★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

ヘッドハンティング 4

2012年03月08日 18時55分04秒 | 小説「ヘッドハンティング」
 真田が指定した喫茶店に、柳瀬は定刻通りの午後7時に入って来た。もうひとり部下と思われる若い男が一緒だった。
 チャコールグレイのいかにも高級そうなスーツに、上背こそ170そこそこだが、スポーツジムで鍛えたようながっしりした身体を包み、ボタンダウンのオックスフォードシャツに、派手めのレジメンタルタイを締めた柳瀬は、客が少なかったせいもあるが、奥まったテーブルで待っていた真田のところへ真っすぐにやって来た。

「初めまして、三信興産の柳瀬です。これは部下の谷岡です」
「真田です」
 交換した柳瀬の名刺の肩書きは、取締役通販事業本部長となっていた。
 年の頃は50歳そこそこ、ロマンスグレイを短く整髪し、適度なゴルフ焼けをした柳瀬のビジネススマイルは、いかにも商社マンらしい精悍な印象を与えた。唯一、メタルフレームの奥の目が、人当たりのよいさわやかな笑顔の中で、如才なく光っていた。

 一方の谷岡のほうは、柳瀬と同じ部署の主任で、30歳前後の長身、ライトグレイのブランド物らしいイタリアン調のスーツをさりげなく着こなしていた。
 柳瀬はウェイトレスにコーヒーを注文してから、真田に突然の呼び出しの非礼を詫び、あたりさわりのない世間話をした。コーヒーを運んできたウェイトレスが去ると、柳瀬はおもむろに用件を切りだした。

「面倒な前置きは抜きにして単刀直入に申しあげますと、今日、真田さんにご足労いただきましたのは、シーシェルへの転職をお願いするためです」
 柳瀬は、真田の顔色を確認するように一旦言葉を切った。
 真田は無言で先を待った。
「ご存じのように、当社はシーシェルを三年前に傘下に入れまして、ようやく前期の決算で、シーシェルが抱えていた累積赤字とデッドストックを大幅に削減しました。今期は、来期からの本格的な通販事業の展開に向けての、システムまわりの構築と、人材の養成を進めているところです。各通販会社のシステムやノウハウをいろんな情報源から収集しているのですが、なかなか、皆さんガードが堅くて思うようにいってないのが現状です」

 柳瀬はコーヒーをブラックで一口飲んで続けた。
「人材にしても、旧シーシェルでは育成教育が遅れていたこともあり、可もなし不可もなしの人材しか揃っていません。そこで、現有勢力のレベルアップと並行して、同業他社からのスペシャリストのヘッドハンティングという方法をとることにしました」
「他社の私にそこまでお話になってよろしいんですか?」
 真田はさえぎるように言った。
「失礼を承知で申し上げますが、先の御社の人事異動は、反体勢力の一掃の意味合いが濃いように思われますが…」
「よくそこまで調べましたね」
 真田は内心の怒りを押し殺しながら、自嘲気味に言った。この分では、興信所でも使って真田自身のことも調べているに違いない。

「私は派閥というものが嫌いです。派閥抗争によって社内の有能な人材が埋もれていくことは、会社にとっても本人にとっても大きなマイナスです。私も長いサラリーマン生活の中で、先輩や同期の人間が、派閥抗争のしわ寄せを食って、閑職に追いやられたり、海外の出張所へ飛ばされたりしたのを何度も目のあたりにしています」
「閑職にまわされたら、カムバックのチャンスはないと…」
「常識的に考えて、捲土重来の可能性は少ないと思われます」
「……」
「身分は三信興産の出向社員、ポストは商品決定権を持つ商品開発の課長を用意します。サラリーは年俸制で現在の二倍を最低保証、業績に応じて最高一年分の特別報奨、年俸のアップも考えています」
 柳瀬に促された谷岡が言った。
 
 …柳瀬の言うように、万葉社にいても、今後、カタログの仕事に携われる見込みは少ない。ましてや、社史編纂という閑職から抜け出せるという保証もない。
 このまま、失意のうちに万葉社で生き長らえるべきか、それとも、出向とはいえ、中堅商社の課長のポストと年収倍増、うまくいけば特別報奨と合わせて三倍増、話半分としても柳瀬の誘いに乗るべきか…。

 真田の天秤は、万葉社とシーシェルの間で大きく揺れていた。
「出来すぎた話ですね…」
「ここに真田さんを含めて、五人の皆さんのリストがあります。まずは、この五人全員がシーシェルへの移籍をOKすることが条件です。他の皆さんにも、真田さんと同じクラスのポストと年俸を用意します」
 谷岡は、内ポケットから四つ折りの便箋を取り出して、テーブルの上に広げて真田に見せた。
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