1966年の中山峠は砂利道とはいっても、立派な国道だ。荷を満載した大型トラックに合
わせて、良く手入れされていた。どしゃ降りだったが、ぬかるんだ所は1箇所も無かった。
道北スーパー林道美深歌登線より、はるかに長い距離を走ったのだが、つらいと思う瞬間
は一切なかった。
ただベンリーC92号で70kmを保つには、周りの景色など楽しむゆとりはなかった。
素晴らしい景色だったはずだが、ほとんど覚えていない。でも楽しかった。
若かくて体力があったからねー。1時間、信号無しで必死で走れるんだから。前には1台も
走っていないし、今なら多分サーキットを走っているようなもんだね。
洞爺湖温泉に向かう途中だった。どのあたりかは覚えていない。大雨による土砂降りのた
め通行止めの現場があった。土砂は高さ1mで幅は5mくらいしかなかったので、この先が
なんともないなら、通してくれるよう頼んだ。「絶対に通れるから」と頼んだら、「そんならやっ
てみろ」と許してくれた。無理を言った手前、見栄を張って吹っ飛んで行ったら、少しジャンプ
してしまった。C92は素晴らしかった。大きな荷物を積んでいたが、びくともしなかった。
ハスラーとは大違いだ。
このプレスハンドルのポジションを決めたのは、本田宗一郎さんに違いない。多分自分で
乗って決めたと思う。砂利道の乗り方に相当たけていなければ、このポジションは決めら
れないはすだ。
C92はアップハンドル仕様も有ったが、悪路では断然プレスハンドルの方が有利だった。