★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

ヘッドハンティング 13

2012年05月06日 01時03分52秒 | 小説「ヘッドハンティング」
「真田さん、はかどってますか? カタログの歴史は」
 資料の整理をしていた真田に、課長の本山が声をかけた。
「ええ、まあ…私が入社してからの社歴とほとんど時期が重なっていますから」
 社史編纂室で真田が受け持った仕事は、カタログ事業の変遷というテーマで、当初は社内ベンチャー・ビジネスといった程度のカタログ事業が、発足後三年目に黒字計上して以来、倍々ゲームのような成長を遂げてきた歴史をまとめることだった。そのためには、カタログ事業各部署を取材して回ることが必要だった。

「ところで、毎週提出してもらってるレポートですが、取材の結果が正確に反映されてないように思えるんですが…」
 本山はどんなに若い人間に対しても、丁寧な言葉遣いをする。
「私のレポートになにか不備な点でも?」
「いや、文章も構成もしっかりしています。私としては満点に近いと思います」
「じゃあ、何が…?」
「かなり精力的に突っ込んだ取材をしているようですが…口の悪い人に言わせると、根掘り葉掘り調査しているみたいだ、という声もあって…」
 本山は歯切れが悪い。

「確かに取材は徹底的にやっています。それを快く思わない人もいると思います。それに私としては、カタログの成長の過程はよく知っていますから、ディテールの部分の確認が主になります。そのディテールは本論の補完要素に過ぎませんから、レポートには反映させていません」
 そう答えながらも、真田は内心ドキリとしていた。
「それならいいんですが…いろんな人がいますから、あまり刺激しないような取材を心がけて下さい」


 社史編纂のための取材という葵の御紋は、山辺政権下のカタログ事業各部署への出入りをかなり容易にした。管理職以上の人間の中には、真田の取材に露骨に嫌な顔をする者もいたが、若手の社員は概ね協力的だった。真田は旧所属部署である商品部へは、管理職が会議で不在の時を狙って取材にでかけて行った。重要書類やフロッピーの保管場所はわかっていたので、必要と思われるものは若手への取材の合間に片っ端からコピーした。若手の中には旧知の気安さから、元上司の真田に、現体制における窮状を訴える者も少なくなかった。

「企画の内容はクルクル変わるし、勝手にハードなスケジュールを決めるし、商品決定と校正に追われて、仕入先との商談の時間もまともに取れない状態ですよ。毎日残業の連続ですよ」
「忙しければ忙しいなりに、時間の管理は自分でやるしかないぞ。キャパオーバーなら課長なり係長に相談したらいいじゃないか」
 真田は当然とばかりに言った。
「上は上で確固とした方針がないんで、その場しのぎの指示しか出てこないんですよ。それも朝令暮改もいいとこですよ。それに媒体はどんどん増やすわ、仕入先に対しては一律5%の値下げは要求するわ、もう、無茶苦茶ですよ」
「上司批判は滅多な人には言わないほうがいいぞ。俺みたいに飛ばされかねないからな」

 つい、ふた月前までは真田の下で、忙しいなりにも不満ひとつ言わず、一枚岩のチームワークで実務をこなしてきた連中がこの変わりようである。
 今の真田に彼らの窮状を解決できる権限はないし、彼らを鼓舞する材料もない。現政権がいつまでも続くわけはない、という希望的観測に基づく慰めは言いたくはないが、若い彼らは山辺政権の交代を待てばいい。しかし真田にはそれを待つだけの時間はない。ましてや、すでにシーシェルへの転職を心に決めているのである。
 商品部以外の部署では、真田は、表立って情報収集ができない大原や梶尾たちから教えられた、業務に精通したキーマンと接触し、専門的な情報収集に努めた。
 
 7月の末には、五人の過去の経験と、集めた情報をもとに、カタログの企画から商品決定、マーチャンダイジング、受注システム、物流システムに至るまでの、カタログビシネスに関する詳細なマニュアルが完成した。
 あとは、9月の上旬にバックアップデータの中から、顧客データを抜き出してコピーするだけとなった。
コメント (1)
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