その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

2024年秋 山中湖の紅葉・富士山

2024-12-13 07:30:23 | 旅行 日本

先月上旬、山中湖を訪れた時の記録です。例年、この時期は紅葉最盛期なのですが、今年は違いました。長~い夏の影響で、一部の紅葉はありましたが、全体的にはまだまだ。この時期行われている「もみじ祭り」も開催期間を1週間延期していました。

以下、秋の山中湖の一日(朝~夕)の様子です。

まずは朝の6時前後。恒例の朝ランの途中です。前日が風雨の天候だったので、朝は塵の無い、澄み切った朝の空気でした。

午前中は湖畔をサイクリング。まだ冷たい空気が気持ちいいです。一部、紅葉しているスポットを中心にスナップ撮影。



夕刻は一応、「もみじ祭り」の会場へ。紅葉はまだまだでしたが、夕暮れ時の山中湖と富士山は息を飲む美しく、幻想的な光景でした。山中湖には毎年来てますが、ここまでブラボーな夕暮れ時は滅多にないなあ。

 

2024年11月3日

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2024年秋 箱根の紅葉

2024-12-08 07:19:39 | 旅行 日本

先月下旬、紅葉狩りに箱根を訪れた時の記録です。

時期的にも混雑間違い無しでしたので、同行の母のリクエストで箱根美術館の一本勝負。敷地内にある神仙郷という春の新緑とともに紅葉の美しさでも知られている庭園がお目当てです。(私は秋の訪問は初めて)

前日に箱根入りしたので、朝、10時過ぎに入園。朝陽に照らされる紅葉の木々が眩しいほどに輝いていました。

途中、真和亭という休憩所でお茶を一杯頂き、リラックス。古代土器や日本各地の焼き物などが展示される美術館本館も覗いて、1時間半余り、今年の秋を満喫しました。


[本館から相模湾を望む]

お昼時には山を降り、小田原で地酒と地魚も入った海鮮丼を頂き、満足満足。

 

2024年11月24日

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2024年夏 高知の旅(最終回)まとめ

2024-09-03 07:30:09 | 旅行 日本

いよいよ最終日。7:40発の飛行機のため、朝6時前にホテルをチェックアウト。まだ朝早すぎで、高知観光の看板でもある日曜市に足を運ぶことは叶わなかった。ただ、3泊4日(実質の現地稼働時間は2日+1/4日程度)の高知旅は、四万十川を始めまだまだ訪ねたいところはたくさん残っているものの、充実した時間で記憶に残る旅となった。


(空港行きバス停から空を見る。今日も暑そうだ)

自分なりの旅行の総括として、高知の良さ・印象を記録しておきたい。

一つは、圧倒的な観光資源の充実である。

高知城などの歴史的名所、仁淀川などの自然、そして何と言っても、鰹、鶏、日本酒と言った食。旅の様々な面白さが凝縮されているのが高知だと感じた。特に、食に関しては、素朴ながらも素材の良さを活かした料理が印象的で、どの飲食店も素晴らしかった。そして、それらが地酒と絶妙にマッチしている。

歴史的名所やその整備、見せ方も、派手な演出ではなく、堅実に歴史・文化を自分たちの遺産としてしっかり伝え、広めて行こうとする姿勢が感じられた。博物館も知的関心を十分に誘うもので、それなりの費用もかけて整理・展示しいる印象で、レベルも高い。

自然に関しては、十二分に堪能する時間もなければ活動もしてないが、少し触れただけでもその豊かさは十分に伝わった。


(高知県庁前から見る高知城)

二点目は、高知の町全体が古き良き地方都市の雰囲気を残しているように感じられるところだ。今、日本の地方都市は人口減やドーナツ化、東京化が進み、その地方ならではの特徴や良さが少しづつ失われている。これは私の全くの感触だが、高知はその点、個性一杯の地方都市だった。

中心地にはエリアごとに商店街が残っている。商店街はシャッター街でなく個人商店も多く並び、学生や町の人が訪れる。生活の足としての路面電車のある風景も、関東の人間には嬉しい。そして、タワーマンションも無い。生活と観光が一体となった活気を感じる。あくまでも私の肌感覚でしかないし、もちろん影の部分もあるのだろうが、例えば同じ県庁所在地でも、(個別名出して恐縮だが)東京の隣県である山梨の県庁所在地である甲府とはその活気度が大きく異なる。そうした点が滞在していて、実に快適で心地よかった。


(帯屋町商店街)


(アンパンマンの路面電車)


(CoCaColaの路面電車)

三つめとして、非常に限られた人としか話してないが、龍馬屋の大将やおねえさん、高知城のボランティアガイドの方、久礼大正市場で取り合わせた室戸からのご夫婦、みなさん自然なホスピタリティのある方々で、記憶に残る一期一会だった。数限られた事例で高知県の人を語るつもりはないが、その他の方々との事務的な会話を含めて、とっても気持ちよく過ごせたのは、偶然では無いような気がする。

高知とは全く関係ない自分の話で恐縮だが、よくよく考えてみると、私自身、全く未踏の地に滞在したのは随分と久しぶりだった。新しい土地を訪ねるのがとっても刺激的で、気づきも多いことを再認識した。日本国内でも未踏の県、土地はたくさんある。もっと、いろいろ行きたいし、行かねばだわ。

最後に、南海トラフ地震の注意報が出た時期であったが、各地で地震/津波の注意喚起がされているのが印象的だった。「天災は忘れたころにやってくる」というフレーズは高知出身の寺田寅彦の言ということも今回初めて知ったが、今や、日本の何処にいても自然災害は常態と考えた方が良い。高知に限ったことではないが、自分事として、災害への備えの重要性を改めて感じさせられた。


(久礼大正市場の無料休憩所には高知県の観光ポスターとともに、小学生作成の地震関連の掲示がある)

いずれにせよ、高知は旅行先としてとってもお勧めです。


(高知出身のレスリングの桜井選手、清岡選手の金メダルの記事を掲示してある高知図書館)


(さよなら、高知)

だらだらと9つの記事にわたって書いてきましたが、読んで頂いた方、ありがとうございました🙇

(おわり)

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最後の夜も美味い! @まるた商店:2024年夏 高知の旅(8)

2024-09-02 07:32:33 | 旅行 日本

だらだらと書き続けた高知旅行記もあと2回の予定。

須崎から16時頃に高知に戻る。レンタカーを返却し、ホテルで一休み。夕刻になって、お土産などの買い物に商店街をぶらついた。

高知最後の夜は、特に店を予約しておらず、有名な観光名所のひろめ市場のフードコートでいろんな料理をつまむのも良いかと思い市場へ向かった。

【ひろめ市場】

釧路の和商市場的な市場を想像していたが、海産物など生ものを扱うお店は少なく、特産品のお店や飲食店が多い。土曜日の夕食時ということもあってか、想像以上にすごい人出で、熱気がムンムン。これは台北の夜市の雰囲気だ。座席を確保するのも一苦労。さらにお店の前にも注文列ができている。この熱気と喧騒に飛び込んで、食事を楽しむにはエネルギー不足だった。


