その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

真夏になったサウス・ダウンズ・ウエイを歩く (その1)

2012-05-30 22:39:43 | 旅行 海外
 先週末は、きっと今年一番の天気の良い週末になるに違いないと思わせる快晴の天気でした。つい10日ほどまでコートを着ていてもおかしくない気候だったのが、街じゅうタンクトップの女性であふれる日に変ってしまいました。こんな日に家に居てはもったいないので、土曜日、3週連続となるカントリー・ウォーキングに出かけました。

 今回は、東サセックス州のGlyndeからSeafordまでの全長23キロのコースです。このコースは、私が持っているガイドブック"Country Walks"のコースの中で最長、難易度も10段階の9と言うかなり困難が予想されたコースでした。コースは確かに楽ではありませんでしたが、大部分がサウス・ダウンズ・ウエイというナショナルトレイルの一部なので迷いませんし、今まで歩いたウォーキングコースの中でも最も素晴らしいものだと断言できます。丘陵の上からの素晴らしい眺望、いかにもイギリスというヴィレッジ、田園風景、海岸沿いの白壁の絶景、常に変化があり、飽きることの全くないコースです。

【Glyndeにて下車】
 ロンドン・ヴィクトリア駅からイーストボーン行きの中距離列車に乗って、1時間。Lewesという駅(ここは一昨年、グラインドボーンのオペラを見に行った場所)で各駅列車に乗り換え、次の駅Glyndeという駅で降ります。

 駅を降りて5分も歩くと、これから登るサウスダウンズ(ダウンズは丘の意味で、サウス・ダウンズは西のウィンチェスターから、東のイーストボーン辺りまでの丘陵地帯のこと)が見えて来ます。牧草地には馬が居て、とってものんびりした気分。






【Church of St Peterに立ち寄る】
 丘を登る前に、最初のヴィレッジwest Firleを通過します。セント・ピーター教会は村の鎮守様としての教会のようです。イギリスのどの村にもあるような教会ですが、この教会のステンドガラスは見事でした。

 

 

【South downsに登る】
 さあ、いよいよ丘登りです。えっちら、よっちらと登っていきますが、たかが標高215メートルですが、山岳民族の日本人には全然大したことありません。


 登るに従って、雄大な風景が背中に広がっていきます。
 

 やっと登り切りました。南側に英国海峡を臨む絶景が現れます。
 

 丘の背に沿って、東に向かって絶景の中を進みます。
 

 ウォーキングの他にもサイクリストも多く見かけます


 最高位の高度215メートル地点


 草、羊、海。
 

 4kmほど丘の背を歩いて、下りはじめます。
 

(つづく)
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Ninagawa Company/ Cymbeline (蜷川幸雄演出/ シンベリン(シェイクスピア))@バービカンシアター

2012-05-30 01:23:50 | ミュージカル、演劇
 蜷川幸雄さん演出のシェイクスピア劇『シンベリン』のロンドン公演初日を観てきました。非常に充実した、グイグイ引き込まれる舞台で、あっという間の3時間半でした。以下、手短に感想を。

 最も印象に残ったのは、俳優陣の熱演です。中でも、MVPはやはり大竹しのぶさんでしょう。この方、もう50歳台半ばのはずなのですが、とてもそうは見えないです。王女イモージェンを、小気味良いセリフ回し、テンポよい動作で、美貌、知性、品格を備える王女を見事に演じていました。(くどいですが)50歳台の人が若い女性を演じる違和感が全くと言っていいほど無く、観ていて華があるというか、非常に惹きつけられます。特に、後半の変装した男性役などははまり役で、男性と女性の声の使い分けなど、コミカルかつ素晴らしかった。

 また、ポステュマスを演じ、大竹さんとペアを組んだ阿部寛さんも存在感溢れる演技だったです。ホント、格好いいですね、この人。でも、この公演を盛り上げたのは、この2人を支える脇役陣です。特に、シンベリン役の吉田鋼太郎さん、クロートンの勝村政信さん、ベレーリアスの佐川哲郎さん、ピザーニオ大石継太さんが印象的でした。いずれも骨太の演技で、とっても安定した舞台になっていたと思います。

 実は、舞台が始まった冒頭は、非常に早い台詞回しが落ち着かなくて、舞台全体が地に足がついていないような印象を受けたのですが、舞台設定がイタリアに移ったあたりぐらいから落ち着いてきました。それからは、ぐーっと舞台に引き付ける磁力を持った舞台でした。

 演出も好みでした。平安絵巻の屏風のような立てを置いたり、どこかの惑星を模したような背景カーテンも、時に日本的な雰囲気を加えたり、観る者の意識を地球レベルまで引き上げて観させるような意図が感じられます。ただ、これが理解できないと本演出がわかったことにはならないのでしょうが、幾つかの場面で東日本大地震を一つのメタファーで使っているところがあります。例えば、戦シーンでは、津波とおもわれる波の音や赤ん坊が泣き叫ぶ声などが効果音として使われたり、ラストシーンでは、舞台上の木が、津波を生き残った「希望の杉」を模したもになったりするのですが、正直この劇の文脈と東日本大震災との関連性や意味合いは私には良くわかりませんでした。

 あと、これはこのお芝居に限ったことではないのですが、やはりシェイクスピア劇の日本語公演というのは、難しいなあと思いました。私は、日本語によるシェイクスピア劇の公演は初めてで、シンベリンも英語でも日本語でも読んだことはないですが、日本語で100%内容が分かるというメリットは素晴らしい一方で、やはりシェイクスピアの英語の音や韻を通じたリズム感は失われてしまいます。時折、台詞回しがつらそうに見えるは、言葉の問題としかいいようがないかと思います。ストーリーはシェイクスピアだが果たして、これはシェイクピア劇と言えるのか?というのは、ちょっと考えてしまいます。

 ただ、全体を通じて印象的で、良い公演です。ロンドンに来て以来、シェイクスピア劇は10本近く見ているのですが、この蜷川版も十分トップクラスで通用すると思います。英人にはどう写ったでしょうか?明日以降の新聞レヴューが楽しみです。

 蛇足ですが、大竹しのぶさんや阿部寛さんが出演するということもあってか、会場は半分近くが日本人と思しき人でした。

(舞台開始前。何故か、楽屋を模した舞台で、俳優さん達がウロウロしている)


(カーテンコール)





Cymbeline
Ninagawa Company
29 May 2012 - 2 June 2012 / 19:15
Barbican Theatre

In Japanese with English surtitles

Directed by Yukio Ninagawa
Cast includes Hiroshi Abe and Shinobu Otake

Presented by the Barbican in association with Thelma Holt, Saitama Arts Foundation and HoriPro Inc

ANA (All Nippon Airlines) Ninagawa Company's offical airline




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イングリッシュ・ナショナル・オペラ/ 蝶々夫人 ・・・これは必見プロダクション

