その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

姫路・神戸の旅(4):恒例の旅ランで神戸観光(後半)

2025-01-31 17:39:22 | 旅行 日本

生田神社を出て、坂を登って北野の異人館が立ち並ぶエリアへ。1キロぐらいの距離で、雰囲気が三宮の繁華街から異国風住宅街にガラッと変わります。


(英国館)

一帯は、見物に来るには良いけど、坂道や階段ばかりで生活はしずらさそう。

異人館街の中心部北側には北野天満神社があります。階段上って本殿のある境内に立つと神戸の町が一望のもと。視線の先には神戸港があります。坂道を上ったり下りたりした疲れも吹き飛ぶ眺望です。


(素晴らしい眺め)


(風見鶏の館)

丘を下りて、再び元町エリアへ。中華街を見物します。まだ朝の10時前なのでお店は開店準備を始めたばかりで、人通りはまばら。横浜の中華街をぎゅっと圧縮した、こじんまりとした印象ですが、密度は濃さそう。肉まんでも食べたいところですが、まだ早すぎなのが残念です。

中華街を通って、旧居留地エリアを通過して神戸駅前に到着。約2時間かけて、走ったり見物したりの観光ランでした。ランニングの軌跡は下のガーミンの記録どおり。これで10キロ強。様々な表情を持つ神戸をクイックに楽しめて、満足感も一杯でした。

お昼から本来の用事に入り、夕刻に新大阪駅から東京へ帰ります。新大阪駅で、最後の関西の食は駅構内の「浪花そば」できつねうどん。麺は普通ですが、お出しのきいた汁が美味しかった。

用事にひっかけた駆け足の姫路・神戸でしたが、姫路城にも行けたし、旧友たちにも会えて、とっても満足度高い旅行となりました。

(2025.1.18‐19)

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姫路・神戸の旅(3):恒例の旅ランで神戸観光(前半)

2025-01-29 07:30:01 | 旅行 日本

姫路から神戸に到着し、その夜は神戸・大阪在住の学生時代の友人たちと一杯。ハーバーエリアのビアホールで楽しいひと時でした。

(神戸っぽい夜景)

翌日の日曜日。自由時間は11時までなので、恒例の旅ランで神戸の主要エリアを巡ることにしました。

7時45分に神戸駅チカに取ったホテルをスタートし、まずはハーバーランド・エリアへ。まだ朝なので人もまばら。神戸らしい港の様子を楽しみながら、走ります。


(穏やかな水面が朝日を受ける)


(神戸港旧信号所)


(モザイク大観覧車)


(神戸港の遊覧船もまだサービス前)

 

メリケンパーク。有名な神戸ルミナリエは1週間後なので、設営中でした。

メリケンパークに隣接して、神戸港震災メモリアルパークがあり、当時の様子や復興についてパネル展示があります。丁度、30年前の2日前が震災の日。黙祷を捧げます。

海洋博物館を通過し、三宮駅方面に。途中、東遊園地に立ち寄り。園内には阪神淡路大震災の慰霊と復興のモニュメントが設置されていました。長田高校野球部のメンバーが黙とうをささげていました。この後、甲子園まで20キロ弱をランニングするとのこと。


(海洋博物館はまだ開館前)


(神戸税関。神戸っぽい)


(東遊園地 希望の灯)


(上皇后の復興を願う歌碑)


(長田高校野球部員も希望の灯を囲んで黙祷)


(日本マラソン発祥の地だそうだが、本当なのかしら?)

三宮駅付近まで来ると、港エリアと雰囲気がガラッと変わり、いわゆる商業地。駅の北側は歓楽街的なエリアになっていて、まだこの時間は前夜の喧騒が偲ばれるゴミの山とけだるい雰囲気が残っています。


(面白いボードマップだったので、一枚ぱちっ)

折角なので、有名な生田神社に立ち寄りました。神戸の名の由来となった神社とのことです。(「大同元年(西暦806年)朝廷より当社の為にお供えする家、世話をする家、守る家である神戸(かんべ)44戸を頂いたとあり、この「かんべ」が「こんべ」となり現在の「こうべ」となったと伝わっています。」(ホームページより)。観光客や地元の人で朝から人が絶えることがありません。庶民的な、生活に根付いた神社との印象です。


(生田神社 オープンで地元の雰囲気たっぷり)


(本殿)

敷地奥には源平合戦の舞台として、平知盛が陣を引き、この辺り一帯が戦場となったという生田の森がありました。


(平知盛が陣をはり、一帯が戦場となったという生田の森)

 

2025年1月25ー26日

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姫路・神戸の旅(2):驚きと感動の姫路食べ歩き

2025-01-23 07:28:03 | 旅行 日本

姫路での滞在時間はわずか4時間半で、そのうち2時間以上は姫路城で使ったので、極めて限られた時間であったのだけど、城だけでなく食の方も堪能しました。

お昼に到着したので、城見学の前にランチ。姫路に4年間単身赴任していた高校時代の同級生のお勧めで、駅とお城の間に位置する福亭に入りました。一人で入るには敷居の高そうな感じがする外観で、店内は個室とテーブル席が余裕もって配置されていて、BGMにクラシック音楽が流れるエレガントな雰囲気です。(友人のアドバイスで一人でも事前予約しておいた方がよさそうです。ネット予約だと2人からの予約ですが、電話したところおひとり様でも予約入れてくれました)

