その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

仁淀ブルー!:2024年夏 高知の旅(6)

2024-08-31 07:47:29 | 旅行 日本

3日目。帰京は翌日だが、朝一番の飛行機なので、この日が活動最終日。行先は悩みに悩んだ。仁淀川・久礼を経由して四万十川まで足を伸ばすのがもともとの計画だったが、暑さと各スポットの面白さで想定以上に体力消耗していて、往復200キロになるであろう四万十川への日帰りは、ただ行って帰ってくるだけのドライブになりそうな予感。四万十川は次回の訪問を誓って断念した。

ということで、この日は仁淀川と久礼を主要訪問地に設定し行動開始。

【仁淀川 沈下橋】

仁淀川は四万十川に劣らず、その透明度の高さで有名な川(水質日本一)だが、下流水域は高知市街から15キロほどしか離れていない。あえて高速道は使わず、国道を使って高知郊外の風景を楽しみながら西方向に向かった。途中、昔、甲子園を沸かせた伊野高校があったり、JR土讃線ととさ電(高知市街から伸びている路面電車)が国道を挟んで並行して敷設してある区間があったりで楽しかった。

仁淀川に出ると、川に沿って北上。この辺りは土佐和紙の産地であるようで、工房や博物館がある。中流域に達すると、写真や映像ではよく見かける沈下橋なるものがあった。水量が増した際に橋が水面下に沈むようになっている、欄干が無い橋である。ここの橋は名越屋沈下橋と言い、仁淀川で最も下流にある沈下橋で、長さ191mと仁淀川に架かる沈下橋の中で一番長い橋とのこと。車を止めて、橋や周囲を散策。車一台分ほどの幅しかないが、住民の生活道路の一部でもある。車が通るときの、通行人の一時退避場所も確保されていて、なるほどこういう仕組みなのかと納得。

広い河原、美しい水と川、周囲を覆う緑。いかにも四国っぽい風景に暫し浸る。のどかな風景の一部となった心地よさは格別だ。




 

【にこ淵】

更に、上流に上って、「仁淀ブルー」で有名なにこ淵に向かう。途中で本流から離れるので、正確には仁淀川では無い。名護屋橋から30キロ程、30-40分で到着。

山に囲まれた谷合の淵なので、谷にかかった金属製の急階段を80段ほど降りて、淵に到着。確かに美しい水が輝くさまは神秘的な美しさである。時間は丁度11時前。太陽が頂点に向かって上がっている最中で、時間が経つに従って、光に反射して水の青緑の度合いが高まり、どんどん美しさを増していく。ここの美しさは、天気と時間に大きく左右されることが実感として分かった。天気はパーフェクトだったが、時間帯は太陽が一番上に上る(谷を上から照らす)正午前後がベストだろう。逆に朝方や夕刻では、淵に陽が当たらず、輝きは味わえないだろう。

しばしその場に佇み、エリア一杯に満たされているマイナスイオンを浴び、吸い、体を浄める。とっても涼しいというまでには至らないが、下界の暑さはここでは感じない。エネルギーが満たされていく感覚を味わった。

仁淀川には、まだまだ渓谷や他の沈下橋などまだまだ見どころはあるようだが、後ろ髪引かれる思いで、この日のもう一つの目的である久礼大正市場に向けて出発した。

※「にこ淵」に行かれる方は、天気や訪問時刻を最大限考慮したほうが良いです。天気はコントロール難しいですが、極力、太陽が出る日。訪問時刻はお天道様が高く上がる正午付近。きっと季節により陽の位置も違うだろうから影響しそうですが、私にはわかりませんでした。

 

(3日目 午前)

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旅ラン in 高知 石碑オリエンテーリング:2024年夏 高知の旅(5)

2024-08-30 07:35:19 | 旅行 日本
高知3日目。この日もスタートは朝の旅ランから。
 
高知市街(高知城下)の特徴の一つは、町中のいたるところに日本史ゆかりの傑物たちの石碑があることだ。坂本龍馬はもちろん、山内容堂、吉田東洋、武市半平太、板垣退助、片岡健吉、後藤象二郎、植木枝盛、中江兆民、寺田寅彦・・・。日本史の教科書や歴史小説に登場する人物の碑がうようよある。この日は、前日確認漏れの石碑たちを道標に走り始める。まさに石碑オリエンテーリング。

まずは、お城のふもとにある山内容堂の誕生地。容堂公は幕末の四賢公の一人に数えられる大名で、徳川慶喜に大政奉還を建白したことで有名だ。もともと山内家の分家の生まれで、一族では殿様には一番遠いポジションだったが、後継者や候補者が次々と病没したり病気になりお鉢が回ってきたらしい。分家だったがゆえに、誕生地はお城の脇だったようである。(以下、写真が曇っているのは、高い湿度とランニングの熱気でレンズが曇ってしまったため)
 


城の境界を左回りに巡って、明治の物理学者であり文筆家、そして夏目漱石の弟子としても知られる寺田寅彦の邸宅跡(記念館になっている)を通る。そして開成門へ。1866(慶応2)年土佐藩が富国強兵、殖産興業の目的をもって建てた学校である開成館の表門だそうだ。
 
 
 
 
その近くには、民主的な憲法草案を作ったことで知られる自由民権活動の植木枝盛邸跡がある。今では、普通の今風の家が建っている。
 
そこから升形商店街を経由して西に向かうと市立第四小学校の前に「婦人参政権発祥の地」という碑がある。婦人参政権運動と言うと大正デモクラシー期の平塚らいてうと日本史教科書の知識だが、ここ高知では、明治時代に楠瀬喜多という女性が日本で初めて女性参政権を求める運動を起こしたということだ。隣には、獄洋社という自由民権運動の結社の碑がある。
 

 
続いて、天神橋通商店街を通って、お寺の表門脇に板垣退助の誕生地が、そして20メートルぐらい先に片岡健吉の誕生地がある。自由民権運動、立志社で知られた二人だが、お隣さんだったのね。それにしても、予備校時代に近代史で習ったような人やエピソードに関連する碑が次から次へと出てくるのが、驚きだ。
 
 

はりまや橋のアンパンマン石像を確認(あんま似てない)し、ちょっとリラックス。その後、武市半平太の邸宅跡へ向かう。地域の公園内にあったのだが、工事中で仮設トイレの裏に隠れていて見つけるのに一苦労だった。しかも、仮設トイレの匂いがダイレクトに充満してかなり臭い。武市半平太に知られたら、間違いなく切り殺させる。
 
