オペラ・バレエ(2012.8~)

1月のソヒエフ祭りに始まって、今年のN響快進撃が続いています。今回のカラステさん指揮のスペイン関連プログラムは、その中でも特に印象に残る演奏会となりました。

とりわけ感銘をうけたのは、アウグスティン・ハーデリヒさん独奏によるプロコフィエフ/ヴァイオリン協奏曲第2番。ハーデリヒさんは初めて聴くヴァイオリニストですが、その奏でられる美音に魅了されました。

濁りなくとってもピュアな音色が、舞台後ろのP席にもダイレクトに響いてきます。そして、耳に入る音が、包容力に満ちて優しい。いつも結構身構えながら聴くプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲が、素直に体に染み込んでくるのに驚きました。そして、オーケストラとのコンビネーションが抜群。P席特有かもしれませんが、ハーデリさんの音がN響の管弦楽に文字通り溶け込んでいくのを目の当たりにし、それに耳をそばだてる快適さ。特に、第2楽章は天にも昇るような気分で、協奏曲の醍醐味を経験させてもらいました。

後半の三角帽子。全曲版を聴くのはきっと初めてだと思うのですが、オーケストレーションの楽しさを満喫しました。序奏の吉田珠代さんのソプラノで、会場が一気に物語世界に引き込まれます。カサドさんは抑制を利かせ、スペイン風をことさら強調させることなく、音楽の輪郭を明確に描く感じです。それにN響メンバーが夫々に応えて、目まぐるしくかつ多彩な演奏でした。打楽器隊のカスタネットにも痺れましたね。終幕の踊りでは、自分の体を抑えるのが大変だった程、楽しませてもらいました。

終演後は会場から止まない大きな拍手。ソロカーテンコールもあり、カサドさんもとっても満足の様子でした。私の演奏会終わっての満腹感といったら、ステーキとかつ丼のセット定食を頂いたような感じ。ほくほく顔で2月とは思えない生暖かい夜の赤坂を帰宅しました。

3月は定演はお休みですが、東京春祭のヤノフスキさん指揮の〈トリスタンとイゾルデ〉もあります。楽しみが続きます・・・

第2006回 定期公演 Bプログラム
2024年2月15日 (木) 開演 7:00pm

サントリーホール

曲目
ラヴェル/スペイン狂詩曲
プロコフィエフ/ヴァイオリン協奏曲 第2番 ト短調 作品63
ファリャ/バレエ音楽「三角帽子」(全曲)*

[アンコール曲]
2/15:カルロス・ガルデル(アウグスティン・ハーデリヒ編曲)/「ポル・ウナ・カベーサ」(首の差で)
ヴァイオリン:アウグスティン・ハーデリヒ

指揮 : パブロ・エラス・カサド
ヴァイオリン : アウグスティン・ハーデリヒ
ソプラノ : 吉田珠代*

Subscription Concerts 2023-2024Program B
No. 2006 Subscription (Program B)
Thursday, February 15, 2024 7:00pm [ Doors Open 6:20pm ]

Suntory Hall

Program
Ravel / Rapsodie espagnole (Spanish Rhapsody)
Prokofiev / Violin Concerto No. 2 G Minor Op. 63
Falla / El sombrero de tres picos, ballet (complete) (The Three-Cornered Hat)*

[Encore]
Feb 15: Carlos Gardel (arranged by Augustine Hadelich) / Por una cabeza
violin: Augustine Hadelich


Artists
Conductor: Pablo Heras-Casado
Violin: Augustin Hadelich
Soprano: Tamayo Yoshida*

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伊藤計劃『ハーモニー〔新版〕』 (ハヤカワ文庫、2014)

2024-02-15 07:30:07 | 

先日読んだ梶谷懐、高口康太の両氏による『幸福な監視国家・中国 』で、ハクスリーの『すばらしい新世界』と並んで、ユートピア的な近未来世界を描いたSF小説として本書が紹介されていたので手に取ってみた。健康、公共心、幸せに満ち溢れた世界にあって、その成員たるオトナになることに反抗を試みた3人の少女と彼らの13年後が描かれる。

