その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

ドン・キホーテ @新国立劇場

2013-06-30 21:58:34 | 演奏会・オペラ・バレエ(2012.8~)


 新国立劇場の今シーズン最後のバレエ公演「ドン・キホーテ」を観に行きました。ドン・キホーテは、一度は見に行きたいと思っていた演目です。今回は4公演ですが、其々の回により主役のキトリ役とバジル役が異なる踊り子さんで、最終回の今回はキトリが寺田亜沙子さん、バジルが奥村康祐さんです。



 しかし、今回は駄目でした・・・。もちろん、公演ではありません。私自身のことです。先週は仕事のピークで、後半は連日のタクシー帰り。昨日の土曜日も、プライベートなイベントがあって、全く体を休める暇が無く、疲れた体を引きずったまま着席。公演中は、寝落ちすること複数回、起きていても集中力を欠き、ボーっと何となく観ているという感じで終わってしまいました。

 そんな情けない状態の中だったのですが、それでも目を引いたのは、やはり、キトリの寺田さんとバジルの奥村さんの美男美女のコンビ。寺田さんは、美形でとっても舞台映えします。踊りの方はまだまだこれから伸びると思いますし、存在そのものに華があるのが素晴らしい。奥村さんは、キレの良い踊りと豊かな表現力が強みです。彼が出てくると、舞台が和みました。

 今回印象深かったのは、この両名の他のわき役陣がしっかり脇を固めていたことです。カスタネットの踊りや森の中での妖精の踊りなど、見せ場に事欠かず、素晴らしい。バレエ観劇初級者の私でも全く飽きさせません。バレエって本当に人を幸せにするんだなあと、しみじみと感じました。

 音楽は、明快で分かりやすいです。東フィルはかなりの大編成のオケで臨み、迫力満点。指揮のバクランさんは、物語の明暗や優雅さを丁寧に表現していました。

終演後は大きな拍手で劇場内は包まれました。きっと、4公演観れば、其々のダンサーによる違いなども良く分かるのだと思います。集中力欠いたにはとっても残念でしたが、今シーズンを締めくくるに相応しい公演内容に大いに満足して、劇場を後にしました。



ドン・キホーテ
2012/2013シーズン
Don Quixote

オペラ劇場
スタッフ
【音楽】レオン・ミンクス
【振付】マリウス・プティパ/アレクサンドル・ゴルスキー
【改訂振付】アレクセイ・ファジェーチェフ
【美術】ヴャチェスラフ・オークネフ
【照明】梶 孝三
【指揮】アレクセイ・バクラン
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

キャスト
【6月30日(日)2:00p.m.】
キトリ:寺田亜沙子
バジル:奥村康祐

Don Quixote
STAFF
Music : Léon Minkus
Choreography : Marius Petipa, Alexandr Gorsky
Production : Alexei Fadeechev
Designs : Vyacheslav Okunev
Lighting : Kaji Kozo

Conductor : Alexei Baklan
Orchestra : Tokyo Philharmonic Orchestra

CAST
[Jun. 30 (Sun) 2:00p.m.]
Kitri : Terada Asako
Basilio : Okumura Kosuke
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夏目漱石の美術世界展 @東京藝術大学大学美術館

2013-06-25 06:46:15 | 美術展(2012.8~)


 東京藝術大学美術館で開催中の「夏目漱石の美術世界展」へ行ってきました。会期末が近づいているせいか、フェルメール展のような混雑ぶりとは言わないものの、結構混んでいました。テーマのせいでしょうか、通常の美術展と客層が多少違っており、中高年の男性陣が多かった気がします。

 展示のほうは、期待以上に楽しめました。夏目漱石の小説や評論で題材として使われている美術作品を通じて、漱石の世界をより深く理解できます。昨今の企画展は、画家の個展であったり、有名美術館の引っ越し展示だったりすることが多いと思いますが、本展は、企画により、美術作品を通常とは異なった文脈、視点で見直すことができる、真の企画展といえるものだと思います。キュレーターさんのセンスに感心します。

 絵としては、私の好きなミレイやウォーターハウスなどのラファエロ前派の絵があったのが嬉しかったですし、名前こそ知っているものの、きちんと鑑賞した機会が少ない日本画家の青木繁、黒田清輝、横山大観らの絵を見ることができたのも良かったです。更に、当時の漱石の単行本の装丁などの展示もあり、洒落たデザインに感心しました。


ウォーターハウス「シャロットの女」


ウォーターハウス「人魚」

 展示数も多いですし、漱石の小説や評論の引用と合わせて絵を見る形になるため、思いのほか鑑賞には時間がかかります。たっぷり1時間半以上かかりました。

 漱石の主な小説は学生時代に大抵は読みましたが、久しく離れていますので、もう一度読み直してみたくなります。きっと学生時代とは全く異なった発見がありそうです。

 7月7日までですので、少しでも興味ある方は、足を運ばれることをお勧めします。

 蛇足ですが、上野は都立美術館、国立博物館までは行きますが、その奥は行ったことがありませんでした。今回初めて、東京藝術大学の周囲をぶらつき、その落ち着いた雰囲気が気に入ったので、一度、ゆっくり散策してみたいと思います。


展覧会のHPはこちら→
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調布音楽祭/ バッハ・コレギウム・ジャパン「バッハ管弦楽組曲全曲」