 


(お店の正面)

次いつ訪れることが出来るかわからないので、ランチのお膳のメニューの中から上等な品を選び、地酒と一緒に頂きました。どの品も美味しいですが、アナゴ丼が口の中でアナゴの肉と脂が馴染み特筆もの。日本酒は田中酒造所の「白鷺の城」。切れがありながら、ふっくらとした甘みもあり、薄味の料理にしっかりとあいました。


(豪華な御膳です)

お城見学のあとに、「お土産はまずここから」と友人に勧められた伊勢屋本店を訪問し、「玉椿」を購入。写真撮り忘れましたが、巨峰の実を一回り大きくしたサイズのお饅頭は、柔らかい皮に包まれた白餡はとってもお上品な味で、万人に好まれそう。


(伊勢屋本店)

伊勢屋本店から駅に向かう途中に匂いに吸い寄せられたのが、<鯛焼本舗 遊示堂>で鯛焼きを焼く匂いでした。薄い皮にアツアツのあんこがたっぷり。これがなんと(たしか)160円。新橋の鯛焼きやは260円ぐらいする店がありますが、決して引けを取りません。甘いものはホントに気分を幸せにしてくれます。お城巡りの疲れも吹っ飛びました。

そして、とどめを刺されたのが、神戸に向かう在来線のプラットフォーム。なんとホームの上に列車仕様の店舗が。いわゆる駅の売店かと思ったら、駅構内のスタンドそば屋さん。しかも、名前もえきそば。昼の御膳と鯛焼きでお腹一杯でしたが、ここは入らないわけには行かないと、意を決して入店し、きつねそばを頼みました。

そして、出てきたソバにびっくり。関西風のうす塩醤油だしのうどん汁に中に入っているソバがなんと中華麺。まるっきりの初体験ソバでした。中華麺ながら、和風出汁との相性はとっても良く、これはこれで美味。汁もすべて飲み干して「ごちそうさまでした」。

驚きと感動の姫路の食を堪能し、在来線でこの日の宿泊地神戸へ向かいました。


(源氏物語にも出てくる須磨の浜近辺)


(海が近い)

 

2025年1月18日

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姫路・神戸の旅(1):ため息出るほどの圧倒的な姫路城!

2025-01-21 07:24:00 | 旅行 日本

日曜日に神戸で用事があったので、前日に関西入りして姫路城を訪れました。2、3歳の頃、若き両親と一緒に行った写真は残っているのですが、記憶には全く無いので、一度行ってみたかったところでした。世界遺産、国宝に相応しい、その文化遺産に圧倒されました。


(姫路駅からお城を一本道で結ぶ)


(正面から)

まず、その姿の美しさには息をのみます。冬の青空を背景に、広大な城敷地のなかにそびえ立つ城はまるで富士山のよう。どの角度から見ても美しい。見とれてしまうだけでなく、気持ちが高揚していくこの建物の力って美しさの裏側に怖さを感じるほどです。本丸の大天守だけでなく、外周をめぐる砦群も残されているのも、その要塞としての美しさがあります。天守から見下ろす、市内の景観も素晴らしいのですが、この連なる砦群の美しさも格別でした。


(天守から西の丸方面を見下ろす)


(西の丸からの天守)

そして、その歴史的遺産としての価値も計り知れません。城壁の石組み、堅牢な門、城内の図太い梁や支柱、武者隠しなどの作りなどなど、まさに17世紀からの要塞としての残像が感じられます。日本の城でここまでのホンモノぶりが感じられるのは、国宝クラスに限られるのですが、姫路城はまさにその中のキングですね。間違いなく日本一。


(石垣にものまれる)




(壁の刀、鉄砲掛け)


(いろんな角度から写真を撮りたくなってしまう、どこから見ても美しい城)


(「番町皿屋敷」ならぬ「播州皿屋敷」のお菊さんが身を投げたという井戸)

天守閣だけでなく、是非、西の丸の長局(百間廊下)も立ち寄ることをお勧めします。延々と続く櫓と櫓を結ぶ部屋部屋や廊下は城勤めの召使や物置など当時の生活が想像できます。本多忠刻と再婚した千姫に仕える女中たちも此処に居住したとか。


(倉庫として使われていたという部屋が延々と続く百間廊下の一部)

また、城内の展示・解説も必要最小限に抑えられていて歴史遺産そのものを感じることの方を重視されているようで好感が持てます。チケットと同時に渡されるガイド冊子で十分。私はオーディオガイドは借りませんでしたが、チェックポイントの見逃し防止やガイドに目を落とすのが面倒だと感じられるかたはオーディオガイド借りるのもいいかもしれません。

城を出た後はぶらぶらと敷地を一周。特に城の裏側には千姫の小径というお濠と小川に挟まれた、とっても落ち着いた小径が合って散策には最適。多くの観光客で賑わう城内とは全く違った風情を感じることが出来ます。時間あれば、是非。また、滞在時間は2時間半ほどで私は行けなかったのですが、好古園という庭園も敷地に隣接していますが、神戸在住の友人によるとここも素晴らしいとのこと。また、再訪の機会に是非、訪れてみたいと思います。


(千姫の小径)

 

2025年1月18日

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2024年秋 福岡/博多(最終回):みずほPayPay(福岡)ドームに行ってきた!(+博多_旅ラン)

2025-01-03 10:43:37 | 旅行 日本

最終日には、一度訪れてみたかったみずほPayPayドームへ。ソフトバンクホークス対楽天イーグルスの試合を観戦しました。プロ野球観戦も数年ぶり。


(大きくて広い!)

