第50話 社会人大博覧会

2005年04月14日 23時58分09秒 | Weblog

大学4年の春、就職活動、氷河期、自己PRがうまく出来ず苦労した。

手書きのハガキで資料請求するも、資料が届かず、
電話で会社説明会の日程をきくも、まだ決定していないとの返事。
私は就職活動の為の学校に通っていた。
同じ教室には関関同立(関西の有名私大)に通う人たちもいた。
会話の中で、どうやら資料が届いていないのは…私だけ?だと知る。
その頃、同じ大学に通う友人が事務のバイトをしていた。
「私、電話応対してるんだけど国公立と有名私大だけ説明会の日程を伝えるように言われてるよ」
嘘か誠かわからないけれど、まことしやかに私の中で裏と表があった瞬間。
加えて、大学院進学を考えている京大生にはうんざりするほどのDMが勝手に届いているときく。
学歴社会を恨む気持ちはなかった。4年前、私は頑張らなかったのだから…
当然の結果ともいえる。ただこの現実が4年前に既に決定していたことが、かなしかった。

自己PR、履歴書を書くため用に過ごしてきたわけではないので焦る困る。
例にあるようにボランティアやクラブ活動での大会進出、人とは違う何か…とは何か…。
昔から賞といえば、皆勤賞。なぜか私は大学でも授業をサボることができなかった。
当然、出席。アルバイトも4年、継続。書くには地味だった。
遊べない自分を魅力がないと思い、真面目などはやらない、真面目だと言われることが嫌だった。
真摯を避け、探し回った長所だけをきりとった私の紹介文は抽象語ばかり。うそっぽくぼやける。
やり直し、自分の足跡を丁寧に何度も辿り、ようやく完成。
事実(具体的な言葉)だから少しは輪郭がはっきりしてきたような気がする。
正直で、気恥ずかしくもない。目をひかなくてもいい…誠実に、私でいくことに決めた。

氷河期、説明会でもとくとくと社会の厳しさばかりをぶつけられ、
「人を雇うくらいなら機械を買う方が安い」と言う。
抵抗力があれば、言い方はあんなだけどそれでもはいあがってくる私を待っているのかなと思える。
だが弱まっている時にきく言葉は突き刺さる。就職活動中に自信喪失、活動は停滞、
外交的になれず求人欄の傾向を見、対策と称して内向的に簿記を勉強し始めることにした。
その後の履歴書資格欄の最後にひとつ、簿記3級と足した。
原付みたいな資格じゃ無理かな…と諦めかけていたクリスマス、内定通知が届いた。
4月入社式、配属先は経理課だった。就職は縁なり。

今思えばもっと就職活動を楽しめばよかった…(と今だから思えるのか…)
思い残したことがあるとすれば、もっと、もっと、「社会見学」しておけばよかったなと思う。
学生という特権で、はたらくおじさんをライブで見ることができ、業界の説明までしていただける。
企業から選んでもらうことに気負いすぎていたが、私からも先輩方を見ることができたのだから。
中でも記憶に残るのは、NHKの説明会。アナウンサーの山根基世さんの講演!素敵!!
講演後「どなたか質問のある方はいらっしゃいませんか?」と司会の方が見渡す。
「次で最後の質問にしたいと思います」
勇気を出して手をあげた。学校名と名前を名乗り、初めて持つマイクと声を震わせながら、
「山根さんに質問なんですが、インタビューの時、相手の方の話をききだすための秘訣を教えて下さい」と問うた。
質問も自己PRになるらしいが、私は就職とまったく関係のない質問をし、その答えに満足して帰った。
「相手の懐に飛び込むためには、こちらが品よく脱ぐということです」
10年経った今も、忘れられない。企業は人なり。

講演会あらし?の思い出を懐かしむ。


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