2013-06-23 06:35:14 | 演奏会・オペラ・バレエ(2012.8~)


 バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)による「管弦楽組曲全曲」演奏を聴きに、東京都下の調布に出かけました。このコンサートは、調布市が主催している調布音楽祭のクロージング・コンサート。調布音楽祭はBCJ音楽監督の鈴木雅明の監修のもと、鈴木優人氏が総合プロデュースしている2日間のフェスティバルです。プログラムを見たら、桐朋学園大学音楽学部の在学生、卒業生による無料コンサートが1日中行われていたりしていて、もっと早くから出かけていればと、少し後悔。

 バッハの管弦楽組曲全曲が全曲聴ける機会はあまりないでしょうし、それもバッハのプロ集団の鈴木氏とBCJ。とても楽しみにしていました。会場のグリーンホールは、調布駅前にあるいわゆる市民ホールで、外観は古ぼけていますが、ホール内は大きすぎず小さすぎずの適度な大きさで、新しくはないけど不満はないホールです。


《ホール前》


《ホール内》

 バッハの管弦楽組曲4曲のプログラムは、少々単調で退屈するかなとの恐れもあったのですが、それは全く杞憂でした。4曲おのおのの違いが浮き出る、非常に楽しめた演奏会でした。プログラムでは、4番→1番→2番→3番の順番だったのですが、演奏者の事情で、1番→4番→2番→3番に変更に。いったい、どういう「演奏者の事情」なのかわかりませ
んが、却って各曲の個性が良く分かる順番になったと思います。

 オーソドックスな組曲第1番の後の4番では、トランペットとティンパニが入って、ぐっと華やかになりました。トランペットがちょっと不安定な感じでしたが、弦、木管陣がしっかり支えて豊饒の演奏です。休憩を挟んだ最初の第3番は、フラウト・トラヴェルソの菅きよみさんの独壇場。古楽器ならではの音色を楽しませてくれました。ラストの2番は誰でも知っているエアーを含め、フィナーレを飾るに相応しい華やかな演奏です。

 大きな拍手に応えたアンコールでは、ちょっとしたサプライズ。この日の午後、この音楽祭でリサイタルを行ったヴィオラ奏者アントワン・タメスティがTシャツ姿でステージに登場。タメスティを加えて、ブランデンブルグ協奏曲第3番の第2楽章、第3楽章を共演。BCJのコンマス寺神戸さんとの対向演奏がなんとも見所、聞きどころ満載でした。食後のデザートというよりも、セカンド・メインディシュといえる程の豪華なアンコールです。

 今年からモデルチェンジをしたという音楽祭。規模は大きくないですが、中身がしっかりしていて、自治体イベントにありがちな形ばかりの「音楽祭」とは一味違ったプログラムと高いレベルの演奏が楽しめました。来年も要マークです。


バッハ・コレギウム・ジャパン「管弦楽組曲全曲」
6月22日(土) 17:00 ~
J.S.バッハ:管弦楽組曲第1番ハ長調 BWV 1066
J.S.バッハ:管弦楽組曲第4番ニ長調 BWV 1069
J.S.バッハ:管弦楽組曲第2番ロ短調 BWV 1067
J.S.バッハ:管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV 1068

調布市グリーンホール大ホール
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船橋洋一 『カウントダウン・メルトダウン(下)』

2013-06-21 06:00:51 | 


 上巻を紹介した記事(こちら→)でも書いたのですが、震災時、そしてその後の混乱期に日本に居なかった私は、「日本人としての必要な共通体験が欠けているのではないか?」という罪悪感という程でもないけど、後ろめたいような気持ちを引きずっています。

 そんな中、震災や原発事故について、せめて書籍を読むことで追体験していこうと思い、本書を手に取りました。しかし、本書は、単なる追体験を超え、原発事故という出来事の中に仮想の自分を対峙させる、生き方のレッスンとも言える内容でした。

 上下巻を通じて、特に興味を持ったのは以下の4つの点です。

1.危機管理、危機におけるリーダーシップとは何か?
 戦後最大の危機と言える状況の中で、日本のリーダーたちが取った行動は、どんなノウハウ本にも無いリーダーシップの迫力あるケースです。目まぐるしく変わる環境の中で素早く明確な意思決定を求められ、正解も前例もない中で、どう動くのか。管首相、吉田所長だけでなく、この本に登場する人物は全て何らかの形で日本のリーダーたちです。其々の立場の中で、ベストな行動は何だったのか?批判に終わるだけでなく、自分がその立場だったら当事者としてどう動くのかを一人称で考えさせられます。

2.官僚たちの行動原理:国は国民を助けてくれない。
 こんな非常事態にあっても、省庁間の押し付け合い、組織防衛、保身、情報秘匿が行われる、官僚の組織体質は、読んでいて絶望的な気持ちにさせられます。少しでも多くの人が本書を読んで、国、役所というものの行動原則を知るべきと思います。政府見解や発表に対しての、自分の理解、行動が変わってくるはずです。

3.福島県知事、飯館村村長の行動:住民の安全よりも県や村の存続が第一優先なのか?
 私が意外だったのは、被害者である福島県や飯館村のリーダーたちの考え方です。常に、県、村の存続が第一優先であり、住人の健康とか安全は2の次としか言いようのない優先順位の付け方。特に、線量が高くても、基準を高くして、学校を再開することに力を尽くすというロジックは私には到底理解不能でした。色んな理屈はつけていますが、要は住民よりも村・県が大切と言っているようにしか聞こえません。東京人の私には理解できない、土地に根付いた人々のメンタリティなのか、それとも、私がナイーブすぎるのか?当事者でない人間の傍観者的感想なのでしょうか?

