今年の夏休みは家庭事情により遠出できないため、代替として都内の水道橋駅エリアにあるホテルに3日ほど滞在しました。これはこれで、ゆっくりとした時間が過ごせます。
早朝旅ランはいつものルーティーン。今回のテーマは、時機を踏まえて「戦争犠牲者への慰霊」。ホテルからアクセス可能(半径5k圏内)な慰霊碑等をリサーチし、それらを巡るコースを設定しました。
1日目は西方面へ。
【靖国神社】
まずは九段下方面へ走り出し、靖国神社へ。戦争犠牲者の慰霊ならここを外すわけにはいきません。戦争犯罪人を祀ることについては議論ありますが、国に殉じた兵士たちへの慰霊に異議を唱える人はいないでしょう。境内には、様々な戦争にかかわる記念碑、記念像が建てられていました。
(朝6時頃。まだ人もまばらです)
(6時開門)
境内にある資料館遊就館の前には特攻勇士の像があります。まだ少年の面影残る顔だちを見ると、非合理的で無謀な作戦に従い、殉じざるをえなかった若者の人生を想い、涙を禁じ得ないものがあります。
(まだ少年ですね)
靖国神社を出ると飯田橋駅を経由して、外堀通りを後楽園方面に向かいます。(ラン後にコースを振り返ったら、靖国神社と並んで大事な千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪るのを忘れるという痛恨のミス)
【東京都戦没者霊苑】
地下鉄丸ノ内線後楽園駅の北側に隣接している礫川公園(この公園の敷地は戦前は陸軍の砲兵工廠だったらしい)の奥に東京都戦没者霊苑があります。満州事変から太平洋戦争終結迄の16万人ほどの戦没者の霊を祀られているとのこと。残念ながら開場は9時からで、門の外からお参りだけしました。
(礫川公園、噴水の水は出てませんが、美しくデザインされた公園です)
(東京都戦没者霊苑)
【番外 牛天神北野神社】
戦没者霊苑の周囲を廻っていたら、住宅街の台地にひっそりと佇むように小さな神社がありました。天神様を祀った神社で、北斎の版画にはここから見る富士山を描いたものがあり、切手にもなったことがあるようです。
(階段上って境内へ)
(牛天神北野神社)
再び総武線沿線に出て水道橋方面へ。グーグルマップによると、神田川沿いの昭和第一高校の東側に防空壕跡があるはずなのですが、該当箇所はマンション?の建設工事中で、それらしきものは発見できませんでした。1日目は、以上で終了。道に迷ったり、寄り道したりして走るので、9キロを1時間半近くかかってます。
(この壁沿いに防空壕跡があるはずなのですが・・・)
2日目は、水道橋を北東方面へ走り始めます。目指すは浅草エリアです。
水道橋→お茶の水→秋葉原と来た道すがら、秋葉原駅を過ぎたところにある地域の慰霊碑にお参り。
(佐久間公園:JR総武線の線路脇に佇むどこにでもあるような小公園)
【戦災殉難者慰霊碑】
秋葉原駅と浅草橋駅の間にある佐久間公園に立つ昭和20年3月9日の東京大空襲の犠牲となった秋葉原東部地区の殉難者慰霊碑です。400人余りの霊を慰霊するものです。南無阿弥陀仏。
(戦災受難者の碑)
(慰霊碑の向かいにはこんな碑も)
そのまま、東に進み浅草橋駅過ぎて日光街道に当たったところで、日光街道を北へ。駒形橋西詰の交差点を東に曲がり、隅田川に出ます。朝日が川や町全体を照らし、輝いています。
(朝6時15分頃。朝日を受けて輝くスカイツリー)
【東京大空襲犠牲者追悼碑】
隅田川にかかる言問橋の西側・北側の隅田公園に太平洋戦争中の東京大空襲により亡くなった方々の追悼碑があります。当時、空襲で亡くなられた多くの方々の遺体はここに仮埋葬されたとのこと。合掌。
(丁度、一人のお年寄りが新しいお花が供え、線香に火を灯されました)
【浅草寺】
言問橋から走って3分ほど。浅草寺に到着。浅草寺の影向堂の敷地内にも記念碑がありました。浅草寺自体、空襲で大きな被害を負っています。黙禱。
(左の掲示板は、空襲後の浅草の町の写真)
浅草寺にもお参りし(これはまた別ポストで)、復路に入ります。往復で11キロ程、前日ほど道に迷うことも無く、スムーズな朝ランでした。
この時期、戦没者に思いを寄せると必然的に胸に沸き上がるのは現代世界の平和への希求の思い。今ある戦争が終結を願うのはもちろんのこと、先行き不透明な世界情勢の今後の平和を願うばかりです。
改めて平和の大切さを認識します。
思い付き企画の慰霊碑ランでしたが、とっても重かったけど、この時期に、ひとりの日本人として過去を振り返り、慰霊を行い、現在・未来を考えることの大切さを感じることができた貴重な機会でした。ちょっと調べると、都内にもまだまだ様々な慰霊碑、平和記念碑、戦争跡があります。また、機会を見つけて、訪れてみようと思います。
2023年8月10日、11日