2012-05-27 07:21:56 | オペラ、バレエ (in 欧州)
 素晴らしい舞台なので、是非、おススメしたい公演です。

 イングリッシュ・ナシュナル・オペラ(ENO)による蝶々夫人。演出をはじめ、演奏、歌手陣も素晴らしく、今まで観た蝶々夫人のなかでは一番感動した公演でした。

 必見はプロダクションです。2005年初演のプロダクションとのことですが、イギリスの映画監督アンソニー・ミンゲラ(現故人)がオリジナルダイレクターであったこの舞台は、ENOならではの斬新なプロダクションです。簡素ではあるが創造性豊かな装置、美しい照明、そしてダンス、文楽の要素も取り入れたもので、これまで観たオペラの演出の中でも、有数の優れたものでした。

 舞台装置は、私の表現力では表しにくいのですが、舞台奥に、舞台より1メートルほどの高さに大きな障子のようなスクリーンを1枚置いて舞台とは斜面でつなげることで、屋敷の外の奥行きを表します。蝶々さんの家は、舞台中から前方に障子だけを3重ほどに置き、それを適宜移動させるだけのものです。面白いのは、舞台上方に透明な鏡のようなものが観客席に向かって斜めに置かれていて、障子の奥での進行も、観客席から見えるようになっているので、舞台(屋敷)の表と裏が同時並行に見えます。

 装置はこれだけですが、この白いスクリーンや障子に、場面に応じて、夕陽を想起させる紅色、夜の群青色等の鮮明な照明が当てられるため、舞台の印象はとても豊かで、とにかく美しいです。そして、冒頭部分から数回、日本舞踊と西洋のダンスを折衷したようなダンスが織り混ぜてあり、これも美しいです。

 そして、極めつけは、文楽のような黒子を使った演出です。この演出では、蝶々さんの子供は人形で、黒子が文楽のように操る。人形の顔が無表情でグロテスクなので気持ち悪いのですが、子供の動きは生身の人間のごとく自然で、観る者は人形を通じて自分の子供像を頭の中に自然と作ります。こんな演出の仕方もあるのだと、感じ入りました。黒子はこのほかにも、棒にくくりつけた鳥や提灯の動きも、操作するのですが、当たり前ながら機械には絶対できない動きですから、効果抜群です。

 もちろん、日本人としてはいろいろ気になるところもあることはあります。衣装は芸者でも着ないような派手な色合いとデザインで見られたものではありませんし、日本人男性の衣装や髪形も、これはどこの国の人?と思うほど、平安朝の貴族の衣装に中国風の色合いを加えたような風体で、気分が悪いです。ただ、そうした点は差し引いても、装置でなく、色彩、動き、想像力を使って舞台を雄弁に語りあげる。これほどまでに演出に感心したオペラはあまり記憶にありません。

 演出もさることながら、オーケストラ、歌手も素晴らしかったです。イタリア人指揮のOleg Caetani(オレグ・カエターニ)と言う人は、全くの初めてだと思うのですが、非常に情熱的な指揮をする人で豊かで雄弁な表現です。オーケストラもこれがENOのオケ?と思うほど、素晴らしいアンサンブルで、演出と音楽の組み合わせがこれほどマッチした公演も珍しいと思う程でした。

 歌手陣も健闘です。歌手陣のなかでは、ピカートン役のGwyn Hughes Jonesのテノールが、伸びがあって柔らかい声で、良かったです。蝶々さんのMary Plazas(メアリー・プラザス)は、驚くほど小柄な人。失礼ながら、蝶々さんにしてはちょっとベテラン過ぎる感じがしましたが、大袈裟すぎない範囲でとっても気持ちが入った熱演でした。歌は特筆する程ではないのですが、ベテランだけあって、ちょっと動きが日本人的になっていて、ガイジンさんが蝶々さんを演じる違和感は最小限に抑えられています。シャープレスの John Fanning、スズキの Pamela Helen Stephenらも良いです。

 ENO特有の英語上演は違和感を感じるところはありますが、この公演は観ておいて損は無いと思います。6月2日が最終日であと3回ほどありますので、お時間の合うかたは是非。


※演出のイメージは、ENOのHPの広告クリップをご覧ください→

※ストール席のほうが、障子裏を映す鏡や舞台の奥行きがわかるので、この舞台を楽しめる気がします。



(中央がメアリー・プラザス)


(指揮のオレグ・カエターニ)




Saturaday, 26 May 2012 18:30
English National Opera

Madam Butterfly/ Puccini

Credits

Revival supported by American Friends of ENO
Original production supported by Lord and Lady Laidlaw
A co-production with the Metropolitan Opera, New York, and the Lithuanian National Opera

Conductor Oleg Caetani
Original Director Anthony Minghella
Original Associate Director and Choreographer Carolyn Choa
Revival Director Sarah Tipple
Set Designer Michael Levine
Costume Designer Han Feng
Lighting Designer Peter Mumford
Revival Choreographer Anita Griffin
Puppetry Blind Summit Theatre: Mark Down and Nick Barnes

Cast includes
Cio-Cio San Mary Plazas
F.B. Pinkerton Gwyn Hughes Jones
Kate Pinkerton Catherine Young
Sharpless John Fanning
Suzuki Pamela Helen Stephen
Goro Michael Colvin
The Bonze Mark Richardson
Prince Yamadori Jonathan McGovern


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ロイヤル・オペラ・ハウス/ ラ・ボエーム

2012-05-25 23:50:03 | オペラ、バレエ (in 欧州)
 「ラ・ボエーム」が大好きである。「あの、甘ったるい青春讃歌ね」と言われようとも、好きなものは好きである。「椿姫」と、ヒロインが恋人と居る中で他界するというラストシーンでは似ているが、「椿姫」には何ら感情移入しないが、「ラ・ボエーム」には涙が出る。

 「ラ・ボエーム」は、ロイヤルオペラハウスのドル箱なので、これまでも何度もやっていたのだけど、何故か見る機会に恵まれなくて、今回やっと見ることができた。

 今回、最も印象的だったのは、セミヨン・ビシュコフの創る音楽。ビシュコフのことは、ロンドンに来て初めて知ったのだけど、こちらでは彼の指揮は何回も聴くことができた。いつも重厚で情熱的な音楽を聴かせてくれる。この日も、下手するとお涙頂戴の感傷音楽になるところを、優美さとドラマティックでうねりのあるスケールの大きなさが並存する素晴らしい音楽を聴かせてくれた。オーケストラにも拍手!