4.東電は原子力発電を事業とするに信頼できる会社なのか?
 東京電力という大きな社会的責任を持つ会社による、組織の防衛本能が最大の行動原理となっているとしか思えない行動の数々も、絶望的な気持ちにさせてくれます。この会社の防衛本能を考えると、この原発事故について自らの間違いを徹底的に洗い出し、次に活かすということはありえないでしょう。従って、原子力発電というリスクのある事業を行う資格があるとはとても思えませんし、私は彼らに日本のエネルギーを任せることはできないと思います。

 人により感じるところ、学ぶところは違うと思いますが、少しでも多くの日本人が本書を読んで、あの時、何が起こっていたのかを知るべきだと思います。



《以下、下巻の抜き書きです》

ところが、「成田空港に外国から大量の放射性物質が持ち込まれたという想定はやめてください」と念を押された。
 もう一つ、新潟県の原発テロ訓練に招かれた時もそうだ。
 そもそも原発そのものを狙ったテロを想定した訓練は、政府も電力会社もやりたがらない。
 すべて「(放射能が)漏れない」ことを前提にした訓練を行っている。
「被ばく者が出たという想定は、やめていただきたい」
 と県からクギを刺された。(p109)

 自衛隊や警察のテロ・警備担当者からすれば、核テロ対策を阻害したのは、保安院と電力会社だったとの思いが残る。
 (中略)
原発本体ではなく補助的な施設を麻痺させるだけで、深刻な原発事故を起こすことができる。
 原発は自然災害だけでなく、「悪意」のある脅威に対してもこれまで考えられてきた以上に脆弱であることを露呈した。
 警察が原発警備と防護を独占してきたことが壁だったという証言もある。
 (中略)
 訓練にしても、警察力を超える武装特殊部隊による同時多発攻撃が起こった場合にどうするか、といった実戦的シナリオに基づく訓練は「住民を不安にする」という口実で回避されてきた。(pp112-114)

格納容器は健全である、格納容器損傷は起こらない、と言う前提で計算した放出量であり、それを基に勘案した避難計画であり、訓練計画なのである。
それを拡大することは、この前提への挑戦となる。
保安院は安全委員会に猛然と反撃した。(中略)
「IAEAの考え方を導入した新たな原子力防災指針の検討を行うことは……社会的な混乱を惹起し、ひいては原子力安全に対する国民不安を増大するおそれがあるため、本件の検討を凍結していただきたい」(p356)


文科省は、安全委員会に「具体的な空間線量率」について助言を求めた。
しかし、安全委員会は「文科省が判断基準を示すべきであり、原子力安全委員会は示された判断基準に対して助言を行う」との立場を伝えた。
「放射線防護については文部科学省が日本を主導する立場」(代谷誠治委員)ではないのか、と押し戻したわけである。
互いにボールを相手のコートに投げ込もうとしたのである。(p365)


しかし、その後、福島県が1ミリシーベルトには強く抵抗しているという情報が官邸に入った。
学校閉鎖になると、福島市を危険区域と宣言するに等しい。県として存続できない―――
そういう理由だと言う。(p366)


3月27日、渡邊(福島大学副学長)は飯舘村に行き、菅野(村長)に会い、計測結果を報告した。
菅野は重たい面持ちで聞いていたが、やり切れないというふうに言った。
「何回、私たちを同様させたら気が済むんだ」
「線量が高い、水が飲めない、土壌が汚れている。もう十分に分かっています。データはいただきたい。しかし、発表する必要はないんじゃないですか」
福島県の職員が菅野の脇に座っていたが、彼は渡邊に言った。
「もういい加減やめていただきたい」(p373)

(SPEEDIの結果が活用されなかったのは)どこに問題があったのか
 第一に、SPEEDIを住民避難に生かす意思の希薄さとゲームプランの不在である。SPEEDIの試算結果を住民避難に用いるという防災計画をつくっておきながら、それを貫徹する政府の意思は希薄だったし、ゲームプランも作っていなかった。(中略)

 第二に、ガバナンスの欠如である。政治家と官僚の役割規定があいまいで、危機管理においての意思決定過程と指揮系統が確立していなかった。(中略)

 第三に、パニック回避と言う名のリスク回避である。ここは、政治家も官僚も変わらないが、官僚機構はこの点でさらに顕著である。
SPEEDIの試算結果の中にはナマすぎる情報もあるだろう。信頼性に欠けるデータも出てくるに違いない。そうした時そのインパクトをどのように判断するのか。試算結果を出すことでパニックが起きらないか。いや、出さないと逆にパニックが起きるのか。そこは難しい判断を迫られた。(中略)
 原子力災害に限って、この完全主義がまかり通る。
 原子力の安全については、どんな小さなリスクでもあってはならない。確率でそのリスクを表すことを日本は病的に忌避してきた。「SPEEDIは使えません」もまた原子力の安全神話の照り返しだったのだろう。

 第四に、霞が関官僚機構に特徴的な縦割り行政と消極的権限争いである。消極的権限争いとは、政治的に得点にならないこと、役所の権限にプラスにならないこと、天下りポストを減らすようなこと、面倒な仕事を押し付けられること、幹部の出世の妨げになること、などについては、手を上げない、飛び出さない、目立たないようにする霞が関処世術である。

