これは本当らしい。
火縄銃の名人(私の判断だが)に聞いたのだが、
50メートルで10cmぐらいに収束するらしい。
「グルービング」て言うんだよね。
直径10cmの円の中に、ほとんど命中すると言う
ことだ。
と言われても、銃の知識が無い人にはピンとこない
よね。
私の知識で説明すると、1960年製の安い空気銃
ぐらいかな。
でも火縄銃の名誉のために言うと、この空気銃の
50メートル地点での威力は、使い物にならない程
弱いものだ。しかも照準は、30cmぐらい上を、
狙っているのだ。
ライフルが付いているので、なんとか可能なのだ。
なんだそんなもんか、と思うでしょうが、飴玉のよ
うな弾を50メートルも、カーブさせないで高速で
飛ばすことは、かなり難しいらしい。
それと空気銃との比較は、あくまでも50m地点の
命中率の話で、威力については問題にならない。
しかも50m以降は全てにおいて、はるかに火縄銃
の方が勝っている。
それと、これは私の自慢になってしまうのだが、
当時の中折れ式の空気銃で、50メートルで10cm
以下にグルービングさせるのは、けっこう高等技術
なのです。
たぶん今も、かなりの人達が、このブログを見て、
ほんとかなぁ~と、疑っているはずだ。
でもこれは40年以上前の私です。
心臓も肥大していないので、脈拍が静かだし、また
15メートル先の蟻を、数えることが出来たからね。
ごめんなさい、無駄話だね。
でも火縄銃の性能は、なんとなく分かったでしょう。
では種明かしに移ります。
なんとこの火縄銃は1860年ぐらいに作られた物な
のだ。かなり新しい物だよね。
ちょっとおかしくないですか。
「エー、まだ作っていたんですか~?」だよね。
このころアメリカでは南北戦争が始まった所だよね。
戦場では西部劇でおなじみの、あの有名なウインチェ
スター銃の初期型が、北軍で使われ始め、大活躍した
そうだ。
なんと12~13連発銃なのだ。
300年も改良を拒み続け、品質のみを限りなく追求
してきた結果なのだろう。
ものすごく高品質な火縄銃なのだ。
弓と同じだよね、少年の「当たらないのは銃のせいだ」
、と言う思いを、怒鳴り続けてきた社会と、もっと高
性能をと、追求してきた社会との、大きな差だよね。
ぜったい当たりだよ。
重大な見落としを、していたかもしれない。
それは、もしも「にかわ」のような接着剤が戦国時代より
も以前に、存在していたとしたら。
今までの推測は、無駄になってしまうかも知れないのだ。
と言うのは、もし弓道が確立する、ずっと前に、合板が出
来ていたとしたら、弓は上から下まで強度が均一に出来て
いたはずだ。
もう下の方を持つ必要は、何も無いのだ。
たとえ習慣になっていたとしても、いざ戦争になったら、
下とか上とか、言っていられない。
当たればいいのだ。
自分を狙っている敵に対しては、一秒を争うし、一発必中
でなければならないのだ。
もしかしたら、真ん中を持つ弓が、存在していたかもね。
戦争中に、耳の後ろまで引かなきゃだめ。なんて言われて
も、聞いてなんかいられないよね。
あともう一つ気が付いたのだが、長い弓で、長い矢を射る
のも、アリかもね。
それは命中率が、あまり必要の無い戦法が、あったかも知
れない。
たとえば、、向かってくる敵の大群に対して、5~60人
で一斉射撃で、雨あられのように矢をあびせる戦法だ。
この戦法で、大事なことは矢の貫通力だろう。
長くて重い矢を、ゆっくり長い時間で、加速するには、長
い弓は最適だと思うのだ。
真ん中を持つ弓は、狙撃用なのかもね。
では推測的結論。
もしかして、もしかしたら、
日本人は弓の真ん中を持って、使っていたのかもね。
弓の下の方を持つのは、弓道の人達だけだったりしてね?。
あくまでも推測だからね、可能な限り資料無しで、議論
するのが決まりだからね。
火縄銃はまた、つづきにします。
長年、改良を拒み続けた点を、箇条書きにしてみよう。
このほとんどは、少年達が訴え続けたことであり、大人
達が怒鳴り捨ててきたことだ、と思う。
○ 先生、弓と矢が長すぎませんか、耳から後ろは、
これ以上引くのは、力が入りません。
口の所までなら、もっと強い弓でも引くことが