(鰹の藁焼き実演中)

【まるた商店】

ということで ひろめ市場からは早々に 退散し、商店街や 裏通りを徘徊し、食事処を探索。いくつかの店を覗いて最終的に落ち着いたのは、まるた商店というホテル近くのモダンな居酒屋さん。

魅かれたのは、この日出かけた久礼の沖合で取れた鯵を推しにしているところ。高知のアジとはいかなる感じか、試してみたかった。1階はカウンター席のみで既に一杯。カウンター越しに 見えた 厨房の人は 若い板前さんだったが、テキパキしてるし、厨房も綺麗で皆さんの動きに無駄がない。

2階のテーブル席なので、お店の人と会話する機会には恵まれなかったが、落ち着いて食事ができる環境は嬉しい。BGMは今風の洋楽だったので、お店のターゲットゾーンは若者かな。当日のお魚のお勧めメニューを手に取ると、全品頼みたいぐらい。期待が高まる。

頼んだ品々は 全て美味しく、お勧め通りアジ料理が特に最高だった。


(お通しの鰹の刺身)


(揚げ出しナス)


(アジの炙り・・・絶品でした!)


(鬼〆メジカ・・・お昼に食べた刺身の〆バージョン。身が締まって、刺身とはまた違う食感)


(鰹のたたき)


(〆に鯵の茶漬け)

このお店、食べログのポイントは3.1ぐらいで、決して目立ったものではないのが不思議。逆に、そういうお店に巡り合えるととっても嬉しい。

最終日の夜も高知は美味かった!

 

※週末夜のひろめ市場は、元気一杯で行くべし。
※まるた商店、お勧めです。

(3日目 夕~夜)

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久礼大正町市場でメジカの新子を食す!: 2024年夏 高知の旅(7)

2024-09-01 07:30:04 | 旅行 日本

10時過ぎににこ淵を出発し、この旅のハイライトの1つである久礼大正町市場へ向かう。今回の高知旅行にあたって情報を頂いた人から、「8月に高知に行くなら、ここのメジカの新子は外すな」とお勧めされたスポットである。

にこ淵からは70キロほど。上って来た仁淀川を下って、土佐ICから高速に入る。

【久礼大正町市場】

1時間半弱のドライブで久礼には11時半頃到着。久礼は昔からカツオの一本釣の漁師の町として知られ、青柳裕介の漫画『土佐の一本釣り』の舞台となった町である(私は「ビックコミック」で連載されていたのは覚えているが、当時は読んでなかった)。2011年に「久礼の港と漁師町の景観」として国の重要文化的景観に選定されたとのことだ。町の中をきょろきょろとしながら車を動かすが、人通りは殆どなく閑散とした町というか村という印象だ。

車を停めて、目的の大正町市場周辺に近づくと、急に人の気配が増す。ガイドブックには「11時に行けば、どこも開店済で丁度良い」と書いてあったが、11時半には市場はもう人でいっぱいで、熱気むんむんである。40mほどのアーケードのもとに魚関連のお店が並ぶ。

お目当てのメジカの新子とは「マルソウダ(カツオの一種)の生後1年未満の幼魚。獲れるのは8~9月の2か月間だけ!「朝釣った新子は昼までに食べろ」というくらい鮮度が落ちやすいので、地元で食べるしかない幻の魚です。」(「久礼大正町市場」パンフレット)。

新子を扱っている店(小屋)は限られているが、どこも行列をなしている。小屋の中で漁師のおかみさん風の女性たちが、今朝獲れたメジカを次々とさばいていく。「出遅れたか~」と思いつつ、一つ小屋の一つ雄誠丸に並んだら、数分後に丁度前の方で、「今日はここのお客さんまでで品切れです。」と、ダメだしを受けてしまう。市場にはメジカの新子を扱う各店舗の在庫状況がモニターで掲示されているという驚きの人気である。かなりのお店に既に×マーク(終了)が・・・。

メジカ目的でここまで来たのに危うく食べれないかと思ったら、まだ1店「とみぃの台所」という食堂で提供しているのをモニターで確認し、直行した。何とか注文するが、「50分ほどお待ちいただきます」とのことで番号札を渡される。 店内は既に満員なので、通りを挟んで向かいにある市場の無料休憩所で待つ。

その間、市場で買ったメジカの煮物をつつきながら待った。この煮メジカも十二分に美味しい。丁度、お隣に座っていた 初老のご夫婦とおしゃべり。コロナでなかなか外に出れなかったが、「4年ぶりに室戸から車を飛ばしてメジカを食べに来た」という。同じ高知の西(久礼)と東(室戸)なんだけど、「メジカの新子はこの地域でしか食べれないから」ということだ。奥様の方は、日本酒と一緒に実に美味しそうに食べられていて、期待感がますます高まる。

40分ほどで、メジカの新子定食登場。下したてのメジカに仏手柑(ゆずのような柑橘類)の皮を薄く擦ったものがまぶしてある。口に入れてみると、身が柔らかく粘り、しっかりした食べ応え。口の中一杯に身の甘みが広がる。美味い~。これは未体験の味だわ。日本酒と一緒に食べれれば、もう言うことなしなのだが、流石にドライバーなのでノンアルビールで我慢した。

 

食後は町の中を散策。まさに漁師の町という空気だ。ただ、照り付ける太陽が強すぎて倒れそう。ほどほどに切り上げ、2時前に町を後にした。


【須崎の鍋ラーメン】

続いて向かったのは隣町の須崎へ。ここでの目的は鍋焼きラーメンなるものの発祥の地ということだ。いまいちなぜラーメンを鍋焼きにしたのかは分からないが、前述の高知経験者も「是非、一度食べてみて」ということだった。発祥の店と言われ、最も有名らしい橋本屋さんは14時が閉店時間で間に合わず、「まゆみの店」というラーメン屋さんに伺った。

店内は普通と言えば普通のラーメン店だが、壁には多くの訪れたタレントの色紙や記念写真が貼ってある。お~、この人も来てるのかという感じだ。鍋焼きラーメン(しょうゆ)を注文し、待つことを10分ほど。土鍋の中でグツグツと煮たラーメンが登場。外は強い日差しだが、店内は冷房が十二分に効いているので鍋焼きうどん仕様なのだ。

スープはちょっと甘めの醤油味。生卵に竹輪の輪切りとネギが載っている。鍋焼きなので麺は太麺かと想像してたが、普通の太さの麵だった。確かに珍しいし、味もいけてる。

15時前に2回の昼食は終了。近くのJR四国の土佐新荘駅(無人駅)を見学して、高知市街への帰路についた。


(土佐新荘駅から)



