東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館、やたら長い名前の美術館に初めて足を運びました。新宿の損保ジャパン日本興亜ビルの42階です。梅雨空ですが、東京を一望する眺望がすばらしいです。
本展は、ターナーの風景画を集めたもので、「プーシキン展」に続いてヴァーチャルツアーを楽しみました。油彩画、水彩画、エッチング等100点あまりが展示されています。
会場に入ったら、いきなりマームズベリー修道院が。ここは2010年の夏に訪れたことがあるので、当時の旅行を思い起こし懐かしかった。他にも、エディンバラ、ストーンヘンジ、スノードン山など、見覚えある風景を描いた作品がいくつもありました。
《マームズベリー修道院》
油彩や水彩に加え多くの版画が展示されているのが本展の特徴です。小さなものは10センチ四方程度ですが、その表現の細かやかさは、おおつくりに見えるターナーの油彩画とは大きく異なります。鑑賞者の立ち入り制限ラインが引かれているわけではないので、版画もぎりぎり近づいて鑑賞可能です。一つ一つの繊細な表現を満喫できます。
週末のためか、それなりに会場は混み合っていましたが、鑑賞を妨げるほどではありません。多くの大作の展示を期待すると違うと思われるかもしれませんが、リラックスしてイギリスや大陸欧州の風景を楽しむには良い企画展です。
《美術館入口の窓から。この風景をターナーが描いたらどうなるのだろうか?》
《構成》
「地誌的風景画」
「海景‐海洋国家に生きて」
「イタリア‐古代への憧れ」
「山岳‐あらたな景観美をさがして」
以前、モスクワに出張で出かけた際に、何とか時間作ってプーシキン美術館に潜入できないかを企てたが、ほぼ完全拘束状態であった1泊2日の出張では実現できなかった。そのリベンジと言うことで、東京都美術館へ。
「収蔵品の数は約10万点でエルミタージュ美術館に次ぐ世界2位」(Wikiより)というぐらいなので、星の数ほどあろう収蔵品の中から、今回は印象派とその前後の時代も含めたフランスの風景画を集めた企画である。展示作品数は65点ということで多くはないが、1点1点の質が高く、見ごたえたっぷりだった。「旅する風景画」とのキャッチコピーがついているが、まさに風景画を通じてバーチャルフランスツアーが体験できる。
個々の作品も良いが、風景を描くにもこれほどのバリエーションがあることに気づかされたところが楽しかった。神話の世界を幻想的に描いた風景、離れてみるとまるで写真のように見える風景画、セザンヌの色使い、ピカソのキュビズムで描かれた風景などなど、風景の受け止め、理解、表現の仕方の違いが興味深い。
金曜の夜間開館時間に訪れたが、展示作品数が多くないためか、絵と絵の間隔も余裕があり鑑賞しやすい。落ち着いて絵に浸ることができる環境である。
クロード・ロラン《エウロペの掠奪》1655年
クロード・モネ《草上の昼食》1866年 初来日!
ジャン=フランソワ・ラファエリ《サン=ミシェル大通り》1890年代
朝の3:00‐5:00でスペイン-ポルトガル戦をTV観戦して、体のリズムが完全に崩れたままNHKホールへ。アシュケーナージさんによる東欧プログラムです。庄司紗矢香さん効果か、C,D,E席は完売で、ホールはかなりの熱気に包まれていました。
前半はその庄司紗矢香さんとヴィキンガー・オラフソンのピアノによるメンデルスゾーンのヴァイオリンとピアノのための協奏曲。なんとメンデルスゾーンが14歳の時の作品だそうです。初めて聴く曲でしたが、耳に馴染みやすいものでした。
ただ、曲の特徴の故か、この日の庄司さんのヴァイオリンは、演奏そのものはいつもながらの正確な美音を発していたものの、奏者の思いがあまり伝わってこなかった気がしました。上手だなあ~とは思うものの、3年前のシベリウスのヴァイオリン協奏曲の時のような凄みを感じない。むしろピアノの清明な音の方が刺さる感じがすると思って聴いていました。もっとも、こんな感想はTwitter上でも全く見かけませんでしたので、私の感じ方の問題なのでしょう。
後半の2曲も私は初めてでしたが、こちらも聴きやすく楽しめました。ヤナーチェックのタラス・ブーリバはコザック兵一家の死を扱った曲なので、重めではありましたが、N響のアンサンブルが冴えていました。
また、コーダイの「ハーリ・ヤーノシュ」は民族色豊かで、管のソロあり、雄大な合奏ありで、管弦楽曲の醍醐味を味わえました。打弦楽器ツィンバロンの音を聞いたのも初めてです。
アシュケナージさんは今日もお茶目に元気いっぱい。80歳を超えるとは思えない溌溂さです。会場からも大きな拍手に包まれていました。今回はA,Cの2つの演奏会をユニークなプログラム。引き続きの登壇をお願いしたいです。
第1889回 定期公演 Cプログラム
2018年6月16日(土)
NHKホール
メンデルスゾーン/ヴァイオリンとピアノのための協奏曲 ニ短調
ヤナーチェク/タラス・ブーリバ
コダーイ/組曲「ハーリ・ヤーノシュ」
指揮:ウラディーミル・アシュケナージ
ヴァイオリン:庄司紗矢香
ピアノ:ヴィキンガー・オラフソン
No.1889 Subscription (Program C)
Saturday, June 16, 2018 3:00p.m. (doors open at 2:00p.m.)