 最後に、SPEEDIは「実物以上、現実以上の存在」として政治的、行政的に利用されてきた。(中略)「安全神話」の道具の一つとして喧伝されてきた。原子力推進のための住民の「安心」を買う仕掛けの一つだった。国がその研究開発に120億以上の税金を投入してきた以上、使えないはずはない。しかし住民避難の判断材料としては、使いたくない。(pp382‐390)


(吉田)「指揮命令系統が、例えば、本来、本店が止めろと言うんだったら、そこで議論ができるんですけど、全然わきの官邸から電話までかかってきて止めろと言う話なんで、なんですか、それはと。で、十分な議論ができないんです。電話ですからね。で、四の五の言わずに止めろですから」
「俺は止めないよと言ったんだけど、官邸がいっているからしょうがねえだろうという話になったんです。だから、要するにそのときも、指示命令系統がどこにあるのかというのが非常に分散している状態で、僕はこれはもう最後は僕の判断だと思ったんです」(p402)


福島第一原発事故について、危機の間、管を支えた首相秘書官の一人は後に述懐した。
「この国にはやっぱり神様がついていると心から思った」 (中略)
政治家だけではない。実務家、技術者の中からも似たような感想が聞かれる。(p436)


リーダーシップのあり方からすれば、おそらく管は落第点をつけられてもしょうがないだろう。にもかかわらず、管がいなければ「日常モード」から「有事モード」への思い切った切り替えはできなかっただろう。(中略)
管直人の戦いは、日本と言う国の存在そのものをめぐる戦いだった。その危機感は決して的外れではない。福島第一原発事故は、戦後最大の日本の危機にほかならなかった。そのような危機にあって死活的に重要なリーダーシップの芯は「生存本能と生命力」だった。そして、管はことこの一点に関してはそれを十分すぎるほど備えていた・
「管という不幸」と「管という僥倖」がストロボを焚いたように激しく照り返してくるのである。(pp438-442)
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N響 定期 Cプロ/ チョン・ミュンフン指揮/ スターバト・マーテル (ロッシーニ)ほか

2013-06-16 09:53:04 | 演奏会・オペラ・バレエ(2012.8~)


 自分にとってはチョン・ミョンフンさんのコンサートは久しぶり。いつも奥深い感動を与えてくれるチョン・ミュンフンさんの指揮は、N響指揮陣の中でも特に好きなものですので、このコンサートは楽しみにしていました。

 ロッシーニのスターバト・マーテル は1年半前に、ネゼ=セガンさんの指揮、ロンドン・フィルハーモニック演奏で聴いている(こちら→)のですが、その時もベートーベン交響曲第2番とのカップリングのプログラム。何か、この2曲はあるのでしょうか?

 ベートーベンの2番はN響らしい均整のとれた演奏でした。チョン・ミョンフンさんは、アクセントの強弱を明確につけながら、軽すぎず、重すぎずで、全体のコントロールをしっかり効かせているといった印象です。安心して音に身を委ねることができる、そんな演奏です。やっぱりN響は上手いなあと感心。

 休憩後のロッシーニのスターバト・マーテル、これは圧巻でした。合唱、演奏、独唱がしっかりと組み合わされた高水準なパフォーマンスです。特に合唱が美しかった。大きなNHKホール一杯に響く合唱は落ち着いた大人の歌唱でした。独唱はソプラノの2人が印象的でした。ソ・ソニョンさんは豪快で野性味ある歌いっぷり。逆に山下牧子さんは端正で、しんみりと響き通るような歌声で、コントラストが楽しめました。オケはロッシーニのドラマティックな曲を過度に感情に流れることはないけども、気持ちの入った演奏を見せてくれました。チョン・ミョンフンさんは強い個性をぶつける等よりも、其々の特徴を最大限引き出しつつ、それを高いレベルで調和させる、そんな指揮ぶりです。

 ホールはブラボーを含む大拍手。私もN響の横綱パフォーマンスに、深い感動で胸を一杯にしてホールを後にしました。今シーズン最後のN響の締めくくりとしては、これ以上のものはないだろうと思います。来シーズンも期待したいです。


 余談ですが、開演前に、ある20名弱ぐらいのグループが、NHKホール前で、中国、韓国(朝鮮)寄りの偏向報道を理由として、NHK解体を訴える抗議活動をやっていました。チョンさんを初め韓国人出演者が多いこの日を狙ったのだとしたら悲しいです。主張の是非はともかく、拡声器で叫ぶアジテーターの日本語があまにりも汚く、気分が悪くなったのですが、チョン・ミョンフンさんらのパフォーマンスはこの不快な気分を一掃してくれました。



《感動の雰囲気だけでも・・・》


第1758回 定期公演 Cプログラム
2013年6月15日(土) 開場 2:00pm 開演 3:00pm
NHKホール
ベートーヴェン/交響曲 第2番 ニ長調 作品36
ロッシーニ/スターバト・マーテル

指揮:チョン・ミョンフン

ソプラノ:ソ・ソニョン
ソプラノ:山下牧子
テノール:カン・ヨセフ
バス:パク・ジョンミン

No.1758 Subscription (Program C)
Friday, June 14, 2013 7:00p.m. (doors open at 6:00p.m.)
NHK Hall
Beethoven / Symphony No.2 D major op.36
Rossini / Stabat Mater