高知は美味い~。

※季節や曜日にもよると思いますが、久礼大正町市場は11時には到着した方が良さそうです。

(3日目 昼時~午後)

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仁淀ブルー!:2024年夏 高知の旅(6)

2024-08-31 07:47:29 | 旅行 日本

3日目。帰京は翌日だが、朝一番の飛行機なので、この日が活動最終日。行先は悩みに悩んだ。仁淀川・久礼を経由して四万十川まで足を伸ばすのがもともとの計画だったが、暑さと各スポットの面白さで想定以上に体力消耗していて、往復200キロになるであろう四万十川への日帰りは、ただ行って帰ってくるだけのドライブになりそうな予感。四万十川は次回の訪問を誓って断念した。

ということで、この日は仁淀川と久礼を主要訪問地に設定し行動開始。

【仁淀川 沈下橋】

仁淀川は四万十川に劣らず、その透明度の高さで有名な川(水質日本一)だが、下流水域は高知市街から15キロほどしか離れていない。あえて高速道は使わず、国道を使って高知郊外の風景を楽しみながら西方向に向かった。途中、昔、甲子園を沸かせた伊野高校があったり、JR土讃線ととさ電(高知市街から伸びている路面電車)が国道を挟んで並行して敷設してある区間があったりで楽しかった。

仁淀川に出ると、川に沿って北上。この辺りは土佐和紙の産地であるようで、工房や博物館がある。中流域に達すると、写真や映像ではよく見かける沈下橋なるものがあった。水量が増した際に橋が水面下に沈むようになっている、欄干が無い橋である。ここの橋は名越屋沈下橋と言い、仁淀川で最も下流にある沈下橋で、長さ191mと仁淀川に架かる沈下橋の中で一番長い橋とのこと。車を止めて、橋や周囲を散策。車一台分ほどの幅しかないが、住民の生活道路の一部でもある。車が通るときの、通行人の一時退避場所も確保されていて、なるほどこういう仕組みなのかと納得。

広い河原、美しい水と川、周囲を覆う緑。いかにも四国っぽい風景に暫し浸る。のどかな風景の一部となった心地よさは格別だ。




 

【にこ淵】

更に、上流に上って、「仁淀ブルー」で有名なにこ淵に向かう。途中で本流から離れるので、正確には仁淀川では無い。名護屋橋から30キロ程、30-40分で到着。

山に囲まれた谷合の淵なので、谷にかかった金属製の急階段を80段ほど降りて、淵に到着。確かに美しい水が輝くさまは神秘的な美しさである。時間は丁度11時前。太陽が頂点に向かって上がっている最中で、時間が経つに従って、光に反射して水の青緑の度合いが高まり、どんどん美しさを増していく。ここの美しさは、天気と時間に大きく左右されることが実感として分かった。天気はパーフェクトだったが、時間帯は太陽が一番上に上る(谷を上から照らす)正午前後がベストだろう。逆に朝方や夕刻では、淵に陽が当たらず、輝きは味わえないだろう。

しばしその場に佇み、エリア一杯に満たされているマイナスイオンを浴び、吸い、体を浄める。とっても涼しいというまでには至らないが、下界の暑さはここでは感じない。エネルギーが満たされていく感覚を味わった。

仁淀川には、まだまだ渓谷や他の沈下橋などまだまだ見どころはあるようだが、後ろ髪引かれる思いで、この日のもう一つの目的である久礼大正市場に向けて出発した。

※「にこ淵」に行かれる方は、天気や訪問時刻を最大限考慮したほうが良いです。天気はコントロール難しいですが、極力、太陽が出る日。訪問時刻はお天道様が高く上がる正午付近。きっと季節により陽の位置も違うだろうから影響しそうですが、私にはわかりませんでした。

 

(3日目 午前)

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旅ラン in 高知 石碑オリエンテーリング:2024年夏 高知の旅(5)

2024-08-30 07:35:19 | 旅行 日本
高知3日目。この日もスタートは朝の旅ランから。
 
高知市街(高知城下)の特徴の一つは、町中のいたるところに日本史ゆかりの傑物たちの石碑があることだ。坂本龍馬はもちろん、山内容堂、吉田東洋、武市半平太、板垣退助、片岡健吉、後藤象二郎、植木枝盛、中江兆民、寺田寅彦・・・。日本史の教科書や歴史小説に登場する人物の碑がうようよある。この日は、前日確認漏れの石碑たちを道標に走り始める。まさに石碑オリエンテーリング。

まずは、お城のふもとにある山内容堂の誕生地。容堂公は幕末の四賢公の一人に数えられる大名で、徳川慶喜に大政奉還を建白したことで有名だ。もともと山内家の分家の生まれで、一族では殿様には一番遠いポジションだったが、後継者や候補者が次々と病没したり病気になりお鉢が回ってきたらしい。分家だったがゆえに、誕生地はお城の脇だったようである。(以下、写真が曇っているのは、高い湿度とランニングの熱気でレンズが曇ってしまったため)
 


城の境界を左回りに巡って、明治の物理学者であり文筆家、そして夏目漱石の弟子としても知られる寺田寅彦の邸宅跡(記念館になっている)を通る。そして開成門へ。1866(慶応2)年土佐藩が富国強兵、殖産興業の目的をもって建てた学校である開成館の表門だそうだ。
 
 
 
 
その近くには、民主的な憲法草案を作ったことで知られる自由民権活動の植木枝盛邸跡がある。今では、普通の今風の家が建っている。
 
そこから升形商店街を経由して西に向かうと市立第四小学校の前に「婦人参政権発祥の地」という碑がある。婦人参政権運動と言うと大正デモクラシー期の平塚らいてうと日本史教科書の知識だが、ここ高知では、明治時代に楠瀬喜多という女性が日本で初めて女性参政権を求める運動を起こしたということだ。隣には、獄洋社という自由民権運動の結社の碑がある。
 

 
続いて、天神橋通商店街を通って、お寺の表門脇に板垣退助の誕生地が、そして20メートルぐらい先に片岡健吉の誕生地がある。自由民権運動、立志社で知られた二人だが、お隣さんだったのね。それにしても、予備校時代に近代史で習ったような人やエピソードに関連する碑が次から次へと出てくるのが、驚きだ。
 
 

はりまや橋のアンパンマン石像を確認(あんま似てない)し、ちょっとリラックス。その後、武市半平太の邸宅跡へ向かう。地域の公園内にあったのだが、工事中で仮設トイレの裏に隠れていて見つけるのに一苦労だった。しかも、仮設トイレの匂いがダイレクトに充満してかなり臭い。武市半平太に知られたら、間違いなく切り殺させる。
 
 
 
そこから北上し、ランの最終道標へ。これまた明治の自由民権運動家である中江兆民の誕生地跡。兆民先生といえばルソーの「社会契約論」の翻訳者。著作の『三酔人経綸問答』は10年近く前に読んだ。兆民先生も土佐の生まれなんだ〜。
 

