文学部の入学式は、他のどの学部よりも華やかだと聞いていたが、全くもってその通りだった。殊に修二の入った英文科は八割くらいが女子学生で占められており、まわりは見渡すかぎりカラフルな晴れ着の海だった。
中二階のバルコニーから、グリークラブの重厚なアカペラによる賛美歌が流れる中、正面奥の壇上を見渡すと、日本人教授に混じって少なくない数の外人教授の顔も見えた。学長に続き、来賓の祝辞が終わると、新入生代表の答辞が行なわれたが、代表はやはり女子学生の多さを反映して、ベージュのスーツで決めた聡明そうな女の子だった。
修二が英文科を選んだ理由は二つ。
女子学生が多い。故にガールフレンドに事欠かないだろう。
外人教授がいる。故に英語がペラペラになるだろう。
修二の短絡思考による希望的観測は、時を経ずして打ち砕かれるのだが、その時の修二は、これから始まる4年間のバラ色の大学生活に思いを巡らせながら、バニラエッセンスの香りのような幸福感に浸っていた。
入学式が終わって式場を出ると、古いチャペルから祝福の鐘の音が流れる中、春の陽光は眩しさを増し、外は汗ばむほどの陽気になっていた。
修二は新入生の人波に混じって、相変わらずクラブ勧誘で賑わっている構内を西門へ向かって歩いた。
みどりの指定した西門前の喫茶店『わび・さび』はすぐに見つかった。
修二が店へ入っていくと、みどりは奥のテーブルから大きく手招きした。
閑散とした喫茶店の奥まった窓際のテーブルで、みどりはひとりでコーヒーを飲みながら修二のカリキュラムを作っていた。
「もうすぐ完成するから、それまでは話し掛けないでコーヒーでも飲んでて」
みどりはそう言うと、また書類を作成する作業に没頭した。
修二は言われた通りコーヒーを注文して、書類にペンを走らせる、みどりのしなやかな手をぼんやり見ていた。青い静脈がほのかに透ける、シミひとつない手の細くて長い指先には、形のいい楕円形の爪が淡いピンク色に光っていた。
窓の外に目をやると、西門前の電停にグリーンとベージュのツートンカラーの市電が止まり、たくさんの学生たちが吐き出されて、道を隔てた西門を入っていくのが見えた。
ブックバンドで止めた数冊の教科書を小脇に抱えたアイビーボーイ。お揃いのテニスルックにカーディガンを羽織った女子学生のグループ。ベルボトムのジーンズにギターケースを持った長髪のフォーク青年。アーガイル模様の色違いのペアのセーターで決めたアベック。入学案内のキャンパス風景の写真そのままの学生たちのファッションが、まだ田舎の高校生感覚が残っていた修二にはとても眩しかった。
修二の頭の中の映写機は、アーガイル模様のセーターにベルボトムのジーンズで、ギターケースを右手に、ブックバンドで止めた教科書を左手に、テニスルックの可愛らしい女子学生と一緒に、颯爽とキャンパスを闊歩する長髪の自分の姿を、想像のスクリーンに映し出していた。
「なに嬉しそうな顔してんの?」
みどりのいたずらっぽい視線に、修二はあわてて我に返った。
「いやあ、これからの大学生活についてちょっと考えとったとです」
「可愛らしいテニス少女と一緒の?」
「えっ、なんでわかるとですか?」
「そう顔に書いてある」
修二は思わず窓ガラスに映る自分の顔を見つめた。
「なにバカなことやってんの。完成したよ、これ。あとは君の住所、氏名を記入して学生課の窓口に提出するだけ」
差し出された書類は、達筆な文字で必要事項が埋められていた。
「どうもありがとうございます。あのう、質問してよかですか?」
「なに?」
「みどりさんて、そのう、何者ですか?」
「あら、警戒してんの? さっきも言ったように、英文学科の三回生よ。それだけじゃ不足?」
「いいえ、そうじゃなくて…初めて会ったばかりやのに、カリキュラムまで作ってもろうて…」
「気にしない、気にしない。ちょっとした退屈しのぎだから」
退屈しのぎで、人の大事な1年間のカリキュラムを作られたんではたまらんな、と思ったが、美貌の女子大生に対しては、修二の寛容の枠は広すぎて、うまくはぐらかされてしまった。
「ところで、このあとなにか予定ある?」
みどりが聞いた。
「午後から履修要綱の説明会があるとですけど…」
修二は大学から渡された、ここ1週間のスケジュール表を見ながら答えた。
「その説明会なら出る必要なし。この書類の記入の仕方の説明会だから。じゃあ、これから書類を提出して、それからお昼でも食べに行こう」
みどりに促されるまま、修二は喫茶店を出て、学生課の窓口に書類を提出しに行った。学生課の職員は最初、まだ履修要綱の説明も受けていない新入生の、提出書類の受け取りをためらっていたが、記入内容に不備がないのを確認すると、しぶしぶ受け取ってくれた。みどりが「退屈しのぎ」に記入してくれた内容が的確だったわけだ。
「リクエストは?」
「えっ?」
「お昼に食べたいもの」
「そうですね…あの~マクドナルドのハンバーガーを食べてみたかとですけど」
田舎のパン屋にもハンバーガーくらいあったが、所詮ノーブランドの田舎の味しかしなかった。雑誌で見るビッグマックの圧倒的なボリュームは、田舎の修二にとって、明快な都会のシンボルだった。
修二は京都に来てすぐ、新京極の中のマクドナルドの前まで行ったのだが、アメリカナイズされた店内や女性客の多さが、入店の意気込みを鈍らせ、修二とビッグマックのご対面を延期させていた。
「あら、そんなものでいいの?」