テーマ設定のユニークさ、ストーリー展開の巧みさ(サスペンス小説のようでもある)、登場人物の個性、それぞれが引き立っていて、一気に読ませる。テクノロジーが進んだ未来世界、すべてが調和して快適で便利な世界において、社会、人間はどうなるかを考える良いテキストにもなる。

人間における脳の機能と意識の問題も重要なテーマとして扱われる。偶然だが、これは先月読んだ櫻井武さんの『「こころ」はいかにして生まれるのか』で解説されたことが、そのまま小説の世界で応用されていた。驚くと同時に、旬なテーマなのだなと気付かされる。

「意識であることをやめたほうがいい。自然が生み出した継ぎ接ぎの機能に過ぎない意識であることを、この身体の隅々まで徹底して駆逐して、骨の髄まで社会的な存在に変化した方がいい。わたしがわたしであることを捨てたほうがいい。『わたし』とか意識とか、環境がそのばしのぎで人類に与えた機能は削除したほうがいい。そうすれば、ハーモニーを目指したこの社会に、本物のハーモニーが訪れる」(p.243)

伊藤計劃氏の名前は聞いたことがあったが、作品を読むのは初めてだった。2009年に34歳で早逝されたという。他の作品も読んでみたい。

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N響2月C定期/指揮 大植英次/R.シュトラウス<英雄の生涯>ほか

2024-02-11 07:43:57 | 演奏会・オペラ・バレエ(2012.8~)

先週の井上ミッキーに続いて、2月C定期の指揮は大植英次さん。コロナ禍の定演中止中の演奏会で、素晴らしいシベリウスの交響曲2番を聴かせてもらいました。この日のプログラムはワーグナー、R.シュトラウスの英雄モノ。

ただ、今回は聴き手である私がNo Good。スケジュール都合で振替えて金曜にしたのですが、私にとって金曜日ソワレは鬼門です。ウイークデーの疲れが一挙に噴出しがち。この日は、演奏会前はアルコール無し、夕食も後回しにして、間食のアンパン1つで済ませて、万全の態勢で臨んだつもりだったのですが、これでも効果なしで、演奏家の皆様には大変申し訳ないことと相成りました。

一応、自分の記録のために模様を記しておくと、1曲目のワーグナー/ジークフリートの牧歌。冒頭、弦楽五重奏的に厳かに音楽が始まり、こんな音楽なんだと驚きましたが、その後合奏フェーズに入るとその音楽の心地よさに、異次元にトリップ。朦朧としている間に、小曲は終わりとなりました。

続いてメインのR. シュトラウス/交響詩「英雄の生涯」。有名な交響詩ですが、私は実演に接したのは過去1度ぐらいで、まだまだ聴きどころが良く分かっていません。なので、今回楽しみにしていたのですが、前半は、居眠りには至りませんが、集中度が低く、音楽は、聞いてはいるが聴いてない状態。

中盤の第4楽章「英雄の戦い」に入ってやっと覚醒。生演奏ならではの凄まじいオーケストラの咆哮を堪能し、第5楽章「英雄の業績」ではどこかで聴いたことのある様々なピースが展開されます。そして最終楽章「英雄の引退と死」では、コンサートマスター郷古さんとホルン今井首席の美音がひと際目立ち、胸を打ちました。

大植さん、譜面台が随分低くセットしてあるのが不思議です。あんまり楽譜も見ている素振りも無いので、殆ど暗譜で振っているように見えます。シュトラウスの〈英雄〉が終わると、大きな拍手喝采を浴びていました。隣席のおじさんも大きな声で「ブラボー」。