できるのですが。
もう少し短くて、もっと強い弓にできませんか。
○ 矢を竹で作るのを止めませんか。
一本一本が、微妙に強さに差が有って、同じ所
に飛んでいきません。
大きな木の一部分を20等分して20本の矢を
作ってみてはどうでしょうか。
ほとんど同じ強さの矢が出来ると思うのですが
○ 弓の真ん中に、矢が通る穴を開けてみたらどう
でしょうか。
そうすれば、弓を左に移動させなくて済むと思
うのですが。
ここで矢を竹で作る欠点を詳しく述べる。
これは私が1時間見たあの時の、NHKの放送で、や
っていた内容だ。
発射された矢のスローモーション映像を見ると、
矢は後ろから物凄いGがかかり、それを矢じりに伝え
きれず、尺取虫のように、いったんしなってから、ま
た伸びて、的に向かうのだ。
このしなりが大事で、全くしならないほど、強くても
振動が発生してしまい、だめなのだそうだ。
精密な射撃をするには、この適度なしなりが、全ての
矢、均一でなければならのいのだ。
ところが、安易に矢竹を使うと、一本一本全て差が生
じてしまうのだ。
武士道真っ盛りの時代に、こんなことを言っちゃだめ
だよね。
この時代にすでに、じょさいない少年の方が評価が、
高かったのだと思う。
その証拠に、日本の火縄銃は世界一、命中率が高い
のだと。
なんか変だよね、でも事実だそうだ。…つづく
なぜ右の方に飛んでいかないのか、のつづき。
松平健さんが、紳士服のテレビコマーシャルで、弓を射る
シーンがあるので、見て欲しい。
そのシーンは弓を射る瞬間をアップで写したもので、弓を
持つ手が30センチほど、左に移動しているのが良く分か
るように写っている。
これは弓が、矢の邪魔にならないように、矢から離したの
だ。
では5cmだけ離してみよう。
弦は弓に向かってちじんで行くので、このぐらい離したの
では、矢の尻を5cmぐらいクイッと左に、こじってしま
うのでは。
では命中した時の弦の動きを、推測してみよう。
矢は一直線に的に向かっていったわけだから、弦も矢が離
れる瞬間までは、やはり一直線に進んだはずだ。
ところが、弦はクルリと、ほぼ360度回転し左腕の左側
まで回り込んでいるのだ。
それには弓を左に移動する際に、少なくとも矢が離れる瞬
間まで、弦が弧を描かずに一直線に進むように、弓を微妙に
速度を変化させて、動かしているはずだ。
つまりこのように、非常に難しい動きがうまくいった時だ
け、命中するのかも。
なんとなくレッドソックスの岡島選手の投球ホームに似て
いませんか。
弓が頭で、弦が右腕で、矢がボールだ。
結論、とまでは難しくて、言い切れないが、
この一連の高等技術は、左手のスナップで弓をコントロー
ルして、矢を投げているのではないだろうか。
つまり「矢投げ機」と言えないだろうか。…おわり
初めてこのブログを見る人は、是非昨日の記事から見て
欲しい。
誤解を避けたいからだ。
何と比べて命中率が悪いのかと言うと、私のアーチェリー
の点数と比べてだ。
それなら当たり前だろう。と思うのは当然だが、
私のアーチェリー暦は、矢の数で60本だ。
この60本のうちの、最後の10本と、会津地方の、
の矢場で練習していた女子高校生の何人かの10本とだ。
でも彼女らの名誉のために話せば、最後の20本は、か
なり劇的に進歩した20本だった。
40年前、場所は後楽園球場の、ボクシングジムの屋上だ。
物凄くハイレベルのアーチェリー場だった。
どのくらいハイレベルかと言うと、
まず最初に弓を選ぶ所から、アドバイスしてくれる。
腕の長さと、引く力の強さを見て選んでくれるのだ。
弓が決まると、今度は矢を選ぶのだが、弓に合った強さの
矢を選んでくれるのだ。
2日通った時、運よくNHKの教育テレビで、アーチェリー
教室を放送したのだ。
この放送を1時間見てからの最後の20本は、神がかりか、
と自分でも思うくらい、矢が的の中心に吸い込まれていく
ようになったのだ。
一番効果があったのは、矢を放す方法だった。
手から離れていく矢の一番後ろをブレさせないように、
ほっぺたをこするようにして手を離すのだ。
話が長くなってしまった。
何が言いたいのかというと、アーチェリーは矢をそっと