結局、この日のランは1時間10分かけて8キロ。碑を探しながら走っているし、写真撮ったりしているのでペースの遅さは止む無し。Garminの走行軌跡もギザギザだ。朝7時にして汗べっとりになって、ホテルに帰還した。
 
※単なる石碑と言えば石碑でしかないのですが、無味乾燥な教科書の日本史がリアルに感じられる高知の石碑巡りは、少しでも勉強しておけば旅行の楽しみも増えることが実感できて、一部の人にはお勧めです。



(3日目 朝)

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高知/土佐と言えば龍馬!:2024年夏 高知の旅(4)

2024-08-29 07:21:08 | 旅行 日本

【桂浜 龍馬像】

午後は車を借りて、高知市郊外の桂浜へ。太平洋に向かって立つ坂本龍馬の銅像で有名だ。熱狂的ファンとは言えないが、中高校生の時に小説『竜馬が行く』や伝記を読み、数々の大河ドラマでも視聴してきた。そのスケール大きく、柔軟な思考と、驚くべき行動力は、憧れでもあったし、好きな歴史上の人物の中でも特異な存在である。龍馬の像=桂浜の像というぐらいのアイコンであり、昔から一度は訪れたい地であった。

銅像はてっきり桂浜の浜辺にあるもんだと思いこんでいたのだが、到着してみると浜にあるのではなく、浜にせり出した小山に立っていた。駐車場に車を置いて、階段と坂道を上って数分で着く。想像よりもずっと高く、大きい。桂浜も含めて、太平洋を見渡し、更にその視線・思考の先は海の向こうの世界に伸びているように見える。銅像そのものから感じる力強さ、エネルギーは何だろう。その迫力に打たれた。


(階段上って龍馬像へ向かう)


(これが、あの龍馬像か~)

銅像の前に広がる太平洋の大海原、白く長く続く浜辺の景観も素晴らしい。天気に恵まれたので、海の青緑、空の青さ、浜辺の白のコントラストが美しく輝き、目を奪われる。まさに文字通り「観光」。光を観る様だ。

 

【高知県立坂本龍馬記念館】

桂浜一帯は公園として、綺麗に整備されている。食事処や土産物屋も、モダンで綺麗なショップがあって、昭和の萎びた観光地の土産物街とは一線を画していた。しばし、そこで土産の買い物や高知名物のアイスクリンを食べた後に、近くの高知県立坂本龍馬記念館へ。

ここは、文字通り坂本龍馬をテーマにした博物館。新館にある常設展には龍馬関連の史料が展示してある。手紙類が多いのだが、この記念館の素晴らしいところは手紙等の史料に現代語訳がついていること。近代以前の史料は古語・古文で書かれていて、たいていの博物館の展示は現代人にはほとんど解読困難で、何が書いてあるかわからず残念である。だが、ここの展示は、現代語訳がついているので、コンテンツが分かるのだ。特に手紙類は、その本人の性格や気持ちが直接現れるので、訳があると本人にぐーっと近づいた気になる。これは有難かった。


(常設展)


(龍馬から姉への手紙(原本))

史料は原本が他の国立博物館所蔵でその複製ものが多いが、中には真筆(原本)もある。展示ケースに入った史料を見ても、素人には複製でも違いは大して分からないと思うのだが、真筆として見ると、がぜん質感、肌触りが違うような気がするから不思議だ。

龍馬と並んで、別室に中浜万次郎(ジョン万次郎)関連の展示室もある。改めて、その人生に触れると、土佐の最下層身分(博物館の記載から)であった漁師の家に生まれ、嵐で遭難し、アメリカ船に拾われて、米国で教育を受け、日本に戻り通訳として活躍するというその人生のダイナミックさに驚嘆する。人は、やっぱり努力・環境・能力の賜物であり、そしてそうした機会を与えられ、活かせる今の社会の有難さを痛感する。


(ジョン・万次郎展示室)


(『漂巽紀略』写本・・・聴き取りによる万次郎の漂流記)

この記念館、龍馬や幕末に興味がある人には強くお勧めしたい。一方で、この分野に興味が無い人には向かないかも。本館には幕末の動きを楽しみながら、分かりやすく解説する展示になっていて初学者の学びには良いと思ったが、日本史にはあまり興味ない相方には、新館・本館とも「ふ~ん」で終わっていた(悲)


(本館の中2階から桂浜を望む)

【土佐ジロー】

時間があれば、清流で知られる仁淀川中上流も訪れようかとも考えたが、思いのほか桂浜で時間を費やしたので、下流部分を少しドライブするに留めて、高知市街に戻った。そして、いよいよ2日目の夕食。前夜の龍馬屋はかなりサプライズだったが、この日訪れた「こうじ家」は、地元の会社帰りの人が立ち寄りそうな落ち着いた雰囲気のスタンダードな料理屋/居酒屋だった。

前夜に鰹を沢山頂いたので、この日は鰹よりもブランド地鶏である土佐ジローを中心に注文。非常に身がしっかりしていて、脂身少なく食べ応えがある。鳥の味も味付けもとっても美味しい。盛り付けやお皿も美しい。お酒は地酒の利き酒セットを頂く。カウンター席だったが、板前さんと距離がやや離れていたこともあって、板さんと会話を楽しむということは叶わなかったが、その分、料理やお酒をじっくり味わった。美味い高知はまだまだ続く~。

(2日目午後)

 

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これはホンモノ 高知城!:2024年夏 高知の旅(3)

2024-08-28 07:30:48 | 旅行 日本

今回の旅行ではホテルの朝食はつけなかった。一つには費用抑制だが、もう一つは、夕食をたくさん頂いた翌朝は、ホテルの朝食ブッフェは食べきれないからだ(ブッフェで少種少量しか食べられないは逆に欲求不満が溜まる)。ホテル近くのドトールの朝食セットで、2日目を始動させた。この日は市内の主要観光スポットを巡るつもりで、午前中は高知城へ。

【高知城】
高知城は、山内一豊により1603年に築城され、今でも江戸時代の天守が現存する十二城の内の一つ(重要文化財)。天守と御殿がそのまま残っているのは、高知城だけとのことだ。

城は小山の上に建っており、朝から30度を優に超える気温の中で本丸に上るのは汗に汗。階段の作りや、石垣などを見ながら、本丸まで辿り着く。柱の太さや壁の作りから本物感がひしひしと伝わってくる。

御殿のエリアでボランティアガイドの方から、城の歴史や概要について話を伺う。現在、姫路城など国宝指定されている五城への追加登録運動中とのことで、築城(改築?)当時の祈祷札など建築の証跡となる札が発見できれば、国宝指定も可能なよう。ただ、どうもそれが見つからないらしく、500万円の懸賞金がかかっているとか。神保町の古本屋や古物店で見かけたら教えて欲しいとのこと。「土佐の男がせこいと思われたくないですが、10%中間マージンはくださいね」って(笑)。

