いつもの私の読書嗜好とは異なった小説で、色んな意味で新鮮で楽しい読書体験だった。「伊勢物語」の125の章段を作者が独自に取捨選択し物語化したもの。
まず驚いたのは、伊勢物語がこんなエロ小説だったとは全く知らなかった。業平が容姿端麗な色男だったことは知っていたけど、物語として読んだのは、受験期の古文の勉強で「東下り」の章段に少々触れた程度で、実際に原文も訳も通して読んだことは無い。今とは風習・常識も違うとはいえ、年上の人妻、斎王(さいおう)となった人(伊勢神宮に巫女として奉仕した未婚の内親王)、皇紀になる姫らと次々と交わっていく女性遍歴の描写は実にエロい。性描写もさることながら、その過程の男女の駆け引きは、固唾を飲むような情景描写だった。朝の通勤電車で読んでいて、一人で恥ずかしがっていた。
また何よりも、日本語が美しい。季節、風景、心情の表現が一つ一つ味わい深い。例えば、
「世に憂きこと無ければ、桜花のうつくしさもまた、他の花と何も変わりませぬ。憂きこと在ればこそ、桜花は薄い色に透けて、淡い光の中にても、花弁に神仏を宿らせます。」というような表現は、頭の中にイメージがほわっと広がる。
そして、気持ちは口頭で直接的に表現したり、訴えるのではなく、和歌をもって表せられる雅さ。和歌から発せられる、流れるようなリズム感と豊かな情感は、日本語の美しさ、奥深さに初めて触れたような気がした。
客観的に考えれば、業平やその社交範囲は、当時の日本の上流階級中の上流階級で、その文化は限られたコミュニティでの限られたものであったと思うのだが、自然を愛でる感性は私のような現代を生きる一般日本人にも脈々と残っているのだろう。
実り多い秋の読書となった。