 
 
そこから北上し、ランの最終道標へ。これまた明治の自由民権運動家である中江兆民の誕生地跡。兆民先生といえばルソーの「社会契約論」の翻訳者。著作の『三酔人経綸問答』は10年近く前に読んだ。兆民先生も土佐の生まれなんだ〜。
 

結局、この日のランは1時間10分かけて8キロ。碑を探しながら走っているし、写真撮ったりしているのでペースの遅さは止む無し。Garminの走行軌跡もギザギザだ。朝7時にして汗べっとりになって、ホテルに帰還した。
 
※単なる石碑と言えば石碑でしかないのですが、無味乾燥な教科書の日本史がリアルに感じられる高知の石碑巡りは、少しでも勉強しておけば旅行の楽しみも増えることが実感できて、一部の人にはお勧めです。



(3日目 朝)

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高知/土佐と言えば龍馬!:2024年夏 高知の旅(4)

2024-08-29 07:21:08 | 旅行 日本

【桂浜 龍馬像】

午後は車を借りて、高知市郊外の桂浜へ。太平洋に向かって立つ坂本龍馬の銅像で有名だ。熱狂的ファンとは言えないが、中高校生の時に小説『竜馬が行く』や伝記を読み、数々の大河ドラマでも視聴してきた。そのスケール大きく、柔軟な思考と、驚くべき行動力は、憧れでもあったし、好きな歴史上の人物の中でも特異な存在である。龍馬の像=桂浜の像というぐらいのアイコンであり、昔から一度は訪れたい地であった。

銅像はてっきり桂浜の浜辺にあるもんだと思いこんでいたのだが、到着してみると浜にあるのではなく、浜にせり出した小山に立っていた。駐車場に車を置いて、階段と坂道を上って数分で着く。想像よりもずっと高く、大きい。桂浜も含めて、太平洋を見渡し、更にその視線・思考の先は海の向こうの世界に伸びているように見える。銅像そのものから感じる力強さ、エネルギーは何だろう。その迫力に打たれた。


(階段上って龍馬像へ向かう)


(これが、あの龍馬像か~)

銅像の前に広がる太平洋の大海原、白く長く続く浜辺の景観も素晴らしい。天気に恵まれたので、海の青緑、空の青さ、浜辺の白のコントラストが美しく輝き、目を奪われる。まさに文字通り「観光」。光を観る様だ。

 

【高知県立坂本龍馬記念館】

桂浜一帯は公園として、綺麗に整備されている。食事処や土産物屋も、モダンで綺麗なショップがあって、昭和の萎びた観光地の土産物街とは一線を画していた。しばし、そこで土産の買い物や高知名物のアイスクリンを食べた後に、近くの高知県立坂本龍馬記念館へ。

ここは、文字通り坂本龍馬をテーマにした博物館。新館にある常設展には龍馬関連の史料が展示してある。手紙類が多いのだが、この記念館の素晴らしいところは手紙等の史料に現代語訳がついていること。近代以前の史料は古語・古文で書かれていて、たいていの博物館の展示は現代人にはほとんど解読困難で、何が書いてあるかわからず残念である。だが、ここの展示は、現代語訳がついているので、コンテンツが分かるのだ。特に手紙類は、その本人の性格や気持ちが直接現れるので、訳があると本人にぐーっと近づいた気になる。これは有難かった。


(常設展)


(龍馬から姉への手紙(原本))

史料は原本が他の国立博物館所蔵でその複製ものが多いが、中には真筆(原本)もある。展示ケースに入った史料を見ても、素人には複製でも違いは大して分からないと思うのだが、真筆として見ると、がぜん質感、肌触りが違うような気がするから不思議だ。

龍馬と並んで、別室に中浜万次郎(ジョン万次郎)関連の展示室もある。改めて、その人生に触れると、土佐の最下層身分(博物館の記載から)であった漁師の家に生まれ、嵐で遭難し、アメリカ船に拾われて、米国で教育を受け、日本に戻り通訳として活躍するというその人生のダイナミックさに驚嘆する。人は、やっぱり努力・環境・能力の賜物であり、そしてそうした機会を与えられ、活かせる今の社会の有難さを痛感する。


(ジョン・万次郎展示室)


(『漂巽紀略』写本・・・聴き取りによる万次郎の漂流記)

この記念館、龍馬や幕末に興味がある人には強くお勧めしたい。一方で、この分野に興味が無い人には向かないかも。本館には幕末の動きを楽しみながら、分かりやすく解説する展示になっていて初学者の学びには良いと思ったが、日本史にはあまり興味ない相方には、新館・本館とも「ふ~ん」で終わっていた(悲)


(本館の中2階から桂浜を望む)

【土佐ジロー】

時間があれば、清流で知られる仁淀川中上流も訪れようかとも考えたが、思いのほか桂浜で時間を費やしたので、下流部分を少しドライブするに留めて、高知市街に戻った。そして、いよいよ2日目の夕食。前夜の龍馬屋はかなりサプライズだったが、この日訪れた「こうじ家」は、地元の会社帰りの人が立ち寄りそうな落ち着いた雰囲気のスタンダードな料理屋/居酒屋だった。

前夜に鰹を沢山頂いたので、この日は鰹よりもブランド地鶏である土佐ジローを中心に注文。非常に身がしっかりしていて、脂身少なく食べ応えがある。鳥の味も味付けもとっても美味しい。盛り付けやお皿も美しい。お酒は地酒の利き酒セットを頂く。カウンター席だったが、板前さんと距離がやや離れていたこともあって、板さんと会話を楽しむということは叶わなかったが、その分、料理やお酒をじっくり味わった。美味い高知はまだまだ続く~。

(2日目午後)

 

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これはホンモノ 高知城!:2024年夏 高知の旅(3)

2024-08-28 07:30:48 | 旅行 日本

今回の旅行ではホテルの朝食はつけなかった。一つには費用抑制だが、もう一つは、夕食をたくさん頂いた翌朝は、ホテルの朝食ブッフェは食べきれないからだ(ブッフェで少種少量しか食べられないは逆に欲求不満が溜まる)。ホテル近くのドトールの朝食セットで、2日目を始動させた。この日は市内の主要観光スポットを巡るつもりで、午前中は高知城へ。

【高知城】
高知城は、山内一豊により1603年に築城され、今でも江戸時代の天守が現存する十二城の内の一つ(重要文化財)。天守と御殿がそのまま残っているのは、高知城だけとのことだ。