(御殿)

天守めざして階段を上がっていく。途中、江戸時代当時のお城と城下のジオラマ展示もあり、これらも楽しい。上がるにつれて狭くなる階段を昇り、天守へ上がる。




天守から市内の眺望はすばらしかった。あまり気が付かなかったが、高知市街は山に囲まれた盆地なのだ。北側の四国山地は気づいていたが、西側も南側も山に囲まれている。かろうじて、室戸方面になる東側に平地が広がっているぐらいだ。最近はどの街に行っても見かけるタワマンが見当たらないので懐かしい風景のような感じがする。

国宝の彦根城や犬山城も然りだが、この城は、天守や各層はさほど広くないので、兵を置くにも数は限られるだろう。戦闘用の要塞としては厳しい気がする。統治のシンボルであり、接待用の施設に見えた。

(きっと)高知市街では一番高い位置にある建築物だろうから風通しが良く、気持ちいい。汗も少しずつ引いていく。

 

【高知城歴史博物館】

天守の展望を楽しんだ後は、山を下りて、追手門の対面にある高知城歴史博物館を訪問。「涼し〜い博物館へようこそ」とのキャッチフレーズに吸い込まれるように中に入る。確かに涼しい〜。

涼しさだけでなく、「土佐藩主山内家伝来の貴重な資料を中心に、土佐藩・高知県ゆかりの歴史資料の数々を収蔵・展示する本格的な博物館」(高知市HP)で、見どころたっぷりであった。

常設展示で目を引いたのは、展示室入り口直ぐに観た「長宗我部地検帳のうち土佐郡大高坂郷地検帳」(天正 16 年)。なるほど、検地ってこうやって帳面に記録したのね。時間を超えてリアルに触れるのは、歴史が立体感をもって迫ってくる。

土佐藩の歴史のエリアでは、200年を超える幕藩体制の中での土佐藩の政治・経済・社会情勢のパネルや史料が展示してある。お家の相続危機や財政難等あったようだが、取潰し、改易・転封を免れて続いたのも、様々な藩士たちの苦労の賜物であることがわかる。そうした継続性も高知独自の文化を育ててきたのだろう。

また企画展では「武家の服飾~山内家伝来装束の世界~」が開催中で、羽織、袴から能の装束など山内家に伝わる衣装類が展示されていた。時間の関係でここは軽くで済ませた。

※高知城では、城と「高知城歴史博物館」の入場料がセットになった共通入場券も販売されていて200円ほど安くなるのでお勧めです。

 

【昼食】

午後からレンタカーを予約していたので、倒れるような灼熱の太陽の下、レンタカーオフィスのある高知駅近くまで移動したものの、昼食を食べるようなところが見当たらない。何とか、駅チカの昭和の喫茶店風のお店「駅前キッチンKAMEI」へ飛び込んだ。ここで、親子丼とうどんのセットを頼む。ローカルフードでは無いけど、家庭的な心温まる味でとっても美味しかった。高知の食に外れなしは、継続中。

(2日目 午前)

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旅ランで高知名所巡り:2024年夏 高知の旅(その2)

2024-08-27 07:31:02 | 旅行 日本

毎度のことだが、旅先では朝はランニング。 高知は初訪問地でもあり、市内の名所巡りも兼ねてホテルを5時50分スタート。東京より西に位置するためか、陽の上がり方は東京より遅い感じ。

まずは高知のランドマーク高知城を目指す。 この日は天守へ登城予定なので、三の丸跡まで。 ようやく上り始めた朝日が城を照らし、青空のもと神々しいまでの美しさ。


(大手門から)


(追手門近くには、城を築いた山内一豊や自由民権運動の板垣退助の像があります)


(板垣退助)


(三の丸跡から)

続いて、坂本龍馬の生誕の地へ。 司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んだのは高校生の時だが、その視野の広さ、開放的な性格に強く魅かれた。 石碑があるだけだが、歴史的偉人がリアリティを持って迫ってくる。近くには資料館である「高知市立龍馬の生まれたまち記念館」もある。 


(坂本龍馬生誕の地の碑)


(高知市立龍馬の生まれたまち記念館。今回の見学の時間はなさそう)


次は、幕末に建てられた山内家の足軽屋敷である旧山内家下屋敷長屋資料館(重要文化財)を経由して、龍馬がよく泳いで遊んだという鏡川へ出る。川沿いに走る。


(旧山内家下屋敷長屋資料館)


(鏡川土手沿い)

続いて、日本三大がっかり観光名所の一つという不名誉なニックネームを持つ「はりまや橋」。私個人としては、このはりまや橋訪問で、 三大がっかり制覇となったが、三つのスポットのなかでもひときわがっかり度は高い。苦笑いである。


(旧はりまや橋の再現)


(こちらは今のはりまや橋)

はりまや橋の交差点から、まっすぐ北上しJR高知駅へ。高知駅は高架になっていて、なかなか見栄えも良い。今回は列車に乗る機会が無いのは残念だが、いつか四国の鉄道も経験してみたい。駅前に幕末の土佐三志士の像が立つ。像の作りはやや大雑把な印象。


(左から、武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎)

高知と言えば、大規模な日曜市が有名だが、規模は違えど、日曜以外にも市内の様々な場所で曜日ごとに市がたっているようだ(ここでは木曜市、あそこで金曜市と言った具合)。高知駅近くの、土讃線の高架下でも小規模ながら金曜市をやっているという情報を得たので、ホテルに戻りがてら覗いてみた。朝6時からということで、7時前には10をちょっと超える程度のお店が出ていた。多くは、(きっと)その日の朝に取れた野菜が中心のようで、観光客というより地元の人がその日の食材を調達するという感じ。


(こんなテントが10ちょっと並ぶ)

ホテルに戻ったのは、7時過ぎ。写真撮ったりしてちんたら走ってるから、1時間ちょっとで走行距離は約7キロの朝ラン。写真では気温が全く伝わらないのが残念だが、これでも戻った時には汗だらだら。


(途中、ストップウオッチを止めたまま走っている区間あるが、大体のコースはこんな感じ)

 

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龍馬屋で料理とお酒と会話を楽しむ:2024年夏 高知の旅(1)

2024-08-26 07:33:03 | 旅行 日本

今年の夏休みは、お盆明けに未踏の地の高知を3泊4日の旅程で訪れた。鰹の最盛期だし、何と言っても坂本龍馬の出身地、そして以前コロナで準備万端だった高知訪問をキャンセルしたリベンジ旅行でもある。南海トラフ注意報が解除にはなったものの気がかりではあったが、勇気を出して決行。

羽田からはたったの1時間20分。機体が着陸態勢に入るころ、窓から外を覗くと、青い海と険しい山々、そしてその間に挟まれて肩をすぼめるように田畑や家々が並んでいる風景が目に入る。