NHK Hall
Mendelssohn / Concerto for Violin and Piano d minor
Janáček / “Taras Bulba”, rhapsody
Kodály / “Háry János”, suite
Vladimir Ashkenazy, conductor
Sayaka Shoji, violin
Víkingur Ólafsson, piano
衝動的に生ベートーヴェン交響曲第5番聴きくなって文化会館に出かけ、当日券を購入。
お目当ての「運命」は期待を上回る素晴らしい演奏だったのですが、それ以上にサプライズかつ感動的だったのは2曲目のチェロ協奏曲。恥ずかしながら名前も初めて聞く日本人作曲家・矢代秋雄による現代音楽です。
音楽の持つ幽玄で深遠な世界、そしてソリスト宮田大の力強く、透明感あるチェロの音色に魅了されました。水を打ったような静けさに包まれた文化会館の大ホールの中で、まるで和楽器のように響くチェロやフルートの音に痺れっぱなしでした。管弦楽曲は交響曲、ピアノ協奏曲、チェロ協奏曲の計3曲という作曲家ですが、和洋折衷を突き抜けた、和でも洋でもない世界が展開されました。記憶に残るコンサート体験となったことは間違いありません。
休憩後の「運命」は力強い、骨太の演奏でした。比較的早めのテンポで第1、第2楽章は進みましたが、都響の弦のアンサンブルの美しさに感嘆します。2年半ほど前に、ほぼ同じ位置で、ドレスデンフィルの演奏の「運命」を聴いたのがまだ耳に残っていましたが、都響の演奏の方がアンサンブルの精緻さ、音の深み、厚みにおいて、優に勝ってました。
オレグ・カエターニさんの指揮も初めてでした。長身を大きく使った指揮ぶりは決して恰好が良いというものではありませんでしたが、都響からは相当の集中力を引出してました。私が今さら言う話では無いですが、「運命」は本当に素晴らしい曲で、「人類の宝」と言っても過言ではないと思います。
衝動的に出かけた文化会館ですが、期待以上の時間となり幸福感一杯で後にしました。
第858回 定期演奏会Aシリーズ
日時:2018年6月11日
場所:東京文化会館
指揮/オレグ・カエターニ
チェロ/宮田 大
シューベルト:交響曲第3番 ニ長調 D200
矢代秋雄:チェロ協奏曲(1960)
ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調 op.67《運命》
Subscription Concert No.858 A Series
This concert is over.
Date: Mon. 11. June 2018
Hall: Tokyo Bunka Kaikan
Artists
Oleg CAETANI, Conductor
MIYATA Dai, Violoncello
Program
Schubert: Symphony No.3 in D major, D200
Yashiro: Cello Concerto (1960)
Beethoven: Symphony No.5 in C minor, op.67
小雨が滴る中、代々木公園を抜けてNHKホールへ。久しぶりにアシュケナージさんが振る定演。ドビュッシー没後100周年と銘打ったコンサートでもある。
一曲目はイベールの「祝典序曲」。1940年に神武天皇即位2600年を記念して日本政府が作曲を依頼した作品とのこと。お祝い曲らしく明るく威勢の良い音楽なのだが、この後に続くドビュッシー没後100周年との関係性が分からず、このプログラミングの意味を測りかねた。音楽や演奏についてネガティブな感想は全くないが、この日の演目の中では浮いたものとなったのは否定できない。
この後のドビュッシー3曲は、ドビュッシーらしい色彩豊かな音楽で、アシュケナージさんとN響コンビが実に芳醇な音楽を作り上げていた。「ピアノと管弦楽のための幻想曲」は第2楽章の夜想曲がなにより美しかった。
ピアノ独奏のジャン・エフラム・バウゼさんは、何度かN響に登場しているようだが、私は初めて。アンコールのドビュッシー〈喜びの島〉は、「『喜びの島』はバトーの絵画「シテール島への巡礼」がモチーフ」(出典https://necogaku.com/lisle-joyeuse)らしいが、官能的とも言えるセクシーな曲であった。