今回は反省しきりの演奏会でございました。


<今回の振替席は定位置から左右逆転>


〈午後7時過ぎのNHKホール前。なかなかシュールな感じです>

第2005回 定期公演 Cプログラム
2024年2月9日(金) 開演 7:30pm(休憩なし) [ 開場 6:30pm ]
NHKホール

曲目
ワーグナー/ジークフリートの牧歌
シュトラウス/交響詩「英雄の生涯」 作品40

指揮:大植英次

 

No. 2005 Subscription (Program C)
Friday, February 9, 2024 7:30pm [ Doors Open 6:30pm ]

NHK Hall

Program
Wagner / Siegfried Idyll
R.Strauss / Ein Heldenleben, symphonic poem Op. 40 (A Hero’s Life)

Conductor: Eiji Oue

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梶谷 懐、高口 康太『幸福な監視国家・中国 』(NHK出版新書、2019)

2024-02-08 07:42:29 | 

タイトルを見て、中国の監視国家ぶりをレポートする本かと思いきや、内容は想像よりずっと深く、議論の射程も広かった。

筆者は、中国の事例を紹介しつつ、「人々のより幸福な状態を求める欲望が、結果として監視と管理を強める方向に働いているという点で、現代中国で生じている現象と先進国とで生じている現象の間に本質的な違いはない」(p28)との立場を取る。全世界で急速に進みつつある新しいタイプの「監視社会化」の流れの中に現代中国で起こっている現象を位置づける。

私自身、中国の先進IT国化を共産党独裁の下での特殊なテクノロジー社会の発展と捉えていたので、そのステレオタイプ的な見方が大きく修正され、気づきの多い一冊だった。

事象を見る一つの切り口は「道具的合意性」(あらかじめ決められた目的を達成しようとする場合に発揮される合理性)の暴走という視点である(例えば「治安体制の強化」という目的で新疆ウイグル地区で行われている監視体制)。

長くなるが、部分的に引用する。

「道具的合理性の暴走は私たちの社会とも無関係ではない。第一に、より便利に快適に過ごしたいという人々の欲望を吸い上げる形で、人々が好みや属性に従ってセグメント化・階層化されること、階層の固定化も社会の安定化のために仕方がないという現状追認的なイデオロギーで正当化することは、功利主義を主要価値として内在化させている社会、資本主義社会であれば、どこでも起こりうる。

第2にテクノロジーの進展は、私たちの社会でも一般の市民がその仕組みを理解することを困難にしている。市民の側が巨大民間企業や政府による管理・監視の動きを、適切に監視するハードルが上がっている。

第3に、監視技術を含むテクノロジーを社会の統治にどう役立て、どのように公共性を実現していけばよいのかという問題は、すぐに答えが出るような問題ではない。(pp..239-239)

「私達はどうすればよいのか。月並みだが、重要なのは、テクノロジーの導入による社会の変化の方向性が望ましいことなのかどうかを、絶えず問い続ける姿勢をいかに維持するかということにつきる。」(p.239)

私自身、道具的合理性に捉われて、テクノロジーを利用することで監視・管理を受け入れている部分が多分にあることに気づかされる。「どうすればよいのか」は筆者が認める通り月並みなのであるが、これを超える解決があるのだろうか。「利便性や安全性の向上」をスルーできるだろうか。

また、未来小説の読み方も大いに首肯する部分だった。テクノロジーの普及に伴う管理・監視によるディストピアは、オーウエルの『1984』が何かと代表的な著作として参照されるが、筆者はむしろ技術で人間が社会規範を逸脱した欲望を抱かないように「条件づけ」されて、人々が享楽的に欲望のままに振舞えるハクスリーの『すばらしい新世界』が描くユートピア的世界の方が、我々の未来像に近いと主張する。確かにその通りで、幸せ、便利、安全に飼いならされた人間や人間社会の行く末はどうなるのか。考えごたえのあるテーマだ。

学者である梶谷氏、ジャーナリストの高口氏の共著であるため、理論と現場のバランスが取れている。梶谷氏の議論は、「市民社会」「功利主義」、儒教などの「中国思想」に触れながら、内外の研究者や文学者の研究・作品を引用して展開するので、奥行きが深いともに、正確に理解するには結構な精読が必要だ。軽い気持ちで手に取った一冊だったが、新書の見かけによらず、かなり骨が折れる一冊である。