 歌手陣は総じて男性陣の方が目立った。とりわけ、ルドルフ役のジョセフ・カレヤのテノールが声の伸びやかさ、優雅さ、声量の大きさで際立っていた。女性陣は悪いとは思わなかったが、もうひとつ印象が弱かった。ミミのカルメン・ジャンナッタージョは可憐な雰囲気がミミにぴったり。でも、歌唱に特徴が無く、主役としてパンチ不足は否めなかった。あと、私的に一番気になる役所であるムゼッタは代役でマドレーヌ・ピラードが演じた。派手な顔立ちで舞台映えし当たり役だったと思った一方で、歌唱も演技もムゼッタらしいはつらつさに欠け、ちょっぴり不満。

 プロダクションは私がオペラDVDを初めて買った1982年のロイヤルオペラのラボエームのDVDとまだ同じ。でも、薄暗いパリのアパートの屋根裏部屋の雰囲気や、明るくにぎやかな酒場、粉雪が舞う美しいパリの邸宅前といった舞台は、古典はいつでも普遍というばかりに、美しく、抒情的だった。

 好きなオペラをこうやって聴ければ、もうそれだけで満足。とって幸せな気持ちで、劇場を後に出来た。

(Joseph Calleja)


(女性陣は左がMadeleine Pierard、右がCarmen Giannattasio)


(指揮のSemyon Bychkovも入って)



La bohème

Saturday 12 May 2012, 7.30pm

Main Stage

Credits
Director: John Copley
Designs: Julia Trevelyan Oman
Lighting: design John Charlton

Performers
Conductor: Semyon Bychkov
Mimì: Carmen Giannattasio
Rodolfo: Joseph Calleja
Musetta: Madeleine Pierard
Marcello: Fabio Capitanucci
Colline: Yuri Vorobiev
Schaunard: Thomas Oliemans
Benoît: Jeremy White
Alcindoro: Donald Maxwell
Parpignol: Luke Price

Chorus Royal Opera Chorus
Orchestra Orchestra of the Royal Opera House
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依田高典 『次世代インターネットの経済学』 岩波新書

2012-05-24 00:34:15 | 
 「本書の目的は、発展著しい情報通信産業を経済学から解き明かしていこうというものである」(はじめに)とある通りだが、残念ながら、目的は未達成に終わったという読後感を持った。

 第1章からは3章では其々コンテンツ、ネットワーク、プラットフォームという情報通信の3つのレイヤーを取り上げて経済学の観点から解説し、4章は規制の経済学、終章は政策提言という構成だが、新書という制約からか、どの章も狭く浅くという感じで、消化不良の不満足感が残る。この産業のダイナミックさは、各レイヤーが入り混じってビジネス領域、プレイヤー、技術が常に変化するところにあると思う。この本のアプローチだと、経済学で見るとこの産業のこの部分は、こう分析できますと言っているだけで、産業全体のダイナミックさが描かれていない。今、学者さんに求められるのは、こうした産業のダイナミクスを解き明かすことであって、経済学で説明できるところを絞りこむことではないと思う。分解して分析するというよりも、要素を統合させて全体像を解き明かすことの方が大事だと思う。(まあ、とっても難しいことだとは思うのだが・・・)

 内容もさることながら、これは私の感情的なところだが、筆者の上から目線は気になった。筆者は、プロの経済学者として相当の自負心を持っているようだが、読んでいて「学者さんはそんなに偉いんですかねえ~」と感じるほど、節々でプライドが覗く。「平明な言葉で啓蒙書」(p237)を読んでいるような私は、もっと畏まって、ご説を拝聴しなくてはいけないのかもしれない。
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イングリッシュ・ナショナル・オペラ/ さまよえるオランダ人

2012-05-24 00:09:14 | オペラ、バレエ (in 欧州)
新プロダクション。良かった。ROH版より個人的に好み。3幕の宴会シーンはゼンダが輪姦されるようなシーンで、少々趣味が悪いが、1幕の映像を取り入れた幻想的かつ視覚的な舞台作りや、2幕のオーソドックスながらも木造と白熱灯によるシックな照明が雰囲気を作っていた。

オーケストラは個々の細かな首をかしげるところはあるが全体として情熱的で劇的な演奏だった。特に3幕の盛り上がりは良かった。
ガーディナーはやっぱり良い。

迫力ある合唱がとても目立った舞台でもあった。タイトルロールはこのやくが持つ怪しさにおいて不十分だったが、バリトンとしては上手い。ゼンダやくが最初かなり不安定でがっかりだったが、尻上がりに調子をあげて、終盤は見事な歌唱だった。ただ喉から絞り出すようなソプラノは好みではない。恋人役は大根役者だったが歌は良い。父親は良い。

しかし空いてたな。97ポンドの席がなんと25ポンドで2階席前から5列目。2階席は後ろ半分は全くの空席だった。どうしてだろう?




The Flying Dutchman
Wagner
New Production

Sat 28 Apr 12 - Thu 24 May 12

Credits
New production supported by a syndicate of individual donors

Conductor Edward Gardner
Director Jonathan Kent
Designer Paul Brown
Lighting Designer Mark Henderson
Choreographer Denni Sayers
Video Designer Nina Dunn

Cast includes
Daland Clive Bayley
Senta Orla Boylan
Erik Stuart Skelton*
Daland’s Steerman Robert Murray
The Dutchman James Creswell
Mary Susanna Tudor-Thomas

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春まっただ中のケント州を歩く (Leigh to Turnbridge Wells)

2012-05-22 22:03:43 | 旅行 海外
 いまさらという感じが多分にあるのだが、「その土地を楽しむには、その土地の人たちがやっていることをするのが一番」ということに改めて気付いている。イギリスなら、パブでのエールであり、フィッシュ・アンド・チップスが一例だ(なお、フィッシュアンドチップスには外れも多いが、それは日本の駅の立ち食いうどんやそばに当たり外れがあるのと同じ)。そして、もう一つ、イギリス人が大好きなウォーキングの素晴らしさにも、最近やっと気づき始めた。

 先々週の日曜日(5月13日)、「イングランドの庭」とも言われるケント州にウォーキングにでかけた。ケントのLeigh(ライという村からタンブリッジ・ウェルズ(Turnbridge Wells)という町までの17.5キロのコースである。季節、天気に恵まれた、素晴らしい1日だった。

 ロンドンブリッジ駅(またはチャリングクロス駅)から列車に乗って1時間ほど。途中、TON BRIDGEという駅で乗り換え、一つ目のLeighという無人駅で降りる。駅前にはパブすらも無く、人の気配がしないところだ。

(快晴の春の朝。ここで降りたのは私だけ)


(駅前から1分も歩かないうちに、農場の入り口に)


 5分も歩くと、Penshurst Placeというマナーハウスの敷地に入る。野原あり森ありの昔の貴族の広大な裏庭だが、綺麗なイングリッシュ・ブルーベルの一群に遭遇し、感動。今年見た中では一番美しいかも。

 

 前半のランドマークPenshurst Placeに着く。マナーハウスというよりも、殆ど城に近いような豪邸だ。
 

 城の裏側には聖ヨハネ・バプティスト教会があった。


 教会裏に建つ古~い、建物。歴史を感じる。


 1850年の郵便局とのこと。
 

 この教会周辺が今回のコースの中で、最も素晴らしい田園風景だった。菜の花畑とその奥に見える教会の尖塔、昔そのままのヴィレッジだ。思わず、ため息が出るほど。
 

 

 何故か、こんな草原の茂みにトーチカ(Pillbox)をがあった。ガイドブックに目印として書いてあったので気がついたのだが、普通なら通り過ぎてしまうところだ。何時ごろ、何のために作られたのかは解らない。中は人が数人入れる広さだが、どんな戦いを想定していたのだろうか?
 



