今日は町田市立国際版画美術館へ行きました。
毎日新聞の夕刊を見て谷中安規展の開催を知りました。
谷中安規を知ったのは内田百閒からです。
風船画伯こと谷中さんが戦後の混乱期に餓死してしまったということぐらいしか知りませんでした。
町田には小田急で行きましたが、小田急の株主無料優待券が11月末で終わってしまうことも、後押ししました。
小田急の株は売ってしまったので、12月からはタダ乗りできないのです。
町田駅は初めて下りました。
町田市立国際版画美術館も初めてです。
版画って同じ絵が何枚も出来て、手彩色によるバリエーションがあるんだくらいの認識でした。
しかし、印刷技術やコピーがなかったころは、版画によりたくさんの人に同じ作品を配れるというのは、意義があったのでしょう。
また、本に手刷りの版画を貼って頒布することも、実際にありました。
今回、これだけの作品が見られる(作品が現存している)のも、結局、版画の数の力なのでした。
谷中さんの作品を見て感じたのは、女性への憧れが大きいわりに、女性を描くのが上手くない(色っぽくない)のでした。
彼の作品でよいのは、こどもとネコなのでした。
そして小さい作品がよいのです。
彼の手紙が展示されていて、こう書かれていました。
「死ぬと言ふことは、もしこの世が夢ならば、あちらの世界へさめることだ」
こんなことを考えている人は、さらっとあの世へ行ってしまうに違いありません。
そして、こどもの頃、谷中さんは朝鮮に住んでいたということを知り、驚きました。
朝鮮経験が彼の作品に少なからず影響を与えているのでした。
展示を見終わり、2500円の図録と絵はがきを買いました。
展覧会に行くと図録を買えるようになった自分が、不思議な感じです。
むかしは図録なんて手を出すものではないと思い込むほど、お金がなかったですもの。