城は小山の上に建っており、朝から30度を優に超える気温の中で本丸に上るのは汗に汗。階段の作りや、石垣などを見ながら、本丸まで辿り着く。柱の太さや壁の作りから本物感がひしひしと伝わってくる。

御殿のエリアでボランティアガイドの方から、城の歴史や概要について話を伺う。現在、姫路城など国宝指定されている五城への追加登録運動中とのことで、築城(改築?)当時の祈祷札など建築の証跡となる札が発見できれば、国宝指定も可能なよう。ただ、どうもそれが見つからないらしく、500万円の懸賞金がかかっているとか。神保町の古本屋や古物店で見かけたら教えて欲しいとのこと。「土佐の男がせこいと思われたくないですが、10%中間マージンはくださいね」って(笑)。

(御殿)

天守めざして階段を上がっていく。途中、江戸時代当時のお城と城下のジオラマ展示もあり、これらも楽しい。上がるにつれて狭くなる階段を昇り、天守へ上がる。




天守から市内の眺望はすばらしかった。あまり気が付かなかったが、高知市街は山に囲まれた盆地なのだ。北側の四国山地は気づいていたが、西側も南側も山に囲まれている。かろうじて、室戸方面になる東側に平地が広がっているぐらいだ。最近はどの街に行っても見かけるタワマンが見当たらないので懐かしい風景のような感じがする。

国宝の彦根城や犬山城も然りだが、この城は、天守や各層はさほど広くないので、兵を置くにも数は限られるだろう。戦闘用の要塞としては厳しい気がする。統治のシンボルであり、接待用の施設に見えた。

(きっと)高知市街では一番高い位置にある建築物だろうから風通しが良く、気持ちいい。汗も少しずつ引いていく。

 

【高知城歴史博物館】

天守の展望を楽しんだ後は、山を下りて、追手門の対面にある高知城歴史博物館を訪問。「涼し〜い博物館へようこそ」とのキャッチフレーズに吸い込まれるように中に入る。確かに涼しい〜。

涼しさだけでなく、「土佐藩主山内家伝来の貴重な資料を中心に、土佐藩・高知県ゆかりの歴史資料の数々を収蔵・展示する本格的な博物館」(高知市HP)で、見どころたっぷりであった。

常設展示で目を引いたのは、展示室入り口直ぐに観た「長宗我部地検帳のうち土佐郡大高坂郷地検帳」(天正 16 年)。なるほど、検地ってこうやって帳面に記録したのね。時間を超えてリアルに触れるのは、歴史が立体感をもって迫ってくる。

土佐藩の歴史のエリアでは、200年を超える幕藩体制の中での土佐藩の政治・経済・社会情勢のパネルや史料が展示してある。お家の相続危機や財政難等あったようだが、取潰し、改易・転封を免れて続いたのも、様々な藩士たちの苦労の賜物であることがわかる。そうした継続性も高知独自の文化を育ててきたのだろう。

また企画展では「武家の服飾~山内家伝来装束の世界~」が開催中で、羽織、袴から能の装束など山内家に伝わる衣装類が展示されていた。時間の関係でここは軽くで済ませた。

※高知城では、城と「高知城歴史博物館」の入場料がセットになった共通入場券も販売されていて200円ほど安くなるのでお勧めです。

 

【昼食】

午後からレンタカーを予約していたので、倒れるような灼熱の太陽の下、レンタカーオフィスのある高知駅近くまで移動したものの、昼食を食べるようなところが見当たらない。何とか、駅チカの昭和の喫茶店風のお店「駅前キッチンKAMEI」へ飛び込んだ。ここで、親子丼とうどんのセットを頼む。ローカルフードでは無いけど、家庭的な心温まる味でとっても美味しかった。高知の食に外れなしは、継続中。

(2日目 午前)

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旅ランで高知名所巡り:2024年夏 高知の旅(その2)

2024-08-27 07:31:02 | 旅行 日本

毎度のことだが、旅先では朝はランニング。 高知は初訪問地でもあり、市内の名所巡りも兼ねてホテルを5時50分スタート。東京より西に位置するためか、陽の上がり方は東京より遅い感じ。

まずは高知のランドマーク高知城を目指す。 この日は天守へ登城予定なので、三の丸跡まで。 ようやく上り始めた朝日が城を照らし、青空のもと神々しいまでの美しさ。


(大手門から)


(追手門近くには、城を築いた山内一豊や自由民権運動の板垣退助の像があります)


(板垣退助)


(三の丸跡から)

続いて、坂本龍馬の生誕の地へ。 司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んだのは高校生の時だが、その視野の広さ、開放的な性格に強く魅かれた。 石碑があるだけだが、歴史的偉人がリアリティを持って迫ってくる。近くには資料館である「高知市立龍馬の生まれたまち記念館」もある。 


(坂本龍馬生誕の地の碑)


(高知市立龍馬の生まれたまち記念館。今回の見学の時間はなさそう)


次は、幕末に建てられた山内家の足軽屋敷である旧山内家下屋敷長屋資料館(重要文化財)を経由して、龍馬がよく泳いで遊んだという鏡川へ出る。川沿いに走る。


(旧山内家下屋敷長屋資料館)


(鏡川土手沿い)

続いて、日本三大がっかり観光名所の一つという不名誉なニックネームを持つ「はりまや橋」。私個人としては、このはりまや橋訪問で、 三大がっかり制覇となったが、三つのスポットのなかでもひときわがっかり度は高い。苦笑いである。


(旧はりまや橋の再現)


(こちらは今のはりまや橋)

はりまや橋の交差点から、まっすぐ北上しJR高知駅へ。高知駅は高架になっていて、なかなか見栄えも良い。今回は列車に乗る機会が無いのは残念だが、いつか四国の鉄道も経験してみたい。駅前に幕末の土佐三志士の像が立つ。像の作りはやや大雑把な印象。


(左から、武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎)

高知と言えば、大規模な日曜市が有名だが、規模は違えど、日曜以外にも市内の様々な場所で曜日ごとに市がたっているようだ(ここでは木曜市、あそこで金曜市と言った具合)。高知駅近くの、土讃線の高架下でも小規模ながら金曜市をやっているという情報を得たので、ホテルに戻りがてら覗いてみた。朝6時からということで、7時前には10をちょっと超える程度のお店が出ていた。多くは、(きっと)その日の朝に取れた野菜が中心のようで、観光客というより地元の人がその日の食材を調達するという感じ。