ドーム球場は、私には東京ドームとナゴヤドームしか経験ありませんが、素晴らしいドームでした。チケットは1塁側1階席の奥でしたが、その見やすさに驚嘆。フィールドがすぐ近く、選手のプレイも臨場感一杯に楽しめます。


(電光掲示板も巨大)


(経験ない見やすいスタンド)

雰囲気も良いですね。ほぼ満員の観衆、とりわけリーグ優勝を目前にしたホークスファンの盛り上がりは、ホークスファンではない私でもワクワクさせてくれます。


(7回裏前、風船が舞います)

PayPay払いだと球場内の飲食が割引になるのも、さすがと感心しました。

久しぶりの野球観戦を満喫して福岡のイベントは終了。満足度120%の福岡旅行でした。

 

<その他の博多の立ち寄り処>

【2日目の朝ランで福岡城、大濠公園へ】


(6:00 日の出に併せて出発@那賀川)



(お濠は蓮の葉で一杯)


(昔の平和台球場(懐かしい~)の跡地。広場になってます)


(福岡城の石垣)


(天守はありませんが、本丸跡から大濠公園を望む)


(大濠公園)


(6時40分にはランナーが一杯。まさに福岡ランナーの聖地の趣)

【3日目の朝ランは港へ】


(博多ポートタワー)


(時折小雨がぱらつき、あまり楽しめないラン)

2024年9月20-22日

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2024年秋 福岡/博多(3): 博多旧市街の寺社仏閣見学

2025-01-02 07:53:37 | 旅行 日本

下手に出張で何度も来ているものだから事前の情報収集が甘く、かつ購入したガイドブックは8割がた飲食店の紹介だったので、博多の歴史文化を知るのにどこが良いのか良く分からないままだったのですが、偶然、街中で「博多旧市街エリア散策マップ」なるものを見つけ、これを参考に祇園エリアを散策しました。

【楠田神社】

ここは出張時の空き時間に来たことがあったので再訪です。博多の総鎮守さま。博多の生活に根付いた風情があります。博多祇園山笠が奉納される神社でもあり、山笠も展示してあります。

【東長寺】

唐から帰国した空海が創建と伝えられています。本堂の建物自体はコンクリですが、隣接する建物に福岡大仏なる木造の大仏様が鎮座されています。仏像自体はさほど古いものではありませんが、大仏を見上げると包み込まれる様な包容力を感じ、癒されます。大仏の台座内には、地獄絵巻があって、続いて長野の善光寺のような真っ暗な通路を壁伝いに歩くようになっています。


(福岡大仏の絵葉書から)


(六角堂 市の文化財指定されてます)

 

【聖福寺】

建久6年(1195年)に栄西禅師を開山として創建された日本最初の禅寺です。東長寺の裏側にあるのですが、街地図を観ながら偶然訪れたのですが、禅宗のお寺らしい落ち着いた佇まいが魅力的です。京都や鎌倉にありそうな、静寂に包まれた境内は博多の賑やかさとは別世界です。ここはとってもお勧めです。


(山門)


(仏殿)


(丈六三世仏(弥陀、釈迦、弥勒))

 

【承天寺】

「日本におけるうどん・そば・饅頭などの粉食文化や博多織の発祥地。また、博多祇園山笠の発祥地でもあります。鎌倉時代(1242年)、弁円(円爾)が、太宰少弐藤資頼や宋人貿易商で巨万の富を有していた謝国明の助力を得て開いたお寺。」(博多の魅力HPより)


(「饂飩発祥の地」というよくわからない碑)

この界隈は寺社町になっていて、この他にもちょっと覗きたくなるお寺が集まっています。気の向くまま、足の向くまま、ちょっと訪れるそぞろ歩きが楽しいです。

(博多千年門:博多の寺社町エリアへと導くウエルカムゲート)

2024年9月21・22日

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2024年秋 博多/福岡(2):天満宮だけでない太宰府

2024-12-30 20:42:24 | 旅行 日本


(西鉄の太宰府駅ホームも天神様風)

2日目は朝から太宰府観光に出かけました。 太宰府天満宮と九州国立博物館は、出張のついでで訪れたことがあったので(15年以上前ですが)、 今回は天満宮以外にも足を延ばしました。

連れが太宰府初めてだったので、まずは天神様にお参り。残念ながら、「御本殿」は令和の大改修中で、とってもモダンな仮殿が建ってました。

 


