このお盆休み、久しぶりにDVD鑑賞でもしてみるかという気持ちになり、
「今度は愛妻家」と「愛を読むひと」を借りて観たが、2本とも号泣だった。
鑑賞後、みんなはどんな感想を持ったのだろうと「愛を読むひと」で検索してみると、
マイケル(少年)は15歳でハンナ(女性)は21歳も年上だったんだ・・・の詳細な事実から、
ネタバレに関するQ&Aまで膨大な情報量があった。
ひっかかりを覚えたのが、映画観賞者の個人的な疑問とベストアンサーさんの答え。
質問に対してある1つの回答が得られ、質問者の心の中の曇りが晴れる仕組み?なのだが、
ベストアンサーさんの回答が「私個人的な意見ですが、~と思います」というのが、面白い。
あの時、マイケルはどんな気持ちだったんですか?もしも役者が問われたらどんな気持ちになるだろうか。
感情を台詞にのせ、行動にこめて「表現」したにもかかわらず、言葉で説明せねばならないとしたら?
与えられた役柄の履歴(もちろん台本には載っていない)を考え、
体にぎっしり気持ちを詰め込んでつくりこんできている役者さんに対し、
それはさぞかし失礼な質問ではないだろうか。
すべてに理由が必要だろうか。
すべてをわかる必要があるのだろうか。
いますぐわかる必要があるだろうか。
自分の中に生まれた「どうして」や「なぜ」を他者に解決してもらって、それはわかったことになるのだろうか。
わかっているつもり、なだけで実のところわかっていないのではないか。
大学生のコピペ論文。小学生のコピペ読書感想文。理由がなければ行動できない社会人。指示待ち人間。
思考はさらに拡がって、我が子の考える力を伸ばすには・・・?
人間は考える葦、だから、いつの間にか「考えるひと」
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