離してやれば、あとはライフル銃のように矢は、狙った
ところに飛んでいくのだ。
さて、では和弓だが、こちらは一筋縄ではいかないのだ。
弓を引くと右手はどんどん下がってしまい、矢が上を向
いてしまうことは、先日話した。
実はこのとき矢の一番後ろは(面倒なので次からは尻と
言うことにする)、弧を描くようにして下がっていくのだ
だから手を離すと、矢の尻はやはり弧を描いて押し出さ
れるのだ。
的に向かって、一直線に押し出されるのではないのだ。
次の問題は、弓の幅だ。
弦はこの弓の幅の中心に向かって、矢の尻を押していく
のだ。
アーチェリーはこの部分がえぐられていて、矢は弓の
中心部を通過するようになっているので、なにも問題は
ないのだ。
和弓はというと、矢は中心部から2cmほど右側を通過
する。
矢が弦から離れる少し前に、この2cmのために、右に
方向を変えられてしまうのだ。
この傾向は、世界中の弓にもいえることだが、
和弓は矢がかなり長いので、しなる量も多いのだと思う。
大げさなほど、右にそれていくらしい。
少年が作った弓もそうだった。
でも射る所を見ていると、全然右にそれてはいない。
なぜだろう。長くなりすぎたので、つづきにする。
朝のつづき。
ではなぜ現代に至るまで下のほうを、持ち続けているのだ
ろうか。
高性能の接着剤が手に入る、いまはどのような合板も作れ
るはずだ。
と言うか、少なくとも江戸時代は、すでに「にかわ」が、
存在したはずだ。
つまり上から下まで全て均一の合板が出来たはずだ。
5.6ヶ月前にテレビで和弓の製作を放送していた。
中には、カーボンまで使用している物もあったのだ。
もう下のほうを持たなければならない理由は、何も無く
なってしまったはずだ。
やっと推測の出番が来て、うれしい。
たぶん弓道が確立する、かなり前に、当たらないのを、
弓と矢のせいにした少年は、かなり大勢いたはずだ。
私もその一人だ。と、誇りを持っている。
この少年達を、ずーと怒鳴り続けた、大人たちが、その
何十倍も、いたのではないのか。
当たらないのを、弓のせいにすることは、世の中が、
タブーにしてしまった、結果なのではないだろうか。
すったもんだしている所に、鉄砲が伝わってきた。
これ以降、弓は武器として、あまり大切な物では無く
なってしまったのではないのか。
そのあたりで、「弓道」が確立し始めたのではないの
か。
多分当たりだと思う。
次は命中率が悪いメカニズムだ。…つづく
日本の、あのながーい弓は(次からは和弓と言うことに
する)なぜあのように下のほうを、にぎって使うのか、
それとなんであんなに長くないといけないのだろうか、
と疑問に思ったことは、ないだろうか。
それとかなり命中率が低いのに、疑問を持ったことは、
ないだろうか。
以上は、私が小学校5年の時に、抱いた素朴な疑問だ。
誤解を恐れるので、大切なことを、おことわりしてお
きます。
これから先、和弓の欠点と思われることを、何度ものべ
ます。
しかし弓道の精神や、残心(すみません残身かも)の
ことにはいっさい触れません。
それとこのブログは、疑問を全て推測または、推理して
解決しようとするプロセスを、
楽しむことにしています。
小学校5年の頃、弓作りに凝ったことがあった。
材料は当然、竹を使用した。たぶん古代人も、そうした
のだと思う。
あまりにも、手近に弾力性に富んだ竹が有るからだ。
だがこれが、のちのち和弓の性能の低さの原因になった
のだと思う。
弓と矢に適した木を、探す努力をしなかったのではな
いか。
では最初は、下のほうを握る訳と、やたらと長い理由、
から行きます。
少年は、魚肉ソーセージぐらいの太さの真竹で、
120センチぐらいの弓を作りました。
矢もちゃんと、矢竹と言われる竹を使用しました。
このように、簡単に弓の材料が手に入ってしまう環境
なのが、高性能にならない原因なのだろう。
真ん中を持って引いてみると、上の3分の1ぐらいの
当たりだけが、曲がってしまい、下の方はほとんど
曲がらない。
原因は竹の根元の方と、上の方との強度の違いによる
ものだ。
上の方だけ、よけいにしなってしまうのだ。
そこで上側の曲がりを、もっとおだやかにするため、
