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ここは町内田並地区にある お地蔵さんです。なにやら耳の病を治してくれるとか
民間信仰の一つのようです。ちょうど住宅の間にあってちょっとやそっとで気づく
場所ではありません。ただ地域の人に愛されているのか、願掛けして治癒したのか
かわいい毛糸の帽子や胸当てを着せてもらって、表情はもうわかりませんが。
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お地蔵さんの横に、お地蔵さんの背丈ほどの石碑があって ≪醍醐経一石一字塔≫
と彫られています。醍醐経というのはわかりません。いわれとか説明とかのものが
ないのです。ないのですが、町の指定になっています。
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この指定のプレートは潮御崎神社の境内でも見かけたような気がしますので、町の
文化財みたいなものかもしれません。ただ≪地蔵≫とだけ書かれて、愛想がないで
す。
このお地蔵さんの右に いくつかの古い墓石が並んでいて相当古いので、文字もわ
かりにくいのですが、石が苔むしていたりして・・・。
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この墓石には 古坐組姫邑 伊達式部建立 旧字で書かれていますが古座組姫村、
旧古座町姫区のことなんでしょうね、式部ですよ、近年で式部って名前はないです
から、明治初期の太政官制で式部局に属し、儀式をつかさどる人を式部と呼んだみ
たいだから、その流れの人?墓石の逆のほうをみると天保・・あとは読めず。
1830年から1844年、文政の後、弘化の前の時代だから179年前かぁ。
で、なんで姫の人が田並のお地蔵さんの横に墓石を建てたんでしょう?
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