上巻を紹介した記事(
こちら→)でも書いたのですが、震災時、そしてその後の混乱期に日本に居なかった私は、「日本人としての必要な共通体験が欠けているのではないか?」という罪悪感という程でもないけど、後ろめたいような気持ちを引きずっています。
そんな中、震災や原発事故について、せめて書籍を読むことで追体験していこうと思い、本書を手に取りました。しかし、本書は、単なる追体験を超え、原発事故という出来事の中に仮想の自分を対峙させる、生き方のレッスンとも言える内容でした。
上下巻を通じて、特に興味を持ったのは以下の4つの点です。
1.危機管理、危機におけるリーダーシップとは何か?
戦後最大の危機と言える状況の中で、日本のリーダーたちが取った行動は、どんなノウハウ本にも無いリーダーシップの迫力あるケースです。目まぐるしく変わる環境の中で素早く明確な意思決定を求められ、正解も前例もない中で、どう動くのか。管首相、吉田所長だけでなく、この本に登場する人物は全て何らかの形で日本のリーダーたちです。其々の立場の中で、ベストな行動は何だったのか?批判に終わるだけでなく、自分がその立場だったら当事者としてどう動くのかを一人称で考えさせられます。
2.官僚たちの行動原理:国は国民を助けてくれない。
こんな非常事態にあっても、省庁間の押し付け合い、組織防衛、保身、情報秘匿が行われる、官僚の組織体質は、読んでいて絶望的な気持ちにさせられます。少しでも多くの人が本書を読んで、国、役所というものの行動原則を知るべきと思います。政府見解や発表に対しての、自分の理解、行動が変わってくるはずです。
3.福島県知事、飯館村村長の行動:住民の安全よりも県や村の存続が第一優先なのか?
私が意外だったのは、被害者である福島県や飯館村のリーダーたちの考え方です。常に、県、村の存続が第一優先であり、住人の健康とか安全は2の次としか言いようのない優先順位の付け方。特に、線量が高くても、基準を高くして、学校を再開することに力を尽くすというロジックは私には到底理解不能でした。色んな理屈はつけていますが、要は住民よりも村・県が大切と言っているようにしか聞こえません。東京人の私には理解できない、土地に根付いた人々のメンタリティなのか、それとも、私がナイーブすぎるのか?当事者でない人間の傍観者的感想なのでしょうか?
4.東電は原子力発電を事業とするに信頼できる会社なのか?
東京電力という大きな社会的責任を持つ会社による、組織の防衛本能が最大の行動原理となっているとしか思えない行動の数々も、絶望的な気持ちにさせてくれます。この会社の防衛本能を考えると、この原発事故について自らの間違いを徹底的に洗い出し、次に活かすということはありえないでしょう。従って、原子力発電というリスクのある事業を行う資格があるとはとても思えませんし、私は彼らに日本のエネルギーを任せることはできないと思います。
人により感じるところ、学ぶところは違うと思いますが、少しでも多くの日本人が本書を読んで、あの時、何が起こっていたのかを知るべきだと思います。
《以下、下巻の抜き書きです》
ところが、「成田空港に外国から大量の放射性物質が持ち込まれたという想定はやめてください」と念を押された。
もう一つ、新潟県の原発テロ訓練に招かれた時もそうだ。
そもそも原発そのものを狙ったテロを想定した訓練は、政府も電力会社もやりたがらない。
すべて「(放射能が)漏れない」ことを前提にした訓練を行っている。
「被ばく者が出たという想定は、やめていただきたい」
と県からクギを刺された。(p109)
自衛隊や警察のテロ・警備担当者からすれば、核テロ対策を阻害したのは、保安院と電力会社だったとの思いが残る。
(中略)
原発本体ではなく補助的な施設を麻痺させるだけで、深刻な原発事故を起こすことができる。
原発は自然災害だけでなく、「悪意」のある脅威に対してもこれまで考えられてきた以上に脆弱であることを露呈した。
警察が原発警備と防護を独占してきたことが壁だったという証言もある。
(中略)
訓練にしても、警察力を超える武装特殊部隊による同時多発攻撃が起こった場合にどうするか、といった実戦的シナリオに基づく訓練は「住民を不安にする」という口実で回避されてきた。(pp112-114)
格納容器は健全である、格納容器損傷は起こらない、と言う前提で計算した放出量であり、それを基に勘案した避難計画であり、訓練計画なのである。
それを拡大することは、この前提への挑戦となる。
保安院は安全委員会に猛然と反撃した。(中略)
「IAEAの考え方を導入した新たな原子力防災指針の検討を行うことは……社会的な混乱を惹起し、ひいては原子力安全に対する国民不安を増大するおそれがあるため、本件の検討を凍結していただきたい」(p356)
文科省は、安全委員会に「具体的な空間線量率」について助言を求めた。
