【ハーフ地点(13.1マイル)~20マイル(32キロ)】
ハーフのラップは1時間59分15秒でちょっとがっくりきたが、まだ諦めちゃいけない。これから20マイル(32キロ)までをいかに平穏に走れるかどうかが、ラストまで持つかどうかの分かれ目だ。これからは、新都心ドッグランズ(
こちら→)に向かって東に走る。気温の上昇にあわせて、体温も上がってきたのが自分でも分かる。体を冷やさないと思い、給水所で貰ったボトルの水を顔に掛け、頭の上からかけ、そして足にかける。顔にかけた水が顔に張付いた汗の塩分と混ざり合って、かなり濃い塩水になって、口の中にしみこんで来た。そのしょっぱさに、結構、汗をかいていることに気付く。思っている以上に、体力を消耗しているかもしれない。14マイルラップは2時間7分8秒(4時間標準ラップから1分6秒先行)。
(13~14マイル地点。私の後ろを走るランナーたち。(走りながらカメラだけ後ろを向けて撮影。下部の黒いのが私の帽子))
(熊かリスかなんだか分からなかったけど、抜いた)
ちょっと誤算と言うか、判断を誤ったのは、15マイル(23キロ)手前でのトイレ待ち。簡易トイレが空いていると思ってドアを開けたら、既に先客が保有済み。その先客が出るのを待っていたら、意外と長い用足で2分以上待たされた。自分の用も合わせて、ここで2分間半のロス。こんなにロスするんだったら、適当にその辺で済ませりゃ良かったと後悔したが、後の祭り。そのロスもあった16マイルは2時間26分36秒で通過。ついに4時間の標準ラップを3秒割ってしまった。
(14.5マイル地点。ドッグランズが近づきます)
新都心ドックランズエリア入る。ここは東京で言えば幕張のようなところだから、日曜日にそんなに観衆はいるまいと思ったら、とんでもなかった。どこからこんなに人があふれて来るのかと思うほどの、大声援である。声がビルというビルに反響して、すごい音になっている。自分がオリンピックの大選手にでもなったかのような感覚で、惑うほどだ。相変わらず"XXXX(私の名前), GO!"の声援も絶えない。もう何人に"Thank you!"で応えただろうか?もう100近くになるような気がするけど、こんなことなら最初から数えておけば良かった。
(18マイル地点。高層ビルが直ぐそこ)
18マイル(28.8キロ)を2時間44分46秒で通過(再び4時間標準ラップに5秒先行)。流石に少し足に疲れが生じてきたのが解る。今回にあわせて20マイルのレースに2月、3月に1回ずつ出走しているが、そのおかげかここまでは意外なほど走りは順調だ。随分持ったものだと思う。しかし、何故か想定外に、腹筋に切り切りとした違和感を感じ始める。う~ん、フルマラソンはこの3年で6レース走っているけど、この違和感は初めてだなあ~?なんだろう?腹筋のトレーニングも必要だったか?と自問自答していたところで、何故だかの理由が分かった。それは、声援に応える自分の"Thank you"で普段使わない腹筋を使っていたのだ。のど元はランニングの呼吸で手一杯だから、自然と"Thank you"は腹式呼吸で腹から声を出していたのだ。普段の酷いジャパニッシュの私の英語も、さぞかし今日の"Thank you"はいい発音に違いない。と思わず自分で、苦笑い。
(19マイル地点。凄い声援のビル街)
ロンドンマラソンのコースは、高低差はあまりないので基本的には走りやすいはずなのだが、意外と曲者のところがある。短くて小さな上り、下りは意外とあるのである。ただ、上手くできているのは、ほぼ1マイルごとにある給水所がだいたいその坂の真ん中とか手間にある(気がした)。なので、頑張ってここを上らねばというようなプレッシャーは殆ど感じずに走ることができた。給水所で水ボトルを差し出してくる少年、少女が天使に見える。
【20マイル(32キロ)~ゴール】
そして、先週末に最後の下見ランを始めた20マイル(32キロ)地点を走り抜ける。ラップは3時間2分56秒(4時間標準ラップに16秒先行)。4時間標準ラップには先行しているものの、4時間を切るためには、あと10キロを57分で走らなくてはいけない。ここから走り始めるなら楽勝だけど、既に32キロ走っている中で、どこまで、どのくらいで走れるかは、何回経験してもその日になってみないと分からない。思い切って、ペース上げてみようかと思っても、もう足がついていかない。とにかく今の流れを継続していくので精一杯なのだ。周りには段々と歩き始める人が出はじめた。苦痛に顔をゆがめて足をさすっているランナーが居る。本当はここらで一旦止まって、ストレッチをするのが最後までしっかり走りぬくにはいいのだろうけど、止まることでタイムが遅れるよりも、一旦止まったら2度と走れなくなるのではないかという恐怖感から、止まることもできない。22マイルは3時間21分40秒。ついに4時間標準ラップから9秒遅れた。このまま沈んでしまうのか?