東京に劣らず高知も暑く、日差しがさらに強い印象。市街には空港バスで30分ほどで到着し、夕刻16時過ぎにチェックイン。部屋で暫しリラックスした後、夕刻、陽が傾いた時間に中心部の散策に出る。

未知の土地を訪れた時は、地元スーパーと図書館を訪れるのが相方のポリシーなので、お付き合い。確かに、地元スーパーは、品ぞろえが違うし、ローカルブランドを知るのも面白い。図書館は県立図書館と市立図書館が合同されてできたという新しい図書館で愛称はオーテピア。館内も蔵書、閲覧机、グループルームそれぞれ充実し、米国の大学図書館を思い起こさせる。


(旅行者用の棚。ミレーってこんなに種類があるんだ)


(高知の図書館。建物も素敵)

そして、いよいよ高知での初・夕食へ。「高知はどこで何食べても旨いですよ~」と以前、職場の同僚が言っていたのだが、夕食難民になるのは避けたかったので初日、2日目は予約しておいた。(食べログの百名店に名を連ねるようなお店は数週間前でも予約で一杯だった)。ガイドブックやネット等を参考に、最後は直感でホテルからも近い「竜馬屋」さんへ。結果、これが後々の語り草になるような楽しい経験となった。

お店の引き戸を開けた瞬間、想像以上に狭く、壁には古めの写真や資料が雑多に張り付けてある。カウンターが3~4席ほど、その背後に2~4名掛けの小さなテーブル席が3つ程。まだ客は誰も入ってない。高知新参者には難易度高そうな、変化球一杯の店内にやや怯んだ。が、笑顔のお姉さんに引っ張られるように、奥のテーブル席に案内された。


〔店内)

メニューは紙一枚。季節柄、殆どが鰹のメニュー。感じの良いお姉さんが料理を丁寧に説明してくれるが、どれをどの程度頼んで良いか分からない。結局、大将の「おまかせ、量は軽目で」という注文に落ち着いた(お腹一杯になったらストップかけてね、という仕組み)。高知と言えば、日本酒なのだが、酔鯨ぐらいしか知らないから、こちらもお姉さんおまかせ。私らの来店で、おもむろに厨房に現れる大将。ただ者でない雰囲気を漂わせている。

スタートの儀式は、いきなり鰹の刺身が鉄(?)皿に載って大将がバナーで炙るところから始まった。「30秒以内に食べてね」と言われたが、これが口の中でとろける上手さ。この後、(順番が逆だが)付け出しの鰹の切り身と酢漬け、地鶏(土佐ジロー)の手羽先、鰹と新子(メジカの新子ではないとのことだったが、何だかは忘れてしまった)の刺身と青さの天ぷら。月並みな表現だが、どれも頬が落ちるような旨さである。とりわけ、新子の刺し身は絶妙の甘みがあって印象的。


(いきなり大将が目の前で炙ってくれる)


(付き出しもとっても旨い)


(土佐ジローという地鶏)


(鰹と新子の刺身)

お酒もお姉さんが、次々と風味、辛さが違うものを出してくれる。どれも個性豊かで、違いが明確。料理との相性も抜群だ。

このお店が美味しいだけでなく、楽しいのは大将やお姉さんとの会話。店は200年続いていて、今の大将は7代目だという(7代目継承の口上も壁に貼ってある)。話題は、お店や料理、そしてマスターの一身上のいろんなお話、壁に掲示してある謎の特許証明(登録?)書などなどについて。私も観劇した内野聖陽さん主演の「ハムレット」のポスターがサインや落書き入りで掲示。内野さんからのお手紙とかも壁に貼ってあって、エピソードを伺った。お姉さんも上手く会話を引き出す。ホスピタリティ抜群だ。帰り間際まで、私らの他には出張者のソロ飲みの方1名だったので、ほぼ会話を独占して、まるでお友達の家に来たようだった。


(高知公演のポスター。皆さんで来店されたとのこと)

1時間半経過したぐらいで、相方がお腹一杯でストップ。次回、高知にいつ来られるのかも分からないが、来たら必ず寄りたいと思わせてくれるお店だった。心から「ごちそうさまでした」。高知初日は楽しく、美味しい最高のスタートを切る。

(初日)

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釧路の食:2024年夏 道東旅行(5)

2024-08-08 07:32:47 | 旅行 日本

だらだらと書き綴ってきましたが、個人的なメインイベントの釧路湿原マラソンの前にもう1つエントリー。

テーマは釧路の食。ソロ旅行者なので、いろいろと楽しむことはできないのですが、旅先ならではの食を堪能しましたので、ご紹介します。

初日のお昼。お腹すきすぎて、飛び込んだ釧路駅前のお蕎麦屋さん<東家>。お昼時間を過ぎて客は私だけでした。80を超えていると思われるお婆さんが一人で注文とって、作って、配膳、会計対応。お蕎麦は更科風の白いソバ。程よく腰あって食べごたえ在り。以前、新得町を訪れた際も感じましたが、北海道のソバは美味しいです。


(大盛り蕎麦)


(店内)

蕎麦だけでは満足できず、近くの和商市場へ。和商市場と言えば客が具をそれぞれ選ぶ「勝手丼」が有名ですが、これ結構高くつくので、市場内のお好み食堂「邦紀」がお惣菜として売っていた中トロ握りと釧路名物ザンギ(鶏のから揚げ)を。寿司も良かったですが、このお店オリジナルというザンギの甘醤油風のタレが美味しいです。


(邦紀)


(和商市場内 14時半過ぎなので人出は少な目)

初日の夜は、友人にお勧めされた居酒屋さん<番小屋>を訪れました。素朴な田舎作りの店内、愛想のよいおかみさんやマスターの暖かい雰囲気と美味しい料理が旅情を掻き立ててくれる居酒屋さんです。

2日目の夜。根室帰りで、土曜日の19時過ぎということもあってか、ホテル近くの狙ったお店は2店とも満員。とりあえず入った居酒屋「釧路食堂」。十分美味しかったです。特に、白身魚の刺身(名前を板前さんに聞いたのですが、忘れてしまった)が口の中でとろけるような甘さ。

3日目のお昼。釧路出身の友人が「釧路のソウルフード」と言っていた泉屋のスパかつ。スパゲティの上にぶ厚いとんかつが乗って、その上にったっぷりとミートソース。皿からこぼれんばかりの凄い量です。味は懐かしの昭和の味。けっこう癖になりそうです。食べきるのに20分を要しました。




(昭和チックな店内も懐かしい雰囲気)


(ディスプレイも懐かしい)

復路便は7時40分発。空港のレストランはどこも一杯で、食欲もさほどなかったので、搭乗口ゲート前で売店で買ったチーズかまぼことビールうで済ませました。思いのほか、このかまぼこが美味しかった。ビールとの相性も抜群。

 

【おまけ】

2日目の朝、港沿いをジョグ。巨大な自衛隊の補給艦摩周が停泊していました。








3日目には漁船も何隻か停泊。

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納沙布岬だけじゃない根室観光: 2024年夏 道東旅行(4)