後半の2曲はドビュッシーの管弦楽曲の中でも代表的なものであり、聴いた機会も少なくないが、アシュケナージさんのアプローチはとっても自然体で力みのない音楽作り。ドビュッシーの音楽がすうーっと体の中に染み込むような感覚だった。N響の演奏もフルート、オーボエなどの木管陣のソロを初めとした個人技とアンサンブルの美しさがしっかり噛み合っていた。とりわけ、「牧神の午後への前奏曲」の幻想的な繊細な演奏にはうっとり。
プログラムによるとアシュケナージさんももう80歳を超えたという。ちょっと信じられない。舞台袖から小走りに指揮台に向かうスピードはおそらくN響指揮者の中でも一番の速さだろうし、愛嬌のあるボディ・ラングレッジは皆に愛される。NHKホールも暖かい拍手に満ちていて、幸福感一杯にホールを後にした。
第1888回 定期公演 Aプログラム
2018年6月10日(日)
開場 2:00pm 開演 3:00pm
NHKホール
~ドビュッシー没後100年~
イベール/祝典序曲
ドビュッシー/ピアノと管弦楽のための幻想曲
ドビュッシー/牧神の午後への前奏曲
ドビュッシー/交響詩「海」
指揮:ウラディーミル・アシュケナージ
ピアノ:ジャン・エフラム・バヴゼ
経営学の古典になりつつある名著『イノベーションのジレンマ』の著者であるクレイトン・M・クリステンセン教授らが書いたイノベーションを継続的に起こすための理論、ジョブ理論について書いた一冊。原題は”Competing Against Luck”
正直、邦訳のタイトルを本屋で見たときは、キャリア開発論関連の本かと思い、素通りしてきたのだが、講演会やセミナーでしばしば紹介されていたので読んでみた。
一言で言うと、「ジョブ理論」におけるジョブとは「用事・仕事」のことで、「顧客がどんなジョブを片付けたくて、そのプロダクトを雇用するのか?」を洞察することが継続的なイノベーションにつながるというものである。
即ち、ジョブ理論が目指すのは、顧客が進歩を求めて苦労している点は何かを理解し、彼らの抱えるジョブ(求める進歩)を片付ける解決策とそれに付随する体験を構築することである。なぜ特定のサービス/プロダクトを採用するかを説明を、相関関係では無く、因果関係の解明しようとする。それにより、顧客のジョブを理解する基盤を築き、戦略を立てれば、イノベーションを運に頼る必要はなくなるという。(まあ言うは易し、行うは難しだが・・・)
例として挙げられているのは、朝のミルクシェイクの販売(いかにもアメリカ的事例で日本人には今一つピントこない)。どうすればミルクシェイクがもっと売れるか?を考えるのに、従来のマーケティング手法であれば顧客の属性分析(性別、年齢、年収・・・)をしてセグメント化したりするのだろうが、ジョブ理論では「来客者の生活に起きたどんなジョブ(用事・仕事)が彼らの店に向かわせ、ミルクシェイクを雇用させたのか?」という問いを設定し、分析する。その結果、「朝の(車での」通勤の間、僕の目を覚ませていてくれて、時間をつぶさせてほしい」(朝のジョブ)ということが分かり、より濃厚なミルクシェイクを売って成功を収めた、という。
関連していくつか刺さる指摘も多い。
•自社製品を雇用して顧客が片付けようとしている本当のジョブを理解していない企業は、「ひとつですべてを満足させる」万能の解決策に惹かれがちで、結局誰も満足させることができない(←まさにうちの会社が嵌っている罠)
•顧客のジョブの機能面ばかりに重点を置くのではなく、感情面や社会的側面に発見にも注意を向ける
•自社製品も他社製品もかっていない「無消費者」に注目すべき
•顧客データの収集・利用には、ビッグ・ハイヤ(プロダクトを買うとき)だけでなくリトル・ハイヤ(実際に使うとき)に注目
•企業は成長するにつれて、ジョブにフォーカスを無くしてしまうことが多い
とかく私の勤務先もプロダクトアウト志向が強いので、機能・価格だけのマーケティング、サービス開発に終始しがち。この理論、見方を組織にどうビルトインしていくかは簡単ではないけど、持続的に企業が成長していくための大きな鍵の一つであることは間違いない。
《目次》
この本を「雇用」する理由
第1部 ジョブ理論の概要(ミルクシェイクのジレンマ
プロダクトではなく、プログレス
埋もれているジョブ)
第2部 ジョブ理論の奥行きと可能性(ジョブ・ハンティング
顧客が言わないことを聞き取る
レジュメを書く)
第3部 「片づけるべきジョブ」の組織(ジョブ中心の統合
ジョブから目を離さない
ジョブを中心とした組織
ジョブ理論のこれから)
なぜタイトルがこんなに長いのか?はさておき、私自身は、決して部下とうまくいってないことはないと信じてないのだけど、友人からのお勧めをうけて読んでみた。コンサルタントとそのコーチングを受ける中間管理者の対話という形式で話が進むので、非常に読みやすいが、内容はなかなか深い。一言で言うと、「成人発達理論」について説かれた本である。