(仮殿の屋根の上は草木で覆われていました)

天神さんの後は、楽しい参道の梅枝餅の食べ比べ。そして、大宰府政庁跡に向かって歩きます。天満宮から20分ほど歩くと、途中、観世音寺があります。観世音寺は天智天皇の御世に670年頃に創建され、戒壇設置の寺(僧になるための機関)でした。唐から帰国した空海も身を寄せていた歴史あるお寺です。宝蔵には本尊の不空羂索観音像(517センチ)や馬頭観音立像(503センチ)など重要文化財の仏様が十六体も展示してあります。撮影不可で写真をお見せできないのが残念ですが、圧倒される迫力でした。

 


(観世音寺のパンフレットより)


(戒壇院)

観世音寺からは数分で大宰府政庁跡につきます。広い跡地は奈良の平城京跡を思い起こさせ、「西の都」に相応しい様都跡です。大宰府展示館という博物館があって、史跡から出土した史料などを展示し、古代大宰府の歴史や文化、役人の官職などについてパネルやジオラマで紹介されています。簡易なものですが、「遠の朝廷」と称されていたことも理解できます。

 


(政庁跡)


(大宰府展示館のジオラマ)

この訪問時はまだ大河ドラマ「光る君へ」おいては大宰府は、まひろ(紫式部)の夫である藤原宣孝が赴任したことがある地ぐらいの扱いでしたが、この後、道長の甥、藤原隆家の赴任や刀伊の乱で物語の中心舞台ともなり、改めてこの地の重要性について触れることが出来ました。

今回は立ち寄らなかったが九州国立博物館も素晴らしいので、太宰府を訪れる際は、天満宮だけでなく、博物館と大宰府政庁跡周辺を加えて一日のコースにすることも良いと思います。特に、仏像好き、歴史好きには惹かれるところ多いはずです。

2024年9月21日

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2024年秋 博多/福岡(1):食い倒れの旅

2024-12-29 14:26:50 | 旅行 日本

今年9月に行った2泊3日の博多・福岡旅行の記録です。

仕事では何度か訪れている福岡ですが、プライベートでの旅行経験なく、今回が初訪問となります。事前に『マップル 福岡』を購入しましたが、一冊のうち8割近くは飲食店のガイド。旅行中に行ったお店、食べたものご紹介となります。

【たら福 大名店】

福岡営業所に勤務経験のある以前の職場の同僚に紹介されたお店。九州料理を広く、気楽に楽しめる居酒屋さん。初日の夜に訪れましたが、海鮮物を中心にした料理はどれも美味しかった。古民家風のお店の外観や内装も、旅行気分を盛り上げてくれました。

【暖暮】
2日目の昼食。博多/福岡に来たらやっぱりラーメンは必食。数多いのでお店選びに困るところですが、あまり選り好みしている時間も無かったので、目についたこちらへ。普段はとんこつラーメンはあまり食べないのですが、思いのほかさっぱりと食べやすいし、丁寧に作られているのが良く分かりました。

九州内、いくつも支店を出しているようで、私が訪れたのは太宰府駅前のお店です。

【やきとり八兵衛】

2日目の夕食。こちらも昔の同僚に紹介された店。オープンキッチンでカウンター席のみ。モダンな店のつくりで、厨房もサービスも比較的若い人が多い。私たちのケアをしてくれたサービスのお兄ちゃんは、ジャニーズのようなイケメン君でした。

焼き鳥のコースでお願いしましたが、相方が内臓ものが苦手なので、他の串に入れ替えてもらいました。どれも美味です。

【かろのうろん】
新橋の職場近くに「博多うどん」のお店があって、そこがとっても美味しいので、一度現地で食べて見たかった。櫛田神社からすぐのところにある有名店です。

薄口ながらもしっかりしただし汁に柔らかい独特の麺が絶妙にマッチしてとっても美味しいです。店内は撮影厳禁なので、うどんの写真は店の前のサンプルから。食べたのは、ごぼう天うどんですが、これは一色の価値ある美味しさでした。

博多/福岡、どこもとっても美味しく、旅の半分以上は満たされた気分でした。

 

(付録)夜の中州の屋台はお腹一杯で入れず、見学のみ

2023年9月20-22日

 

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2024年秋 山中湖の紅葉・富士山

2024-12-13 07:30:23 | 旅行 日本

先月上旬、山中湖を訪れた時の記録です。例年、この時期は紅葉最盛期なのですが、今年は違いました。長~い夏の影響で、一部の紅葉はありましたが、全体的にはまだまだ。この時期行われている「もみじ祭り」も開催期間を1週間延期していました。

以下、秋の山中湖の一日(朝~夕)の様子です。

まずは朝の6時前後。恒例の朝ランの途中です。前日が風雨の天候だったので、朝は塵の無い、澄み切った朝の空気でした。

午前中は湖畔をサイクリング。まだ冷たい空気が気持ちいいです。一部、紅葉しているスポットを中心にスナップ撮影。



夕刻は一応、「もみじ祭り」の会場へ。紅葉はまだまだでしたが、夕暮れ時の山中湖と富士山は息を飲む美しく、幻想的な光景でした。山中湖には毎年来てますが、ここまでブラボーな夕暮れ時は滅多にないなあ。