 

目次

第1章 中国はユートピアか、ディストピアか
    間違いだらけの報道/専門家すら理解できていない
    「分散処理」と「集中処理」/テクノロジーへの信頼と「多幸感」
    未来像と現実のギャップがもたらす「認知的不協和」
    幸福を求め、監視を受け入れる人々
    中国の「監視社会化」をどう捉えるべきか

第2章 中国IT企業はいかにデータを支配したか
    「新・四大発明」とは何か/アリババはなぜアマゾンに勝てたのか
    中国型「EC」の特徴/ライブコマース、共同購入、社区EC
    スーパーアプリの破壊力/ギグエコノミーをめぐる賛否両論
    中国のギグエコノミー/「働き方」までも支配する巨大IT企業
    プライバシーと利便性/なぜ喜んでデータを差し出すのか

第3章 中国に出現した「お行儀のいい社会」
    急進する行政の電子化/質・量ともに進化する監視カメラ
    統治テクノロジーの輝かしい成果/監視カメラと香港デモ
    「社会信用システム」とは何か/取り組みが早かった「金融」分野
    「金融」分野に関する政府の思惑/トークンエコノミーと信用スコア
    「失信被執行人リスト」に載るとどうなるか
    「ハエの数は2匹を超えてはならない」
    「厳しい処罰」ではなく「緩やかな処罰」/紙の上だけのディストピアか
    道徳的信用スコアの実態/現時点ではメリットゼロ
    統治テクノロジーと監視社会をめぐる議論
    アーキテクチャによる行動の制限/「ナッジ」に導かれる市民たち
    幸福と自由のトレードオフ/中国の現状とその背景

第4章 民主化の熱はなぜ消えたのか
    中国の「検閲」とはどのようなものか/「ネット掲示板」から「微博」へ
    宜黄事件、烏坎事件から見た独裁政権の逆説
    習近平が放った「3本の矢」/検閲の存在を気づかせない「不可視化」
    摘発された側が摘発する側に/ネット世論監視システムとは

第5章 現代中国における「公」と「私」
    「監視社会化」する中国と市民社会/第三領域としての「市民社会」
    現代中国の「市民社会」に関する議論/投げかけられた未解決の問題
    「アジア」社会と市民社会論/「アジア社会」特有の問題
    「公論としての法」と「ルールとしての法」/公権力と社会の関係性
    2つの「民主」概念/「生民」による生存権の要求
    「監視社会」における「公」と「私」

第6章 幸福な監視国家のゆくえ
    功利主義と監視社会/心の二重過程理論と道徳的ジレンマ
    人類の進化と倫理観/人工知能に道徳的判断ができるか
    道具的合理性とメタ合理性/アルゴリズムにもとづく「もう1つの公共性」
    「アルゴリズム的公共性」とGDPR
    人権保護の観点から検討すべき問題
    儒教的道徳と「社会信用システム」/「徳」による社会秩序の形成
    可視化される「人民の意思」/テクノロジーの進歩と近代的価値観の揺らぎ
    中国化する世界?

第7章 道具的合理性が暴走するとき
    新疆ウイグル自治区と再教育キャンプ/問題の背景
    脅かされる民族のアイデンティティ/低賃金での単純労働
    パターナリズムと監視体制/道具的合理性の暴走
    テクノロジーによる独裁は続くのか
    士大夫たちのハイパー・パノプティコン
    日本でも起きうる可能性/意味を与えるのは人間であり社会
    
    おわりに

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ミッキー最後のN響定演:井上道義、N響、ショスタコーヴィチ交響曲 第13番「バビ・ヤール」ほか

2024-02-05 07:30:03 | 演奏会・オペラ・バレエ(2012.8~)