「センスなかですか?」
「そんなことないよ。学生にはピッタリよ」
みどりはウインクして見せた。
中二階のバルコニーから、グリークラブの重厚なアカペラによる賛美歌が流れる中、正面奥の壇上を見渡すと、日本人教授に混じって少なくない数の外人教授の顔も見えた。学長に続き、来賓の祝辞が終わると、新入生代表の答辞が行なわれたが、代表はやはり女子学生の多さを反映して、ベージュのスーツで決めた聡明そうな女の子だった。
修二が英文科を選んだ理由は二つ。
女子学生が多い。故にガールフレンドに事欠かないだろう。
外人教授がいる。故に英語がペラペラになるだろう。
修二の短絡思考による希望的観測は、時を経ずして打ち砕かれるのだが、その時の修二は、これから始まる4年間のバラ色の大学生活に思いを巡らせながら、バニラエッセンスの香りのような幸福感に浸っていた。
入学式が終わって式場を出ると、古いチャペルから祝福の鐘の音が流れる中、春の陽光は眩しさを増し、外は汗ばむほどの陽気になっていた。
修二は新入生の人波に混じって、相変わらずクラブ勧誘で賑わっている構内を西門へ向かって歩いた。
みどりの指定した西門前の喫茶店『わび・さび』はすぐに見つかった。
修二が店へ入っていくと、みどりは奥のテーブルから大きく手招きした。
閑散とした喫茶店の奥まった窓際のテーブルで、みどりはひとりでコーヒーを飲みながら修二のカリキュラムを作っていた。
「もうすぐ完成するから、それまでは話し掛けないでコーヒーでも飲んでて」
みどりはそう言うと、また書類を作成する作業に没頭した。
修二は言われた通りコーヒーを注文して、書類にペンを走らせる、みどりのしなやかな手をぼんやり見ていた。青い静脈がほのかに透ける、シミひとつない手の細くて長い指先には、形のいい楕円形の爪が淡いピンク色に光っていた。
窓の外に目をやると、西門前の電停にグリーンとベージュのツートンカラーの市電が止まり、たくさんの学生たちが吐き出されて、道を隔てた西門を入っていくのが見えた。
ブックバンドで止めた数冊の教科書を小脇に抱えたアイビーボーイ。お揃いのテニスルックにカーディガンを羽織った女子学生のグループ。ベルボトムのジーンズにギターケースを持った長髪のフォーク青年。アーガイル模様の色違いのペアのセーターで決めたアベック。入学案内のキャンパス風景の写真そのままの学生たちのファッションが、まだ田舎の高校生感覚が残っていた修二にはとても眩しかった。
修二の頭の中の映写機は、アーガイル模様のセーターにベルボトムのジーンズで、ギターケースを右手に、ブックバンドで止めた教科書を左手に、テニスルックの可愛らしい女子学生と一緒に、颯爽とキャンパスを闊歩する長髪の自分の姿を、想像のスクリーンに映し出していた。
「なに嬉しそうな顔してんの?」
みどりのいたずらっぽい視線に、修二はあわてて我に返った。
「いやあ、これからの大学生活についてちょっと考えとったとです」
「可愛らしいテニス少女と一緒の?」
「えっ、なんでわかるとですか?」
「そう顔に書いてある」
修二は思わず窓ガラスに映る自分の顔を見つめた。
「なにバカなことやってんの。完成したよ、これ。あとは君の住所、氏名を記入して学生課の窓口に提出するだけ」
差し出された書類は、達筆な文字で必要事項が埋められていた。
「どうもありがとうございます。あのう、質問してよかですか?」
「なに?」
「みどりさんて、そのう、何者ですか?」
「あら、警戒してんの? さっきも言ったように、英文学科の三回生よ。それだけじゃ不足?」
「いいえ、そうじゃなくて…初めて会ったばかりやのに、カリキュラムまで作ってもろうて…」
「気にしない、気にしない。ちょっとした退屈しのぎだから」
退屈しのぎで、人の大事な1年間のカリキュラムを作られたんではたまらんな、と思ったが、美貌の女子大生に対しては、修二の寛容の枠は広すぎて、うまくはぐらかされてしまった。
「ところで、このあとなにか予定ある?」
みどりが聞いた。
「午後から履修要綱の説明会があるとですけど…」
修二は大学から渡された、ここ1週間のスケジュール表を見ながら答えた。
「その説明会なら出る必要なし。この書類の記入の仕方の説明会だから。じゃあ、これから書類を提出して、それからお昼でも食べに行こう」
みどりに促されるまま、修二は喫茶店を出て、学生課の窓口に書類を提出しに行った。学生課の職員は最初、まだ履修要綱の説明も受けていない新入生の、提出書類の受け取りをためらっていたが、記入内容に不備がないのを確認すると、しぶしぶ受け取ってくれた。みどりが「退屈しのぎ」に記入してくれた内容が的確だったわけだ。
「リクエストは?」
「えっ?」
「お昼に食べたいもの」
「そうですね…あの~マクドナルドのハンバーガーを食べてみたかとですけど」
田舎のパン屋にもハンバーガーくらいあったが、所詮ノーブランドの田舎の味しかしなかった。雑誌で見るビッグマックの圧倒的なボリュームは、田舎の修二にとって、明快な都会のシンボルだった。
修二は京都に来てすぐ、新京極の中のマクドナルドの前まで行ったのだが、アメリカナイズされた店内や女性客の多さが、入店の意気込みを鈍らせ、修二とビッグマックのご対面を延期させていた。
「あら、そんなものでいいの?」
「センスなかですか?」
「そんなことないよ。学生にはピッタリよ」
みどりはウインクして見せた。