しかし、安全委員会は「文科省が判断基準を示すべきであり、原子力安全委員会は示された判断基準に対して助言を行う」との立場を伝えた。
「放射線防護については文部科学省が日本を主導する立場」(代谷誠治委員)ではないのか、と押し戻したわけである。
互いにボールを相手のコートに投げ込もうとしたのである。(p365)
しかし、その後、福島県が1ミリシーベルトには強く抵抗しているという情報が官邸に入った。
学校閉鎖になると、福島市を危険区域と宣言するに等しい。県として存続できない―――
そういう理由だと言う。(p366)
3月27日、渡邊(福島大学副学長)は飯舘村に行き、菅野(村長)に会い、計測結果を報告した。
菅野は重たい面持ちで聞いていたが、やり切れないというふうに言った。
「何回、私たちを同様させたら気が済むんだ」
「線量が高い、水が飲めない、土壌が汚れている。もう十分に分かっています。データはいただきたい。しかし、発表する必要はないんじゃないですか」
福島県の職員が菅野の脇に座っていたが、彼は渡邊に言った。
「もういい加減やめていただきたい」(p373)
(SPEEDIの結果が活用されなかったのは)どこに問題があったのか
第一に、SPEEDIを住民避難に生かす意思の希薄さとゲームプランの不在である。SPEEDIの試算結果を住民避難に用いるという防災計画をつくっておきながら、それを貫徹する政府の意思は希薄だったし、ゲームプランも作っていなかった。(中略)
第二に、ガバナンスの欠如である。政治家と官僚の役割規定があいまいで、危機管理においての意思決定過程と指揮系統が確立していなかった。(中略)
第三に、パニック回避と言う名のリスク回避である。ここは、政治家も官僚も変わらないが、官僚機構はこの点でさらに顕著である。
SPEEDIの試算結果の中にはナマすぎる情報もあるだろう。信頼性に欠けるデータも出てくるに違いない。そうした時そのインパクトをどのように判断するのか。試算結果を出すことでパニックが起きらないか。いや、出さないと逆にパニックが起きるのか。そこは難しい判断を迫られた。(中略)
原子力災害に限って、この完全主義がまかり通る。
原子力の安全については、どんな小さなリスクでもあってはならない。確率でそのリスクを表すことを日本は病的に忌避してきた。「SPEEDIは使えません」もまた原子力の安全神話の照り返しだったのだろう。
第四に、霞が関官僚機構に特徴的な縦割り行政と消極的権限争いである。消極的権限争いとは、政治的に得点にならないこと、役所の権限にプラスにならないこと、天下りポストを減らすようなこと、面倒な仕事を押し付けられること、幹部の出世の妨げになること、などについては、手を上げない、飛び出さない、目立たないようにする霞が関処世術である。
最後に、SPEEDIは「実物以上、現実以上の存在」として政治的、行政的に利用されてきた。(中略)「安全神話」の道具の一つとして喧伝されてきた。原子力推進のための住民の「安心」を買う仕掛けの一つだった。国がその研究開発に120億以上の税金を投入してきた以上、使えないはずはない。しかし住民避難の判断材料としては、使いたくない。(pp382‐390)
(吉田)「指揮命令系統が、例えば、本来、本店が止めろと言うんだったら、そこで議論ができるんですけど、全然わきの官邸から電話までかかってきて止めろと言う話なんで、なんですか、それはと。で、十分な議論ができないんです。電話ですからね。で、四の五の言わずに止めろですから」
「俺は止めないよと言ったんだけど、官邸がいっているからしょうがねえだろうという話になったんです。だから、要するにそのときも、指示命令系統がどこにあるのかというのが非常に分散している状態で、僕はこれはもう最後は僕の判断だと思ったんです」(p402)
福島第一原発事故について、危機の間、管を支えた首相秘書官の一人は後に述懐した。
「この国にはやっぱり神様がついていると心から思った」 (中略)
政治家だけではない。実務家、技術者の中からも似たような感想が聞かれる。(p436)
リーダーシップのあり方からすれば、おそらく管は落第点をつけられてもしょうがないだろう。にもかかわらず、管がいなければ「日常モード」から「有事モード」への思い切った切り替えはできなかっただろう。(中略)
管直人の戦いは、日本と言う国の存在そのものをめぐる戦いだった。その危機感は決して的外れではない。福島第一原発事故は、戦後最大の日本の危機にほかならなかった。そのような危機にあって死活的に重要なリーダーシップの芯は「生存本能と生命力」だった。そして、管はことこの一点に関してはそれを十分すぎるほど備えていた・
「管という不幸」と「管という僥倖」がストロボを焚いたように激しく照り返してくるのである。(pp438-442)