(こんなテントが10ちょっと並ぶ)

ホテルに戻ったのは、7時過ぎ。写真撮ったりしてちんたら走ってるから、1時間ちょっとで走行距離は約7キロの朝ラン。写真では気温が全く伝わらないのが残念だが、これでも戻った時には汗だらだら。


(途中、ストップウオッチを止めたまま走っている区間あるが、大体のコースはこんな感じ)

 

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龍馬屋で料理とお酒と会話を楽しむ:2024年夏 高知の旅(1)

2024-08-26 07:33:03 | 旅行 日本

今年の夏休みは、お盆明けに未踏の地の高知を3泊4日の旅程で訪れた。鰹の最盛期だし、何と言っても坂本龍馬の出身地、そして以前コロナで準備万端だった高知訪問をキャンセルしたリベンジ旅行でもある。南海トラフ注意報が解除にはなったものの気がかりではあったが、勇気を出して決行。

羽田からはたったの1時間20分。機体が着陸態勢に入るころ、窓から外を覗くと、青い海と険しい山々、そしてその間に挟まれて肩をすぼめるように田畑や家々が並んでいる風景が目に入る。

東京に劣らず高知も暑く、日差しがさらに強い印象。市街には空港バスで30分ほどで到着し、夕刻16時過ぎにチェックイン。部屋で暫しリラックスした後、夕刻、陽が傾いた時間に中心部の散策に出る。

未知の土地を訪れた時は、地元スーパーと図書館を訪れるのが相方のポリシーなので、お付き合い。確かに、地元スーパーは、品ぞろえが違うし、ローカルブランドを知るのも面白い。図書館は県立図書館と市立図書館が合同されてできたという新しい図書館で愛称はオーテピア。館内も蔵書、閲覧机、グループルームそれぞれ充実し、米国の大学図書館を思い起こさせる。


(旅行者用の棚。ミレーってこんなに種類があるんだ)


(高知の図書館。建物も素敵)

そして、いよいよ高知での初・夕食へ。「高知はどこで何食べても旨いですよ~」と以前、職場の同僚が言っていたのだが、夕食難民になるのは避けたかったので初日、2日目は予約しておいた。(食べログの百名店に名を連ねるようなお店は数週間前でも予約で一杯だった)。ガイドブックやネット等を参考に、最後は直感でホテルからも近い「竜馬屋」さんへ。結果、これが後々の語り草になるような楽しい経験となった。

お店の引き戸を開けた瞬間、想像以上に狭く、壁には古めの写真や資料が雑多に張り付けてある。カウンターが3~4席ほど、その背後に2~4名掛けの小さなテーブル席が3つ程。まだ客は誰も入ってない。高知新参者には難易度高そうな、変化球一杯の店内にやや怯んだ。が、笑顔のお姉さんに引っ張られるように、奥のテーブル席に案内された。


〔店内)

メニューは紙一枚。季節柄、殆どが鰹のメニュー。感じの良いお姉さんが料理を丁寧に説明してくれるが、どれをどの程度頼んで良いか分からない。結局、大将の「おまかせ、量は軽目で」という注文に落ち着いた(お腹一杯になったらストップかけてね、という仕組み)。高知と言えば、日本酒なのだが、酔鯨ぐらいしか知らないから、こちらもお姉さんおまかせ。私らの来店で、おもむろに厨房に現れる大将。ただ者でない雰囲気を漂わせている。

スタートの儀式は、いきなり鰹の刺身が鉄(?)皿に載って大将がバナーで炙るところから始まった。「30秒以内に食べてね」と言われたが、これが口の中でとろける上手さ。この後、(順番が逆だが)付け出しの鰹の切り身と酢漬け、地鶏(土佐ジロー)の手羽先、鰹と新子(メジカの新子ではないとのことだったが、何だかは忘れてしまった)の刺身と青さの天ぷら。月並みな表現だが、どれも頬が落ちるような旨さである。とりわけ、新子の刺し身は絶妙の甘みがあって印象的。


(いきなり大将が目の前で炙ってくれる)


(付き出しもとっても旨い)


(土佐ジローという地鶏)


(鰹と新子の刺身)

お酒もお姉さんが、次々と風味、辛さが違うものを出してくれる。どれも個性豊かで、違いが明確。料理との相性も抜群だ。

このお店が美味しいだけでなく、楽しいのは大将やお姉さんとの会話。店は200年続いていて、今の大将は7代目だという(7代目継承の口上も壁に貼ってある)。話題は、お店や料理、そしてマスターの一身上のいろんなお話、壁に掲示してある謎の特許証明(登録?)書などなどについて。私も観劇した内野聖陽さん主演の「ハムレット」のポスターがサインや落書き入りで掲示。内野さんからのお手紙とかも壁に貼ってあって、エピソードを伺った。お姉さんも上手く会話を引き出す。ホスピタリティ抜群だ。帰り間際まで、私らの他には出張者のソロ飲みの方1名だったので、ほぼ会話を独占して、まるでお友達の家に来たようだった。


(高知公演のポスター。皆さんで来店されたとのこと)

1時間半経過したぐらいで、相方がお腹一杯でストップ。次回、高知にいつ来られるのかも分からないが、来たら必ず寄りたいと思わせてくれるお店だった。心から「ごちそうさまでした」。高知初日は楽しく、美味しい最高のスタートを切る。

(初日)

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松村圭一郎『くらしのアナキズム』(ミシマ社、2021)

2024-08-24 07:33:28 | 

普通に当たり前のものとしてある国家や政府の生い立ちや役割を0ベースに立ち戻って問い直し、巨大にシステム化された現代の政治経済社会の中で「どうしたら自分たちの身の回りの問題を自分たちで解決できるのか、そのために何が必要なのかを考えること」(p151)の重要性を説く。筆者はそれを人類学や民俗学の知見や筆者自身のフィールドワーク経験を踏まえて考察する。人任せにしない、顔(宛先)の見える活動で政治・経済を自分たちに取り戻すこと(くらしのアナキズム)を勧める。

大きなテーマなので具体的なアクションについての言及が弱いのは残念だが、生き方、考え方のスタンスとしてとっても参考になるし、勉強になる。この半年で読んだ民俗学や人類学などの書籍と関連するところも多く、頷かされるところ多い。とっても良書だと思う。

 

(興味を引いた具体的記載等については、別途、時間あるときに追記予定)

