1月8日、次男君が9日に愛知県に帰るので那智へ初詣に行ってきました。毎年の
行事なんですが、今年は行けるのか、行っていいのか・・と昨年秋の紀伊半島大水害
以来私はずっと思っていました。たしかに、昨年の春先の3・11東日本大震災と比べ
ると、災害規模も被害様相も差があるけどやはりあの那智の滝に向かう変わり果てた
様子を見ていたら 迷ってしまったのです。だけど行くことで地元の人々が喜び、
また甦って行く力になると信じて行きました。ただ、この水害を『台風12号水害』と
いわずに『紀伊半島大水害』と覚えておいてほしいと思います。台風は毎年やってくる
もので、12号も毎年発生するので、できれば年号も入れればいいのですが。
と、辛坊さんも力説していましたね。
おじいちゃんは、歩くのに自信がないというのでお休みしおばあちゃんと私達3人で
行ったわけです。国道からいつも通るAコープ横からの道に入って行ったのはいいも
のの、途中で川にかかる橋が通行止めになっていてまた国道まで戻ることになってし
まいました。途中にそんな立て看板も見なかったので、ナビを点けていたら通行止め
が表示されたかもしれないけど、知った道をわざわざナビの案内で行くこともないしね
途中の風景は、連日中継された時よりは片付いていたけれど、やはり今まで何回も
見てきた景色とは全く違い、昨年同じ水害で被害を受けた古座川町明神に向かう道中
以上の変わりようでした。残った家も多くありましたがそのままの状態で、巨岩が
家に飛び込んだままで二階建が傾いたままのものや、離れた山から押し寄せてきた
山津波に屋根だけが残っていたり、4ヶ月では思うように元には戻っていません。
那智川もゴロゴロの石や木々が横倒しで護岸がなんとか大きな土嚢で保護されたという
感じで、保育園も水が突き抜けていったさまが窓から見えて「あの時は夜できっと
音だけの中を逃げたんだろうな」と私まで苦しくなってきました。周りの山も何ヶ所
かが中腹から表面がえぐられ、茶色い地面が見え怖くなります。やはりここでも
それらにカメラを向けることはできませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/88/4a5efa9e4631a121d6f98116ab501b1c.jpg)
那智のお滝さんはそれでも白く飛沫をとばしています
熊野那智大社の社殿に着き、最初に手と口を清め、昨年の古いお札を納めることにしま
した。古札を奉納するところの後ろには ヤタガラスを飾った社殿があるんだけど
その裏山の土砂が流れ込んできたので、いまはまだブルーシートで覆われていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/7a/45fb20d9e51a513264b75d813cb1c34c.jpg)
次男君の肩の上にヤタガラスが・・・
この日は 白い装束を身につけた人がたくさんお参りに来ていて、たぶんバスツアー
なんでしょう、きちんとした足元まで白足袋というのではなく、白いジャージ上下とか
白い綿パンに白っぽいズックや白いダウンジャケットやジャンバーとかね。西国札所
巡りかもしれません。大人も子供も混ざっていたので、お正月のツアーなんでしょう。
その人々が那智大社横の那智山青岸渡寺(西国三十三所の第一番札所)にお参りして
行く後をついていって、初めて本堂の横の通路を歩きました。ここはお寺の人しか通行
できないとずっと思っていたので、なんか緊張!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/57/356312ce4ab2084c36fedf110202f11e.jpg)
青岸渡寺の日本一の鰐口(頭上)
白い装束の人々が次々と階段を上って行くので、そのあとについていくとなにやらお堂
のなかへ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/b1/88d0b5a3c7a3ce58e30c34fb0a920ca4.jpg)
入り口に靴がびっしりと並べられ、ご自由にお参りくださいとあるけど、お堂の中は
線香の煙かもうもうとしていて、そこに座っているのが白装束ばかりなのでやめました
どうやら大黒天を祀ってるらしい・・・
階段には![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/f1/05399c47f5046f12fe20674fe771845d.jpg)
「那智七福を祀る如法堂(大黒堂)」とあり
≪御本尊≫
大黒天(戝・商業を司る尊天)
弁戝天(諸芸・戝を司る尊天)
毘沙門天(諸々の守護を司る尊天)
恵比須(海運・漁業を司る尊天)
祿寿(寿・宿曜ほしまわりを司る尊天)
寿老(延命・長寿を司る尊天)
布袋尊(徳・円満を司る尊天)
私なんかもう大黒天様に見染められたいのだけど・・・でもやっぱり、七福って
人間の欲望全部表した神様みたいですね。そんなこというと バチが当る?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/a0/7930f0bd253ce21bf9871f99f69663ba.jpg)
花山法皇西国巡礼の旅
花山上皇【968~1008)は在位わずかにして一條天皇に御譲位になり、深く
観音力を信じられ那智の山に籠って修業せられること三ヶ年、更に深く大慈大悲を
求めて 那智観音を第一番として西国三十三ヶ所へ、当山の弁阿上人等を先達として
巡礼の旅に出られた。世に花山法皇を西国巡礼の祖とあがめ 今なおその心の旅に
つづけられているのである・・・
那智の山から那智勝浦駅近くにやってきて、信号待ちで「はぁ?」
この地に『地球防衛軍秘密基地本部』があったみたいよ~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/6e/5313436850ec6b5a106c9a62323d2e8b.jpg)