Myung-Whun Chung, conductor
Sunyoung Seo, soprano
Makiko Yamashita, soprano
Yosep Kang, tenor
Jongmin Park, bass


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ラザレフ指揮/ 日本フィルハーモニー交響楽団/ ラフマニノフ「交響的舞曲」ほか

2013-06-15 00:04:42 | 演奏会・オペラ・バレエ(2012.8~)


 日フィルと首席指揮者アレクサンドル・ラザレフさんのコンビによるコンサートは、ツイッターでの評判がいつも良いので気になっていました。しかも、今回のプログラムには、久しぶりに聴きたいと思っていたラフマニノフのシンフォニックダンスも入っています。当日券狙いでサントリーホールへ乱入しました。

 そのラザレフさん。大きな動作による明確な指揮ぶりもさることながら、ステージでの愛想の良さが印象的でした。演奏終了後のガッツポーズ、常にソリストや楽員ら演奏家を褒め称える姿勢、観衆に向かって感謝を表すジェスチャー、ちょっと大げさすぎるんではと思うほどの大きな体を一杯に使ったボディー・ラングエージはとっても分かりやすいし、微笑ましいぐらいです。

 プログラムはシリーズで続いているラフマニノフ特集。どの曲も、美しく甘いメロディもあれば、激しくリズムを刻むところもある、ラフマニノフらしい魅力的な音楽です。2曲目の「パガニーニの主題による狂詩曲」は河村尚子さんによるピアノです。河村さんのピアノは初めて聴きましたが、癖のない、素直でのびやかな演奏でした。逆に、私にはちょっとキャラが良く分からないというか、もっとエッジが立っていても良いんじゃないかなあと思うところはありました。当日券最後のB券だったためか、ステージ右斜め後方のエリアだったので、ピアノの屋根の後方だったのが残念でした。音が直接は耳に入らず間接的に聞えてくるので、角が取れた、こもった音に聞えてしまったようです。

 休憩後のシンフォニックダンス。4年前にゲルギエフ指揮でロンドン響を聴いています。これも緩急のついた曲ですが、「緩」の部分が特に良かったと思いました。木管が美しくホールに響きます。が、「急」のところはちょっと不満も。これも席位置が原因かもしれませんが、どうも「急」のところは弦が管に負けるのか、良く聞えません。アンサンブルも乱れると言うほどではないのですが、皆が指揮棒について行ってはいるのですが、各自が自分のところで精一杯で、一つの纏まりとしての音の強さや、「急」ならではの音のキレが表れていないように聞えてしまいました。ただ、ツイッター上での評価は皆さん絶賛されてましたし、会場の拍手もとっても大きなものだったので、きっと私の耳か席が悪いのでしょう。

 もちろんこんなネガティブなところは全体のごく一部です。ラザレフおじさんのパフォーマンス、美しいソロやアンサンブル、楽しくノリノリの音楽を十二分に楽しんだハナ金でした。


〈開演15分前〉


日本フィルハーモニー交響楽団第651回定期演奏会
日時:2013年6月14日(金) 19:00 開演
指揮:アレクサンドル・ラザレフ
出演:河村尚子(Pf)

曲目
ラフマニノフ:カプリチョ・ボヘミアン
ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲
ラフマニノフ:交響的舞曲

会場:サントリーホール 大ホール

JAPAN PHILHARMONIC ORCHESTRA SUBSCRIPTION CONCERT NO.651
Cond: Alexander Lazarev
Pf: Hisako Kawamura
Rakhmaninov /Caprice bohemien /Rhapsody on a Theme of Paganini /Symphonic Dances
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船橋洋一 『カウントダウン・メルトダウン(上)』

2013-06-13 05:57:02 | 


 今、福島第一原子力発電所の原発事故を追ったルポルタージュ『カウントダウン・メルトダウン』を読んでいます。日本を代表するジャーナリストである船橋洋一氏ならではの、資料、関係者へのインタビューを駆使した、その日、その時、何が起こったのかを明らかにした力作です。危機管理とは何か、リーダーシップとは何なのかを考えるケーススタディとして最高水準の一冊だと思います。事故当時、日本に居なかった自分にとっては、日本人として必要な追体験の機会でもあります。

 まだ上巻を読んだだけで、これから下巻ですが、考えさせる記述、知らなかった事実が多く、自分の備忘として、上巻で気になったところを抜き書きしてみました。全体を通じての感想は下巻を読んでからにします。



《以下、上巻からの引用》
保安院は、原子力事業者に取り込まれる形で、原子力の過酷事故を「想定外」として捨象してきた。
そのため、緊急時の対応と過酷事故発生の際のオンサイトでの対処の危機管理のプロを育ててこなかった。(p37)

池田(元久原子力災害現地対策本部長)は深く感ずるものがあった。
(政治指導者に必要なのは大局感だ。いま、日本が直面しているのは福島原発事故だけでなく地震・津波もある。すべての人々の生存の可能性が高い初動の72時間が勝負だ。そういうときは、総理はどんと構えて、司令塔の役割を果たさなければならない。総理たるもの、所作、言動、言葉遣い、それなりの風格がなければならない。それがこの人には感じられない)(p129)