 更に進む。昼食のお勧め場所としてWalkingガイドに載っていたパブで休憩。ローカル色たっぷりだが、屋内のテーブルは半分以上が予約で埋まっていた。丘の中腹に立つパブの後ろ側からは、今まで歩いてきた平原が見渡せる。ほんとは、食事でもして、ゆっくりしたいところだが、まだ行程の2/5ぐらいしか進んでいないこと、お腹もたいして減ってないことから、ローカル・エールをハーフパイント(250mlちょっと)で水分補給をして出発した。
 

  

 今度は再び平原の中を進む。羊にももう慣れてしまったが、何時見ても、彼らを見ていると時間が止まる様な感覚になる。
 

 無人となっている教会。


 1593年に建てられたというチューダー調の家。


 後半の1/3は林の中を進むのだが、正直、これはあまり面白くなかった。道が抜かるんで足場はゆるいし、林の中というのはどこもそんなに変わることは無い。


 林を抜けると、やっと人の気配がする町に出てくる。クリケット場でクリケットをやっていた。


 ロイヤル・タンブリッジ・ウェルズという町は、初めて訪れるが、なかなかお洒落な町だった。


 たっぷり5時間半、春のケントを満喫した。ただこのコース、前半は本当に素晴らしいのだが、後半はあまり楽しめたものではない。単調な田園や森が続くからだ。特に、殆ど人とも行き会わなかったので、女性の一人歩きは絶対にやめたほうがいいと思う。

 ※このWalkingのコースガイドWeb版はこちら→

 2012年5月12日
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ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団/ ハイティンク指揮/ ブルックナー交響曲第5番

2012-05-20 20:50:34 | コンサート (in 欧州)
 ある意味とっても贅沢であり、もったいないことでもあるのだが、最近、一種の感動慣れとでも言うのだろうか、演奏会に出掛けても、以前のように胸が締め付けられるように感動するということが少なくなってきた気がする。きっと、ロンドンには「良い」演奏会があまりにも多すぎるせいなのだろう(間違っても、加齢により感受性が弱くなってきたとは思いたくない)。でも、今日のロイヤル・コンセルトヘボウの演奏会は、「良い」演奏会を遥かに超えた打ちのめされた演奏会だった。

 まずハイティンク大先生がとっても元気な指揮ぶりだったのが嬉しかった。83歳のハイティンク大先生が今日どんな指揮を見せてくれるのかは、実はとっても気になっていた。現在84歳のLSO総裁デイヴィス翁が、昨年ぐらいから随分老いが目立ってきて、椅子に座っての指揮になっているだけに、デイヴィス翁と双璧をなすハイティンク大先生は大丈夫だろうか?と、とっても心配だったのである。でも指揮台に登ったハイティンク大先生は変っていなかった。1時間半のブルックナーの大曲を、最後まで姿勢を崩さず、いつもと同じように、コンパクトな動きで的確に指示を出していた。

 私はハイティンク大先生の虚飾を廃した、質実剛健そのものとも言えるスタイルが大好きである。今日のブルックナー交響曲第5番は、恥かしながら私には全く初めてなので、解釈について語ったり、他の指揮者や楽団との比較はできない。単なる私の印象なのだが、ここでも大先生の指揮は、構造が明確で余計な感情が入らない。かといって冷たい、醒めた演奏では全然ない。音楽そのものに語らせ、あとは聴くものに委ねる、とでも言うような指揮ぶりだ。私は第1楽章から爆発のフィナーレまで痺れっぱなしだった。

 コンセルトヘボウの巧さもさすがだった。私はホルン、オーボエ、フルートの個人技や、金管陣の澄みとおって突き抜けるような演奏に特に感じ入った。今シーズンから外来オーケストラのチケットが値上がりして、かなり逡巡したのだが、良い席を買って本当に良かった。弦、管のバランスの良さも良くわかった。至高の演奏だったと思う。悔しいが、我らのLSOもここまでできないのではないかと思わざる得なかった。

 終演後は、会場はスタンでィングオベーション、ブラボーの嵐で指揮者、オーケストラを讃える。当然だと思った。自分もシャッターを押しつつ、手が痛くなるまで拍手した。

(拍手に応えるハイティンク大先生)


(オーケストラとスタンディングオベーションの聴衆)


(実は、中央のフルートの首席奏者(Emily Beynon(エミリー・バイノン)さん)のファンなのである。この人、20年前の吉永小百合を西洋ケルト風(ウエールズ出身)にした感じで、目茶、妖艶である)


 ※Emily Beynon(エミリー・バイノン)さんのホームページはこちら→


Royal Concertgebouw Orchestra / Haitink
Bruckner Symphony No 5
20 May 2012 / 15:00
Barbican Hall

Bruckner Symphony No 5

Royal Concertgebouw Orchestra
Bernard Haitink conductor



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タイラー・コーエン (著), 若田部 昌澄 (解説), 池村 千秋(訳) 『大停滞』 /NTT出版

2012-05-19 18:18:58 | 
 昨年、米国、日本で話題になったと耳にした『大停滞』を読んでみた。箸者のコーエン氏は、米国ジョージ・メイソン大学の教授で経済学者である。本文は130ページ程度で文体もエッセイ風なので、簡単に読める。

 コーエン氏は、アメリカ経済の繁栄を支えてきた3つの条件である「容易に収穫できる果実」(①無償の土地、②イノベーション、③賢いながらもこれまで教育を受けてこなかった子供たち)は殆ど食べつくされてしまったという。これまでの成長の源泉が枯渇しつつあるにもかかわらず、次の源泉をまだ見いだせていないことに、アメリカ経済停滞の本当の原因があると主張する。

 内容自体に違和感はない。昨日の新聞はフェイスブックの上場の話題で一杯だったが、一体フェイスブックというイノベーションが、何人の雇用を生み出し、世の中の収入増を生み出しているのか?私だって、こんな風に部屋に籠って無料のブログなんぞを書いているのだったら、外に遊びに行ってお金を使った方がGDPの増にはいいだろう。筆者の言うように「インターネットは素晴らしいものだが、収入を生み出せる部門を経済のなかに保つことはできていないのだ。」(p84)人々は物質主義的な発想をしなくはじめ、拝金主義からの脱却を実現しつつあり、テクノロジーの進歩はそれを支えているが、「それがどんなに素晴らしいことだとしても、きわめて大きな痛みをともなう」(p85)