マズロー欲求階層説のように、成人にも発達段階があって、それを理解し、自分やチームメンバーの発達段階を知ることで、自己成長につながり、メンバーとのコミュニケーションがスムーズに進むことができるということだ。欧米に比較して、日本では成人の発達心理学というのはまだまだ普及が遅れているらしい。
本書によると、成人以降の発達段階とは、「道具主義的段階」(自分のために他者を道具のようにみなす)、「他者依存段階」(組織や集団に従属し、他者に依存する形で意思決定する)、「自己主導段階」(自分独自の考えを持ち、明確な自己主張ができる段階)、「自己変容・相互発達段階」(多様な価値観や意見などを汲みとって自分を再構築できる段階)の4つがあり、私たちは死ぬまで成長・進化し続けることができるという。
皮肉なのは、上の段階に上がったからと言って、必ずしも幸せになるかと言うとそうでもないらしい。また、下の段階の人は上の段階は理解できないという(だから、発達段階の低い上司が、高い部下を持ってはいけないし、そうなると悲劇)。更に、日本のイノベーションに元気が無いのは、多くの人が「他社依存段階」に留まっており、「自律人材」が少ないからではないとの仮説も提示される。
個人的な経験や葛藤を振り返ってみても、腑に落ちることが多く、客観的に自分を見つめ直すことができる良書である。是非、タイトルに惑わされず、部下が居てもいなくても、組織に属していも属していなくても、読んでみれば、何らかの得るものがあると思う。
【目次】
プロローグ 課長山口光のモノローグ
第一章 何をすれば関係は良くなるのか__成人発達理論とは何か
あるワインバーで /成人してからも人は成長する /変われることと変われないこと /再会 /欧米では育成や評価に使われている /人はそれぞれ固有の「レンズ」を持つ /自分よりも上の意識段階は理解できない /意識の成熟と他者の受容 /器の拡大がもたらすこと /意識の発達 /成人以降の四つの意識段階 /意識の成長が見えなかったものを見えるようにする
第二章 自分に関係することにしか関心を寄せない部下__道具主義的段階への対処法
ワインバーでの三回目の講義 /利己的段階―極めて自分中心的な認識の枠組み /道具主義的段階―自分のために他者を道具のようにみなす /チームワークが苦手で、自分勝手な部下 /部下について何も知らなかった私 /自分勝手な部下への見方が変わる /発達段階2の人が抱える大きな課題 /問いを投げかける /ピアジェ効果 /人間の意識段階は置かれている状況で変わる /意識段階が極端に変わらない理由 /感情的になる部下への対処法 /発達段階2の振り返り
第三章 上司には従順だが、意見を言わない部下__他社依存的段階への対処法
優秀だが「指示待ち人間」の部下 /「含んで超える」成長 /マズロー欲求階層説との関係 /部下に問いかけをしているか /発達段階3の振り返り /なぜ大手企業に自律型人財が少ないのか /「他者依存段階」人財がイノベーションを阻む /発達段階3を超えなければ新しいものは生み出せない /発達段階3から4へ到達するには /他者依存段階から抜け出しつつある山口課長 /山口課長の振り返り
第四章 自律性が強すぎて、他者の意見を無視する部下__自己主導段階への対処法
自分の成長が部下の成長につながった! /自分独自の考えを持ち、明確な自己主張ができる段階 /発達段階4の限界点 /発達段階4が企業社会の中で最重要である理由 /発達段階4の振り返り1 /グローバル化に伴う言語の壁 /言語と意識段階 /発達段階4の部下の問題 /「垂直的な成長」と「水平的な成長」 /発達段階5へのカギを握る「他者の存在」 /過去の成功体験に縛られる /自分の意見と自分を同一視する /発達段階4の振り返り2
第五章 多様な部下との関わりから他者の成長に目覚める__自己変容・相互発達段階における変革型リーダーへの成長
発達段階4の部下のその後 /コーチングと自己成長 /自己の脱構築サイクル /既存の価値観を乗り越えるには /成長への葛藤が生じるとき /イチローと羽生善治に見る脱構築 /本日のセッションの振り返り /終わりであり、始まりでもある最後のセッション /透明な自己認識 /相互発達という認識 /人間が成長・発達するとはどういうことか /その後の部下たち /山口課長本人の成長
エピローグ 一年で何が変わったか
参考資料