福山が枝野に言った。
「爆発の状況についてもう少し詳しいことが言えるまで、会見の時間をずらしてはどうでしょうか」
 何の情報もない。わからないことだらけだ。記者会見すれば、「政府は知らない」ということを国民に告白するようなものだ。そんなことをすれば、国民の政府に対する不信感を高めるだけではないのか・
 「うーん」
 枝野は、しばらく考え込んだが、きっぱり言った。
 「やはり、やろう。これだけの映像がもう流れている。会見を遅らせれば、政府は何をやっているんだ、何かを隠しているのはないかと言われる。国民は余計動揺する。会見は予定通りやるよ」
 菅も「うん、やってもらおう」と枝野の背中を押した。
 枝野は、「手ぶらで」記者会見に臨むことになった。(p151)

危機管理では、一番危険な状態に置かれている人々をいかに早く見つけるか、の勝負となる。
 それには基準を引き上げ、一番危険な状態に置かれている人々いち早く保護、管理する。汚染拡大を防いで他の人々を守ることが肝心である。
 危機管理上、とくにトリアージュの観点からは、そうした緊急選別が不可欠である。
 ところが、日本ではトリアージュをされると「見捨てられた」とのイメージでとらえられがちで、従って、社会的抵抗も強い。(p207)

「(福島)県知事の判断によって服用のリスクが生じることは避けたい、しかし、それによって被爆のリスクが生じることは見て見ぬふりをするということだった。(福島県は)被ばくのリスクと、ヨウ素の吸引によるリスクと安定ヨウ素剤を飲むことのリスクのバランスをきちんと考えなかった。安定を保ちたい、県が考えていたのはそれだけだった。騒ぎにつながることはことごとく避けよう、過去のいろいろな知見を覆すことは避けようという気持ちが、いろいろな場面で強く働いた」 (p222)

「自ら自治体と住民に指示を出さなくても済むように、国に指示を出させないよう国を牽制していた」(p223)

その時々で、どこが一番危機的な状況にあるのか。
それを判断する際のデータは確かか。
対応の優先順位をどう決めるか。
限られた人材と資源をどう振り分けるのか。
どれかを選ぶことによって他の何が犠牲になるのか。
それぞれのリスクの相互連関をどう評価するのか。
認識と評価と対応のすべてのレベルを統合的にとらえ、作戦を立てなければならない。(p287)

原子力のような巨大技術と巨大リスクを管理しなければならない保安院のトップが専門性と知見を欠いていたことは自己管理では致命的だった。(p362)

日本には原子力安全・保安院の他、原子力安全委員会という安全規制のお目付け役がいる。・・・安全委員会は、(安全規制を行う経産省や文科省などの行政機関の)安全規制をチェックするのが役目である。
首相を通じて関係行政機関に勧告権を持つので、権限は強い。
・・・・・11日午後、委員会事務局は、一斉携帯メールシステムを使って専門家リストの20人の非常招集をかけた。そのメールは誰にも届かなかった。・・・その日に委員会に駆けつけたのはわずか20人だった。(pp369-370)

《下村内閣官房審議官のメモ。斑目原子力安全委員会委員長らの管首相へのブリーフィングを聞いて・・・》 
「批判されてもうつむいて固まって黙っているだけ」
「解決策や再発防止策をまったく示さない技術者、科学者、経営者」
「技術そのものではなく、人間力として、原子力を持っちゃいけない社会だと確信した」(p373)

安井正也資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部長
「設計図面通りにつくる点では日本は世界一だろう。しかし、システム・デザインを変えていく技術を持たないと、世界のトップランナーにはなれない」
<日本には技術政策全体のバランスや優先順位を見て、的確な判断と方向を示すチーフ・エンジニアがいない>(p378)

 こうした中で、自衛隊はプロフェッショナルに対応した。
 ここは、危機対応作戦を自己完結型に遂行する能力と意思と専門性を持っていた。(p387)

 17日の自衛隊の上空からの放水作戦によっても、放射線量はほとんど低下しなかった。
   (中略)
 少なくとも、この作戦は、日本政府が一丸となって、地上からの注水作戦を発動する契機を与えた。
   (中略)
 細野は、かろうじて踏みとどまったと感じた。
 <日本と言う国家の背骨が折れようとしていた。それをなんとかもちこたえさせた。>と感じた。
 <日本が独立国として残りうるかどうか、もう瀬戸際だ>
 <これができないのなら、アメリカももう日本を手助けしないだろう> (p424-425)

折木は答えた。
「総理。どう思うかと聞くのはやめてください。行け!と言って下さい。命令されてやるのが自衛隊です。相談されても困るんです。」(p473)
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コジ・ファン・トゥッテ (モーツァルト) @新国立劇場

2013-06-10 06:12:22 | 演奏会・オペラ・バレエ(2012.8~)


 コジ・ファン・トゥッテ(女はみなそのようなもの)は、私の好きなオペラ作品トップ3に入るお気に入りです。反道徳的かもしれないけど男女の心理の本質をついたとも言えるテーマ、テンポの良い音楽、美しい数々の重唱曲、オペラの醍醐味を十二分に味わえる作品だと思います。