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人事や経営の仕事についている人にお勧め: 小林祐児『リスキリングは経営課題』(光文社新書、2023)

2024-08-22 07:33:45 | 

ここ数年内に手に取った人事関係書籍の中で、とっても勉強になった一冊。

タイトルには「リスキリング」とあるが、日本人の「学び」全般について考察している。「世界で最も学ばない」と言われる日本の社会人であるが、それはなぜなのか、個人・企業はどう取り組むべきなのかについて、社会学・心理学の知見や調査データを活用して、論を展開する。私が属する組織の人事育成について考えるヒントになったし、自らの学びについての相対化、振り返りにもなった。

本書で印象的だったのは次の3点。

1)育成の「工場モデル」の否定

 ・過去において被育成者、育成者、育成企画担当者として、さんざん「求められるスキル→現状とのGap分析→研修・育成」という工場モデルに関与してきた。一方で、このモデルの限界(静態的、労多いが本当の業務への成果が見えない等)を感じていただけに、本書の工場モデル否定は非常に腹落ち度が高かった。

2)学術的な知見、筆者自身のリサーチ結果、筆者の自論の3点がバランス取れている

・「中動態」(國分浩一郎)、「ソーシャルキャピタル(社会関係資本)」、「安心社会・信頼社会」・「関係性検知の地図重視」・「他者への信頼の無さ」(山岸俊男)と言った社会学・心理学的な知見に加えて、著者自身の研究やリサーチ結果等を踏まえて幅広い視点で議論を展開しているのも印象的だった。単なるリスキリング議論に閉じていない広がりがあり、興味が高まった。

3)学びそのものよりも関係性重視のアプローチ

 ・今の社会人に欠けているものは「自己ではなく、他者を通じた動機付け」。企業が考えるべきは集団的なメカニズムの中で学びの意欲に「もらい火」的な延焼を起こすこと(p193)という社員個人としての学びを超えて、関係的・環境的な視点でアプローチをしている点が新鮮であった。

分析に対しての打ち手として、筆者は「目標管理制度の立て直し」や「学びのコミュニティ化としてのコーポレートユニバシティ」、「対話側ジョブ・マッチングシステムによる学ぶ意思の醸成」などをあげる。前段の分析に比べるとパンチ不足の感はあったが、有効な打ち手は各組織や読者、それぞれの環境で異なるであろうから、自ら考えるしかないだろう。

人事・育成関係者やシニアマネジメントの方には自信をもってお勧めできる。

 

(以下、メモ)

■「工場モデル」の限界

 ・個への過度のフォーカス(学びと他者の相互性を軽視している)/学びの偏在性(学ぶ人しか学ばない)/スキル明確化の幻想(スキルは明確化できない)/「獲得」と「発揮」が等値(行動して発揮してこそ意味あり)

■日本人の学ばなさ

 ・学びへの「意思の無さ」、なんとなく学ばない
 ・中動態的キャリア:「オプトアウト」方式の平等主義的・競争主義的な昇進構造、「置かれた場所で咲く」マインド
 ・「仕事は運次第」という意識
 ・歳を取るごとに「受動」と「能動」の区別に追いやられ「中動態」であることが許されなくなる

■変化を起こすことへの抑制(変化抑制意識)

 ・「多元的無知」、「沈黙の螺旋」、「認知的不協和」
 ・相互援助の文化が変化抑制の意識を「上げる」方向に作用する
   →日本企業の横のつながりがイノベーションにブレーキ
 ・個人の<変化適応力>

■3つの学び行動

1)アンラーニング(捨てる学び):「中途半端な成功体験」がアンラーニングを妨害
 ・「変わらない役職」と「中途半端に良い評価」が阻害
 ・「限界認知」がアンラーニングを促進

2)ソーシャルラーニング(巻き込む学び)
 ・「社会関係資本」が重要
 ・やる気は外からやってくる、「炭火型」動機付け

3)ラーニング・ブリッジング(橋渡す学び)
 ・「関係性の地図重視のコミュニケーション」「他人への信頼の無さからくる〈社会開拓力〉の欠如」を前提に考える必要あり

■行動変化の仕組み:他者を含んだ環境の相互作用の中で起こる、「創発」的な営み

 ・企業がすべきこと:変化を如何に起こすか?そのための仕組みつくり(「変化創出モデル」)
 ①変化報酬型施策(△?)、②「挑戦共有」型施策:
 ・ベースは、目標管理制度の立て直しに拠る「予測改革」

■学びのコミュニティ化:企業をキャリアの学校に/コーポレートユニバシティ

 ・「学ぶ意思」を創る:対話側ジョブ・マッチングシステム

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充実の展示: 神護寺展 @東京国立博物館

2024-08-20 07:30:50 | 美術展(2012.8~)

神護寺展へ出かけた。お盆休みのせいか、かなりの盛況。

京都の西北の深部に位置するお寺。5月に訪れた奈良国立博物館の「空海展」で、唐から帰国した空海が拠点として活動していた寺としてその存在を初めて認識した。「神を護る寺」という名前からして凄い。

空海との縁が深いこともあり、前半は空海や真言宗、曼荼羅関連の展示が中心。高雄曼荼羅や遣唐使の帰朝の目録など「空海展」と被る展示(全く同じかどうかは未確認)もあったが、復習にもなり興味深かった。

目を引いたのは、空海の「風信帖」と最澄の直筆の手紙「尺牘(久隔帖)」。並べて展示があったが、自由闊達な空海の書風と几帳面で丁寧な最澄の書風の違いが、(実際にどうだったかは知らないが)二人の性格の違いを示しているようで興味深かった。書に疎い私には、三筆の一人として名高い空海の書のどこが優れているのかも良く分からないのだが、こう比較してみることで違いは私にも分かる。

充実の展示と来訪者の多さに疲れ切った最後のコーナーが「第五章 神護寺の彫刻」。神護寺の仏像群が大フロアを埋めていて壮観だ。(「こうと知っていれば、こちらから鑑賞したのに」と少々後悔。)


(唯一撮影OKだった「二天王立像」(平安時代 12世紀)

チラシのメインキャラになっている薬師如来像(国宝)と脇侍の日光・月光の両菩薩(重要文化財)が中央に位置する。この薬師如来像、私がこれまで見たことのある薬師如来の中では、表情の厳しさ、怖さが群を抜いている。湧き出るようなアウラも強烈だ。逆に、両隣の日光・月光菩薩の穏やかさ、優しさが引き立つ。暫し、3つの仏さまを見惚れてしまった。