 ただ、将来については筆者は比較的楽観的だ。インドと中国で科学と工学への関心が高まっていること、インターネットが従来より収入を生むようになる可能性があること、初等・中等教育の質の向上を求める声が高まっていることをあげ、「将来は”容易に収穫できる果実”が手に入るようになると、私は楽観している。」(p124)原因分析の納得感に比べると、この将来に向けての楽観的見通しは、「本気ですか?」と思わず尋ねたくなるほどだ。

 経済学を専門としない私には、やはり現状を経済学の観点から見る限りは「大停滞」なのかもしれないが、その経済学の観点自体がもうイカンのじゃないかと思わざる得ない。そうはいっても、ミクロとしての私個人も、雇用が伸びて、経済が伸びてくれないと、仕事に大きな支障が出るので困るのだが、少なくともその実態を計り、解決への処方箋を描くには、経済学だけでは限界があるのだと思う。

 「2011年、もっとも話題の経済書」(米ビジネスウィーク誌)という帯には、多少首をかしげるが、いろいろ現代社会、経済を考える上で、切り口やネタを提供してくれている本であることは間違いない。

 さあブログはこの程度にして、外に出て、GDP拡大に貢献しよっと。
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ロンドン交響楽団/ ゲルギエフ指揮/ ストラヴィンスキー・フェスティバル

2012-05-17 22:48:11 | コンサート (in 欧州)
 ストラヴィンスキー・フェスティバルと銘打ったロンドン交響楽団のシリーズ企画。なんと1週間の間にストラヴィンスキーのコンサートが何と一気に5つも行われます(うち3つはバービカン、1つはトラファルガー広場での野外コンサート、1つはセントルーク)。これまでストラヴィンスキーといえば、私は「春の祭典」「火の鳥」の組曲番、それにオペラの「Rakers’Progress」ぐらいしか聴いたことがないので、3つのコンサートに足を運びました。

 ストラヴィンスキーは「カメレオンとあだ名をつけられるほど創作の分野は多岐にわた」り、「作風を次々に変え続けた」(Wiki)と言われていますが、今回の演奏会を通じて、その作風の大きな違いを身をもって感じることができました。

3つのコンサートで聴いた曲を年代順に並び替えるとこんな感じになります。

1910 The Firebird – complete ballet (火の鳥)
1913 The Rite of Spring (春の祭典)
1916 Renard  (狐)
1918 The Soldier's Tale(兵士の物語)
1927 Oedipus Rex (エディプス王)
1931 Violin Concerto in D major (ヴァイオリン協奏曲)
1944-48 Mass (ミサ曲)

 いわゆる「火の鳥」「春の祭典」は馴染んだ曲で、これぞストラヴィンスキーというべき、変幻自在なリズムや民族調のメロディが織り込まれたりします。一方で、一般に新古典主義期といわれる時期の作品である「エディプス王」や「ミサ曲」に至っては、同じ人が作曲したとは思えないような、正統(?)なクラシック音楽でした。第2次大戦後は更に「セリー主義(十二音技法)時代」と言われるように更に作風が変わるようですが、今回はそこまでは至らず)

 演奏としては、初日の「火の鳥」が緊張感、迫力ともに圧倒的だったと思います。前列3番目に座っていたので、全身で音を浴びまくって、しびれました。日曜日に聴いた"Renard"と"The Soldier's Tale"は其々15名、7名の奏者で、LSO室内アンサンブルによる演奏でした。LSOのトップ演奏家による室内楽で、相互の楽器の個性のぶつかり合いが刺激的で楽しめました。

 ソリストが入る「狐」や「エディプス王」ではマリンスキー劇場から歌手陣が遠征してました。「エディプス王」のタイトルロールを歌ったSergei Semishkur が、綺麗な伸びのあるテノールで印象的でした。

 あと、「兵士の物語」と「エディプス王」でナレーションを勤めたサイモン・キャロウの語りも抑揚が効いた落語のようなリズムで、音楽との相性も全く違和感ないどころかむしろドラマティックに盛り上げて、舞台を楽しませてくれました。

 逆に、席が3階席にランクダウンしたせいか、「春の祭典」は期待して出かけた割には、満足感はいまいち。各楽器の有機的なコンビネーションやシナジーが感じられなかった気がします。(でもTimesのレビューでは4つ★でかなり褒めてましたので、私の聴く力不足だったのでしょう)

 1週間でこんなにストラヴィンスキーばかりを集中して聞く機会というのは、日本ではなかなか難しいと思うのですが、この1週間で、この作曲家がぐっと身近に感じることができるようになりました。


London Symphony Orchestra / Valery Gergiev
Stravinsky Festival


11 May 2012 / 19:30
Barbican Hall

Stravinsky Mass
Stravinsky Violin Concerto in D major
Stravinsky The Firebird – complete ballet

Valery Gergiev conductor
Leonidas Kavakos violin
Maud Millar soprano
Chloë Treharne mezzo soprano
Alessandro Fisher tenor
Matthew Sandy tenor
Oskar Palmbald bass
London Symphony Chorus
London Symphony Orchestra

(ヴァイオリン協奏曲のヴァイオリンソロLeonidas Kavakos)



13 May 2012 / 19:30
Barbican Hall

Stravinsky Renard
Stravinsky The Soldier’s Tale

Valery Gergiev conductor
Alexander Timchanko tenor
Dmitry Voropaev tenor
Ilya Bannik bass
Andrey Serov bass
Simon Callow narrator
LSO Chamber Ensemble

(「狐」の歌手陣とLSO室内楽アンサンブル)


15 May 2012 / 19:30
Barbican Hall

Stravinsky The Rite of Spring
Stravinsky Oedipus Rex

Valery Gergiev conductor
Zlata Bulycheva Jocasta
Sergei Semishkur Oedipus
Ilya Bannik Creon
Alexei Tanovitsky Tiresias
Alexander Timchenko Shepherd
Simon Callow narrator
Gentlemen of the London Symphony Chorus
London Symphony Orchestra

(「エディプス王」の歌手陣)


(オーケストラの全容)



※付録 土曜日のトラファルガー広場公演の開始20分前
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週末ジョギング ~先週末に引き続きハムステッドヒース~

2012-05-16 23:43:49 | ロンドン日記 (日常)
 先週の週末は素晴らしい天気でした。こうした天気はそうは続かないので、足が自然とハムステッドヒースに向かいます。毎度毎度の似たようなアングルからの写真なのですが、私にとっては一瞬一瞬の感動なので、押しつけがましくアップします。

朝日を受けて大きく伸びる樹の影と新緑、そして青空のコントラストが見事です。


毎度のケンウッドハウス。もう何度、この家の写真を撮っただろうか?