もう少し下のほうを持つことにした。
なんとなく、自慢しているようだが、そうではない。
生理的に、そうしないと危ないと思えてくるのだ。
多分、古代人もそうしたに違いない。
だがこれで解決したわけではない。
やはり上の部分だけが、しなるので、右手はどんどん
下に下がってしまい、矢が上を向いてしまうのだ。
だからここで射るためには、弓をその分だけ、前に倒
さなければならない。
これは後で気が付くのだが、弓道の人達もやっている
ようだ。
結論、その昔、1本の竹や木で弓を作ったため、上の方が
極端に曲がってしまうので、下3分の1あたりを、持
つようになったと推測する。
そして弓がやたらと長いのは、矢が極端に上を向いて
しまう特性を、おだやかな物にするためだと推測する。
つづく
今日は穴を掘ってみよう。
穴の面積は、小さいと隠すのには、都合がいいが、一度に
掘ることができる人数は、少なくなってしまう欠点がある
今回は50cmの辺を6列、25cmの辺を12列にする。
ちょうど3m角になる。
一並び72箱になるので、21段で1500箱だ。
15cm×21段で、3.15mの高さになる。
とりあえず5mの深さの穴を、掘ることにしよう。
次は残土をどうしようか。
3.15×3×3=28.35㎥になる計算だ。
ダンプカーのことは、あんまり詳しくはないが、11トン
ダンプで2台は必要だろう。
今度はこれをどこかに運び出し、また隠さなければ
ならない。
大変なミスをした。3000箱だった。
もう一つ同じ穴が必要だ。
もうやめよう。私には無理だ。
これだけの人達の口に、蓋をすることなど、とても出来な
い。
神隠しの術を使うには、人数が多すぎるよね。
幕府の偉い人や、日光までの行列に関係した人々を入れる
と、多分500人以下に、押さえることは無理だよね。
またこの東照宮からの穴埋め作業の間、この人達を誰に
も見られないよう、隠しとおす方法を、思いつかない。
そうだ、立派に出来てしまった1キロメートルの道は
どうしよう。
なにしろ、道の終点が「穴」だからね。
あとね、へたに馬など使って人数を減らそうとすると、
道がグチャグチャになっちゃって、
もうどうしようもなくなっちゃうよね。
やっぱり私はギブアップするね。
たので、1979年に違いないと思います。
すっきりしました。
おとといの続き。
今日は隠す方法を決める。
やはり定番の「穴を掘って埋める」にする。
たいていの人は、穴を掘って探しているので決た。
でも江戸城から、穴に一直線に向かっていくような、
おろかなことは、できない。
なにしろ51トンだからね。
一人が2千両、34キロづつ運ぶとすると、1500人
必要だ。
すごい行列になってしまうので、これは採用できない。
まずは、どこかの信頼できる大名の所まで、少しづつ
運ぶしかないだろう。
日光東照宮は、毎年と言っていいぐらい、大行列が、
行われている。これを利用しよう。
なにしろ将軍の行列だからね。
と言うことは、宇都宮が浮かぶが、これは無理だ。
吊り天井は過去のこととしても、山までは遠すぎる。
やはり東照宮に決めた。
でも東照宮の周りには、鍬で穴を掘れるようなとこ
ろは、いっさい無い。
30cm下は岩か石ころだ。
疑うなら、あの男体山を掘ってみるがいい。
でもそんなことを言っていたら、話が進まないので
東照宮から1キロぐらいの所に、いい所が見つかった
ことにしよう。
では東照宮から300万両を運び出してみよう。
ここまでは、誰も気が付かなかったことにしよう。
2千両づつ運ぶとすると、1500人が必要なことは、分
かっている。
これは絶対数なので、300人で運べば、ひとり5回と
なる。
なぜこんなことを、長々言うかと言うと、
一箇所を何人の人が歩いたかが、重要なからだ。
たとえば草むらを、1500人が往復したとすると、そこ
はもう当時では、国道に昇格してしまうぐらい、立派
な道になってしまうはずだ。
更にその道は、1500人が通る前に、穴を掘る人達が、
何人も通っているはずだ。
たまたま通りすがった人に、「あのね、ぼく達は何もし
ていないの」と、何人もの人に笑いながら言ったことか。
当時の担当者は、苦労話をしてくれたものだ。(うそ)