内田百閒原作 一條裕子漫画 小学館 2009
過去ブログを手直ししていますが、そうすると気になる記事が出てきます。
北九州小倉のブックオフでマンガの「阿房列車」を買ったとあり、確かに買ったのですが、果たして中身を読んだか記憶がまったくありません。
もちろん、家の納戸に置いてあるのはわかっているので、読んでみることにしました。
すると、まったく読んでいなかったことがわかりました。
なぜ、はっきりそう言えるのかは「阿房列車」1号を読み始めると、違和感だらけだったからです。
この違和感を、すでに読んでいたら記憶していないわけがありません。
私が絶対正しいとは言いませんが「阿房列車」を何度も読んでいたらこんな絵にはならないと言えるところを挙げてみます。
1 百閒先生は大男で、山系君は小男なのにマンガでは同じくらいの背になっている。
2 列車の座る場所は山系君が窓際、百閒先生は通路側なのにマンガでは逆になっている。しかも2巻目の2号で二人の座る位置について触れていて、その瞬間、漫画家さんは赤面しただろうなと想像してしまいました。
3 特別阿房列車の旅費の借金先は多分出版社で阿房列車掲載誌の小説新潮の新潮社と思われるので、借金の相手は椰子君。したがってマンガで椰子君と同じ人物が借金の相手先として描かれていたら、私は参りましたと言ったことでしょう。
4 区間阿房列車の目白駅でのD51との遭遇シーンの若い鉄道の職員と当夜の主人とは実は夢袋さんと山系君のことなので、やはりこの目白駅の二人を夢袋さんと山系君と同じ人として描いてあったら、私はこの漫画家さんすごいと感嘆したことでしょう。
いつか、3番と4番について「阿房列車」論を書こうと思っていましたが、ここで書いてしまいました。
で、結局、生半可な理解ではマンガ化してもしくじってしまうということがわかりました。
でも、監修者による列車編成の詳説には、私にはお手上げの情報で、これには参りましたというしかありませんでした。