ケンウッドハウスの庭に咲いたつつじも満開です


朝日が池の水面に反射して眩しい


パーラメントヒルからシティを臨む


詩人ジョン・キーツが1818~20年まで暮らした家(キーツ・ハウス)



2012年5月13日 7:30-8:00頃
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ノース・ヨークシャの旅 (その4: ノース・ヨークシャ・ムーアズ・レイルウェイに乗る)

2012-05-14 23:28:07 | 旅行 海外
 2日目のハイライトは、ノース・ヨークシャ・ムーアズ鉄道(North Yorkshire Moors Railway)に乗ってのノース・ヨークシャ・ムーアズ国立公園の縦断である。この鉄道は、ウィトッピーからピカリング(Pickering)までの24マイル(38キロ)を、蒸気機関車で走らせている(ウィトッピーからはハイシーズンに一日2便、それ以外はグロスモント(GROSMONT)~ピカリング)。昨年夏のスコットランドのハイランド地方に続いての蒸気機関車体験だ。

(機関車入線)
 

 機関車はもちろん本物で、8両の客車を率いる。今回は座席にはつかず、デッキから窓を開けて、ムーアの風景や谷あいを進む機関車を楽しんだ。窓から頭を出すと、前方から石炭の燃え粕の粒が飛んでくるので、あまり長く頭を出したままにはできないが、機関車が山を上っていく様子を見ていると、雲に同化するかのように舞い上がっていく白い蒸気、汽笛の「ポッポー」という音、機関車が客車をゴシゴシと引っ張る音はなんとも感動的ですらある。「がんばれ、がんばれ」と声をかけたくなるぐらいだ。機関車トーマスのように、機関車が擬人化されるのは、人がそこに生命の躍動を感じるからに違いない。

(段段とムーアの丘陵を登っていきます)
 



 メカニックが目で見みてわかり、インプット(石炭、火、水)とアウトプット(動力)が明確にわかるテクノロジーは何とも分かりやすくて、安心させてくれる。何でも半導体のチップのなかで処理が行われて、インプットとアウトプットの間がブラックボックスになってしまうハイテクにはないウキウキ感がある。

(不思議な生命感を感じます)


(子供が窓から顔出して、こんにちは)


 途中、中間のGOATHLAND駅で途中下車し、周囲を散策してみる。この駅は、イギリスのテレビドラマやハリーポッターの映画のロケにも使われたそうである。駅裏にある丘を少し登って、ムーアに出てみる。何もない一面の荒野が広がっている。夏になるとここに紫色のヒースの花が咲くと言うから、そうなればさぞ美しいだろう。

(駅裏の丘を登ります)


(丘からの風景。前と後ろ)
 

(次になる機関車が来ました。遠くに聞える汽笛で、近づいてきたことを知るのもワクワク感があります)


 一つだけ期待と違っていたのは、鉄道は、ムーアの中を縦断していくイメージとは若干異なり、谷沿いを進むため、パノラマの景色を楽しむというかんじでは無かった。遠くに尾根沿いの道を進むバスが見えたりしたので、もしムーアの景色を楽しむのであれば、このムーアをネットワークしている路線バスがあるので、バスの方が良いかもしれないと思う。

 それでも、渓流を横に、新緑が萌え始め、自然にあふれる北ヨーク地方を進む機関車に乗るのは何とも気持ちがリフレッシュする。 途中駅での停車時間や私の下車時間を除くと、乗車時間は約1時間半。十分、楽しむことができた。



(終着駅では機関車の古雑誌が売っていました)


 終点の村、ピカリングで昼食を取ったあとは、バスに乗り再びスカボロウへ。スカボロウはウイットビーとどうよう北海に面した町だが、ウイットビーよりはかなり大きいようだ。1時間半ほど列車まで時間があったので少し散策してみる。日曜日の夕方と言うこともあって、店も大方閉店していたのでシティセンタは随分寂しかったが、海岸のほうに出てみると綺麗な海岸線と港が見下ろせ、その先に城がそびえるというなかなかの景観だった。

(ピカリング→スカボロウのバスの車窓から)
 

(スカボロウの海岸線)
 

 午後5時51分発の列車に乗り、再びヨークで乗り換え、7:05発でロンドンへの帰路につく。7時半だというのにまだ陽が随分高い。いつのまにこんなに陽が長くなったのだろうと、思いながらビールを飲んでいると、いつの間にか寝てしまっていた。


 2日間の短い週末旅行だが、また一つ記憶に残る旅ができた。

(おわり)


【関連リンク】

ウィットピー 観光: こちら →

ウィットピー・アビー: こちら →

 キャプテンクック・メモリアル・ミュージアム: こちら →

 ノース・ヨークシャ・ムーアズ・レイルウエイ: こちら → 
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ノース・ヨークシャの旅 (その3: Whitbyあれこれ)

2012-05-12 23:48:11 | 旅行 海外
 翌日、古い昔ながらの石造りの建物をそのままB&Bにしている部屋で、窓から差し込む朝の光で目覚める。今度は朝の街の空気を吸いに、足が勝手に外に向かって動き始める。今度は、昨夕訪れたウィットビー・アビーとは反対側の丘に登ることにする。

 朝から快晴の天気で、気持ち良いことこの上ない。観光用なのか、地元向けなのかわからないが、小さな昔ながらのお店が多いのもこの街の面白さだ。通りには、日本で言うなら、昭和30年代、40年代前半なら、どこにでもあったような駄菓子屋ともおもちゃ屋とも文房具店ともつかないお店(若い人は映画「3丁目の夕日」をイメージしてほしい)のイギリス版なのかと思わせる、小さな文房具やおもちゃ屋が軒を並べていたりする。

(朝なのでまだ開店前です)
 

(こちらは隣の少しの本と雑誌も売っている文房具屋)


 丘の上にでると、まだ8時前だというのに朝日が随分高いところまで登ってきていた。まずはこの丘のモニュメント、キャプテンクックの像にご挨拶。北海を横に遠く南東の方向を睨んでいるのは、これも日本で言うなら、さしずめ太平洋を臨む坂本龍馬というところだろう。朝日を受けて、燦然と輝く銅像を見上げると、背筋が伸びる思いである。

 

 廻りを見廻すとウィットビーの街が一望できる。なんとも長閑な風景だ。波の音と鴎が鳴き声をBGMに、静かに朝の始まりを感じる。鴎のほかにも、春の訪れを告げるかのような、小鳥たちの囀り、コーラスに耳をすませるのも楽しい。なんか、あと数時間でこの町を出なくてはいけないのがなんとも残念だ。

(街の全景)
 

(河口と浜辺)
 

(鴎と雀(?))
 