そして、壁沿いに立ち並ぶ四天王立像、十二神将立像の展示も見応えたっぷり。多くは江戸時代の制作のものだが、個々の立像の迫力たっぷり。更に、展示の演出が心憎い。立像の影が壁に映り、それが幻想的。立像の影絵が今にも動き出さんばかりのダイナミックで劇的な効果を生んでいた。博物館ならではの展示法だろう。

もう少し落ち着いた環境で鑑賞したかったという気持ちは残ったが、展示は十二分に満足。京都の中心部からかなり離れて位置する寺であるので遠いが、それ故の良さもあるに違いない。紅葉で有名とのことだが、季節にとらわれず、是非、一度訪れたい。

2024年8月16日

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学び多し!: デ・キリコ展 @東京都美術館

2024-08-18 09:21:07 | 美術展(2012.8~)

洋画の展覧会は年初めのポーラ美術館以来で久しぶり。

デ・キリコの作品は多くの美術館に少数展示してあることが多い印象で、寂しげな広場や彫像、夕暮れ時を思わせる色彩など記憶に残る作品が多い。シュールレアリスム的な象徴性が印象に残る画家だ。ただ、画家本人のこととなると全くと言っていいほど知らなかった。

今回の「デ・キリコ展」は「デ・キリコ芸術の全体像に迫る大回顧展」と宣伝するだけのことはある大規模な展示で、若き日から老年に至るまで年代を追って様々な作品を鑑賞できた。

個人的には、3つの学び・気づきがあった。

1つは、基本的なことだが、デ・キリコはシュールレアリスム一派ではなく、その先駆者的な位置づけとして、「形而上絵画」を描いていたということを初めて知った。恥ずかしながら、私はデ・キリコがてっきりシュールレアリスム一派だと思い込んでいたのだが、むしろそれに先行していた先輩だったのである。

後年の再制作も含めて多くの形而上絵画が展示されているが、頻出するテーマである広場やそこにある建築物を描いた絵は、遠近法の崩れや影の付き方の不自然さで、不安定な気持ちに誘う。また、マヌカン(マネキン)の作品はその没個性性に込められたメッセージを勘ぐる。デ・キリコならではの世界観に浸れる。

2点目は、シュールレアリスム一派と袂を分かつきっかけとなったのが、1919年ごろから始まった伝統主義への回帰ということなのだが、それらの作品もなかなか見応えあった。《闘牛士の衣装をまとった自画像》の自信に満ち溢れた表情は迫力満点。全盛期のレンブラントの自画像のような、プライドや自己顕示を感じる。静物画らも、その精緻でありながらダイナミックな描っきぷりは画家の力量を感じるに十分だった。

3点目は晩年の新形而上絵画とカテゴライズされている作品群を知った。私自身1910年代の「旧」形而上絵画の作品と後年の「新」形而上絵画の区別を意識して鑑賞したことは無かったので、その変化と違いが興味深い。「新」は色合いが薄く明るくなり、絵の重量感が失われ軽くなった感じがする。イラストに近いものがあって、個人的には「旧」作品の方が好みだった。

これら以外にも画家の工芸や舞台芸術の作品も展示されていて、画家の様々な芸術活動に触れられる。

人によって見どころは異なると思うが、訪問価値の高い特別展であった。なお、会場内寒いぐらいエアコンが効いているので、羽織るものを持参されたほうが良いかと思う。

2024年8月9日訪問

 

(日暮れもだいぶ早くなってきました)

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残念なゲーム:多摩川クラシコ2024 FC東京vs川崎フロンターレ @味の素スタジアム

2024-08-16 11:32:40 | 日記 (2012.8~)

6月に数年ぶりにFC東京の応援に味スタに行ったのが、眠っていたサッカー生観戦の楽しさを呼び覚ましてくれた。今回は多摩川クラシコと愛称が付く、多摩川を挟んだ対決である、川崎フロンターレとの対戦。

パリオリンピックでの女子マラソンで鈴木優花選手の力走を見終わってからのスタジアム行きだったので、到着はキックオフ15分前。多摩川クラシコとあって、試合前の盛り上げも普段以上で花火が上がったりで、ほぼ満員の味スタの盛り上がりはパリオリンピックに匹敵するほどでは無いかと思われた。


(試合前の盛り上げ  1階指定席に間違って座っていたため、2階席に移動)

ただ、ゲームは超しょぼいもの。前半19分に2点目を取られるまでは、チャンスもあって積極的な姿勢が見れたが、0-2になってからは、逆にチャンスらしいチャンスも無く、イライラの展開が続く。後半も、数少ない好機はものにできず、30分にあっさり3点目を入れられ、絶望。ラスト10分はそれなりに意地の攻撃はあったが、結局無得点のまま、0-3で終了となった。

見ていて、順位は下の川崎に良いようにペースを握られ、川崎の大人のサッカーと時々暴れるがちぐはぐな攻守の若い東京の差が現れた印象の試合だった。いくら超が付くほどの蒸し暑いスタジアムだったが、ホームでこのやられっ放しのゲームありかよ。ともう怒りとも諦めともつかないがっかり感満載のゲーム感で合った。

まあ、今の私はファンとは呼べないなんちゃって応援なので「まし」だが、チームを応援し続けると言いうことは、常勝チームでない限り、こういう試合にいくつも立ち会わなければいけないということで、ファン道の厳しさを察する。

ただ純粋にスポーツを楽しむという点でも現場観戦は面白い。特にサッカーは全体の動きが見渡せるので、戦術的な動きやフォーメーションの変化が手に取るようにわかる。さて、次はいつにしようか。

(2024年8月11日)

 

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三人会 柳亭小痴楽、林家つる子、柳家わさび @有楽町よみうりホール

2024-08-14 07:27:19 | 落語

若手真打ちによる三人会。今回のお目当ては、今春抜擢で真打昇進を果たした林家つる子さん。つる子さん聞きたさに、週末の午前中から有楽町よみうりホールへ。

開口一番では二つ目の鈴々舎美馬さん。若い女性落語家さんで、小柄で可愛らしい雰囲気の方。落語界もどんどん多様化してて良いね。

続いて、小痴楽さん。この方、生は去年8月の<しぶらく>以来ですが、NHKラジオ第1の<小痴楽の楽屋ぞめき>がいろんな落語界の裏話が面白くよく聞いてます。切れの良いセリフ回しが好き。新作なのかと思いきや、演目は古典の「堪忍袋」。おかみさんの演技が色っぽかった。