井上道義氏(以下、ミッキー)のN響での最終定期演奏会。メインのショスタコーヴィチ交響曲第13番「バビ・ヤール」は最後に相応しい渾身の演奏でした。

「バビヤールの大虐殺」は歴史として知っているものの、ショスタコーヴィチの「バビ・ヤール」については、楽曲のテーマや音楽自体も初めてです。開演前にプログラムノートと歌詞を読んで、まさに現在にも通じるそのテーマの重さ、深さにたじろぎました。

そして、演奏はミッキーの指揮の元、アレクセイ・ティホミーロフの迫力あって深みある低音、オルフェイ・ドレンガル男声合唱団のメリハリある美しいコーラス、そして前のめりのN響メンバーのアンサンブルと個人技による三位一体のスーパーパフォーマンスでした。

プログラム誌「フィルハーモニー」には亀山郁夫先生の訳詞が掲載されていましたが、訳詞の一つ一つの言葉に命が吹き込まれ、目前と脳内の双方で詞の世界・思想が展開されていきます。歌唱・演奏そのものは劇的な効果やメッセージ性を強調したものというよりも、むしろ作曲家の音楽を純粋に再現する姿勢に感じました。それがかえって詞の重みを浮かび上がらせているような気がしました。最終楽章のコンマス郷古さんのソロはこの世界の無常観を表現したような美しさに打たれました。

終演後は、ほぼ満員のNHKホールから歓声と最大限の拍手が寄せられ、ミッキーを初め、出演者たちを讃えます。何度も何度も呼び出されるミッキーは、ダンスを含めて聴衆サービスも惜しみません。引退にはまだまだ早い気もしますが、自分のキャリアのゴールラインを決めて最後まで最高の音楽を聴かせてくれようとする姿勢は素晴らしいですね。私はあと、何回聴けるのだろう。

前半は、バビヤールとは正反対の楽しいワルツ系の小品が2つ。このプログラムでどうしてヨハン・シュトラウスII世?と思ったのですが、プログラムによるとロシア皇帝にまぬかれていたパヴロフスク滞在時に作曲されたことと、その次のショスタコーヴィチの組曲の3曲目の<小さなポルカ>を踏まえた選曲であろうとのこと。なるほど。

 

第2004回 定期公演 Aプログラム
2024年2月4日(日) 開演 2:00pm [ 開場 1:00pm ]

NHKホール

PROGRAM

ヨハン・シュトラウスII世/ポルカ「クラップフェンの森で」作品336ショスタコーヴィチ/舞台管弦楽のための組曲 第1番 -「行進曲」「リリック・ワルツ」「小さなポルカ」「ワルツ第2番」
ショスタコーヴィチ/交響曲 第13番 変ロ短調 作品113 「バビ・ヤール」

指揮:井上道義
バス:アレクセイ・ティホミーロフ
男声合唱:オルフェイ・ドレンガル男声合唱団

Subscription Concerts 2023-2024Program A
No. 2004 Subscription (Program A)
Sunday, February 4, 2024 2:00pm [ Doors Open 1:00pm ]

NHK Hall

Program

Johann Strauss II / Im Krapfenwald’I, polka française Op. 336 (In Krapfen’s Woods)
Shostakovich / Suite for Variety Orchestra No. 1 —March, Lyrical Waltz, Little Polka, Waltz II
Shostakovich / Symphony No. 13 B-flat Minor Op. 113, Babi Yar*

Conductor: Michiyoshi Inoue
Bass: Alexey Tikhomirov
Male chorus: Orphei Drängar

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全国若手落語家選手権本選に行ってきた @紀伊国屋サザンシアター

2024-02-03 08:00:40 | 落語

全国若手落語家選手権の本選なるものに行ってきたのだが、なかなか楽しいイベントだった。

もちろん真打達の芸は素晴らしいのだが、二つ目あたりの若手落語家さんは真剣だし、新作落語など新しい事にもチャレンジしたりして、違った楽しさがある。

紀伊国屋サザンホールでの本選では、勝ち残った4名の落語家がそれぞれ持ち時間20分で落語を披露し、6名の審査員と会場の聴衆の投票で優勝が決まる。審査員は25点、お客さんは1点の持ち点であるが、意思決定に参加できるのは、寄席やホールで聴く落語よりも、真剣度が高くなる。