行事なんですが、今年は行けるのか、行っていいのか・・と昨年秋の紀伊半島大水害
以来私はずっと思っていました。たしかに、昨年の春先の3・11東日本大震災と比べ
ると、災害規模も被害様相も差があるけどやはりあの那智の滝に向かう変わり果てた
様子を見ていたら 迷ってしまったのです。だけど行くことで地元の人々が喜び、
また甦って行く力になると信じて行きました。ただ、この水害を『台風12号水害』と
いわずに『紀伊半島大水害』と覚えておいてほしいと思います。台風は毎年やってくる
もので、12号も毎年発生するので、できれば年号も入れればいいのですが。
と、辛坊さんも力説していましたね。
おじいちゃんは、歩くのに自信がないというのでお休みしおばあちゃんと私達3人で
行ったわけです。国道からいつも通るAコープ横からの道に入って行ったのはいいも
のの、途中で川にかかる橋が通行止めになっていてまた国道まで戻ることになってし
まいました。途中にそんな立て看板も見なかったので、ナビを点けていたら通行止め
が表示されたかもしれないけど、知った道をわざわざナビの案内で行くこともないしね
途中の風景は、連日中継された時よりは片付いていたけれど、やはり今まで何回も
見てきた景色とは全く違い、昨年同じ水害で被害を受けた古座川町明神に向かう道中
以上の変わりようでした。残った家も多くありましたがそのままの状態で、巨岩が
家に飛び込んだままで二階建が傾いたままのものや、離れた山から押し寄せてきた
山津波に屋根だけが残っていたり、4ヶ月では思うように元には戻っていません。
那智川もゴロゴロの石や木々が横倒しで護岸がなんとか大きな土嚢で保護されたという
感じで、保育園も水が突き抜けていったさまが窓から見えて「あの時は夜できっと
音だけの中を逃げたんだろうな」と私まで苦しくなってきました。周りの山も何ヶ所
かが中腹から表面がえぐられ、茶色い地面が見え怖くなります。やはりここでも
それらにカメラを向けることはできませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/88/4a5efa9e4631a121d6f98116ab501b1c.jpg)
那智のお滝さんはそれでも白く飛沫をとばしています
熊野那智大社の社殿に着き、最初に手と口を清め、昨年の古いお札を納めることにしま
した。古札を奉納するところの後ろには ヤタガラスを飾った社殿があるんだけど
その裏山の土砂が流れ込んできたので、いまはまだブルーシートで覆われていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/7a/45fb20d9e51a513264b75d813cb1c34c.jpg)
次男君の肩の上にヤタガラスが・・・
この日は 白い装束を身につけた人がたくさんお参りに来ていて、たぶんバスツアー
なんでしょう、きちんとした足元まで白足袋というのではなく、白いジャージ上下とか
白い綿パンに白っぽいズックや白いダウンジャケットやジャンバーとかね。西国札所
巡りかもしれません。大人も子供も混ざっていたので、お正月のツアーなんでしょう。
その人々が那智大社横の那智山青岸渡寺(西国三十三所の第一番札所)にお参りして
行く後をついていって、初めて本堂の横の通路を歩きました。ここはお寺の人しか通行
できないとずっと思っていたので、なんか緊張!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/57/356312ce4ab2084c36fedf110202f11e.jpg)
青岸渡寺の日本一の鰐口(頭上)
白い装束の人々が次々と階段を上って行くので、そのあとについていくとなにやらお堂
のなかへ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/b1/88d0b5a3c7a3ce58e30c34fb0a920ca4.jpg)
入り口に靴がびっしりと並べられ、ご自由にお参りくださいとあるけど、お堂の中は
線香の煙かもうもうとしていて、そこに座っているのが白装束ばかりなのでやめました
どうやら大黒天を祀ってるらしい・・・
階段には
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/f1/05399c47f5046f12fe20674fe771845d.jpg)
「那智七福を祀る如法堂(大黒堂)」とあり
≪御本尊≫
大黒天(戝・商業を司る尊天)
弁戝天(諸芸・戝を司る尊天)
毘沙門天(諸々の守護を司る尊天)
恵比須(海運・漁業を司る尊天)
祿寿(寿・宿曜ほしまわりを司る尊天)
寿老(延命・長寿を司る尊天)
布袋尊(徳・円満を司る尊天)
私なんかもう大黒天様に見染められたいのだけど・・・でもやっぱり、七福って
人間の欲望全部表した神様みたいですね。そんなこというと バチが当る?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/a0/7930f0bd253ce21bf9871f99f69663ba.jpg)
花山法皇西国巡礼の旅
花山上皇【968~1008)は在位わずかにして一條天皇に御譲位になり、深く
観音力を信じられ那智の山に籠って修業せられること三ヶ年、更に深く大慈大悲を
求めて 那智観音を第一番として西国三十三ヶ所へ、当山の弁阿上人等を先達として
巡礼の旅に出られた。世に花山法皇を西国巡礼の祖とあがめ 今なおその心の旅に
つづけられているのである・・・
那智の山から那智勝浦駅近くにやってきて、信号待ちで「はぁ?」
この地に『地球防衛軍秘密基地本部』があったみたいよ~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/6e/5313436850ec6b5a106c9a62323d2e8b.jpg)