 ウィットビー(Whitby)の町について、もう一つ書いておきたいことがある。食事についてだ。この町、フィッシュ・アンド・チップスの店が異様に多い。シーフード・レストランと看板を掲げたレストランも、殆どすべてがフィッシュ・アンド・チップスが売りである。正直、フィッシュ・アンド・チップス以外のレストランを見つけるのが大変なぐらいなのである(中華料理屋を一軒、インド料理屋を2軒見つけたぐらい)。ざっと、50メートルくらい歩いただけでも、5軒ぐらいのレストラン、持ち帰り店、屋台がフィッシュ・アンド・チップス店にあたる。いくら観光客が多いとはいえ、この街の規模でこの店の多さは普通ではなく、イングランドのフィッシュアンドチップス密度などという統計があったら、チャンピオンは間違いないだろう。

 当然、競争も激しいだろうから、各店とも差異化に一生懸命だ。”Fish and Chips of the Year 2010 Award”というような表彰パネルや自分の店が紹介された新聞記事を店の入口にかけたりしている。そして、競争があるだけ、味のほうも美味しい。私は、前日のお昼、街に到着するや否や、そんなことも気付かぬ前に、持ち帰り店でフィッシュアンドチップス買ったのだが、身は大きく、ジューシーで揚げたてホカホカ。値段も4.5ポンドという、コストパフォーマンスは最高だった。まあ、私が書かなくても行けば分かるし、他に選択肢も無いに等しいのだが、ウィットビーに行ったらフィッシュアンドチップスを是非試してほしい。(ロンドンに帰ってから知ったのだが、ウィットビーは北海タラの水揚げで有名なところだかららしい)。

(入ったフィッシュ・アンド・チップスのテイクアウエイ店)
 

 ただ、昼、夜、連続のF&Cは、少々私の胃にはつらい。なので、前日の夜は、入る店が無く結構困ってしまった。結局、やはりフィッシュアンドチップスを売りにしたレストランでフィッシュパイなるものを頼む。たまたまかもしれないが、これは、ホワイトソースがしつこくなく、うまく魚の切り身とからんでとってもいけた。メインの中では一番高い料理だったのだが、9.05ポンド。あと、F&Cと並んで、これは2日目のお昼にWhitbyから30kほど離れた村で食べたのだが、Whitby Scampという小エビのフライが名物のようである。一口サイズの海老フライなのだが、これはカリッとして、F&Cのように油とバターでギトギトしたところはなく、とても食べやすかった。F&Cの次に、試してみて欲しい。

(夜食べたメニュー。魚のグラタンなのだが、何故か名前はフィッシュ・パイ)


 イングランドの東北の寒村という、全く勝手な自分のイメージででかけたこともあるが、予想をはるかに上回った港町ウィットビー。私が訪れたイングランドの街の中でも、間違いなくトップクラスの魅力を持っていた。

(次は、ノース・ヨークシャ・ムーア鉄道)
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ノース・ヨークシャの旅 (その2: ウイットビー街歩き)

2012-05-11 14:42:27 | 旅行 海外
ウィットビー・アビーを後にして、次は付近の散策を楽しんだ。

【セント・メリー教会&墓地】
 アビーの隣には、セント・メリー教会(St. Mary's Church)という教会が立っている。教会自体も古いらしいのだが、有名なのはこの教会の裏にある墓地。ウイットピーはドラキュラがルーマニアから上陸した地でもあるのだが、この小説の作者ブラム=ストーカーはこの墓地で「吸血鬼ドラキュラ」の着想を得たという。確かに教会の裏に、風化し、誰のお墓だかも分からなくなってしまった墓石が並び、一種独特の雰囲気を醸し出している。小説自体は読んだことはないが、まだ陽の高い時間だから良いものの、これが夕闇だったらいつ墓石が動き出して、棺の中から吸血鬼が出てきてもおかしくなさそう。



 この教会と墓地は北海に面した丘の上に立つため、眺めが抜群だ。ウイットビーとはデンマーク語で、現在ある河口沿いの町自体がデンマークからの移住者によって出来たらしいが、この風景を見れば分かる気がする。この海を渡ってデンマーク人が来たのだ。

 

 この丘を下るときには、199段の階段を下る。下りながら見下ろす街が美しい。細い通りに、小さいお店が所狭しと並んでおり、観光客で一杯。家族と一緒なら、ここをそぞろ歩きをするだけで、1時間はあっという間に経ってしまうだろう。一人の私は、ウインドーショッピングの代わりに、河口に面したパブで一杯。



【キャプテン・クック記念館】
 ウイットビーにはドラキュラの並んでもう一人有名人がいる。英国史に残る海軍士官であり海洋探検家であるキャプテン・クック(ジェームズ=クック)である。クックは17歳の時からこのウイトッピーで見習い船員として働いていて、そのとき働いていた大船主の家がキャプテン=クック記念博物館になっている。

(博物館の入り口)


 家を博物館にした構造なので、こじんまりとした部屋の中にテーマごとにクックに関連する展示がしてある。クックのことは高校時代の世界史で少し触れたぐらいだったが、タチヒ、ニュージーランド、オーストラリア、南極圏、北アメリカ西海岸、ハワイと彼の航海の跡をたどっていくと、改めて世界を股にかけた海軍人であったことが良くわかる。当時の航海といえば、常に死のリスクと向き合ったものであっただろうから、その冒険心にただただ感服する。

(展示室内)
 

 


【そぞろ歩き】

 なんだかんだで1時間ちょっとキャプテンクック博物館に居た後は、街歩き再開。河口の橋の袂では、子供たちが釣り糸を垂らしている。「何を釣っているか」と訊いたのだが、えらい訛りの強い英語が返ってきて来てまるで理解不能だった。バケツを覗いてみたら、カニが捕まっていた。釣りをする子供の表情は、どこも変わらない。



 

 ずっと歩き詰め、立ち詰めで、少々疲れたので、またもやパブで一杯。


 夕方になって、だんだんと陽が傾いてきた。河に沿って、海に出てみる。波の音、鴎の鳴き声を聞いていると、ロンドンとは別世界だ。
 

 対岸の丘の上には、夕陽に照らされてアビーや教会が美しく輝いている。あまりの美しさに、もう一度近くで見たくなって再び、丘を登った。さっきまで混みこみだった細い通りも、人通りが少なくなって寂しくなっていた。



 雲が無くなった青空の中、夕陽に照らされる教会は息を飲むほど美しい。陽は傾いてきたものの、あまりにも澄んだ空気の透明感で、墓地からドラキュラが出てくる気配も全くない。
 

