★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

続・煙草と肺がん

2017年02月22日 20時10分06秒 | 徒然(つれづれ)
 煙草と肺がんの因果関係から、導き出される肺がん死亡率の数値は既稿の通り、100人に0.4人の割合だ。
 そんなごく小さな値を根拠として、嫌煙運動は過剰を極めている。

 今では喫煙者は、会社はもちろん、飲食店、喫茶店、歩き煙草、挙句の果ては家庭でまでも、禁煙を強いられている。
 紫煙を燻らせることができるのは、飲み屋や、ごく少ない指定喫煙場所だけだ。
 2020年の東京オリンピックまでには、飲み屋も全面禁煙にする目標が掲げられている。
 もはや嫌煙ファッショの態だ。

 喫煙者による非喫煙者の健康被害が、嫌煙運動の根拠のようだが、前述の通り、喫煙による肺がん死亡率は微々たるものだ。
 その数値を示すと、聞く耳持たないか、論点のすり替えで切り抜けようとする。論破されそうになると、決まって出てくるのが、不快な匂いや煙たさが耐えられないという意見だ。
 それだと、口臭とか加齢臭と同じレベルだ。
 口臭や加齢臭についても、嫌煙ほど強く拒否できるのか。
 要はエチケットの問題ではないのか。
 そう言ってくれたら、私も大人だから、反論はできないし、従わざるをえない。
 なまじ、健康被害とか、まわりの寿命を縮めているとか、針小棒大に言うから反発するのだ。

 日本の煙草の歴史は、16世紀末からと長い。
 1966年には成人男性の83.7%が吸っていたが、嫌煙運動の影響か、今や30%を切ってしまった。
 専売公社、現JT日本たばこ産業は、当時、新聞紙上で「今日も元気だ、たばこがうまい!」なんて、今なら大炎上ものの全面広告を打っていたものだ。

 税収面からいっても、煙草の果たす役割は重要だ。
 また、たばこは文化であり、嗜好品、贈答品であり、大人になるための通過儀礼、男のステイタスだったのだ。
 昔の文豪たちにも愛煙家は多く、彼らの名作にも、重要な小道具として随所に登場する。
 小説に限らず名作といわれる映画やテレビ番組にも、煙草は重要な役割を持って登場する。
 女子供は一家を支える父親の煙草の香りを逞しく思い、若い女性は、紫煙の向うの男に憧れたものだ。

 それが今や、JTは大幅な値上げを繰り返すし、嫌煙運動家は何の関連もないオリンピックに関連付けて、煙草を根絶しようと企んでいる。こうなったら、絶対に禁煙なんかしないぞ。
 それにしても、世知辛い世の中になったものだ。
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煙草と肺がん

2017年02月22日 17時57分47秒 | 徒然(つれづれ)
 国立がん研究センターなどの研究班によると、喫煙者が肺がんになる可能性は、男性では非喫煙者の4.4倍、女性では2.8倍高いという。
 厚生労働省の専門家会議が昨夏まとめた「たばこ白書」は、「科学的根拠は因果関係を推定するのに十分」としている。

 権威ある機関の報告だから、喫煙者の私も異論はない。その数字だけを見ると、誰しも、おお、4.4倍に2.8倍か、それは大変だ、と当然なるだろう。
 喫煙者がその値なら、副流煙を吸わされる非喫煙者も、その半分くらいは影響があるのではないかと思ってしまう。

 嫌煙運動の原点というか、錦の御旗はそれだ。

 では、実際に肺がんで死亡する人は、年間何人いるのだろう。

 統計では、2014年で73,000人ほどだ。
 その年の日本の総人口が1億2,700万人だ。
 そこから肺がんの発症リスクの低い30歳未満の人口を引くと9,200万人だ。
 それを母数とした肺がん死亡率は単純計算で、0.08%だ。
 当然、喫煙者、非喫煙者合わせての数値だ。
 その数値が4.4倍になったところで、0.4%だ。
 
 要は100人で0.4人、ということは、100人の喫煙者のうち肺がんで死亡するのは、1人いるか、いないかの確率だ。
 250人でやっと1人の割合だ。
 4.4倍という倍率にしても、「科学的根拠は因果関係を推定するのに十分」だが、確定するには不十分のようだ。
 これを多いと見るか、少ないと見るかだ。

 私は少ないと見る。あなたはどうだろう。
 

 
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