 

2024年11月3日

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2024年秋 箱根の紅葉

2024-12-08 07:19:39 | 旅行 日本

先月下旬、紅葉狩りに箱根を訪れた時の記録です。

時期的にも混雑間違い無しでしたので、同行の母のリクエストで箱根美術館の一本勝負。敷地内にある神仙郷という春の新緑とともに紅葉の美しさでも知られている庭園がお目当てです。(私は秋の訪問は初めて)

前日に箱根入りしたので、朝、10時過ぎに入園。朝陽に照らされる紅葉の木々が眩しいほどに輝いていました。

途中、真和亭という休憩所でお茶を一杯頂き、リラックス。古代土器や日本各地の焼き物などが展示される美術館本館も覗いて、1時間半余り、今年の秋を満喫しました。


[本館から相模湾を望む]

お昼時には山を降り、小田原で地酒と地魚も入った海鮮丼を頂き、満足満足。

 

2024年11月24日

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2024年夏 高知の旅(最終回)まとめ

2024-09-03 07:30:09 | 旅行 日本

いよいよ最終日。7:40発の飛行機のため、朝6時前にホテルをチェックアウト。まだ朝早すぎで、高知観光の看板でもある日曜市に足を運ぶことは叶わなかった。ただ、3泊4日(実質の現地稼働時間は2日+1/4日程度)の高知旅は、四万十川を始めまだまだ訪ねたいところはたくさん残っているものの、充実した時間で記憶に残る旅となった。


(空港行きバス停から空を見る。今日も暑そうだ)

自分なりの旅行の総括として、高知の良さ・印象を記録しておきたい。

一つは、圧倒的な観光資源の充実である。

高知城などの歴史的名所、仁淀川などの自然、そして何と言っても、鰹、鶏、日本酒と言った食。旅の様々な面白さが凝縮されているのが高知だと感じた。特に、食に関しては、素朴ながらも素材の良さを活かした料理が印象的で、どの飲食店も素晴らしかった。そして、それらが地酒と絶妙にマッチしている。

歴史的名所やその整備、見せ方も、派手な演出ではなく、堅実に歴史・文化を自分たちの遺産としてしっかり伝え、広めて行こうとする姿勢が感じられた。博物館も知的関心を十分に誘うもので、それなりの費用もかけて整理・展示しいる印象で、レベルも高い。

自然に関しては、十二分に堪能する時間もなければ活動もしてないが、少し触れただけでもその豊かさは十分に伝わった。


(高知県庁前から見る高知城)

二点目は、高知の町全体が古き良き地方都市の雰囲気を残しているように感じられるところだ。今、日本の地方都市は人口減やドーナツ化、東京化が進み、その地方ならではの特徴や良さが少しづつ失われている。これは私の全くの感触だが、高知はその点、個性一杯の地方都市だった。

中心地にはエリアごとに商店街が残っている。商店街はシャッター街でなく個人商店も多く並び、学生や町の人が訪れる。生活の足としての路面電車のある風景も、関東の人間には嬉しい。そして、タワーマンションも無い。生活と観光が一体となった活気を感じる。あくまでも私の肌感覚でしかないし、もちろん影の部分もあるのだろうが、例えば同じ県庁所在地でも、(個別名出して恐縮だが)東京の隣県である山梨の県庁所在地である甲府とはその活気度が大きく異なる。そうした点が滞在していて、実に快適で心地よかった。


(帯屋町商店街)


(アンパンマンの路面電車)


(CoCaColaの路面電車)

三つめとして、非常に限られた人としか話してないが、龍馬屋の大将やおねえさん、高知城のボランティアガイドの方、久礼大正市場で取り合わせた室戸からのご夫婦、みなさん自然なホスピタリティのある方々で、記憶に残る一期一会だった。数限られた事例で高知県の人を語るつもりはないが、その他の方々との事務的な会話を含めて、とっても気持ちよく過ごせたのは、偶然では無いような気がする。

高知とは全く関係ない自分の話で恐縮だが、よくよく考えてみると、私自身、全く未踏の地に滞在したのは随分と久しぶりだった。新しい土地を訪ねるのがとっても刺激的で、気づきも多いことを再認識した。日本国内でも未踏の県、土地はたくさんある。もっと、いろいろ行きたいし、行かねばだわ。

最後に、南海トラフ地震の注意報が出た時期であったが、各地で地震/津波の注意喚起がされているのが印象的だった。「天災は忘れたころにやってくる」というフレーズは高知出身の寺田寅彦の言ということも今回初めて知ったが、今や、日本の何処にいても自然災害は常態と考えた方が良い。高知に限ったことではないが、自分事として、災害への備えの重要性を改めて感じさせられた。


(久礼大正市場の無料休憩所には高知県の観光ポスターとともに、小学生作成の地震関連の掲示がある)

いずれにせよ、高知は旅行先としてとってもお勧めです。


(高知出身のレスリングの桜井選手、清岡選手の金メダルの記事を掲示してある高知図書館)


