★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

グランド・ファンク・レイルロード

2014年08月03日 20時45分29秒 | 音楽
 1969年のウッドストック・フェスの前後あたりから、音楽シーンを席巻し出したヘビーロック(当時はまだハードロックとは言ってなかった)
 大御所のディープ・パープルやクリーム、ジミヘンやレッド・ツェッペリンなどの曲が深夜放送のラジオから流れ、音楽雑誌では特集が組まれ、田舎の高校生の私もレコードを買い漁っていた。

 ヘビーロックの大音量は、青春の入り口のモヤモヤや鬱憤晴らしにはもってこいだった。
 グループサウンズの歌謡曲ベースの曲も嫌いではなかったが、音の迫力が全く違っていた。 グループサウンズの場合は、歌詞とメロディを頭と心と、ちょっとばかり身体で聴いていた。
 ベビーロックは歌詞がほとんどわからないので、純粋にサウンドとして、頭ではなく身体とフィーリングで聴く。
 ステレオのスピーカーから身体に伝わる振動を「これが、音楽雑誌の解説にあったヴァイブレーションというやつか」と勘違いしながらも悦に入っていた。
 単純なギターリフやフレーズは、レコードに合わせて、通販で買ったエレキギターで弾いていたが、複雑なアドリブになるともうお手上げだった。ジミヘンやクラプトン、リッチーやペイジに合わせるなんてできるはずもなかった。

 そんな時、ヘビーロックシーンに彗星のごとく現れたのがグランド・ファンク・レイルロード(GFR)だった。
 ギター、ベース、ドラムのスリーピースバンドは、ツェッペリンを凌駕するような大迫力で、曲もシンプルなものが多かった。
 マーク・ファーナーの大音量のギターはクラプトンやペイジの重厚さ、流麗さに較べると、単純で力強くミーハー向けだった。
 ハートブレーカーや孤独の叫び、アー・ユー・レディなど、練習すればヘタながらも何とかレコードに合わせて弾けた。

 ロックは聴くだけのものではなくて、実際にバンドを組んで演奏するものだと実感した。 しかし悲しいかな、九州の辺境の田舎町にヘビーロックバンドをやるような高校生などいなかった。ましてやドラムとベースなど、どこをどう探してもいるはずもなかった。
 それと田舎の女子高生もヘビーロックなど知る由もなく、彼女らの気を引くためには、フォークギターで吉田拓郎や井上陽水をやるしかなかった。
 文化祭のミニコンサートでは、陽水の「傘がない」を歌いながら、GFRの「ハートブレーカー」を頭の中では歌っていた。
 コード進行がほとんど同じなんだよね。
コメント
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