四者四様の芸でとっても楽しかった。古典をやったのは一花さんだけ。他の3人は新作落語。うち笑利さんは上方落語。予選を勝ち抜いた4名ではあるがさすがに本選ともなると緊張するのか、過去に何度か実演に接したことのある一花さんも、いつもより硬さが感じられたのは気のせいだろうか。順番はじゃんけんで決まっているというが、順番による好不運もあるように感じた。前の人を受けて、まくらでどう自分のペースにもっていくか、瞬発力の世界だろう。

優勝は審査員票、聴衆票の双方で圧倒的な得票を得た吉笑さんが優勝。コロナ期に考えたという自作落語「小人十九」は、「言葉警察」のまくらから一貫した流れがある練りに練られたもの。大笑いの連続で、優勝は文句なしという感じだった。

採点結果の発表、審査員や志ん輔師匠の講評も愛と鞭のコメントでとっても楽しかった。勝ち負けが出る大会ではあるものの、会場はアットホームな雰囲気が満ち溢れていた。ほんわか気分一杯で会場を後にした。

2024年1月28日 @紀伊国屋サザンシアタ

 

転失気 枝平
神に誓って 笑福亭笑利
のめる 春風亭一花
小人十九 立川吉笑
変身 柳亭信楽
火事息子 古今亭志ん輔

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篠田 謙一『人類の起源 -古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」』 (中公新書, 2022)

2024-02-01 07:31:54 | 

ゲノム解析で人類の歩みを明らかにする一冊。先に読んだ『交雑する人類』がなかなか難解だったこともあり、同じテーマの本書を手に取った。

諸説は残るものの6万年前以降に「出アフリカ」を果たしたホモ・サピエンスがネアンデルタール人やデニソワ人との交雑を経て、中東からインド、東南アジア、中国に進出し、日本にも到達する。またユーラシア大陸を東に進んだ集団は、約2年前にベーリング陸橋を超えて新大陸に進出。そして、南北アメリカへも進んでいく。DNA分析をもとに、壮大な人類の物語が描かれる。

新書という形式や、翻訳ものでは無くて日本人の学者さんの著述ということもあってか、内容は被る所も多々あるが、『交雑する人類』よりもずっと整理された形で分かりやすい。入門としては本書の方が適しているだろう。

『交雑する人類』では記載が少なかった日本列島集団の起源についても1章を割いて解説されるのも嬉しい。縄文人は旧石器時代にさまざまな地域から入って来た集団によって形成されていて、列島に均一の集団が居住していたわけではないこと。「本土の現代日本人に関しては渡来した人々の影響が非常に大きく、ルーツを考えるのであれば、主に朝鮮半島に起源をもつ集団が渡来することによって、日本列島の在地の集団を飲み込んで成立した、と考えるほうが事実を正確に表している」(p.212)ということだ。

最終章は古代ゲノム研究の意義について筆者の持論が展開される。歴史の教科書では、アフリカでの人類の誕生の後に4大文明が語られ、そこに至るまでの人類の道のりについては記載がないことが指摘しこう述べる。

『こうした教科書的記述に欠けているのは、「世界中に展開したホモ・サピエンスは、遺伝的にはほとんど同一といっていいほどの均一な集団である」という視点や、「すべての文化は同じ起源から生まれたのであり、文明の姿の違いは、環境の違いや歴史的な経緯、そして人びとの選択の結果である」という認識である。』(p.267)

アプローチは全く異なるが、昨年読んだジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』 の主張と強く符合する。

分かりやすい記述の新書ではあるものの情報量はとっても多い。何度も読み返してみたい一冊だった。

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