ここで書いていることだけを見ると、
子育てが楽しくてキラキラしているように見えるかもしれない。
でも、実際は第一反抗期とやらを思う存分味わう毎日だ(笑)
渋滞の高速道路で不意に息子が「Kはまだ飛ばれへんからなぁ」と残念そうに語り、
車内の険悪な空気が緩和する。
いつか飛べると思っているんだ・・・
こういうキラッとした一言が育児の「ほとほと」「へろへろ」を救う。
友人の手紙に子供の寝顔を見ながら、今日も怒りすぎてごめんねと思うと書いてあった。
「もうママなんて、大、大、大嫌い」と泣いた夜、
母の存在を手探りで確認するため、寝ぼけながら私を抱いてくる小さな手。
まだ背中まで手が届かず、肩の上に置かれた息子の手の軽さ。
16センチの上靴を見ながら、その小ささに愛おしさがこみあげる。
闇の中にあってもキラッと光るものが身を潜めて待っている。
これがすべてではなく、一部であったとしても、
一日、一週間、一か月と重ねていく中でほんの一粒でも光る何かを見つけたら、
ここに残していく価値あるものだと思う。
園で体操教室が始まった。
体操のお兄さんどうだった?と振り向くと息子がいない。
あるはずのところに顔がなく、下を見ると息子が小さくまとまっている。
三角座り?
「ちがう。お山座り!」
体操教室初日に学んだ息子のお山座り姿にアドレナリン大放出。
まだ100センチない息子が三角座りをすると50センチくらいになって・・・
可愛い!(親ばか)
パパが帰ってきた。
「Kがお山座りできるようになったんだよ。見て」(と誘う)
Kが得意げに小山を作る。そのフォルムに夫婦で大爆笑。
この小ささ。懸命さ。
この頃が一番可愛いと言われる所以かな。
ママの絵を書いてくれるという。
描いた顔には耳も鼻も眉毛もまつ毛もない。
にもかかわらず、両目から真下に向かってたて線が・・・たぶん下まつ毛だと思う。
幾重にもひかれた縦線がクマのようで、なんだか病んでるみたい・・・
な私ができあがる。
最初は丸に目だけの顔だった。そのうち、にこにこの口が生まれた。
しばらくずっと尼のような私であったが、ここ最近、髪の毛を描いてくれている。
耳を描くと、髪を忘れる。まつ毛を描くと、眉毛なし。
どうやら見えているものすべてが反映されるわけではないようだ。
次にパパの絵を描く。
パパの顔は私より大きく描かれ、目は小さい。こぼれおちそうな頬が福々しい。(実際、そう)
大小・長短の区別ができており、特徴をつかんでいる。(親ばか)
目の周りに丸を描いている。上に耳がある。
パンダだ!
これはなかなかの傑作だと思ったら、赤いクレヨンで塗りつぶし始めた。
えー、上手に描けていたのにどうして?!
「これ、トマト食べ過ぎたパンダやねん」
そんな構想があったなんてママ、わからなかったわ・・・画伯の絵は味わい深い。