 今回の新国立劇場の舞台(演出ミキエレット)は数年前の新国初演以来の再演とのことですが、このプロダクションがとっても楽しめました。夏の森林のキャンプ場を舞台にしたこの演出。第1幕では、違和感こそ感じないものの何でキャンプ場なのかと、不思議に思っていたのですが、第2幕になって分かりました。夏のキャンプ場の夜に展開する、愛をささやく男と、求愛に揺れる女心。なるほど、暗いキャンプ場ほど愛の囁きがフィットする場は無いでしょう。18世紀のナポリを舞台にした原作が、完全に現代の恋物語として、新しい息を吹き込まれていました。回転舞台が有効に使われていてキャンプ場の空間を上手く表していたし、山小屋、木々の緑、池の水色などの色合いや照明も美しく、とっても良く出来た演出でした。

 歌手陣ではフィオルディリージ役の ミア・パーションのソプラノが光ります。パーションは一昨年のBBCプロムスで聴いて以来(こちら→)ですが、相変わらず透き通るような美声です。あと、フェルランド役のパオロ・ファナーレのテノールも柔らかく聞かせます。第2幕の2人の重唱は聴いているだけでとっても幸せな気分に浸れました。デスピーナ役の天羽 明惠さんも頑張っていました。ただ、まだこの役柄には慣れてないのかなあという気がしました。デスピーナはこのオペラでは隠れたキーパーソンで、この役の出来によって公演の躍動感が変わってきます。決して悪いとは思いませんでしたが、もう少し目立っても良い役です。

 東フィルによる演奏は、前半は違和感がありました。指揮者によるものなのか、オケによるものかはわかりませんが、コジらしい、溌剌さやキレがあまり感じられず、美しくはあるけども何か平板なメリハリが足りない演奏のような気がしたのです。後半は持ち直した感がありましたが、素晴らしかった前回の「ナブッコ」の演奏と比較すると、ちょっと物足りない感じです。

 ラストシーンはハッピーエンドではなく、最近良くある破局型の終わり方でした。個人的には、最後は大円段で終わった方が好きなのですが、現代のカップルだったら、こうなっちゃうでしょうね。

 まあ幾つか気になるところはあったものの、とっても楽しんだ3時間半弱でした。やたらブラボーを連発する男性が4階にいたのはやや興ざめでしたが、観衆も大変盛り上がっていたと思います。やっぱり、コジは素晴らしいオペラです。

2013年6月9日 14:00

指揮:イヴ・アベル
Conductor: Yves Abel

演出:ダミアーノ・ミキエレット
Production: Damiano Michieletto

美術・衣裳:パオロ・ファンティン
Scenery and Costume Design: Paolo Fantin

照明:アレッサンドロ・カルレッティ
Lighting Design: Alessandro Carletti

再演演出:三浦 安浩
Revival Director: Miura Yasuhiro

舞台監督:村田 健輔
Stage Manager: Murata Kensuke.

合唱指揮:冨平 恭平
Chorus Master: Tomihira Kyohei

芸術監督:尾高 忠明
Artistic Director: Otaka Tadaaki

(Cast)
フィオルディリージ: ミア・パーション
Fiordiligi:Miah Persson

ドラベッラ:ジェニファー・ホロウェイ
Dorabella:Jennifer Holloway

デスピーナ:天羽 明惠
Despina:Amou Akie

フェルランド:パオロ・ファナーレ
Ferrando:Paolo Fanale

グリエルモ: ドミニク・ケーニンガー
Guglielmo:Dominik Köninger

ドン・アルフォンソ: マウリツィオ・ムラーロ
Don Alfonso:Maurizio Muraro

合唱:新国立劇場合唱団
Chorus: New National Theatre Chorus

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
Orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra
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吉祥寺サムタイムでJazzを聴く

2013-06-08 14:38:56 | 演奏会・オペラ・バレエ(2012.8~)
 何年振りか分からないぐらい時間が経ったけど、きっと5,6年ぐらいだと思う。久しぶりに吉祥寺のジャズのライブハウス、サムタイムに出かけた。

 通ったと言うには口はばったいけど、学生時代から、年に1,2回、ふと思いだした頃に出かける、そんな場所だ。海外勤務や地方勤務になって東京を離れると来れなくなってしまうけど、東京に居ると、時に無性に行きたくなるところ。

 雰囲気は何ら変わることが無い。階段を下りて地下1階のドアを開けると、地上の喧騒とは全く異なった空間がある。中央にドラムやピアノが置いてあるエリアがあるが、特に飾り気があるわけでもない、どちらかと言えば殺風景な中、妙に気だるく、ゆっくりとした時間が流れる別世界。決して、なじみ客ではないのだが、来ると不思議に落ち着いて、ホーム感覚が味わえる。

 演奏は、もう優に60歳は超えているように見える峰厚介さん(ググったら何と1944年生まれだった)をリーダーにピアノ、ベース、ドラムスの構成。知っている曲は1曲も無かったけど、ビールをちびり飲みしながら、音に身をゆだねるのは、クラシック音楽の演奏会とは全然異なる、心身の解放感がある。約1時間のセッションを2回、十二分に楽しんだ。

 ひとつ驚いたのは、お客さんの年齢層。N響の定演並(もしくはそれ以上)に高い!店が歳を重ねるのに合わせて、お客さんも一緒に歳を取ってきたようである。お客さん同士が結構顔なじみで、聴き方もかなり集中して一生懸命。私が学生時代に訪れていた頃は、最初は単なる格好つけやデートの口実みたいなところもあったと思うのだが、そんな連中はどこにも見当たらない。コアなファンによるアットホームな雰囲気は良いことは良いが、ちょっとジャズやハウスの将来を考えると不安になった。