2024-08-06 07:37:49 | 旅行 日本

納沙布岬、チャシ跡のあとも根室半島のドライブツアーは続きます。

【北方原生花園】

75ヘクタールの広さで 6 月下旬~9 月上旬にかけて約100種類の花々が咲き誇る日本最東端の原生花園です(「根室十景 北方原生花園 見どころマップ」より)。北海道の原生花園は、小清水原生花園やサロマ湖ワッカ原生花園を訪れたことがありますが、広大な原野の風景は北海道らしさを感じることができる風景で私はどこも好きです。この北方原生花園も雰囲気は似たものがありますが、日本最東端の原生花園と言われると、特別感があります。

広いわ~。「ポニーが出て行かないようにゲートはしっかり閉めてくれ」と注意書きはあったものの、ポニーが見当たらないのは残念でした。帰り間際に花園の端っこに居るのを発見。

この辺りには、牧場も多く、乳牛らもいました。ポニーにしろ、牛にしろ、羊にしろ、動物たちがいると、ゆったりとした気持ちになれるのが不思議です。

市内中心部に戻って来ました。根室港に立ち寄りましたが、時期的なものか、時間的なものかよく分かりませんが、漁船が入港しているわけでもなく、人影もほとんどなく、殺風景であったので、直ぐに出発。

 

【電信陸揚げ局】

個人的な興味を引いたのは、根室と北方領土の各島と結ぶ起点となる、根室国後間海底電信線陸揚施設。1929年に旧逓信省により設営され、択捉島まで繋いでいたとのこと。終戦直後に情報漏洩防止のためケーブルは切断され、今は遺構となっていますが、当時の姿を思い起こせます。

 

【碓氷勝三郎商店】

釧路の居酒屋に行くと必ず置いてある地酒が、釧路の「福司(ふくつかさ)」と根室の「北の勝(きたのかつ)」。根室に来たからには北の勝の醸造所を観てみたいということでマップを基に尋ねました。碓氷勝三郎商店という個人商店のようなのですが、どんな佇まいの醸造所なのか、見学とかできるのか、興味津々です。

確かに、市街中心部に位置する同社は、創業1887年(明治20年)であるというだけあって、歴史を感じる建物です。ただ、この日は肩透かし。敷地の中の駐車場に車を止めてみたものの、全く人の気配を感じない開店休業状態。この会社大丈夫なのだろうか?とちょっと不安になるぐらいです。何か見逃している所があるに違いないと、暫しうろうろしましたが、まるで人気無し。挙動不審者扱いされるのも嫌なので、退散しました。その夜、釧路の居酒屋でその話をしたら、この時期は仕込みでもないし、出荷も終わっていて、操業停止状態なのだろうとのことでした。ホントかしら?

 

【タイエー やきとり弁当】

エスカロップを勧めてくれた釧路出身の友人が、もう一つお勧めしたのが、タイエー(根室の地のスーパーマーケット)の焼き鳥弁当(名前は鳥だが、豚らしい)。以前、NHKの「ドキュメント72時間」でも取材されたスーパーとのことで、そこの名物弁当とのこと。「是非、買って、釧路に戻る列車の中で食べて。」とのお勧めです。

復路の列車が16時8分発で、レンタカー返却の時間も考えると、ほとんど時間が無くなっている中で、店に飛び込みました。東京のコンビニの倍くらいの大きさのお店の中は、中央にレジと、焼き鳥丼をはじめとするお店で売っている焼き物を作るキッチンになっているのを見て、この店の重要度がわかります。

「焼き鳥弁当はここで頼めばいいんでしょうか?」とレジのお姉さんに訊いたところ、「はい。この注文票に書いてください。焼き鳥弁当はご注文いただいてから作りますので、10分から15分お時間頂きます」とのこと。ガーン、10分かかったら、汽車に間に合わない。「汽車の時間がもうすぐなので、優先的にお願い出来ませんか?」と我が儘かまそうかと思ったけど、確かに3人ほどの先客さんがお待ちの様子なので、それはマナーに反するということで自重。

この汽車逃すと最終の汽車で、釧路到着が21時過ぎ。翌日の釧路湿原マラソンに合わせて、体調を整えなくてはならない中、どっちを優先すべきか?5秒の思考の後、泣く泣く焼き鳥べんとうは諦めました。時間が無く、お店の写真も焼き鳥べんとうのメニュー写真も取らず仕舞。次回の根室訪問の宿題ですね。観光ガイドにひっそり掲載されていた広告を共有します。

根室、まだまだ見どころあるようです。観光ポイントだけでも根室十景と言われているポイントを今回は2ヶ所(納沙布岬、北方原生花園)を廻っただけ。加えて、花咲ガニもさんまも棹前昆布も食べてない。後ろ髪惹かれる思いで、根室を後にしました。


(根室駅待合室)

 

2024年7月28日

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日本最東端 納沙布岬へ:2024年夏 道東旅行(3)

2024-08-04 09:05:46 | 旅行 日本

根室駅を降りて、その閑散とした駅前には驚きは隠せませんでしたが、まずは腹ごしらえ。

釧路出身の友人から「根室行ったらエスカロップを食べてみてください」とお勧めされたので、紹介された駅前の昭和の喫茶店風のニューモンブランという店に入りました。店内もソファや照明器具など昭和のレトロな雰囲気が満載です。さっそくエスカロップを頼みます。

名前の由来を初め、エスカロップが根室の名物なのかは全く分からないのですが(その友人によると、根室は漁港として栄えたので寄港する外国人が多く西洋料理が盛んになったとのこと)、出てきた一品は、昭和のデパートの最上階のお好み食堂を思い出させる一皿料理。日の丸の旗を立ててもいいかも。バターライスの上にポークカツが乗っかり、さらにデミグラスソースがかかっています。さてさて、どんなお味かと食してみたら、バターの香りが漂いつつ、思いのほかさっぱりしていて、ポークカツやソースとの相性も良く、とっても美味しい。「根室と言えば漁港だから海鮮料理だろ」という私の思い込みを完全払しょくしてくれるものでした。

【納沙布岬】

お腹一杯になったところで、車を借りて、4時間の根室観光をスタート。まずは、日本最東端の岬、納沙布岬を目指します。根室駅から約20キロ。20分程度で到着。朝出た釧路の曇り、雨の天気が信じられない様な青天でのドライブは爽快そのものです。

天気が良いので、持参した双眼鏡を覗くと、北方領土の歯舞群島が良く見えます。3.7km先に貝殻灯台という灯台が海上に立っているのが見えますが、そこはロシアの経済水域とのこと。更に奥に見える島(貝殻島?)にはロシアの建物・設備もはっきりと見えます。領土問題のまさにフロントであることを実感し、長閑な天気や環境とは真逆の緊張感も感じざるをえません。