休憩挟んで、つる子さんの登場。演目は季節にぴったりの「お菊の皿」。このお話し、お菊さんが主人に仕組まれて手討ちにされたのを恨んで幽霊として出る「皿屋敷」をもとに、その幽霊お菊と町の庶民との騒動を描いた滑稽話だが、今回のつる子さんの噺は「お菊の皿」部分もかなり詳しく演じてくれた。その「皿屋敷」部分の幽霊お菊さんの怖いこと。そして、楽しんだのは、「お菊の皿」での幽霊スターとなったお菊さんの緩んだお茶目ぶりとの落差。表情や仕草で、同じ人物の変化を、面白おかしく演じるつる子さんの芸を堪能した。

そして、トリはわさびさん。わさびさんも昨年の5月浅草、9月の<しぶらく>以来。てっきり古典かと思いきや、季節感たっぷりの新作「エアコン」。新作は、過去に聞いたことがあったり、ある程度予測がつく「古典」と違って話の展開がどうなるかが分からない。聴く方も「古典」とは違う緊張感がある。今回の「エアコン」もなかなか先が読めない展開を楽しんだ。

ベテランもベテランならではの味があるが、この日のような若手真打の芸は、勢いと芸の両方が楽しめ、とっても刺激的な2時間。

終演後は交通会館の地下へ。13時過ぎだというのに、どの店も混んでてで驚いたが、水沢うどんので鶏うどんを頂く。カラっと上がった鳥のてんぷらとさっぱりとしてるが出汁の効いたうどん汁が上品でとっても美味しく満足。

2024年8月4日

 

 

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フェスタサマーミューザ KAWASAKI2024 読売日本交響楽団 〈沖澤のどかが鮮やかに描く、壮厳なる音物語〉

2024-08-11 07:17:06 | 演奏会・オペラ・バレエ(2012.8~)

毎年7,8月は演奏会に行く機会が減るのですが、今年は7月が2回で8月は0。期間が空くと、久しぶりの演奏会はルーティンとならず、集中して聴けるのでこういうメリハリもあっていいのかな。

今年の私のサマーミューザは、6月のN響を指揮した沖澤のどかさんが読響を振るこの1本。後期ロマン派で固めたプログラムも魅力です。のどかさんのプレトークを楽しみにしていたのですが、夏風邪で声が不調ということで、阪田さんが代役を務めました。代役とは思えない慣れた感じのトークで、流石だなと感心。

冒頭の「ドン・ファン」も情景が浮かぶ演奏が素晴らしかったのですが、続くリストのピアノ協奏曲第2番と後半のサン=サーンス:交響曲第3番が私自身の収穫が大きかったです。

阪田知樹さんのピアノは初めての実演に接しましたが、堂々たる演奏でした。ダイナミックさと優雅でロマンティックさが共存し、聴きごたえたっぷり。リストのピアノ協奏曲第2番を生で聴くのも3度目くらいですが、初めて、こういう音楽だったんだと、少し楽曲にお近づきになれた気がしました。

後半のサン=サーンスの交響曲第3番。こちらも目が開かせられる演奏。沖澤さんの指揮、読響の演奏は、直球ど真ん中で、変なアクセントや癖がありません。それ故か、音楽が体に染み込むように吸収されます。楽曲の素晴らしさを自然に語らせるような指揮ぶりです。

この曲、昨年11月にニューヨークでNYPの演奏を聴いたのですが、旅の疲れもあって、終盤の畳みかけるスケール感ぐらいしか印象に残っていません。今回初めて、曲の構成や第1楽章後半の美しさなど、様々な気づきがありました。読響の前のめりの演奏も素晴らしかった。

終演後は私も含めてホールの隅々から大拍手。のどかさんも何度も呼び戻されていましたが、体調不調に加えて、ご妊娠中のようで、少々しんどそうでしたが、拍手に応えてました。

数を減らしているの中で、こんな演奏会を聴いてしまうと、「もっと行きたい/行かねば」ということになってしまいますね。

 

2024.7.31(水)
ミューザ川崎シンフォニーホール

指揮:沖澤のどか
ピアノ:阪田知樹*サン=サーンス:交響曲第3番
パイプオルガン:大木麻理☆

R.シュトラウス:交響詩『ドン・ファン』op. 20
リスト:ピアノ協奏曲第2番 イ長調 S125/R456*
サン=サーンス:交響曲第3番 ハ短調 op. 78『オルガン付き』☆

  • フォーレ:ネル(阪田知樹編曲)

Wed 31 Jul 2024
19:00|18:00 Doors open | 18:20-18:40 Pre-concert Talk

MUZA Kawasaki Symphony Hall

Nodoka Okisawa, Conductor
Tomoki Sakata, Piano*
Mari Ohki, Pipe Organ✩

  1. Strauss: Don Juan, op. 20
    Liszt: Piano Concerto No. 2 in A major, S125/R456*
    Saint-Saëns: Symphony No. 3 in c minor, op. 78, "Organ"✩
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海霧の中、第52回釧路湿原マラソンを走る: 2024年夏 道東旅行(6)

2024-08-09 10:58:55 | ロードレース参戦 (in 欧州、日本)

花咲線乗車とならんで、今回の旅行の目玉である釧路湿原マラソン(30kの部)の出走日となりました。

この大会、今年で52回を数える歴史あるレースです。ランは10kの部や親子の部もありますが、釧路湿原らしくウオーク(10キロ/30キロ)の部があるのも特徴です。30キロのウオークは朝6時スタート!