(さよなら、高知)

だらだらと9つの記事にわたって書いてきましたが、読んで頂いた方、ありがとうございました🙇

(おわり)

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最後の夜も美味い! @まるた商店:2024年夏 高知の旅(8)

2024-09-02 07:32:33 | 旅行 日本

だらだらと書き続けた高知旅行記もあと2回の予定。

須崎から16時頃に高知に戻る。レンタカーを返却し、ホテルで一休み。夕刻になって、お土産などの買い物に商店街をぶらついた。

高知最後の夜は、特に店を予約しておらず、有名な観光名所のひろめ市場のフードコートでいろんな料理をつまむのも良いかと思い市場へ向かった。

【ひろめ市場】

釧路の和商市場的な市場を想像していたが、海産物など生ものを扱うお店は少なく、特産品のお店や飲食店が多い。土曜日の夕食時ということもあってか、想像以上にすごい人出で、熱気がムンムン。これは台北の夜市の雰囲気だ。座席を確保するのも一苦労。さらにお店の前にも注文列ができている。この熱気と喧騒に飛び込んで、食事を楽しむにはエネルギー不足だった。


(鰹の藁焼き実演中)

【まるた商店】

ということで ひろめ市場からは早々に 退散し、商店街や 裏通りを徘徊し、食事処を探索。いくつかの店を覗いて最終的に落ち着いたのは、まるた商店というホテル近くのモダンな居酒屋さん。

魅かれたのは、この日出かけた久礼の沖合で取れた鯵を推しにしているところ。高知のアジとはいかなる感じか、試してみたかった。1階はカウンター席のみで既に一杯。カウンター越しに 見えた 厨房の人は 若い板前さんだったが、テキパキしてるし、厨房も綺麗で皆さんの動きに無駄がない。

2階のテーブル席なので、お店の人と会話する機会には恵まれなかったが、落ち着いて食事ができる環境は嬉しい。BGMは今風の洋楽だったので、お店のターゲットゾーンは若者かな。当日のお魚のお勧めメニューを手に取ると、全品頼みたいぐらい。期待が高まる。

頼んだ品々は 全て美味しく、お勧め通りアジ料理が特に最高だった。


(お通しの鰹の刺身)


(揚げ出しナス)


(アジの炙り・・・絶品でした!)


(鬼〆メジカ・・・お昼に食べた刺身の〆バージョン。身が締まって、刺身とはまた違う食感)


(鰹のたたき)


(〆に鯵の茶漬け)

このお店、食べログのポイントは3.1ぐらいで、決して目立ったものではないのが不思議。逆に、そういうお店に巡り合えるととっても嬉しい。

最終日の夜も高知は美味かった!

 

※週末夜のひろめ市場は、元気一杯で行くべし。
※まるた商店、お勧めです。

(3日目 夕~夜)

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久礼大正町市場でメジカの新子を食す!: 2024年夏 高知の旅(7)

2024-09-01 07:30:04 | 旅行 日本

10時過ぎににこ淵を出発し、この旅のハイライトの1つである久礼大正町市場へ向かう。今回の高知旅行にあたって情報を頂いた人から、「8月に高知に行くなら、ここのメジカの新子は外すな」とお勧めされたスポットである。

にこ淵からは70キロほど。上って来た仁淀川を下って、土佐ICから高速に入る。

【久礼大正町市場】

1時間半弱のドライブで久礼には11時半頃到着。久礼は昔からカツオの一本釣の漁師の町として知られ、青柳裕介の漫画『土佐の一本釣り』の舞台となった町である(私は「ビックコミック」で連載されていたのは覚えているが、当時は読んでなかった)。2011年に「久礼の港と漁師町の景観」として国の重要文化的景観に選定されたとのことだ。町の中をきょろきょろとしながら車を動かすが、人通りは殆どなく閑散とした町というか村という印象だ。

車を停めて、目的の大正町市場周辺に近づくと、急に人の気配が増す。ガイドブックには「11時に行けば、どこも開店済で丁度良い」と書いてあったが、11時半には市場はもう人でいっぱいで、熱気むんむんである。40mほどのアーケードのもとに魚関連のお店が並ぶ。

お目当てのメジカの新子とは「マルソウダ(カツオの一種)の生後1年未満の幼魚。獲れるのは8~9月の2か月間だけ!「朝釣った新子は昼までに食べろ」というくらい鮮度が落ちやすいので、地元で食べるしかない幻の魚です。」(「久礼大正町市場」パンフレット)。

新子を扱っている店(小屋)は限られているが、どこも行列をなしている。小屋の中で漁師のおかみさん風の女性たちが、今朝獲れたメジカを次々とさばいていく。「出遅れたか~」と思いつつ、一つ小屋の一つ雄誠丸に並んだら、数分後に丁度前の方で、「今日はここのお客さんまでで品切れです。」と、ダメだしを受けてしまう。市場にはメジカの新子を扱う各店舗の在庫状況がモニターで掲示されているという驚きの人気である。かなりのお店に既に×マーク(終了)が・・・。