岬には、北方領土返還を求める多くの碑が設置されています。また、独立行政法人北方領土問題対策協会が運営している「北方館」・「望郷の家」や「根室市北方領土資料館」などがあり、資料を通じて北方領土の歴史的経緯が学べるようになっています。ちょっと政治色が強いところもあり、苦手な人はいるかもしれませんが。


(根室市北方領土資料館では「最東端出発・訪問・到達証明書」が貰えます)

 

【チャシ跡(アイヌ民族の砦跡)群】

1時間ほど、滞在した後は、続いて根室半島チャシ跡群へ。海岸の見通しの良い場所にアイヌの城跡で根室市内には32ヶ所現存していているとのこと。根室市内のチャシ跡が築かれた正確な年代は不明なものの、16~18世紀頃とされてるようです(根室市観光協会HP)。国指定史跡でもあり、日本百名城の一つです。

ヲンネモトチャシ跡とノツカマフ1・2号チャシ跡を見学。跡そのものは大きなものでないですが、ここに砦を築いたアイヌの人たちの社会や生活を自由に想像するのは何とも楽しいです。


(ヲンネモトチャシ跡)


(ノツカマフ1・2号チャシ跡)


(ノツカマフ1・2号チャシ跡)

(ノツカマフ1・2号チャシ跡)


(ノツカマフ1・2号チャシ跡)

目前に青い海が広がり、抜けるような青空、そして風になびく草原。まさに場所は違えど、

「夏草や兵どもが夢の跡」

(つづく)

 

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憧れの花咲線に乗る:2024年夏 道東旅行(2)

2024-08-02 07:32:24 | 旅行 日本

いよいよ、今回の主要目的のひとつ花咲線の鉄旅です。

日本最東路線のこの列車に乗るのは、鉄道好きの私(いわゆる「鉄」には程遠いですが)には憧れの一つ。この日の釧路~根室の片道2時間半、往復5時間の乗車体験を楽しみにしてきました。胸躍らせて、8時21分発に乗るべく釧路駅へ。

なんと1両編成。しかも、列車の側面には「ルパン三世」のキャラクターたちがプリントされています。どうやら、路線途中の浜中駅が「ルパン三世」の原作者モンキーパンチの故郷と言うことで、ルパンを使った村おこしの一環のようです。いいじゃないですか~。

 

【往路:釧路~根室】

社内の座席は8割ほど一杯で、ぱっと見、観光客が7割弱といったところでしょうか。本格的なビデオ器具とマイク一式を持った若者もいます。北海道旅行中とお見受けするシニアご夫婦やアジアからの若者旅行者など、いろんな取り合わせ。私のようなソロ旅行者の方が多いですね。

海側となる進行方向右サイドの席はすでに埋まっていたので、左サイドの窓側席を確保。有難かったのは、シートが思いのほか大きくてクッションもよく効いていること。中央本線の各駅停車のボックス席シートよりも格段に心地よいです。

釧路の市街地を抜けると林の中を走ります。時折、昨夕の列車と同様、汽笛が鳴りスピードが急に落ちるので、鹿がウロウロしているようです。窓側座席は確保しているものの、運転手さんの斜め背後から、どこまでも続く線路と前方景色を見ながら乗っているのが楽しく、童心に返って景色を追いました。この日、朝から小雨模様なのが残念です。

厚岸(あっけし)に近づくと、いよいよ海が右手に見えてきました。浜辺では多くの人が出て、昆布干しのため昆布を広げる作業をしていました。潮の香りと昆布の匂いが車内にも強烈に入り込んできます。

厚岸駅で団体旅行と思しきシニア層のグループが乗車。どうも観光バスと鉄道旅行を組み合わせた道東周遊プランの様子。駅を発って彼らが乗ってきた理由が分かりました。右手に海と別寒辺牛湿原が見渡せる絶景ポイントに入るのです。運転手さんもここが見せ場とばかりに列車のスピードを落として、お客さんサービス。小雨の暗めの空なのでいささか残念ですが、湿原の脇を走る鉄道に乗っているのは、さながら湿原の上を走っているような感覚です。

東へ東へと向かいながら、段々と雲が薄くなり、薄日も差すようになってきました。陽の光を受け始めると、風景の表情が瞬く間に変わって、輝きを増していくのが驚きです。落石海岸沿いでは、風力発電用の大きな風車が所々立っていているのは、単に旅行目的の観点からすると、ちょっと周囲の風景と不釣り合いでやや興ざめなところはありますが、これは我儘と言うものでしょう。。




根室に近づくにつれて、人や家の気配がしてきます。そして、2時間半の鉄旅もあっという間に終了し、終点。到着は10時53分。フォームに降りて、駅を見渡します。この先は線路無し、本当の意味でのターミナル駅に何とも風情を感じるのは私だけでしょうか。「日本最東端有人の駅」とあるプレートを見て首を傾げていたのですが、最東端の駅は手前の東根室ということを知りました。

さあ、戻りの列車を16時8分発に定め、5時間の根室観光にでます。

(根室観光については次エントリーで)

 

【復路:根室~釧路】

復路は往路のリベンジで海側シートをゲット。この晴天なら午前中よりも更に良い車窓が期待できます。レンタカーを返却したので、もう車に乗ることも無いので復路は呑み鉄です。



さあ、復路のスタート。まずは、隣駅の東釧路で最東端の印を確認。

駅名は忘れましたが、根室駅の近隣の駅でも駅周辺に蝦夷鹿が普通にいます。奈良のようです。

快晴だった根室でしたが、復路も西に向かうにつれ、雲が暑さを増し、厚岸では小雨となりました。まあ、それでもビールをちびちびやりながら車窓を追うのは最高です。ホテルから鞄に文庫本を2冊忍ばせてましたが、結局1冊も触ることすらありませんでした。




復路でのアクシデントと言えば、厚岸付近と上尾幌近辺で列車が鹿と2回衝突したこと。都度、運転手さんが車両を止め、衝突した鹿の除去、車両確認をしたうえで、出発となります。各回10分は止まっていますので、必然的に列車の運行も遅れます。幸運にも、私は衝突の現場には立ち会わずに済みましたが、車両の直前を横切る鹿を何頭か目撃しましたので、動きの予測がつきにくく、集団で異動している鹿を避けるのがいかに難しいかが実感として理解できました。鹿も可哀そうですが、運転手さんの技術もメンタルも本当に大変なことで、頭が下がります。

20分近く遅れて、釧路には19時前に到着。最後、若い運転手さんに「おつかれさまでした」と一声かけてましたが、やはり同じことを思ったご婦人も「大変ですね。ありがとうございました」と声をかけていらっしゃいました。


(19時前の釧路川)

林、海岸、湿原、平原と次々に表情を変える車窓、ディーゼル車独特の乗車感覚、のんびりとした空間。これらを味わえる花咲線の鉄旅は強くお勧めできます。

(2日目)

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