 これからは、もっと足しげく通うことになりそう、そんな予感がした。 


 2013年5月31日訪問



峰 厚介(sax)4 / 清水 絵理子(p) 杉本 智和(b) 本田 珠也(ds)

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エルンスト・H・ゴンブリッチ (著), 中山典夫 (翻訳) 『若い読者のための世界史(上)(下)』 (中公文庫)

2013-06-06 07:27:32 | 
 

 新聞(たしか日経?)の書籍紹介で、世界史の入門に適した本の1冊として紹介されていたので、図書館で借りて読んでみました。

 原始から第1次世界大戦までの世界史(といっても殆どが西洋史)が物語風にとっても読みやすく記述されています。小学生でも十分読める平易な文章です。個々の歴史的事実よりも歴史の大きな流れが掴む叙述で、「歴史と言う川の流れ」を小舟に乗ってゆっくりと下って行くような感覚で読み進められます。

 入門書への入門書とでも言えるかもしれませんが、ある程度世界史を勉強している人でもきっと楽しんで読めると思います。

コメント (2)
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日比谷オクトーバーフェスト2013 (HIBIYA OKTOBERFEST 2013)

2013-06-03 05:56:03 | 旅行 日本
 1週間前の話ですが、クラーク・コレクションを三菱一号館美術館で鑑賞した後、有楽町、新橋方面に向かってぷらぷら歩いていたところ、偶然、面白いイベントに遭遇したので共有します。

 丁度、日比谷公園に近づくと、公園の中が異様な盛り上がりを見せていました。何かと思い、公園内に入ると、「オクトーバーフェスト」と名のビール祭りです。ご存知の方も多いと思いますが、オクトーバーフェストはドイツのミュンヘンで9月に開催されるビール祭りで、欧州でも有名なお祭りです。どうやら、このイベントはそれを日本に持ち込んでいるらしい。

 会場内は、大型の出店が何店も出店していて、ドイツのいろんな種類のブランドビールや地ビールを樽注ぎで提供してくれます。ソーセージなどのドイツ料理を出す店もあります。若い人を中心に凄い人だかりで、盛り上ってました。


<公園の池を取り囲むようにビール、食べ物の出店が並びます>


<大型テント内にテーブルがありますが、もう席は一杯>

 私もジョッキ一杯のビールとソーセージを注文し、立ち食い、立ち飲み。梅雨入り前の初夏の風が何とも気持ちよいです。


<私がビールを買ったお店>

 20時からはバンドによる演奏が始まり、盛り上がりも最高潮に。音楽に合わせて、皆で乾杯!知り合いであろうと、無かろうと、「ビールを飲めば、皆友達、兄弟」、とでも言うような雰囲気でした。


<「飲んでますか~」「飲んでます!!!」>


<皆で乾杯!>

 パンフレットによると、このイベントは東京を中心に全国を廻っていて、5/31-6/9は駒沢公園で。そして日比谷公園にも9月にまた戻ってくるようです。近くでやる時は、足を運んでみては如何でしょうか。ビールの値段は高め(500mlで1300~1500円ぐらい。グラスのデポジットで1000円も必要です)ですが、本場のドイツビールが楽しめます。

 開催概要、開催地については下記のホームページで。
 こちら→

 2013年5月25日訪問
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孫崎 享 『戦後史の正体 1945-2012』 (創元社)

2013-06-01 08:17:29 | 


 「朝日新聞」の書評欄で、佐々木俊尚氏が「陰謀史観」と批判し、その後、「一部誤認があった」として朝日新聞自身によって書評の一部が削除されるという事件もあった昨年話題となった本。昨秋に図書館で予約してやっと廻ってきました。

 戦後の日本外交を動かしてきた最大の原動力が、「米国から加えられる圧力と、それに対する「自主」路線と「追随」路線のせめぎ合い」(p iv)と捉え、戦後日本の政治・外交を叙述します。

 確かに、論拠を疑いたくなる箇所もないわけではないですが、一読に値する歴史書です。日本の政治・外交が、米国の外交戦略に大きく影響を受けていることは、誰もが感じる事だと思うのですが、本書はそれを具体的に明示して、戦後日本史をダイナミックに描きます。証言集や回顧録、2次史料を中心とした歴史的事実や仮説の記述は、1次史料重視の学者さんにはなかなか書けないものでしょう。

 私として興味を持った箇所としては、記述は多くありませんが、昭和天皇が戦後の日米関係に大きく関与していたこと、米国のエージェントとの印象が強い岸首相の再評価、ニクソン大統領と佐藤首相の密約とそれを果たせなかった佐藤首相への報復などです。より多次元的に歴史を観るヒントを貰いました。

 米国が世界戦略の中で日本を利用することを考え行動するという、国際政治では当たり前であろうことが、実際にどのように行われてきたのか。それに対して時の日本の指導者はどう考え、どう対応しようとしたか?自らがその立場だったら何が出来るのか?単なる理想論ではなく、多数のステークホルダーが複雑に入り組んだ現実の中で、自らのビジョン、政策をどう実現していくのか?政治・外交の難しさを窺い知るのに十分な内容です。「政治の本質は動機で無くて結果」という岸の証言は大きく首肯できるものです。

 叙述も非常に分かりやすく読みやすい本書ですが、深読みすべき一冊です。
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