 でも、夕陽向かって、教会、墓地、海を眺めると、逆に神秘的な雰囲気が醸し出されるから不思議だ。
 

 アビーは既に閉門しているが、アビー沿いの道から夕陽を背にしたアビーも見えた。思わず、手を合わせ、拝みたく神々しさだった。


(つづく)
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ノースヨークシャを旅する (その1 ロンドン~ウィットビー、ウィットビー・アビー)

2012-05-09 23:36:25 | 旅行 海外
 日本のゴールデンウィークには到底及びませんが、先週末はイギリスも3連休だったので、この機会を利用してノースヨークムーアズというイングランドの北東部に位置する国立公園に1泊2日の小旅行に出掛けました。また、少し冗長になりますが、数回に分けて、旅行記を記します。


【ロンドン~ウィットビー(Whitby)】
 初日はまず北海に面したノースヨークシャ州の港町ウィットビーを目指す。過去にも乗ったことのある午前7:30キングスクロス駅発エジンバラ行きのイーストコースト線に乗って出発。オリンピックを意識してか、キングスクロス駅がリーニュアルされていたのに驚く。出発の待合場所と到着の待合場所が分かれて、出発用の待合はモダンなデザインで生まれ変わった。今までの改札玄関フロアは到着者専用のゲートに変わっていて、人もめっきり少なくなり随分寂しくなっている。あの大きな出発電光掲示板や、雑然とした昔の上野駅を思い出させるような、旅情あふれる雰囲気が好きだったのだが、随分と雰囲気が変わってしまったのは寂しい。

(新しい出発フロア)
 

(到着専用となった旧待ち合いフロア)


(イギリスの路線の中でも有数の長距離路線です)


 このキングスクロス-エジンバラ線の車窓はとても気に入っている。中でも最も美しいのは、北部のニューキャッスルからエジンバラ間の海岸線を走るところなのだが、ヨークまでの車窓も、平べったい田園風景が淡々と続くのが、イングランドっぽくて何とも好きな風景だ。持ち込んだ文庫本を読みながら、時おり、目を窓の外に向ける。この季節ならではの一面の菜の花で黄色に染まった野原が美しい。天気の方も、曇り空から青空が顔を見せるようになってきた。

(黄色の絨毯が続きます)
 

 丁度2時間でヨーク駅に到着し、ここからローカル線の急行列車に乗り換え、東へ進む。3両編成の社内は、ぐっとローカル色が強くなる。まだ11:00だというのに、いろんなところが破れたジャンパーを着たおじさんがビール缶を片手にグビグビ飲んでいる。僕が、切符に刻印された番号の座席を探していたら、「どこに座ったっていいだよ。ウぃ。」と、そのおじさんは、虚ろな目を向けて、言ってきた。あんまり、逆らわないほうが良さそうだ。

 1時間ほど乗って、終点のスカーバラ(Scarborough)で下車。ウィットビーにはここからローカルバスで北に更に1時間乗る。20分も乗ると左手に広大な荒野が広がってくる。これがノースヨークムーアズかと期待感が広がる。 更に進むと、今度は右手に大きく扇のように広がる海岸線が見えてくる。ロンドンを出発してもう4時間近くになるのだが、この風景を目にするだけで、あっという間に時間がたってしまう。

【ウイットビー・アビー 】
 ウイットビーに到着して驚いた。地図上の位置や人口が1万3千人という情報から、日本の海岸沿いの寒村をイメージしていたのだが、全然違っていた。町の真ん中に北海に流れ込む川が流れ、その川を囲むように左右に小高い丘があり、河に沿って丘に挟まれるように町が形成されているのだが、その町並みは、レンガ色で統一された屋根が並ぶ家並みや、川に浮かぶ帆船(漁船なのかレジャー用なのか私には分からないが、日本の漁船とは全然違う)などの景観は、寒村というにはあまりにも垢抜けていて、むしろお洒落な感じがするぐらいだ。そして、連休のためか、明らかに観光客と思われる家族ずれが、街中をうろついている。B&Bに荷物だけ置いて、まずお目当てのウィットビー・アビーに向かって歩き出した。

(エクス川河口に架かる橋)


(川向うの丘の上に建つのがウィットビー・アビー)


(ウイットビー・アビーを目指して階段を上ります)



 ウイットビーアビーは、北海の波が打ち寄せる海岸沿いの小高い丘にたっている。修道院として建てられたのは7世紀だが、少なくともローマ時代からここに人が生活していたことが確認されている。そして、16世紀の宗教改革で解散させられ、そのまま朽ち果た寺院跡として今に至っている。北海を前に、バックにはノースヨークムーアの丘陵を望む絶景のなかで、寺院は「佇む」という表現がこれほどぴったりとすることはないと思われるように、そこに存在していた。

(いよいよアビ‐が身近に見えてきた)




 まずは、遠巻きに寺院を眺める。池から臨むアビーの姿は、絵になるとしかいいようがない。遠く後ろには、北海の海も見えるなか、野原の緑、アビーの灰色のアビー、青空のコンストラスが見事である。ぼんやりとではありのだけど、池にはアビーの姿が、風で波打つ水面に映っている。もう少し暖かければ、ボーッと数時間は過ごすことができるだろう。

(絵になる風景)




 気温はまだ10度に達せず、冷たいそよ風が吹くなか、タンポポの黄色ほどは濃くはない、上品な黄色をした野花が緑の草の上に咲いているのがわずかに春を感じさせる。段々と雲が切れ、陽の光が体を照らし、風で冷たくなる体を暖めてくれた。

 今度は、遺跡に近寄って間近くで見てみる。太陽と同じ方向に向かって見るアビーの壁は、全体が影になるため石の色が濃く暗く見え、1500年の時間を感じさせるかの如く神秘的に映る。逆光になるのでカメラを向けてもその色は全く写らない。逆に、寺院の反対側に廻って、太陽を背にすると、よくみえるのだが神秘さはなくなってしまう。難しいものだ。



 寺院の中に入る。どこの教会にもあったのであろう回廊や祭壇を想像しながら、中世にこの寺院にいた修道士たちは何を思い、何を考えていたのか?想像は留まることがない。

 上を向いて、天井近くの壁にカメラを向けると、私の小型自動焦点カメラが人の顔を認識したマークが現れた。よくよく見てみると、そこには人の顔が彫って合った。私の肉眼では認識していなかった石の上の彫像をしっかりと認識するなんて、この片手に収まるミニカメラもたいしたものだと感心した。

 

 窓跡の空間から覗く青空が美しい 。



 打ち寄せる波の音、小鳥のさえずりを聞きながら、そこに佇むアビーを、ぼんやりと見ていると、時間の経つのも忘れ、更には自分が中世にスリップしたような気にさえなる。なんと、長閑で、平和な時間なのだろうか。結局、2時間以上も、その辺りをうろうろして、あとにした。 もう、この旅行は十分。そんな感じだった。

(寺院の後ろに広がる野原)


(つづく)
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