1969年のウッドストック・フェスの前後あたりから、音楽シーンを席巻し出したヘビーロック(当時はまだハードロックとは言ってなかった)
大御所のディープ・パープルやクリーム、ジミヘンやレッド・ツェッペリンなどの曲が深夜放送のラジオから流れ、音楽雑誌では特集が組まれ、田舎の高校生の私もレコードを買い漁っていた。
ヘビーロックの大音量は、青春の入り口のモヤモヤや鬱憤晴らしにはもってこいだった。
グループサウンズの歌謡曲ベースの曲も嫌いではなかったが、音の迫力が全く違っていた。 グループサウンズの場合は、歌詞とメロディを頭と心と、ちょっとばかり身体で聴いていた。
ベビーロックは歌詞がほとんどわからないので、純粋にサウンドとして、頭ではなく身体とフィーリングで聴く。
ステレオのスピーカーから身体に伝わる振動を「これが、音楽雑誌の解説にあったヴァイブレーションというやつか」と勘違いしながらも悦に入っていた。
単純なギターリフやフレーズは、レコードに合わせて、通販で買ったエレキギターで弾いていたが、複雑なアドリブになるともうお手上げだった。ジミヘンやクラプトン、リッチーやペイジに合わせるなんてできるはずもなかった。
そんな時、ヘビーロックシーンに彗星のごとく現れたのがグランド・ファンク・レイルロード(GFR)だった。
ギター、ベース、ドラムのスリーピースバンドは、ツェッペリンを凌駕するような大迫力で、曲もシンプルなものが多かった。
マーク・ファーナーの大音量のギターはクラプトンやペイジの重厚さ、流麗さに較べると、単純で力強くミーハー向けだった。
ハートブレーカーや孤独の叫び、アー・ユー・レディなど、練習すればヘタながらも何とかレコードに合わせて弾けた。
ロックは聴くだけのものではなくて、実際にバンドを組んで演奏するものだと実感した。 しかし悲しいかな、九州の辺境の田舎町にヘビーロックバンドをやるような高校生などいなかった。ましてやドラムとベースなど、どこをどう探してもいるはずもなかった。
それと田舎の女子高生もヘビーロックなど知る由もなく、彼女らの気を引くためには、フォークギターで吉田拓郎や井上陽水をやるしかなかった。
文化祭のミニコンサートでは、陽水の「傘がない」を歌いながら、GFRの「ハートブレーカー」を頭の中では歌っていた。
コード進行がほとんど同じなんだよね。
大御所のディープ・パープルやクリーム、ジミヘンやレッド・ツェッペリンなどの曲が深夜放送のラジオから流れ、音楽雑誌では特集が組まれ、田舎の高校生の私もレコードを買い漁っていた。
ヘビーロックの大音量は、青春の入り口のモヤモヤや鬱憤晴らしにはもってこいだった。
グループサウンズの歌謡曲ベースの曲も嫌いではなかったが、音の迫力が全く違っていた。 グループサウンズの場合は、歌詞とメロディを頭と心と、ちょっとばかり身体で聴いていた。
ベビーロックは歌詞がほとんどわからないので、純粋にサウンドとして、頭ではなく身体とフィーリングで聴く。
ステレオのスピーカーから身体に伝わる振動を「これが、音楽雑誌の解説にあったヴァイブレーションというやつか」と勘違いしながらも悦に入っていた。
単純なギターリフやフレーズは、レコードに合わせて、通販で買ったエレキギターで弾いていたが、複雑なアドリブになるともうお手上げだった。ジミヘンやクラプトン、リッチーやペイジに合わせるなんてできるはずもなかった。
そんな時、ヘビーロックシーンに彗星のごとく現れたのがグランド・ファンク・レイルロード(GFR)だった。
ギター、ベース、ドラムのスリーピースバンドは、ツェッペリンを凌駕するような大迫力で、曲もシンプルなものが多かった。
マーク・ファーナーの大音量のギターはクラプトンやペイジの重厚さ、流麗さに較べると、単純で力強くミーハー向けだった。
ハートブレーカーや孤独の叫び、アー・ユー・レディなど、練習すればヘタながらも何とかレコードに合わせて弾けた。
ロックは聴くだけのものではなくて、実際にバンドを組んで演奏するものだと実感した。 しかし悲しいかな、九州の辺境の田舎町にヘビーロックバンドをやるような高校生などいなかった。ましてやドラムとベースなど、どこをどう探してもいるはずもなかった。
それと田舎の女子高生もヘビーロックなど知る由もなく、彼女らの気を引くためには、フォークギターで吉田拓郎や井上陽水をやるしかなかった。
文化祭のミニコンサートでは、陽水の「傘がない」を歌いながら、GFRの「ハートブレーカー」を頭の中では歌っていた。
コード進行がほとんど同じなんだよね。