そして、いよいよタワーブリッジ、ロンドン塔の交差点に戻ってきた。コース中で恐らくここが最も観衆が集まっているところだと思う。人の声、叫び、笛の音、ハンドマイクやメガホンで人を呼ぶ声、スティック風船を叩く音、バンドの音楽などなど、音という音が、無秩序に、重層的に、破壊的に共鳴して自分にぶつかって来る。これは声援に背中を押されているというよりは、合戦で矢や鉄砲玉が飛び散り、向かってくる中を歩兵の私が突撃していくような気分である。
(23マイル手前。タワーブリッジの北端の交差点。花道に突入って感じです)
ロンドン塔の横を過ぎて、応援は少し落ち着く。もうここからは、自分のホームグラウンドだ。通勤でもたまに走るし、酔っ払っときはここからピカデリーサーカスまで歩いて酔いを醒ます。ただ、コースを知っているだけに、残った距離と体力を天秤にかけると、精神的に結構つらかった。ロンドン大火のモニュメントを右手前方に見ながら「やっぱりフルマラソンは厳しいなあ」と弱気になった丁度そのとき、「XXXさ~ん」と日本語で私を呼ぶ声が。職場の同僚たちが、応援に駆けつけてくれていたのだ。初めて、耳にする日本語の、かつ自分を応援してくれる声。うれしかった。夢中で手を振って応える。よ~し、最後までがんばるぞ。それでも、24マイルのラップは3時間40分43秒。ついに4時間標準タイムより53秒遅れ。
そこから残りの4キロ弱は正直、無我夢中だった。ゴールに近づけば近づくほど、更に声援は大きくなる。みんな分かっているんだ、ここが一番辛いところだって。左手にテムズ川があり、その奥にロイヤルフェスティバルホールが見えて来る。そして、その先にはロンドンアイの観覧車が。そして、ついに正面に国会議事堂のビッグベンが現れた。あと2キロ。疲労はピークに達し、もう応援コールに笑って応えることもままならず、疲れた"ThankYou"しか返せなくなってきた。
(24.5マイル。テンプル近辺)
(25マイルを越え、樹の葉の蔭から国会議事堂が見えてきた)
40キロを03:49:37で通過。この数キロでペースがぐっと落ちてしまった。あと2キロを10分はいよいよ不可能だ。自分でもあきれるほど子供じみた考えだが、1000メートルで良いからワープできないか?とか、500メートルでいいから、羽がついて飛べないか?と思った。最後の力を振り絞って、スピードを上げようかと試みる。だが、足はついて来ない。この際もう4時間は潔く諦めねばならない。これが今の自分の実力だ。最後は、しっかり笑顔でゴールできるように、42キロを全うしよう、そう言いきかせる。そんな時、ふくらはぎがぴくぴくして、痙攣の予兆が始まった。ゴール前100メートルで突然、動けなくなった1年半前のアムステルダムマラソン(
こちら→)が蘇る。まだ、最後の最後まで、何が起こるかわからないぞ。
あとは、小さな子供をなだめすかすように、自分の体と対話しながら走り続ける。あと800メートル、600ヤード(確か)などの標識が目に入る。バッキンガム宮殿前のビクトリア女王の像が目の前に入る。宮殿前の広場を右折して、いよいよゴール200メートル前。ゴール前はスタンドがコース脇に設営されていて人が一杯に座っている。何とかゴールまで行けそうだ。最後のゴール前花道は、10メートル以上も離れたスタンドからの声援なので受ける印象も今までより、ちょっと格式ばっている。でも、写真班のカメラを意識して、思いっきり手を上げて、ゴール。時計を止めたら4時間3分45秒だった。ふう~。
(残り400メートル)
【アフターラン】
レース後は、完走の満足感と最高のコンディションにも関わらず目標タイム(4時間)を切れなかった不甲斐なさに、非常に複雑な気持ちに満たされた。きっとオリンピックで「銅」メダルを取った人ってこんな気分なのではなかろうか?私の場合、自己新なら「金」だったろうし、自己新でなくとも4時間切れたら「銀」の気分なのだろう。そして、レースの終わった今は、頑張った満足感に浸りながらも、どうしたらあと4分は縮められただろうかと、どうして縮められなかったのか、疲れて思考力がない頭の中をぐるぐる思いが廻る。もっとリスクを犯して走るべきだったのでは?写真撮りすぎたか?いろんな事が気になってしまう。でも言いきかせる。いいじゃないか。こんな大舞台で走れたのだからと。。。
レースが終わるを待っていたかのように雲が空を覆い、パブでビールを飲むときには激しい雨となった。
(いろんな思いを胸に頂きながら、とりあえず前に惰性で進む、Finishersたち)
翌日、社に出社すると、思いもかけず、多くの同僚たちから声をかけられた。 "Well done!", "Very Impressive!", "How did you feel?", "Congratulations!", "お疲れ様でした・・・”,”素晴らしいですね・・・”。普段、向こうから声をかけてくれることはあまり無いような人まで声をかけてくれる。声援は沿道だけでなかった。「最後まで走れてよかった」と心底思った。タイムはやっぱり2の次なのだ。
この年齢になると、いまさら「夢」なんていう言葉を使うのは気恥ずかしい(こういうことを言うこと自体が、親父じみていて嫌いだが・・・)のだが、ロンドンマラソンで走ることは間違いなく自分の「夢」だった。そして今、その「夢」が終わり、自分は不思議なほどすがすがしい気分でいる。
(完走Tシャツと完走メダル)
(終わり)