メジカ目的でここまで来たのに危うく食べれないかと思ったら、まだ1店「とみぃの台所」という食堂で提供しているのをモニターで確認し、直行した。何とか注文するが、「50分ほどお待ちいただきます」とのことで番号札を渡される。 店内は既に満員なので、通りを挟んで向かいにある市場の無料休憩所で待つ。

その間、市場で買ったメジカの煮物をつつきながら待った。この煮メジカも十二分に美味しい。丁度、お隣に座っていた 初老のご夫婦とおしゃべり。コロナでなかなか外に出れなかったが、「4年ぶりに室戸から車を飛ばしてメジカを食べに来た」という。同じ高知の西(久礼)と東(室戸)なんだけど、「メジカの新子はこの地域でしか食べれないから」ということだ。奥様の方は、日本酒と一緒に実に美味しそうに食べられていて、期待感がますます高まる。

40分ほどで、メジカの新子定食登場。下したてのメジカに仏手柑(ゆずのような柑橘類)の皮を薄く擦ったものがまぶしてある。口に入れてみると、身が柔らかく粘り、しっかりした食べ応え。口の中一杯に身の甘みが広がる。美味い~。これは未体験の味だわ。日本酒と一緒に食べれれば、もう言うことなしなのだが、流石にドライバーなのでノンアルビールで我慢した。

 

食後は町の中を散策。まさに漁師の町という空気だ。ただ、照り付ける太陽が強すぎて倒れそう。ほどほどに切り上げ、2時前に町を後にした。


【須崎の鍋ラーメン】

続いて向かったのは隣町の須崎へ。ここでの目的は鍋焼きラーメンなるものの発祥の地ということだ。いまいちなぜラーメンを鍋焼きにしたのかは分からないが、前述の高知経験者も「是非、一度食べてみて」ということだった。発祥の店と言われ、最も有名らしい橋本屋さんは14時が閉店時間で間に合わず、「まゆみの店」というラーメン屋さんに伺った。

店内は普通と言えば普通のラーメン店だが、壁には多くの訪れたタレントの色紙や記念写真が貼ってある。お~、この人も来てるのかという感じだ。鍋焼きラーメン(しょうゆ)を注文し、待つことを10分ほど。土鍋の中でグツグツと煮たラーメンが登場。外は強い日差しだが、店内は冷房が十二分に効いているので鍋焼きうどん仕様なのだ。

スープはちょっと甘めの醤油味。生卵に竹輪の輪切りとネギが載っている。鍋焼きなので麺は太麺かと想像してたが、普通の太さの麵だった。確かに珍しいし、味もいけてる。

15時前に2回の昼食は終了。近くのJR四国の土佐新荘駅(無人駅)を見学して、高知市街への帰路についた。


(土佐新荘駅から)



高知は美味い~。

※季節や曜日にもよると思いますが、久礼大正町市場は11時には到着した方が良さそうです。

(3日目 昼時~午後)

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仁淀ブルー!:2024年夏 高知の旅(6)

2024-08-31 07:47:29 | 旅行 日本

3日目。帰京は翌日だが、朝一番の飛行機なので、この日が活動最終日。行先は悩みに悩んだ。仁淀川・久礼を経由して四万十川まで足を伸ばすのがもともとの計画だったが、暑さと各スポットの面白さで想定以上に体力消耗していて、往復200キロになるであろう四万十川への日帰りは、ただ行って帰ってくるだけのドライブになりそうな予感。四万十川は次回の訪問を誓って断念した。

ということで、この日は仁淀川と久礼を主要訪問地に設定し行動開始。

【仁淀川 沈下橋】

仁淀川は四万十川に劣らず、その透明度の高さで有名な川(水質日本一)だが、下流水域は高知市街から15キロほどしか離れていない。あえて高速道は使わず、国道を使って高知郊外の風景を楽しみながら西方向に向かった。途中、昔、甲子園を沸かせた伊野高校があったり、JR土讃線ととさ電(高知市街から伸びている路面電車)が国道を挟んで並行して敷設してある区間があったりで楽しかった。

仁淀川に出ると、川に沿って北上。この辺りは土佐和紙の産地であるようで、工房や博物館がある。中流域に達すると、写真や映像ではよく見かける沈下橋なるものがあった。水量が増した際に橋が水面下に沈むようになっている、欄干が無い橋である。ここの橋は名越屋沈下橋と言い、仁淀川で最も下流にある沈下橋で、長さ191mと仁淀川に架かる沈下橋の中で一番長い橋とのこと。車を止めて、橋や周囲を散策。車一台分ほどの幅しかないが、住民の生活道路の一部でもある。車が通るときの、通行人の一時退避場所も確保されていて、なるほどこういう仕組みなのかと納得。

広い河原、美しい水と川、周囲を覆う緑。いかにも四国っぽい風景に暫し浸る。のどかな風景の一部となった心地よさは格別だ。




 