私には、秋のフルマラソンに向けての準備レース。7,8月に長距離を走れるレースは数少ないので貴重な機会です。6月下旬に人生初の新型コロナに罹患してしまい、体重が3キロも一気に落ちたり、練習も2週間丸々お休みを余儀なくされたりで、準備はとても十分とは言えませんでしたが、遠征マラソンならではのウキウキです。まあ、今回は完走できれば上等で、欲を言えばフルマラソンサブ4ペースの目安である30k、2時間45分以内で走れれば最高、ぐらいで臨みました。


(荷物預け/更衣室の体育館)

当日は生憎、朝から冷たい霧雨のような小雨。気温も18℃ぐらい。釧路の人に言わせると、「海霧(じり)」と言って、典型的な釧路の天気とのことです。ただ、この天気は今回の私には最悪。1つは、阿呆なことに今回暑さ対策としての、日焼け止め、サングラス、(首を冷やすための)首巻などは持ってきたものの、寒さ対策はまるでなし。走り始めれば低い気温は好条件なのでしょうが、スタートするまでの体の冷えが心配です。更に、今回、ランニング帽子を持参し忘れる間抜けぶり。レース前夜に気づき「きっと会場にスポーツ屋さんのテントがあるだろうから、そこで買えばいいだろう」と高をくくっていたら、会場には運動用品店のテントは無し。雨の中、キャップ無しで30k走らねばならないというのは、スタート前から結構凹みました。

9時スタートで1時間15分前に会場入り。寒いので、着替えの体育館でしばらくじっとしていました。20分前にはスタートエリアに並びます。みんなキャップ被っていて、ますます自分が残念。

そして、9時にスタート。運動公園を出て、釧路の住宅街を走り抜けます。手元の時計の最初の1キロラップが5分15秒という私としてはとんでもないハイペースで、「おっと、おっと。いかん、いかん。周囲の早いランナーのペースに引っ張られてる」とあわてて、スピード落とします。130後半を刻んでいた心拍数も130前後に落ちるようペースを調整。

住宅街を抜けると、新釧路川の土手に出ます。視界が大きく広がり、気持ちがいい。しばらく走ると左折して釧路大橋を渡り、湿原入りです。湿原入りと言っても、湿原を横切る釧路湿原道路を走るので、決して湿原内に引いてある木道を走るわけではありません。凡そ7.5キロ、折り返し含めて往復15キロが湿原道路のランとなります。う~ん、天気が良ければもっと爽快なんでしょうけど。雨こそ、途中小康状態になったものの、全般的に曇り空の暗い雰囲気。



私の横に女性の競歩ランナー(ウォーカー)がいらして、2キロほどほぼ並んで走っていたのですが、いつの間にか先行され、追いつけなくなってしまいました。私が走るより早く歩くってとっても不思議。

天気は暗いし、湿原道路なので周囲に人が住んでいるわけでもなく、側道を歩くウオークの部参加の方とすれ違うほかは、沿道の応援はほぼ0。そんな中、給水所の生徒さんたちの暖かい応援は、冷たく冷えた体が一気に温まるものでした。20k地点近くの給水所では、給食としてスイカが供されました。これが甘くておいしかった~。


(前方から既に折り返した先頭ランナーとすれ違い。走りが違います)

30キロレースなのでまあトイレは行かんでも大丈夫だろうと想定していたのですが、寒さが原因か、妙にトイレが近く、簡易トイレに2回も飛び込む事態に。合わせて2分近くのロス。更に、練習不足のせいか、20キロまでは5分30秒~40秒で1キロラップを刻んでいたのですが、20キロを過ぎるといきなりペースダウン。5分50~59秒台のラップに。練習は本当に正直です。

復路の湿原道路を走り終えて、再び新釧路川土手、そして釧路の住宅街を走るようになると、また雨が強めに降り始めました。ただ、応援も徐々にぽつぽつと増えて、元気を貰えます。ゴールの運動競技場が見え始めてから1キロ強あって、思いのほか遠かったですが、何とかゴール。タイムは手持ち時計で2時間51分台。100%満足とはいきませんが、3時間切っての完走なので良しとしましょう。

わざわざ北海道まで遠征しての30キロレース。天気が良ければもっと盛り上がっただろうという気持ちはありましたが、このレースのおかげで、乗りたかった花咲線にも乗ったし、最東端の納沙布岬も行けたし、釧路のおいしい食も楽しんだので、まさに旅ランの醍醐味を満喫できました。

(おわり)

 

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釧路の食:2024年夏 道東旅行(5)

2024-08-08 07:32:47 | 旅行 日本

だらだらと書き綴ってきましたが、個人的なメインイベントの釧路湿原マラソンの前にもう1つエントリー。

テーマは釧路の食。ソロ旅行者なので、いろいろと楽しむことはできないのですが、旅先ならではの食を堪能しましたので、ご紹介します。

初日のお昼。お腹すきすぎて、飛び込んだ釧路駅前のお蕎麦屋さん<東家>。お昼時間を過ぎて客は私だけでした。80を超えていると思われるお婆さんが一人で注文とって、作って、配膳、会計対応。お蕎麦は更科風の白いソバ。程よく腰あって食べごたえ在り。以前、新得町を訪れた際も感じましたが、北海道のソバは美味しいです。


(大盛り蕎麦)


(店内)

蕎麦だけでは満足できず、近くの和商市場へ。和商市場と言えば客が具をそれぞれ選ぶ「勝手丼」が有名ですが、これ結構高くつくので、市場内のお好み食堂「邦紀」がお惣菜として売っていた中トロ握りと釧路名物ザンギ(鶏のから揚げ)を。寿司も良かったですが、このお店オリジナルというザンギの甘醤油風のタレが美味しいです。


(邦紀)


(和商市場内 14時半過ぎなので人出は少な目)

初日の夜は、友人にお勧めされた居酒屋さん<番小屋>を訪れました。素朴な田舎作りの店内、愛想のよいおかみさんやマスターの暖かい雰囲気と美味しい料理が旅情を掻き立ててくれる居酒屋さんです。

2日目の夜。根室帰りで、土曜日の19時過ぎということもあってか、ホテル近くの狙ったお店は2店とも満員。とりあえず入った居酒屋「釧路食堂」。十分美味しかったです。特に、白身魚の刺身(名前を板前さんに聞いたのですが、忘れてしまった)が口の中でとろけるような甘さ。

3日目のお昼。釧路出身の友人が「釧路のソウルフード」と言っていた泉屋のスパかつ。スパゲティの上にぶ厚いとんかつが乗って、その上にったっぷりとミートソース。皿からこぼれんばかりの凄い量です。味は懐かしの昭和の味。けっこう癖になりそうです。食べきるのに20分を要しました。




(昭和チックな店内も懐かしい雰囲気)


(ディスプレイも懐かしい)

復路便は7時40分発。空港のレストランはどこも一杯で、食欲もさほどなかったので、搭乗口ゲート前で売店で買ったチーズかまぼことビールうで済ませました。思いのほか、このかまぼこが美味しかった。ビールとの相性も抜群。

 

【おまけ】

2日目の朝、港沿いをジョグ。巨大な自衛隊の補給艦摩周が停泊していました。








3日目には漁船も何隻か停泊。

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