九州の辺境で生まれ、高校三年までそこで育った私の、少年時代の楽しみの一つが漫画雑誌の中綴じの通信販売カタログを見ることだった。
記念切手やモデルガン、レーシングカーや楽器など、当時田舎では絶対に手に入らない商品のカラー写真が、子供心を大いに刺激した。切手や拳銃の名前はカタログで覚えたものだ。
最初は見て楽しむだけだったが、そのうち小遣いを貯めて、欲しい商品を買ったりもした。封筒に価格分の切手を同封して注文し、何週間かの後、モデルガンやレーシングカーが届いた時の喜びは今でも忘れない。
トムソン社製のギブソンレスポールモデルのコピーギターを買った時は、田舎の幹線駅留めだったので、バスに乗って取りに行った。
家に持って帰り梱包を解き、中から黒光りするレスポールギターが現れた時は、興奮も頂点に達していた。
ギターアンプを持っていなかったので、ナショナルのテクニクスステレオに繋いで、大音響が鳴り響いた時には、おばあちゃんが驚いて飛んで来たものだ。
エレキを初めて弾いたのがその時だ。当時流行っていた、クリームやグランドファンクのフレーズをコピーして、レコードに合わせて弾きながら悦に入っていた。
大学に入学して京都で下宿生活をするようになってからは、欲しいものは街の店舗で買えるので、通信販売とは縁遠くなっていった。
そんな私が中途入社したのが通信販売の会社だった。
仕入担当で商品を決定する時には、少年時代の自分を思い浮かべながら、田舎で商品が買えない顧客に喜んでもらえるよう、夢のある商品、丁寧なスペック表示、写真写りに万全の心配りをしたつもりだ。
会社人生も長くなり、業容も拡大するにつれて、だんだん商品からは遠ざかり、若い社員が作るカタログを見ると、夢のある商品は影を潜め、実用品や消耗品、価格訴求品やどこにでもある商品のオンパレードだ。
世に商品は氾濫し、競合は増え、ビジネスはクレームを避ける保守的なものとなり、利益の追求、会社の存続が主要な目的となった現在では、それも仕方のないことかもしれない。
高度成長期の消費欲求に、提示できる商品のバリエーションが追いつかなかった時代の、商品探しや開発の熱意、先走りすぎる過大コピーや商品自体の胡散臭さが醸し出す、カオス状態は今や昔話だ。
記念切手やモデルガン、レーシングカーや楽器など、当時田舎では絶対に手に入らない商品のカラー写真が、子供心を大いに刺激した。切手や拳銃の名前はカタログで覚えたものだ。
最初は見て楽しむだけだったが、そのうち小遣いを貯めて、欲しい商品を買ったりもした。封筒に価格分の切手を同封して注文し、何週間かの後、モデルガンやレーシングカーが届いた時の喜びは今でも忘れない。
トムソン社製のギブソンレスポールモデルのコピーギターを買った時は、田舎の幹線駅留めだったので、バスに乗って取りに行った。
家に持って帰り梱包を解き、中から黒光りするレスポールギターが現れた時は、興奮も頂点に達していた。
ギターアンプを持っていなかったので、ナショナルのテクニクスステレオに繋いで、大音響が鳴り響いた時には、おばあちゃんが驚いて飛んで来たものだ。
エレキを初めて弾いたのがその時だ。当時流行っていた、クリームやグランドファンクのフレーズをコピーして、レコードに合わせて弾きながら悦に入っていた。
大学に入学して京都で下宿生活をするようになってからは、欲しいものは街の店舗で買えるので、通信販売とは縁遠くなっていった。
そんな私が中途入社したのが通信販売の会社だった。
仕入担当で商品を決定する時には、少年時代の自分を思い浮かべながら、田舎で商品が買えない顧客に喜んでもらえるよう、夢のある商品、丁寧なスペック表示、写真写りに万全の心配りをしたつもりだ。
会社人生も長くなり、業容も拡大するにつれて、だんだん商品からは遠ざかり、若い社員が作るカタログを見ると、夢のある商品は影を潜め、実用品や消耗品、価格訴求品やどこにでもある商品のオンパレードだ。
世に商品は氾濫し、競合は増え、ビジネスはクレームを避ける保守的なものとなり、利益の追求、会社の存続が主要な目的となった現在では、それも仕方のないことかもしれない。
高度成長期の消費欲求に、提示できる商品のバリエーションが追いつかなかった時代の、商品探しや開発の熱意、先走りすぎる過大コピーや商品自体の胡散臭さが醸し出す、カオス状態は今や昔話だ。