【にこ淵】

更に、上流に上って、「仁淀ブルー」で有名なにこ淵に向かう。途中で本流から離れるので、正確には仁淀川では無い。名護屋橋から30キロ程、30-40分で到着。

山に囲まれた谷合の淵なので、谷にかかった金属製の急階段を80段ほど降りて、淵に到着。確かに美しい水が輝くさまは神秘的な美しさである。時間は丁度11時前。太陽が頂点に向かって上がっている最中で、時間が経つに従って、光に反射して水の青緑の度合いが高まり、どんどん美しさを増していく。ここの美しさは、天気と時間に大きく左右されることが実感として分かった。天気はパーフェクトだったが、時間帯は太陽が一番上に上る(谷を上から照らす)正午前後がベストだろう。逆に朝方や夕刻では、淵に陽が当たらず、輝きは味わえないだろう。

しばしその場に佇み、エリア一杯に満たされているマイナスイオンを浴び、吸い、体を浄める。とっても涼しいというまでには至らないが、下界の暑さはここでは感じない。エネルギーが満たされていく感覚を味わった。

仁淀川には、まだまだ渓谷や他の沈下橋などまだまだ見どころはあるようだが、後ろ髪引かれる思いで、この日のもう一つの目的である久礼大正市場に向けて出発した。

※「にこ淵」に行かれる方は、天気や訪問時刻を最大限考慮したほうが良いです。天気はコントロール難しいですが、極力、太陽が出る日。訪問時刻はお天道様が高く上がる正午付近。きっと季節により陽の位置も違うだろうから影響しそうですが、私にはわかりませんでした。

 

(3日目 午前)

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旅ラン in 高知 石碑オリエンテーリング:2024年夏 高知の旅(5)

2024-08-30 07:35:19 | 旅行 日本
高知3日目。この日もスタートは朝の旅ランから。
 
高知市街(高知城下)の特徴の一つは、町中のいたるところに日本史ゆかりの傑物たちの石碑があることだ。坂本龍馬はもちろん、山内容堂、吉田東洋、武市半平太、板垣退助、片岡健吉、後藤象二郎、植木枝盛、中江兆民、寺田寅彦・・・。日本史の教科書や歴史小説に登場する人物の碑がうようよある。この日は、前日確認漏れの石碑たちを道標に走り始める。まさに石碑オリエンテーリング。

まずは、お城のふもとにある山内容堂の誕生地。容堂公は幕末の四賢公の一人に数えられる大名で、徳川慶喜に大政奉還を建白したことで有名だ。もともと山内家の分家の生まれで、一族では殿様には一番遠いポジションだったが、後継者や候補者が次々と病没したり病気になりお鉢が回ってきたらしい。分家だったがゆえに、誕生地はお城の脇だったようである。(以下、写真が曇っているのは、高い湿度とランニングの熱気でレンズが曇ってしまったため)
 


城の境界を左回りに巡って、明治の物理学者であり文筆家、そして夏目漱石の弟子としても知られる寺田寅彦の邸宅跡(記念館になっている)を通る。そして開成門へ。1866(慶応2)年土佐藩が富国強兵、殖産興業の目的をもって建てた学校である開成館の表門だそうだ。
 
 
 
 
その近くには、民主的な憲法草案を作ったことで知られる自由民権活動の植木枝盛邸跡がある。今では、普通の今風の家が建っている。
 
そこから升形商店街を経由して西に向かうと市立第四小学校の前に「婦人参政権発祥の地」という碑がある。婦人参政権運動と言うと大正デモクラシー期の平塚らいてうと日本史教科書の知識だが、ここ高知では、明治時代に楠瀬喜多という女性が日本で初めて女性参政権を求める運動を起こしたということだ。隣には、獄洋社という自由民権運動の結社の碑がある。
 

 
続いて、天神橋通商店街を通って、お寺の表門脇に板垣退助の誕生地が、そして20メートルぐらい先に片岡健吉の誕生地がある。自由民権運動、立志社で知られた二人だが、お隣さんだったのね。それにしても、予備校時代に近代史で習ったような人やエピソードに関連する碑が次から次へと出てくるのが、驚きだ。
 
 

はりまや橋のアンパンマン石像を確認(あんま似てない)し、ちょっとリラックス。その後、武市半平太の邸宅跡へ向かう。地域の公園内にあったのだが、工事中で仮設トイレの裏に隠れていて見つけるのに一苦労だった。しかも、仮設トイレの匂いがダイレクトに充満してかなり臭い。武市半平太に知られたら、間違いなく切り殺させる。
 
 
 
そこから北上し、ランの最終道標へ。これまた明治の自由民権運動家である中江兆民の誕生地跡。兆民先生といえばルソーの「社会契約論」の翻訳者。著作の『三酔人経綸問答』は10年近く前に読んだ。兆民先生も土佐の生まれなんだ〜。
 

結局、この日のランは1時間10分かけて8キロ。碑を探しながら走っているし、写真撮ったりしているのでペースの遅さは止む無し。Garminの走行軌跡もギザギザだ。朝7時にして汗べっとりになって、ホテルに帰還した。
 
※単なる石碑と言えば石碑でしかないのですが、無味乾燥な教科書の日本史がリアルに感じられる高知の石碑巡りは、少しでも勉強しておけば旅行の楽しみも増えることが実感できて、一部の人にはお勧めです。



(3日目 朝)

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